カッパドキア・ハゲリスクタイム   作:忘旗かんばせ

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4-2

 ◯

 

「あ」

 

 田中とばったり出会ったのは、夕方のことだった。

 

 洛北阪急スクエアの地下一階、エディオン。家電量販店であるその店の、おもちゃコーナーの一角にて、ぼくたちはばったりと出くわした。

 

 思えば、家電量販店がおもちゃ屋の役割を兼ねるようになったのはいつの頃からだっただろう? 昔はおもちゃ屋はおもちゃ屋として独立した店舗があったはずだが、少子化の煽りを受けてか、いつの間にやら姿を消し、商業施設のおもちゃ売り場といえば、家電量販店の中に格納されるようになった。

 

 いずれにせよ。そこに集うべきは本来、ぼくたちよりももう半分ほど年下の年齢の子供たちであって、断じて、ぼくらのような高校生男児ではないはずである。

 

 にも関わらず、ぼくたちはそこで出会った。出会ってしまった。

 

 彼は手に仮面ライダーの変身ベルト玩具を。そしてぼくは女児向けのお人形さんのお家を持っていた。

 

「……俺、誰にも言わねぇから」

 

 そう言って、田中は目を背けた。ぼくはその肩を掴む。

 

「待て、違う」

「大丈夫だ。わかってる。今時はジェンダーフリーの時代だもんな」

「そういうあれじゃない。これは人に頼まれた買い物なんだ」

 

 断じて、ぼくの趣味がお人形さん遊びというわけではない。これは、蛤姫のためのものなのだ。

 

 彼女を自宅で飼……養うにあたって、彼女のプライベートスペースが必要になった。まさか虫籠や水槽に入れるなんてことはできない。仮にも女性なのであるからして、視線避けも必須であるし、粗雑な扱いをしてはならぬだろう。しかし、彼女は大きさが大きさである。彼女の規格に合わせた空間を一から作ろうと思うと手間だ。そこで、ぼくは閃いた。人形用の家を買えば、ちょうどよく彼女が暮らせる場所になるのではないかと。

 

 そんなわけで、ぼくはこのエディオンのおもちゃコーナーにやってきていたというわけである。

 

「第一、お前のほうこそいい歳こいて変身ベルトか」

「ああ? わかってねぇな。男は幾つになっても変身ヒーローに憧れるもんだろ」

 

 彼は言った。ぼくも確かに、かつては変身ヒーローに憧れていた。人から人ならぬ異形へと変身し、正義のために戦う彼らに。しかし、その憧れは十五の頃に、現実を前に砕け散ったのだ。

 

 変身、など。

 そんなものには、もう憧れることもできない。

 

「……今、ちょっと時間あるか?」

 

 なぜだか二人揃って会計を終えた後、田中はそんなことを言い出した。ない、と答えてやっても良かったのだが、時間を持て余していたのも事実だ。蛤姫は蛤姫で、ねぐらから替えの服などを持ってくると言っていたし、早く帰っても、一人で時間を持て余すだけだ。

 

「少しなら」

 

 言えば、田中は頷く。

 

「じゃあさ、ちょっと話そうぜ」

 

 ぼくたちは二階のフードコートに移動した。

 田中はサーティーワンアイスクリームで大納言小豆をレギュラーダブルで頼むという暴挙に出、ぼくは築地銀だこにてねぎだこを買った。

 

「関西人が銀だこかよ。裏切り者め」

「存在しない大阪魂を振りかざすな。ぼくはむしろ、皮がふにゃふにゃのたこ焼きの方が嫌いなんだ」

 

 チェーン店、万歳。誰になんと言われようと、たこ焼きの頂点は銀だこだ。

 

 窓際、磨りガラスが日の光を透かす、四人がけのテーブルを、その半分の人数で占拠する。

 温と冷。対照的な二つの食べ物を口にしながら、ぼくらはしばし、無言のまま向かい合った。

 

「あのさ」

 

 切り出したのは田中だった。

 

「お前、なんで水泳やめたの」

「水泳は人のやる競技ではないと気付いたからだ」

「そういうのじゃなくてよ」

 

 彼は後ろ頭を掻いた。

 

「お前が本当に、水泳が嫌になったとか、他にやりたいことができたとか、そういうのなら、良いぜ。でもさ、多分、違うだろ」

 

 まだ、やりたいんじゃないのか。

 彼は、ぼくの目を見つめた。

 

「……やりたくないよ」

 

 水泳なんて、やりたくない。

 水泳に未練なんて、あるものか。ぼくは地上で生きていくと、決めたんだ。

 

「嘘だろ」

「嘘じゃないさ」

 

 正真正銘、本音だ。一つとして、嘘なんてついてはいない。

 

「じゃあなんで、そんな辛そうな顔で言うんだよ」

 

 辛そうな顔なんて、していない。

 ぼくは元々こんな顔だ。

 田中の言うことは、全てが全て、的外れだ。

 

「もう、終わったんだよ」

 

 終わったんだ。

 ぼくの夢は、終わったものだ。

 

 子供の頃。

 ぼくは水泳選手になりたかった。

 

 それはもう、昔の夢なのだ。

 

「大会、応援してるよ」

「……お前も来いよ」

 

 彼はむくれた顔で言った。

 

「お前が来なきゃ、始まんねぇだろ」

 

 勝ち逃げするんじゃねぇよ。

 田中は言って、ぼくを見る。まっすぐな、純な眼差しだ。混じり気のない、努力するものの眼差しだ。

 

「タイム」

「あ?」

「縮んだんだってな」

「なんだそれ、嫌味かよ」

 

 お前の方が、まだ早いだろ。

 田中は言った。中学最後の大会。ぼくが十五の誕生日を迎える、その前日に、百メートル自由形で出したタイムは中学記録となり、そしてその夜、ぼくの髪はごっそりと抜けた。

 

 そのタイムは未だ、破られてもいないが、変わってもいない。

 

「お前は、速くなっている」

 

 速さこそが、正義だ。

 水泳とは、そういう競技だ。一分を、一秒を、コンマ以下の、瞬きすら永劫に思える一瞬を、切り刻み、切り詰めて、競い合う。

 

 隣で泳ぐ相手の水音が、ひりつくような緊張を呼ぶ。

 

 まるで、己が何者であるかを忘れたように。水に溶け込み、ただ——速く。

 

 速く、と、それだけを求めて——泳ぐ。

 

 それが、きっと、ぼくは。

 嫌いではなかったのだろう、と思う。

 それでも——

 

「ぼくの記録は、偽りなんだ」

 

 ぼくが、己の力だと思っていたものは。

 全て、己のものではなくて。

 ぼくは。

 ぼくは水泳を、嫌いになった。

 

「……どういう意味だよ」

「ドーピングでもしていたと、思ってくれればいいさ」

 

 ぼくは卑怯者だった。

 それだけだ。

 それだけが全てだ。

 輝くトロフィーも、何もかも。

 ぼくのものじゃない。

 本当に努力していたものに、送られるべきだったもので。

 それを、ぼくは掠め取っていた。

 

「誰よりも努力してただろうがよ!」

 

 お前は——と、田中は声を荒げる。

 

「朝から晩まで泳いで泳いで、泳ぎ通して! 一分を、一秒を、一瞬を! 追い求めて——頑張ってたじゃねぇかよ!」

 

 それは嘘じゃないだろ、と。

 田中は言う。

 思い出す。中学時代の、青春の日々を。

 誰よりも、速く。

 その称号を求めて、田中と、競い合った日々のことを。

 彼はまだ、あの頃の瞳のまま、ぼくを見つめている。

 疑いの心なんて一つもない、澄んだ瞳で。

 だからぼくは、ぼくはそれにもう、耐えられなかった。

 

「嘘だったんだよ」

 

 嘘だったんだ。

 全部。

 何もかも嘘だった。

 彼は、何も知らない。

 何も知らないから——だから、ぼくをまだ、信じようとしている。

 それが。

 その眼差しが——痛くて。

 ぼくは席を立った。

 

「ぼくはもう二度と、泳がない」

 

 泳げば。

 ぼくは、醜い化け物だ。

 ハゲ散らかした、醜悪な。

 ひとでなしに、早変わりする。

 だからぼくは、もう二度と泳がない。

 泳がないと、決めたのだ。

 

「軽蔑してくれていい」

 

 ぼくは言って、逃げるように、その場を離れる。

 

「待ってるぞ」

 

 その背に。

 彼は、声をかけた。

 

「俺はいつまでも、お前を待っているぞ」

 

 次は、挑戦する側にさせてやる。

 彼は言って——胸を張った。

 

「大会、観に来いや」

「……行けたらな」

 

 もう、彼の姿を見ることすら、ぼくはできなかった。

 

 きっと振り向けば、光が。

 眩くて、目が潰れてしまうだろうと、そう思った。

 

 ◯

 

「連れて来ましたよ」

 

 家に帰ると、リビングの机の上で、蛤姫が待っていた。

 

 隣には、小さな鼬のような生き物がいる。ポチコが、それに向かって威嚇していた。

 

「なんだこのけだものは」

 

 指差して問えば、蛤姫は答える。

 

「言っていた、()()()()ですよ」

 

 ……こいつが?

 ぼくは改めて、そのけだものをジロジロと見つめる。

 

 どう観ても、ただの鼬である。茶色い毛に覆われた、長細い体。顔にだけ黒く模様があり、口元は白い。鼻面のピンクが、ポチコほどではないがチャーミングである。炎の要素はどこにもなかった。

 

 その鼬は、蛤姫の紹介を受けるとすっくりと立ち上がった。

 

「あ、どうも。自分、牛鬼っす。炎とか出せます」

 

 ……ふざけているのだろうか。

 

「いや、違うんすよ。確かに、石海の姐さんみたいないわゆる『牛鬼』ではないんすけど、自分も牛鬼なんす」

 

 話を聞くに、どうやら、牛鬼とは一種類の妖怪ではないのだという。島根のある地方では、怪火を見せる鼬の妖怪を、牛要素も鬼要素もないというのに、なぜだか牛鬼と呼ぶらしい。

 

 そして、この鼬は()()()()牛鬼なのだという。

 

 ……なんだその無駄にややこしい話は。

 

「有名妖怪と名前被りしてるとマジで辛いっすよ」

 

 と鼬は語る。正直、知るかという感想しか出てこないが、ともかくとして。

 

「お前、人間の姿に変身したりできるか?」

 

 ソファに座りながら聞けば、鼬は首を振った。

 

「いやあ、そういうのは無理っすね。自分、炎専門なんで」

「どのくらいの炎が出せるんだ?」

「外套にへばり付く火の粉の幻覚とか出すの超得意っす」

 

 幻覚なのかよ。

 それはもう炎専門を名乗るのも烏滸がましいだろう。

 

「……こいつ以外に、炎の妖怪はいなかったのか?」

「うーん、他っていうともう、心当たりがないですねぇ」

 

 蛤姫は首を振る。ぼくは鼬に視線を戻した。

 

「……一応聞くが、お前、一昨日ぼくと会ったか?」

「なんの話っすか?」

 

 鼬は首を傾げる。まあ、そうだろうな。

 

「わざわざ呼び立てて悪かったな。もう、帰ってくれて良いぞ」

「え、自分、このお宅で面倒見ていただけると聞いてきたんですけど」

「毛むくじゃらはもう間に合っている」

 

 言えば、ポチコはぼくの膝に飛び乗ってきた。そういうわけだ。

 

「そんな……」

 

 鼬は肩を落として、トボトボと窓から出ていった。さらば牛鬼。強く生きたまえ。

 

「それで、伊江郎さんはどうして炎の妖怪を探しているんですか? 比叡山でも焼きに行くんです?」

「ぼくが織田信長に見えるか?」

 

 そんな罰当たりなこと、するわけがなかろう。

 

「まあ、秘密にしておくことでもないので言うがな」

 

 ぼくは一昨日の夜のことについて詳しく話した。

 

「なんですかその変な妖怪は」

 

 蛤姫は怪訝な顔をする。

 改めて話せば、本当に、変な妖怪だ、と言う他にない。

 水浸しの布を被った、高熱を発する人型。完全に、意味不明だ。

 

「しかも、力を使い果たしていたとは言え、牛鬼を殺せるクラスの妖怪でしょう? なら、それなりにビッグネームなはずですけど……」

 

 そんな変な妖怪、聞いたこともないですよ、と蛤姫は眉を顰める。

 

「島根にそういう妖怪はいないのか?」

「居るわけないじゃないですか」

 

 蛤姫は呆れて言う。

 とすると——あれは何者だったのだろうか。

 

「と言うか、そんな危ない妖怪、ほっといて良いんですか? 鴨川の守護者なんでしょう、伊江郎さん」

 

「ぼくを勝手に変な役職につけようとするな。ぼくはただの高校生だよ」

 

 妖怪の世界の話など、ぼくが知ったことではない。だと言うのに、島根妖怪どもの勝手な都合に巻き込まれて、こちとら溜まったものではないのである。それもこれも、あのしょぼくれた中年男性が情けなくも病院送りにされたからであって——

 

「でも、()()()()()()()()()椿()()()()()()()()()()()()()()

 

 ぼくは押し黙る。

 奴の言葉を信じるのなら——そうなのだ。

 父を襲ったのは、彼女ではない。

 

「……鴨川守護の河童を倒せるほどの妖怪が、野放しになってるってことですよね、それって」

 

 蛤姫は、鼬が出ていった窓の外を見る。

 

「だとしても、ぼくには関係のない話だ」

 

 ポチコを撫でながら、ぼくは言った。この場でただ一匹、なんの事情も分かっていないポチコは、呑気に膝の上で丸まっている。

 

「それじゃあどうして、私に心当たりを聞いたんですか?」

 

 蛤姫は問う。

 それは——

 

「……なぜだろうな」

 

 ぼくは。

 一体何を、どうしたいのだろう。

 

 窓の外を見る。父は、まだ眠っているままだ。じき、意識を取り戻すとは言われている。言われてはいるが——それがいつになるかは、まだわからない。

 

 母は病院に通い詰めている。

 潤果は泣いていた。

 田中は、大会に向けて努力を積んでいる。

 

 ぼくは。

 ぼくは一体、何をしているのだろう。

 

「…………」

「伊江郎さん?」

 

 問いかける蛤姫を無視して、ぼくはポチコを膝から降ろし、立ち上がった。

 

「寝る」

 

 ぼくは言って、自室へと向かうべく、リビングを出る。

 

「ちょっと、伊江郎さん!」

 

 背後から、蛤姫の声が聞こえるが、知ったことでは——

 

「私の家、ちゃんと組み立ててからにしてください!」

 

 ぼくはリビングに戻って、買ってきたまま忘れていたおもちゃの家を、箱から出した。

 





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