カッパドキア・ハゲリスクタイム   作:忘旗かんばせ

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3-4

 ◯

 

「——それで、なんで俺が呼び出されてるんだよ」

「うるさい奴め。身を張ってお前の女を助けてやったのだから、大人しくその恩を返せ」

「俺も結構体張らされたんだけど!?」

 

 助悪郎は文句ばかりを言った。やれやれ、女々しい奴め。ぼくはその性根の腐りようを心底見下した。

 

「何も、あの鬼女と戦うのを手伝えというわけではない。資料探しを手伝えと言うだけだ」

 

 ぼくは言って、パタリと本を閉じる。

 ぼくたちは今——学校の図書館に来ていた。

 我が校の図書館は、それを使うような真面目な生徒は数えるほどだというのにも関わらず、無駄に広く、また蔵書数も多い。調べ物には打って付けだった。

 

「資料探しっつったって、意味わかんねぇし……お前、オヤジさんがやられたんだろ? こんなことするより、逃げる準備した方がいいんじゃねぇの」

「馬鹿め、勝てる勝負を逃す奴がどこにいる」

 

 ぼくは次の本を開きながら言った。

 

「勝てる勝負……ってマジで言ってんのか? あの女、どう考えてもやばいぜ。この世のもんじゃねぇよ」

「ふん、この世のものではないと言うのはな、所詮、この世ではまともに勝負もできん負け犬だということだ」

 

 この世で真っ当に生きる力があるなら、この世から外れる必要などどこにもないのだ。

 

「はあん。河童の息子は言うことが違うな」

「ぼくは河童の息子ではない」

 

 ぼくは人間だ。断じて、あのような爬虫類もどきの息子ではない。あの鬼女たちが、勝手に宣っているだけである。

 

「いいじゃん、河童の息子。泳ぎ上手いし、力強いし。あの影鰐って妖怪相手にも無双してたし。いいよなー、ヒーローみたいでさ。妖怪相手に戦うんだろ? 俺もなれるならなりてーよ、河童」

「お前、どれほどの代償が降りかかるか分かってるのか?」

 

 ぼくは胸ぐらを掴み上げる。

 ぼくが河童の血を引いているおかげで、どれほどの業を背負う羽目になっていると思っているのだ。

 

「軽々しく——河童になりたいなんて言うんじゃない」

 

 ぼくは助悪郎を睨みつける。

 

 河童になれば——禿げるんだ。

 青春も、若さも、全てをぶち壊して——髪の毛が、抜けていくんだ。

 

 頭に。

 つるっつるの。

 めっちゃ綺麗な——皿が。

 どれだけ拒もうとも、出来てしまうんだ。

 その苦しみが、いかほどであるか。

 

「わ——悪かったよ……」

 

 助悪郎は気圧されたのか、すぐに謝った。

 

「わかればいい」

 

 ぼくは言って、手を離す。

 

「……あのさ」

 

 助悪郎は、本を捲りながら、こちらをチラチラと見つめてきた。なんだ、鬱陶しい。かまってちゃんか。

 

「いや、その——俺はよ」

 

 彼は本から目を外して、ぼくに視線を合わせる。

 

「お前が河童になっても——ずっと、友達だから」

 

 何を言うかと思えば——馬鹿め。

 

「ぼくは河童になど、絶対ならんよ」

 

 だからもしも、もしもぼくが河童になったら、その時は——

 

「いっそ殺してくれ」

 

 ぼくが言えば——助悪郎は、驚いたように声を荒げる。

 

「こ、殺せって、お前——!」

 

 助悪郎が騒いだ瞬間、少し遠くの席で、ガタンと席を立つ音が聞こえた。

 

「おい、うるさくしすぎだ」

 

 図書館ではお静かに。

 口の前で指を立てて言えば、助悪郎は言葉を詰まらせる。

 

「う……すまん。でもさ、お前、そりゃあんまりにも——」

「そのくらいの覚悟だ、と言うだけのことだ」

 

 ぼくは言った。ぼくは絶対に、河童にだけはならない。

 それこそ、死んでもだ。

 ぼくが言えば、助悪郎は神妙な面持ちで頷いた。

 

「……わかった、約束するぜ。ダチとダチの、魂の約束だ」

 

 彼は言って——ぼくの眼前に、拳を突き出した。

 大層なやつだな、と思いつつも——ぼくはそれに、拳を合わせ返す。

 

「頼んだ」

 

 ぼくは言って、小さく微笑んだ。所詮こんな約束は、お遊びでしかないのだが。

 

「……ちなみにさ」

「なんだ?」

「河童になる代償って、なんなんだ」

「言いたくない」

 

 ぼくは即答した。

 自分の頭髪事情の危うさなど——誰が自分から語るものか。

 ぼくは黙秘を貫きながら、次の本を手に取った。

 

 本気になった助悪郎が、『河童の殺し方』を真剣に調べ始めたのを止めることになるのは、そのわずか五分後のことだった。

 

 ◯

 

 学校を出たのは、日も暮れる頃のことであった。

 

 部活動に所属していないぼくとしては、規格外に遅い帰りだ。

 もっとも、それは学校から出るのが、と言う意味であって、家に帰る時間と言う意味であれば、師匠から仕事をもらっている普段もあまり変わらないのだが、ともかく——

 

 夕方、である。

 

 焼けた西陽に照らされ、影が長く大地に伸びる。眩しさを堪えながら、ぼくは帰路に着いていた。

 図書館での資料集めは、おおかた上手く行ったと言える。必要な情報は手に入れた。あとは、それを活かすか殺すか。つまり、ぼくの努力次第である。

 

 手始めに、必要なアイテムをいくつか、帰りがけに浚って行こうか——そんなことを考えながら、賀茂川の岸を北上していた途中——

 

 どこからかキィ、キィと——油の切れた、車輪の回る音がする。

 

 見れば——遠く。川瀬の道の向こうから、一台の自転車が、ゆっくりと、こちらへ向かってきていた。

 西陽によって、それは真っ黒い影一色に染まっている。あたかも自転車とその乗り手が、一つの生き物のように一体化していて、アンバランスだった。

 

 キィ、キィ。

 

 小さな虫の鳴き声にも似て、耳障りで、甲高い音色。人影がペダルを漕ぐたびに、自転車は不規則に音を立てて揺れる。

 

 キィ、キィ——

 

 人影が、近づいて来る。

 影が濃かった。西陽のせいだろうか。顔が真っ暗で、まるで墨汁に染めたように黒く見える。ギョロリとした大きな目だけが暗闇の中に光っていた。

 

「おうい」

 

 その人影が、ぼくを呼ぶ。男の声だった。キィ、キィ。自転車を漕ぎながら近付いてきたその人影は、ぼくのすぐ前で停止する。

 

 どうにも、細い影だった。自転車競技用のそれなのだろうか? 体のラインが浮き上がるような、黒いボディスーツのようなものを身につけているふうに見える。

 

「へい、よう、坊主。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいか?」

 

 男はぼくに問いかける。逆光で顔が見えなかったけれど、どうやら笑っているようだった。白い歯が、暗がりの中に浮かんでいる。

 

「はあ、構いませんが」

 

 ぼくが答えれば、男は「いやあ良かった」と軽やかに答えて、黒い手袋を嵌めた指で、ぼくの目の前に、一枚の紙を差し出した。

 

「ちょっと困っててさぁ。これについて、知ってることがあったら教えて欲しいんだが——」

 

 なんぞ、道にでも迷ったのだろうか。ぼくは紙を手に取り、広げる。

 そこにはただ一行——

 

 

 

『トンカラトン』

 

 

 

 とだけ書かれていた。

 

「なあ、坊主」

 

 ふと。

 男の顔を、見上げる。

 そして——気付いた。

 それは、その顔は、影に塗れて黒いのでは、なかった。

 

 その顔、には。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()

 

 包帯の隙間から——亀裂のような巨大な口と、ギョロリと血走る二つの目玉だけが、覗いている。

 

「な——何者だ、お前は」

「なんだよ、ノリが悪いな」

 

 包帯男は、その背から、ギラリと輝く何かを引き抜く。

 それは一本の——日本刀だった。

 

「へい、よう——コールアンドレスポンスだろ? 俺が『トンカラトンと言え』っつったらよ、返事は『トンカラトン』だろうが」

 

 言わねぇんなら、死ねよ。

 

 ——斬撃。

 

「——っ!?」

 

 切り付けられた。咄嗟に身を躱したが、避けきれず。頬を、刃が通り抜け——血が。

 

 だらりと、垂れ落ちる。

 

「俺は妖怪、トンカラトン。傭兵さ。お前に恨みがあるわけじゃあないんだが、ま、頼まれごとだからな——潔く、死んでくれや」

 

 妖怪、トンカラトン——傭兵だと? 困惑するぼくだけれど、相手がそれを待ってくれるはずなどない。

 

 キィ、と自転車の車輪が回る。トンカラトンはサドルから腰を浮かすこともなく、まるで曲芸のように自転車を操り、姿勢を低く、ほとんど倒れる寸前にまで傾け、駒のように一回転。

 

「トンカラ——トン」

 

 未だ体勢の整わぬぼくへ向けて、掛け声とともに、トンカラトンは掬い上げるような一太刀を放った。

 

「ぐぅ——あっ!」

 

 浅く、服ごと肌が裂かれる。が、逆に言えばそこまでだった。

 

 その一撃が見えていたわけではない。ただ、純粋なる恐怖の現れとして——一歩、無意識的に後ずさったことが命を救った。そうでなければ、逆袈裟に通り抜けた刃がぼくの体を二つに分けていたことだろう。

 

「へい、よう、坊主。お前、河童の息子なんだって——ヒヒッ、俺もそこそこ、傭兵稼業は長い方なんだが、河童とやるのは初めてなんだ」

「ふざけるな、ぼくは河童じゃない」

 

 言ったはいいものの、しかし。ぼくは周囲に目をやる。()()()()()()()()()()()()()。いくら夕暮れ時とは言え、いやさ、夕暮れ時だからこそ、川沿いの道にも、人通りはあって良さそうなものだと言うのに——

 

「心配するなよ。この近くには誰もいない。邪魔は入らないようにしてある。そう言う契約なんだ。純粋無垢に一対一さ、楽しもうや」

「くっ」

 

 助けは望めない。手段手法は分かったものではないが、どうやら、人払いがされているらしい。

 

「濡れ女、殺ったのお前だろう? クライアントは御冠だったぜ——なあ? へい、よう。おかげで、俺は仕事が回ってきて大助かりだが。ヒヒッ——濡れ女殺しの力、見せてみろよ」

 

 じゃないと死ぬぜ?

 言葉もそこそこに、トンカラトンは刃を振るう。自転車と刀を肉体同然に操る曲芸殺法。ぼくは這々の体でそれを躱わすが、続かないことは目に見えていた。

 

「トンカラ——トォオオン!」

 

 叫びと共に、車輪が回る。ペダルへの踏み込みが自転車を進め、間合いを一拍で詰めながらの突きを放つ。二重の加速により、まるで瞬間移動にも似た速度で放たれる突き。ぼくの頭を狙うそれを、首を傾げてすんでで避けるが、しかし耳を掠めて行った。裂けた感触。血が吹き出すのを感じる。クソ、ぼくのお耳になんてことをしてくれる。ピアスだって開けたことがないんだぞ——なんて、怒りを燃やしている暇もなく、次の攻撃。勢いよく突っ込んできた自転車の前輪が、ぼくの体を轢き飛ばした。

 

「ぐぇあっ!」

 

 ゴロゴロと、無様に地面を転がる。

 

「へい、よう、どうしたどうした? 防戦一方じゃねぇかよ、河童の息子。力、使えんだろ? ヒヒッ、使ってみせろよ」

 

 刀を肩に預けて、トンカラトンは顎をしゃくった。舐めてくれる。全く——

 

「——やかましい。さっきから、河童の息子河童の息子と人を侮辱的に呼び重ねおって。ぼくには伏見桜伊江郎という立派な名前があるのだ」

 

 言いながらも、しかし、ぼくは河童の力を使うつもりは、()()()()()()()()

 だってこれ以上、河童の力を使い過ぎれば——ぼくは、ハゲてしまうのだ。

 

 ここしばらく、ぼくは連続して河童の力を使い過ぎた。それはほとんどが人助けのため、仕方なくのことではあったのだが——そんな言い訳を、ぼくの血潮は聞いてくれない。惨たらしくも頭皮は毛根を縛り付ける力を緩め、ぼくの頭頂からは無数の髪の毛たちが散っていった。今やぼくの頭には、決して許容できない大きさの円形脱毛が生じているのだ。これ以上の拡大は、絶対に阻止しなければいけない。

 

「お前など——河童の力を使うまでもなく、退治してくれる」

 

 立ち上がりながら、ぼくは言った。

 妖怪トンカラトン。片腹痛い。自転車に乗り刀を振り回すだけが能の変態の、どこが妖しく怪しいのか。お前など、ただの犯罪者に過ぎぬ。銃刀法違反と暴行罪で現行犯逮捕だ。刑務所にぶち込んでくれるわ。

 

「ヒヒッ、へい、よう。勇ましいこと言ってくれるじゃねぇか。いいねぇいいねぇたまんないねぇ。そういうの、好きだぜ、俺はよう——」

「行くぞ、トンカラトン」

 

 興奮しだす変態自転車男に、ぼくは啖呵を切り——

 

「ぼくについて来れるかっ!」

 

 勢いよく逃げ出した。

 

「——あ?」

 

 背後から、困惑したような、あるいは苛ついたような声が聞こえる。しかし、ぼくには関係がない。

 ぼくは賀茂川沿いの道をまっすぐ逆戻りし——

 

「そりゃあねぇだろ」

 

 冷めたような声が、すぐさま追いつく。

 

「こっちは自転車だぜ、へい、よう——」

 

 追い越し様に、トンカラトンはぼくの首を横凪に跳ねようとする。しかし——

 

「ぅおっ、なんだぁっ!?」

 

 そのトンカラトンが、バランスを崩す。それは——自転車の車輪に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 よく見ればそれは——ぼくのベルトであった。

 

 そう、ぼくは逃げると見せかけて——咄嗟に腰からベルトを引き抜き、それをトンカラトンが駆る自転車の車輪へと投げ込んだのだ。

 

「チィッ!」

 

 舌打ちと共に、ペダルを強く踏み込むトンカラトン。ぶちぶちと音が鳴り、革製のベルトがいとも容易く引きちぎれる。自由を取り戻すトンカラトンだが——遅い。

 

「そーれっ」

 

 ぼくはトンカラトンの体を、横から蹴った。

 

「なぁっ!?」

 

 自転車は、横からの力に弱い。二輪である構造上、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

 

「てぇ——めぇっ!」

 

 苦し紛れに刀を振るうトンカラトンだが、精細を欠いたその一撃を避けることは容易かった。トンカラトンはそのまま倒れ——()()()()()()()()()()()()()

 

「お、あ、あ、あああ——!」

 

 その先にあるのは当然——雄大に流れる、賀茂川の水面だ。

 

 盛大な水音を立てて、トンカラトンは賀茂川へと沈む。様を見ろ。人をいきなり刀で切り付けるような変質者は、いきなり川に落とされても文句は言えんのだ。そのまま溺れ悶えるがいい。

 

 腕を組んで高笑いをしていたぼくだったが——

 

「やるじゃねぇか」

 

 ざばり、と。

 音を立てて——トンカラトンが起き上がる。

 

「お前を舐めていたことを——謝罪するぜ」

 

 水を吸った黒い包帯が、夕日に照らされギラギラと煌めく。それはあたかも、トンカラトンの燃え上がる怒りを表すかのようだった。

 

「今度こそ本気で——お前を殺してやるよ」

 

 ぎゅお——ペダルが踏み込まれ、車輪が回る。盛大に波を荒立てながら、トンカラトンが()()()()()()()()()()()()()()

 

「はあっ!?」

 

 叫ぶのはぼくの番だった。

 みるみるうちに、トンカラトンは川面を脱し、土手を駆け上がる。ぼくは驚き、慌てて背を向けてそれから逃げた。

 

「どうした!? へい、よう——待てや伊江郎! もっと俺を楽しませろ! 俺を退治するんだろう!? 証明しろよ、その蛮勇を——俺と戦え!」

 

 叫びながら、トンカラトンはぼくを追う。

 ぼくは川沿いの道から、その上の大通りへと駆け上がった。当然ながら——そこは無人だ。「待てよ伊江郎!」トンカラトンは叫びをあげて、名指しでぼくを追ってくる。ぼくは咄嗟に——民家の塀を登った。

 

「追えるものなら追ってみろ!」

 

 ぼくはそのまま、塀の上を平均台のようにして駆けていく。いくらトンカラトンが化け物じみたサイクリングテクニックを持っているとは言え、頭上までをも追うことは出来まい。ぼくはそのまま塀の上を進み、さらに飛び跳ね、民家の屋根へと登る。自転車による追跡は、これで完全に不可能だ——と、思ったぼくは阿呆だった。

 

「へい、よう——」

 

 トンカラ、トン——

 掛け声と共に、黒包帯ぐるぐる男が()()()()()()()()()。自転車を猛烈な勢いで漕ぎ散らかし、壁面を垂直に。そしてその勢いのまま飛び出して——屋根の上へと着地した。

 

「そんで、次はどんな仕掛けを見せてくれんだぁ、伊江郎?」

「クソ、お前、なぜこんなところでチンケな人殺し稼業などやっている! オリンピックに出ろ!」

 

 ぼくは叫びながら、屋根の上を駆け出した。飛び跳ね、駆け上がり、時に足を踏み外しそうになりながら、屋根から屋根を伝い行く。住人たちは、頭上を通過するドスドスとした音に怯え泣きじゃくっていることだろう。なんたる迷惑行為だ。クソ、ぼくにこんな罪悪感を抱かせるなんて——トンカラトン、許しがたい妖怪である。

 

「へい、よう、逃げるだけか? それだけじゃないんだろう!?」

 

 勝手な期待を投げかけながら、トンカラトンがぼくを追ってくる。

 

「トン、トン、トンカラ、トォン!」

 

 鼻歌混じりにペダルを踏み、ドスドスと屋根を渡るぼくを追ってチャリチャリと自転車を漕いでくる。飛んで跳ねての曲芸走行だ。ええい、民家の屋根は競技場ではないのだぞ。

 

 ぼくは屋根の瓦を一枚むりくりに引き抜いて(緊急避難である。許したまえ——)、背後を追ってくるトンカラトンに投げつけた。

 

「ぬるいぞォッ!」

 

 当然のように、刀がそれを弾く。切り裂かれた瓦が地面に落ちて、高い音を響かせながら砕け散った。「なんだぁっ!」住民の驚く声が聞こえる。ああ、申し訳ない——って、ああっ!

 

「おわあっ!」

 

 ぼくは叫び声を上げる。()()()()()。屋根の上から地面へ——ぼくは墜落する。

 

()——ってぇ!」

 

 受け身も取れず、背中から落下する。幸にして、骨が折れるようなことはなかったようだが——しかし、尋常ではない痛み。耐えながら、なんとか起き上がる。そんなぼくの前に——

 

「原付……」

 

 あったのは、路上駐車されたバイクだった。

 

「トンカラ——トォン」

 

 頭上から声が聞こえる。奴もこちらに降りてくるつもりだ。もう、残された時間はない。

 

「……緊急避難、緊急避難んんっ!」

 

 ぼくは念仏のようにそれを叫びながら、原付のある箇所に思い切り蹴りを入れた。師匠から教わった技である。鍵がなくても、エンジンをかける技だ。初めて披露された時にはなんと狡っからい盗人じみた技であろうかと軽蔑したものであるが——今この瞬間には、習得しておいてよかったと心の底から思っている。

 

 ぼくは原付に跨った。瞬間——背後にトンカラトンが降りてくる。

 

「速さ比べだ」

 

 エンジンを蒸す。ぼくは勢いよく飛び出した。

 

「いいぜ、悪くない」

 

 トンカラトンは答え、ペダルを踏み込む。ぎゅおと車輪の回る音色がして——奴はぼくの原付に追い縋ってきた。

 

「貴様、なぜ人力でエンジンを追える!」

「とろっ臭ぇんだよぉ、原付なんぞぉ! 俺を振り切りたきゃ、ジェットエンジン持ってきな!」

「ええい、貴様は競輪に出ろ競輪に——!」

 

 エンジンを全力で蒸すが、確かに奴の言葉は正しく、原付は極めてとろ臭かった。原付にしては大型の、比較的スピードが出る方な機種ではあるようなのだが、それでも背後からの猛突を思えば、もう倍はスピードを出したいところだ。

 

「クソ、これが馬ならケツに平手打ちをくれてやるのに——!」

 

 原付にそれをしたところで速度が上がるわけもなし。ぼくは必死にエンジンを蒸し、交差点を渡る。

 

「待てや伊江郎——」

 

 バックミラーを見れば、トンカラトンは猛烈な勢いでぼくに追い縋る。そして——

 

「ピギュアッ」

 

 横から突進してきた巨大なトラックに轢き潰された。

 

 ぼくが渡った交差点。その信号は——赤だった。

 

 突如入り込んできた信号無視車に対し、十トントラックは急には止まれなかったようだ。

 

「そうか、いつのまにか——遠くまで来ていたんだな」

 

 ぼくは独りごちる。あの時、トンカラトンは『この近くには誰もいない』と言っていたのだ。言葉を反せば、それは人払いが行われていたのは、あの賀茂川近辺だけのことであり——それより外側には、なんの影響も及ぼされてはいなかったということである。

 

 屋根伝いで移動していたからなかなか気付けなかったが——いつのまにか、人払いの外側の、普通の道にまでたどり着いていたのだ。

 

 普通に人も歩いていれば、トラックだって、通っているような、普通の道に。

 

「ああああああああああああああっ!」

 

 凄惨な事故現場に、一拍遅れて絶叫が上がる。それは、急停止したトラックの運転席からだった。

 

「ひ、ひ、人を轢いてしまったああああああっ!」

 

 トラックの運転手は勢いよくドアから飛び出して、トラックの車体下を覗き込む。

 

 そこからは、どくどくとドス黒い血が流れ出てきた。あれがきっと、トンカラトンの血の色なのだろう。

 

「大丈夫ですかあああああああああっ!」

 

 明らかに、そう声をかけるトラックの運転手の方が大丈夫ではなさそうな形相だった。顔は血の気が引き、蒼白どころか土気色のなっている。

 

 ぼくはトラックの運転手の元へ近づいて、その肩を叩いた。

 

「ありがとうございます、よくやってくれました」

「何を言っているんですかあなたはああああっ!?」

 

 何をと言えば、感謝の言葉を、である。

 トラックの運転手が奴を轢いてくれたおかげで、ぼくは河童の力を使うことなくトンカラトンを退治できたのだ。

 

「あなたのおかげで、ぼくの頭皮が救われたのです」

「クスリでもやってるんですかあああああっ!?」

 

 いちいちうるさい運ちゃんである。ぼくは薬などやっていない。オールウェイズ正気百パーセントだ。

 

 ぼくはうるさい運ちゃんを押し除けて、トラックの下を覗き込んだ。

 

「ぜひゅー……ぜひゅー……」

 

 トンカラトンはまだか細い息をしていた。ちっ、生き残ってやがる。ぼくは腕を突っ込んで、ぐったりと力の抜けたトンカラトンを引き摺り出した。

 

「あ、あああっ、い、生きてる!」

「そうですね。早くトドメを刺さないと」

「あなたの血は何色ですかああああっ!?」

 

 喜色を滲ませたかと思えば今度は悲痛な声で絶叫を上げる。忙しいお人であった。そんなだから人身事故を起こしかけるのではあるまいか。これが妖怪畜生であったからよかったものの、もし少し早くにアクセルをかけ、ぼくを轢いていたらどうするつもりだったのだろう。

 

 ぼくは引き摺り出したトンカラトンを背負いあげる。

 

「ちょ、どこに連れていく気ですか!」

「心配は要りませんよ、然るべきところへ連れて行きます」

 

 つまり、あの世とかである。

 

「あなたは人を轢いたわけではございません。ですのでどうか、お気に病まず。その辺りの詳しいことは——こちらまで」

 

 ぼくは言って、師匠の名刺を取り出した。あの浮浪者は、家も持たぬ身でありながら、一丁前に名刺なぞを刷っているのである。困惑する運ちゃんにそれを強引に押し付け、ぼくはぐったりしたトンカラトンを背負ったまま、その場を離れた。

 

 背にかかる生暖かい吐息が、実に気持ち悪かった。

 





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