カッパドキア・ハゲリスクタイム   作:忘旗かんばせ

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 ◯

 

 翌日のことである。

 

 朝、いつも通り早くに目が覚めたらぼくは、師匠の元へとやってきていた。

 賀茂大橋の下。薄暗く、湿ったそこが、師匠のねぐらである。

 

「師匠、昨日くれた蛤、異物が混入していましたよ」

 

 ぼくは開口一番文句を言った。今日も朝から、蛤姫のご飯を準備してから家を出てきた。ポチコのそれとは違い、人間用のものを小さくして与えなくてはならないので、手間である。

 師匠はニヤリと笑った。

 

「当たり付きだ」

「大外れですよ」

 

 ぼくはため息をついて、師匠に紙袋を差し出した。

 

「お返しです」

 

 中身はちょっとしたおやつだ。烏賊ではない。父が伏せったゆえ、供給が尽きたのである。その代わりと言ってはなんだが、一つ、おまけを入れてあった。

 

「うむ。……む、これは」

 

 師匠は、早速それを探り当てたらしい。カサカサの手が紙袋から取り出したのは——一枚のアロハシャツであった。

 

 濡れ女に喰われかけた時、師匠の一張羅であった、金魚柄のアロハシャツはもはや服とも言えぬほどボロボロになってしまった。応急的に、ぼくの古着を渡したが——アロハ姿でない師匠は、いつもよりしょぼくれて見えてしまっていた。

 

 なので——差し入れ、だ。

 

「元の物とは柄が違いますが、お許しください」

 

 フラミンゴらしき、片足立ちをする鳥が描かれた、ピンク色のアロハシャツである。

 

「ふ——気が利くではないか、伊江郎」

 

 師匠は嬉しそうに言って、早速、新しいシャツに着替えた。ボタンを留めて、向き直る。

 

「どうだ?」

「よくお似合いです、師匠」

 

 下半身は小汚いままだが、上半身が新品になった分、随分マシに見えるようになった。まあ、どうせすぐに薄汚れていくのだろうが——それにしても。

 

 やはり師匠は、アロハシャツがよく似合う。

 

「うむうむ」

 

 師匠は満足そうに言って、橋の下の大地にどかりと座り込んだ。

 

「伊江郎、お前も座るが良い」

「いや、制服が汚れるので」

「気にするな」

 

 いや気にするであろう。ぼくは嫌だったが、しかし師匠が譲らないので、仕方なく、ぼくも地面に座り込む。

 

「服の礼だ。少し、話をしておこう」

 

 朝早くであるが故に、まだ川のせせらぎと鳥の鳴き声だけが音色だった。

 師匠の声ばかりが、人の気配のする唯一の音である。

 

「鴨川の荒れは、治った。お前があの牛鬼を打ち倒したおかげであろう。ようやったわ」

 

 師匠はぼくの頭をぽすぽすと撫でた。少々気恥ずかしい。

 

「しかし——人死は収まっておらぬ」

 

 鋭い眼差し。真剣な表情で——彼は言った。

 

「お前ももう、分かっていよう。島根妖怪どもと、連続殺人は、無関係であった。お前の父を襲ったのも——後者の側であったのだろう」

 

 だからこそ。

 

「伊江郎。この件に決着を付けるべきは、お前だ」

「なぜです。ぼくには関係がない」

 

 ぼくは答えた。

 あるいは、ぼくがあの中年男性の息子であるからか。

 

「子は、親を選べません」

 

 もし、親の都合を子が引き継ぐべきだと言うつもりなら、そんな理屈は糞食らえだ。

 親の因果が、どうして子に継がれねばならぬ。親の因果は親の因果。子の因果は子の因果である。そこに本質的に相関性はないし、あるべきではないはずだ。

 人間の本質とは、血によって決まる物ではない。

 

「うむ。お前の言いたいことはわかる。わしもな。お前を、血筋で見るつもりはないよ」

 

 その都合を、押し付けるつもりもない、と師匠は言い切った。

 

「それでも、この件はお前に任せたいのだ」

「なぜです」

「お前が、わしの弟子であるからよ」

 

 伊江郎。

 彼はまっすぐな目でぼくを見つめた。

 

「お前は優しい子だ」

「そんなことはないかと思いますが」

「確かに、とても優しいとは言えんな」

 

 だが、そこそこには優しい、と師匠は言った、

 褒められているのか貶されているのかまるでわからなかった。

 

「父が傷付けられ、お前はショックを受けたであろう」

「受けていませんよ、あんな男がどうなろうと」

 

 ぼくには一切関係がない。

 

「うむ。素直でないのが、玉に瑕だ」

 

 かかか、と師匠は笑った。ぼくはまるで話が見えなくて、イライラする。

 

「そうむくれるな。伊江郎よ」

 

 彼は言って、ぼくの肩を叩いた。

 

「わしはお前の師となる時、初めに言ったな」

「……はい」

「わしの言葉に従う必要は、()()()()()と」

 

 師とはただ、弟子に背中を見せる物であって、その道を強制する物ではない。

 師匠は、そう言っていた。

 

「だが、その言葉を曲げて言う」

 

 そう前置きして、師匠は続ける。

 

「伏見桜伊江郎。お前に、師として命ずる。この殺人事件——どのような形でも良い。お前が納得できるように、ケリを付けろ」

 

 なぜ——そのような命令を、ぼくに下すのか。

 ぼくにはまるで、理解ができない。

 

「お前には怒る権利があり、そして許す権利もある」

「は?」

「何をするのも、お前次第だと言うことだ」

 

 どんな道を選ぼうとも、それはわしの命じたことだ。

 彼は言って、その髭に塗れた口元を、三日月型に歪めた。

 

「気張れよ、伊江郎」

 

 そう言って、師匠はぼくを見送った。

 ぼくはと言えば、まるで意味が分からずに、首を傾げるばかりである。

 

 橋の下を出て、学校に向かう中、ぼくはぼんやりと考え続けた。

 

 怒るということ。

 許すということ。

 

 師匠はその権利がぼくにあるだなんて言ったけれど、しかし。

 

 そんな権利は、この世の誰も、持ってなどいないのではないだろうかと。

 

 ◯

 

 学校に行くと、クラスが少々騒がしかった。

 

「何があったんだ?」

 

 席にスカスカの鞄を置きがてら、手近にいたクラスメイトに聞こうとする。しかし、答えが返るよりも早く。

 

「伊江郎」

 

 と、担任の教師に声をかけられる。確か、石廊と言ったか。妊婦のように膨れ上がったビール腹が特徴的な、中年男性である。いつもは柔和な笑みを浮かべている印象が強いが、なぜだか今日は、随分と厳しい顔つきをしている。

 

「ちょっと、職員室に来てくれないか」

「はあ」

 

 なんであろう。お説教の類だろうか。ここしばらくは、叱られるようなことはしていないつもりだが。

 

 ぼくは素直に、教師について教室を出る。

 廊下を歩く間、会話はなかった。窓の外はよく晴れていて、グラウンドで運動部が朝練をしているのが見える。

 

 職員室に着くと、教師はぼくに言った。

 

「まず聞きたいんだが、伊江郎、お前は、瀬来目と幼馴染だったな」

「はい、そうですが、それが?」

 

 ぼくが答えれば、教師は「これは、ここだけの話だぞ」と念を押す。

 

「その瀬来目が、行方不明らしい」

「は——?」

 

 ぼくは思わず、目を丸くした。

 潤果が、行方不明?

 

「週末から、自宅にも帰ってないようでな。当然、連絡もついてない。さっきクラスの方でもそれとなく聞いたんだが、友達連中にも、連絡は入ってないそうだ。お前は、瀬来目と一番仲が良かっただろう。何か、知らないか?」

「いえ——全く」

 

 何も、知らない。

 

 反射的に、携帯を確認する。会う機会の方が多いから、わざわざ連絡を取り合うことも少ないけれど、当然、そこには潤果の連絡先も入っている。メッセージの類は、何も来ていない。「今どこにいる?」とメッセージを送ってみるが——既読は、付かなかった。

 

「そうか、お前も知らないとなると——もうどうしようもないな」

 

 あとは警察に任せるくらいしか——なんて教師は呟くが、ぼくはもう、それを耳に入れる余裕などなかった。

 

「失礼します」

 

 それだけを言って、職員室を出る。

 背筋に、嫌な汗が這うのを感じていた。

 思えば、潤果と最後に直接会ったのは、父が病院に運ばれた時のことだ。

 あの時。父を見付けたのは、潤果だった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 父が助かったのは、完全な偶然だ。

 あと少しでも遅ければ、死んでいたらしい。

 だからこそ。

 犯人の狙いが、父を殺害することであったとするのならば——

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「——っ」

 

 奥歯を噛み締め、ぼくは——走り出す。

 廊下を過ぎて、靴箱へ。

 靴を履き替え、学外へ。

 向かう先に目星などない。だがそれでも、じっとしてなどいられず、ぼくは駆け出した。

 

 ◯

 

 中天の太陽が、刺すように熱い光を放っている。影が色濃い。眩い光が、アスファルトにくっきりと、明暗を分つ。夏色のコントラスト。こんな日は、嫌なことばかりを思い出す。

 

 初めて、父が河童であることを知った日のことを、思い出す。

 

 子供の頃から、父のことはなんとなく嫌いだった。

 だって、なんか格好悪いのだ。

 ビシリとスーツを着ても、どこか間抜け。

 頭髪が、寂しいからである。

 

 父はハゲていた。

 ぼくが物心付くよりも前から、ハゲだった。

 

 小学生の頃の、授業参観を思い出す。

 周りの友達のお父さんは、みんな髪の毛もふさふさで、誰も彼も、格好良く見えた。

 ハゲているのはうちの父だけだった。

 ダッセェな、と思った。

 子供心に、なんか。

 うちの父だけ草臥れた感じだなと、そう思った。

 友達も多分、そう思ったのだろう。

 

 お前のトーチャン、髪やばくね。と。

 

 無邪気に言われた。

 自分でも思っていたことだったけれど、ショックだった。

 

 むっちゃハゲじゃん、ダサ。なんて。

 

 真正面から、罵倒された。

 嫌な気持ちになった。

 

 世間の目は、ハゲに厳しい。

 ルッキズムの否定が叫ばれ出した現代であっても、いやそんな現代だからこそ、やはり人間という生き物はどうしようもなく残酷な生き物で、人を見た目で判断する。

 見た目で印象を受け、見た目で好悪を語り、見た目で愛憎を抱く。

 

 テレビを見てみるがいい。

 たとえばアイドルに、ハゲは一人もいない。

 仮面ライダーにも、戦隊ヒーローにも。

 ハゲはいない。

 格好良い、と言われる俳優たちは、皆ふさふさで、豊かな髪の毛をしている。

 

 少し、想像してみよう。

 顔も格好良く、背も高く、ファッションもバッチリ決めたイケメンの——頭が、ハゲていたら。

 バーコードだったら。

 それが婦女子にキャーキャーと声援を送られ、チヤホヤされる様を想像できるだろうか。

 ぼくはできない。

 ハゲは、人気者になれないのだ。

 

 誰も彼も、直接的には言わないけれど、心の中では知っている。

 ハゲは、なんかダサい。

 キモい。

 小汚い。

 清潔感がない。

 一日三回風呂入ってても、なんか汚そう。

 脂浮いてそう。

 

 そんなふうに思っている。

 そんなふうに思って、ハゲを、見下している。

 

 嫌だった。

 ハゲたくなかった。

 ぼくは、女にモテたかった。

 格好良くなりたかった。

 ダサくなりたく無かった。

 ふさふさの髪の毛を、ワックスでバチバチに決めて、婦女子をキャーキャー言わせたかった。

 顔は並でも。

 それならせめて、髪は豊かでありたかった。

 

 だから、ぼくは。

 ぼくは父のようにはなりたく無かった。

 父のような、河童には。

 絶対に、なりたく無かった。

 父の瞳を思い出す。

 憐れむような視線を、思い出す。

 

『お前は、河童になるんだよ』

 

 ぼくは人間でいたかった。

 河童になんて、なりたくなった。

 輝きの褪せたトロフィーを思い出す。

 水泳に明け暮れた日々を思い出す。

 好きだったきゅうりの味を思い出す。

 どこまでがぼくで、どこからが河童の血の故なのか。

 ぼくにはまるでわからなかった。

 

 影が、色濃く、黒かった。

 空は青く、夏が来る。

 鴨川が、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

 プールの水面を思い出す。

 田中とタイムを競い合った中学時代。田中は一度もぼくに勝てず、いつも悔しがっていた。

 

 今では。

 悔しがるのは、ぼくの側だ。

 

 彼は今日も、練習中だろうか。

 

 ぼくは立ち止まった。

 汗が目に入って、痛かった。

 

 潤果は。

 潤果は今、どこにいるだろう。

 無事なのか。

 生きているのか。

 怪我はしていないか。

 心配で、たまらなくて。

 涙が出そうだった。

 

 その時——不意に。

 パトカーのサイレンが聞こえてきた。

 

「——」

 

 弾かれたように、走り出す。

 音色の方へ。

 大通りから少し外れた、住宅地。

 路地の隙間に、パトカーが集まって。

 警官が、ゾロゾロと群れていた。

 

「何があったんですか」

 

 ぼくが聞けば、警官は露骨に嫌そうな顔をして「下がってください」と言った。

 

 血の匂いがしていた。

 

「被害者は、誰ですか」

 

 ぼくは聞いた。警察は、ただ「下がってください」と言って、ぼくの体を押した。

 ぼくは無理やり、その横を通り抜ける。

 

「やめなさい!」

 

 警察は言って、ぼくの肩を掴むけれど、ぼくじゃ強引にそれを振り払って、進む。

 

 そこには。

 乾いた血溜まりが広がっていた。

 

 その中心には——見知らぬ男。

 全然知らない、誰か。

 死んでいる。

 体が、何かに食われたように歯形だらけだった。

 

「潤果じゃない」

 

 どんな気持ちからだろう。呟いたぼくを、警察が羽交締めにして、現場から引き離す。

 

「なんなんだ、君は」

 

 疲れたように、中年の警官が言った。

 

「すいません」

 

 ぼくは素直に謝って、頭を下げた。

 多分、許してもらえたのだろう。警察はそれ以上何も言わず、現場の方に戻って行った。

 

 潤果じゃ無かった。

 潤果では、無かった。

 

 よかったことだ。

 けれど、しかし。

 もしも、あれが潤果だったら。

 

 汗が、流れる。

 早く見つけなければいけない。

 一刻も早く、見つけなくては。

 ぼくは思って、額の汗を拭い、再び歩き出す。

 その、瞬間。

 

 ピロン、と。

 

 ポケットから、電子音が鳴り響く。

 携帯を取り出して、見れば——そこには。

 

 

 

『たすけて』

 

 

 

 瀬来目潤果からのメッセージが、届いていた。

 





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