カッパドキア・ハゲリスクタイム   作:忘旗かんばせ

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第四章 河童とハゲと尻子玉
4-1


 ◯

 

 七輪から煙が立って、炭焼きの、香ばしい匂いが漂っていた。

 

 昼飯時である。

 

 ぼくは庭で七輪を扇いでいた。

 いつもなら、父が烏賊を炙るに使う七輪であるが、今、自宅にはぼくしかいない。炙るものも、烏賊ではなかった。

 

 牛鬼——石海椿との戦いから二日が経過して、今日は日曜。学校もなく、ぼくは一人、家でお留守番だ。

 

 父はまだ目覚めない。しかし、命に関わる峠は超えた。御母堂はまだも心配して、病室に付ききりであるが、じきに意識も戻るであろうとのことが医者の見立てであった。

 

 そんなわけで、ぼくは見舞いにいく気にもならず、一人家で留守番というわけだ。

 

 留守番者の特権といえば、飯を自由に出来ることである。

 

 ぼくは七輪の上に、それを並べ始めた。

 

 蛤である。

 

 ぼくは、この蛤というやつが嫌いではない。煮ても焼いても旨く、出汁も好い。まこと素晴らしい食べ物ではないか。父も海に出かけては烏賊ばかり釣るくらいであれば、いっそ蛤拾いに勤しんで欲しいところだ。

 

 丸々と肥えた、良い蛤であった。

 

 この蛤は、師匠から貰ったものだ。

 

『妖司郎の見舞いじゃ。くれてやる』

 

 そう言って差し出された貝だが、しかし父が帰ってくるまで置いておけば、腐らせてしまうことは間違いない。食材を無駄にせぬためにも、ここはぼくが一肌脱ぐべきところであろう。

 

 そのような思いで、ぼくは一人、庭先で炉端焼きと洒落込んだわけである。

 

 シンプルに、バターと醤油で。

 

 御母堂がいれば、旨い味噌汁も付いて来たのであろうが、そうすると独り占めというわけにはいかなくなるので、そこは痛し痒しである。

 

 ともかくとして。

 

 ぼくは七輪の上で、焼かれていく貝を眺めていた。

 貝は焼けると蓋が開く。都合の良い食べ物である。料理不精のぼくであっても、焼き加減を決して見誤らない。

 

 蓋が開くのを今か今かと眺めていると、一際大きい、立派な蛤の蓋が、フルフルと震え始めた。

 

 そろそろか。

 ぼくは思い、箸を準備した。

 

 そして——

 

「あち、あち……」

 

 蛤の、蓋が開き。

 

 中から、小さな女の子が這い出て来た。

 

 キラキラと煌めく、綺麗な着物に身を包んだ、身なりの良い子女である。頭には、冠のようなものさえ被っていた。

 

「なんと」

 

 物怪の類である。

 

「あつ、あちゅ、あっ」

 

 ぼくは思わず、それを箸で摘んだ。

 

 程よい重さである。もしこれが蛤であったなら、さぞ食い出があっただろうと思える。

 

「ちょ、何をするのです、破廉恥な!」

 

 少女はもにもにと手足を振り回して抵抗した。確かに、裏若き子女を箸で摘み上げるというのは、いささか無作法な行いだったかもしれない。ぼくは反省して、彼女を醤油小皿の上に移した。

 

「ふう、全く、身の程を知らない人ですね……って、うひゃあ!」

「あ」

 

 うっかり、癖で醤油を垂らしてしまった。

 少女は咄嗟に身を躱し、直撃をこそ避けたはものの、飛沫が裾を濡らしてしまっていた。

 

「え、しょ、醤油!? 嘘でしょう、あなたまさか、わ、私を食べるつもりで……!?」

 

 ガクガクと震えながら、ぼくを見上げる小人の少女。全くもって誤解である。蛤を食べるつもりでいたものだから、ついうっかり手がそのように動いてしまっただけである。

 

「いやいやいや、ついうっかりで人語を喋る存在に醤油をぶっかけはしないでしょうよ!」

 

 ああ、もう、染みになったらどうしてくれるんですか! などと肩を怒らすので、ぼくは慌てて、彼女のために部屋から濡れティッシュを取ってきた。

 

「ふう、全く、ほんっとうに身の程を知らない人ですね! なんなんですかあなたは」

 

 着物の裾を拭いながら、彼女はぷんすかと怒り続ける。しかし、それを問いたいのはぼくの方である。

 

「ぼくは伏見桜伊江郎。人間だ。お前の方こそ一体何者なのだ?」

 

 ぼくが聞けば。彼女はやれやれとばかりに腹の立つ表情で首を振る。

 

「蛤から出てくる少女といえば、一つしかないでしょう?」

「寄生虫か?」

「寄生虫!?」

 

 この可愛らしい姫を捕まえて、よりにもよって寄生虫!? と彼女は驚くが、しかし本来の住人である貝の身の代わりに入り込んでいるものとくれば、それはもうヤドカリか寄生虫かのどちらかであろう。

 

「それならせめてヤドカリって言ってくださいよ」

「ヤドカリなのか?」

「違います!」

 

 そうであろうなと思ったから言わなかったのである。

 

「え、嘘、それじゃあ寄生虫は本気の本気でワンチャンあるかもと思って言ったわけですか?」

 

 信じられないものを見るような目で、彼女はぼくを見上げてくる。そうだが、それがどうかしたのだろうか。彼女は頬を膨らませて言った。

 

「私は『蛤姫』ですよ! 蛤から出てくる、『美』少女といえば、それしか居ないでしょうに!」

 

 居ないでしょうに——と言われても、知らん。

 

「ええーっ!?」

 

 彼女——蛤姫は驚いたように頬に手を当てた。「嘘、京都だと有名じゃ無いのかしら、私……」なんてブツブツとつぶやくが、ふむ。京都の在来種では無いのだろうか。

 

「……ちょっと待ってくださいなんで今雑誌を丸めて手に取っているんです?」

「いや、ちょっと物怪退治をと思ってな」

 

 牛鬼のことがあったばかりだ。念には念を入れておくべきやもしれぬ。

 

「え。嘘ですよね? こんなに可愛い蛤姫ちゃんを、その丸めた雑誌で叩き潰そうなんてまさかそんなことをするつもりじゃあないですよね?」

 

 足をカタカタと震わしながら、蛤姫は問う。ぼくは黙ってじっと見つめた。震えが一層激しくなった。

 

「へ、へぇ、人間如きがいい度胸じゃないですか……! 言っておきますけどね、私に手を出すとこわーい人、いやさ、こわーい妖怪がやってきますよ! なんてったって私のバックには、あの石見の牛鬼様がついてるんですからね!」

「そいつなら一昨日死んだぞ」

「ええーーーーーっ!?」

 

 蛤姫は頭を抱えて叫ぶ。

 

「嘘でしょ、あの人死んだの!?」

「ああ、ぼくの目の前で死んでいったよ」

 

 言えば、彼女は顔を青褪めさせる。

 

「え、じゃあもしかして、あなたが?」

 

 まあ……実質的にはそのようなものだ。頷けば、彼女は卑屈な笑みを浮かべた。

 

「え、えへへ、肩とかお揉みしましょうか?」

「その手でか?」

 

 どうやって揉むつもりなのだろうか。

 

「と言うか、随分あっさり信じるんだな」

「え、ええ、まあ、河童の息子ぶっ殺してくる! って出て行ったっきり帰ってこないし連絡も来ないしだから、薄々察してはいたんですけど……それにしたって、あれだけ啖呵切っておいて何あっさり死んでるんですかあの人……!」

 

 彼女は天を仰ぐ。ぼくはその間にも、彼女の背後で焼かれている蛤たちにバターと醤油を落としていく。

 

「それじゃあ、お前は島根から来た妖怪ということでいいのか?」

 

 焼けた蛤を箸で取りながら、彼女の事情を聞いた。

 

「そういうあなたは、やっぱり河童の?」

「ぼくは人間だ」

「え? でも、伏見桜って言えば河童の家系の——」

「ぼくは、人間だ」

 

 醤油瓶を彼女の頭上にかざしながら言えば、彼女は姿が二重に見えるほどに震えながら「ははははい、あなた様は人間です!」と叫んだ。うむ、誤解が解けたようで何よりである。

 

 ぼくは咳払いをして、改めて彼女の出自を聞いた。

 

「私は、島根の妖怪ですよ。石見の蛤姫といえば、向こうじゃ有名なんですからね。もう妖怪界のアイドルなんですから」

 

 絶対に話を盛っているような気がしたが、しかし実態を知らない身であるものだから、迂闊に突っ込むわけにもいかなかった。

 

「その地元のアイドル様がどうして京都に攻め込んできたんだ」

「攻め込む……つもりはなかったですよ、少なくとも私は」

 

 醤油皿の上にちんと座ったまま、彼女は少しバツの悪そうに視線を背けた。

 

「ありていに言えば、故郷を追われましてね。同じような身の上の妖怪たちと一緒に、牛鬼さんに拾われまして」

 

 手下にされちゃいました、と後ろ頭に手を当てる。愛らしい仕草だった。

 

「まあ、元々戦う力もないですし、一人で生きていけるような妖怪でもないですし、手下扱いでも、養ってもらえるならいいかなーと思って、なんとなくついてきたんですけど……」

 

 牛鬼さん、死んじゃったかー、と彼女はため息を吐いた。

 

「ま、そういうわけだ。大人しく、野生に帰るんだな」

 

 蛤をほふほふと食べながら、ぼくは彼女に言う。元々どんな生き方をしていたのかは知らんが、その身の丈では大した害も無いだろう。ぼくが言えば、彼女はぶんぶんと首を振った。

 

「無理ですよ! 私、野で生きていけるほど強い妖怪じゃないんですから! 都会っ子なんです!」

「島根出身なんだろう」

「うわっ、地方差別だ! 京都人だからって! 京都人だからって!」

 

 島根だってねぇ、都会なんですよ! パソコンだってあるんですからね! とぷんぷん腕を振り回す蛤姫。ぼくは「悪かったよ」と詫びた。

 

「しかしそれなら、どうするつもりなんだ」

 

 問えば、彼女は上目遣いでぼくを見つめる。

 

「……あの、伊江郎さんのところに置いてもらうことってできないですか?」

「うーん」

 

 ぼくは腕を組んだ。うちで飼うには、もうポチコもいるしなあ。

 

「ナチュラルに私をペット枠に置きましたね。姫なんですよ私は。ひーめー!」

 

 アピールする彼女であるが、しかし姫を家においても可愛い以外にメリットがない。

 

「いいじゃないですか可愛くないよりは!」

「他に何かできないのか」

 

 ぼくが聞けば、彼女は「可愛いだけで生きていけないなんて……都会って冷たい……」とブツブツ呟いていた。

 

「えっと……織物とかできますよ! この着物も、私が織ったんです! オーダー次第でどんな布も織って見せますよ!」

 

 これ、サンプルです! と言って懐から幾枚かの布切れを取り出す彼女だが——

 

「このサイズではなぁ……」

 

 所詮は蛤サイズの布である。柄を見るのにも、虫眼鏡が要りそうだった。人間にとっては、塵紙代わりにすらなりそうにない。

 

「えっと、えー、お料理とか」

「そのサイズで?」

「お裁縫とか!」

「そのサイズで?」

「お洗濯とか!」

「そのサイズで?」

 

 問うていけば、彼女はどんどんと顔色を悪くしていく。

 あうあうと口を開け閉めした後、彼女は意を決したようにキュッと目を瞑った。

 

「じゃあ——ぬ、脱ぎます……」

「やめろやめろぼくが悪かった」

 

 着物をはだけかけた蛤姫を必死に止める。やめてくれ。これではまるで、ぼくが婦女子をいたずらに辱める悪漢のようではあるまいか。

 

「まあ、あれだ……とりあえず、居候ということで、軒を貸そう」

 

 この大きさで、食費がかかるということもあるまい。一人で食べるのもなんだかということで分けた蛤一個を食べるのにさえ大層苦労しているほどの様子なのだから。

 

「ありがとうございます!」

 

 彼女は花の咲くような笑顔で言った。眦には少しばかりの涙が浮かんでいる。少々、脅かしすぎたようだった。

 

「うん、それで——一つ問いたいのだが」

「なんですか? パンツの色なら教えませんよ」

「聞くと思うのか? ぼくがそれを?」

 

 それほどの破廉恥男に見えているというのだろうか。

 

「そうではなく、お前に聞きたいのはな」

 

 ぼくは彼女の瞳を見つめて、それを問う。

 

()()()()に、心当たりはないか?」

 





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