カッパドキア・ハゲリスクタイム   作:忘旗かんばせ

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終章 河童と夏と育毛剤
エピローグ


 ◯

 

「いやー、お父さん、退院しちゃった!」

 

 家に帰ってきて、第一声はそれだった。

 

「そのまま死ねばよかったのに」

「酷くない?」

 

 息子が反抗期だよ母さん、と親父は母に縋ろうとするが、華麗に避けられていた。ざまあみろ。

 

「それにしても、さ」

 

 彼はソファに座って言う。体はすっかり治ったらしく、その動きにぎこちなさなんかはなかった。包帯も、もう全てが取れている。なんなら、入院する前よりも元気そうで、腹が立った。

 

 彼は神妙な顔つきで、ぼくを見る。なんだろうか。

 

「その——ごめんね、本当に」

 

 唐突に謝られた。

 

「なんの話だ?」

 

 己が生きていることを懺悔しているのだろうか。だとしたら、その謝罪を受け取るのもやぶさかではないが。

 

「お父さんがいない間、色々と、迷惑かけたみたいじゃん」

 

 なんだ、そのことか。

 

「別に、迷惑というほどではない」

 

 迷惑というのならば、そもそも、この中年男性がぼくの親であるという現実自体が一番迷惑なのであって、この男が入院していようがしていよまいが、それはぼくには全く関係のないことなのだ。

 

「そっか、それなら——安心かな」

 

 うんうん、と彼は頷く。何を勝手に安心しているのだか知らないが、まあ、不安に思われるよりはマシだろう。せいぜいそのおめでたい頭で、一人自己満足しているがいい。

 

 と、思っていたのだが。

 

「あのね、伊江郎くん。一個大事な話があります」

「なんだ、実はぼくはお前の息子ではなく橋の下から拾ってきた子だとかそういう話か?」

 

 だとしたら大歓迎だが、父は「まさか」と言って笑った。何笑ってんだ。死ね。

 

「そうじゃなくて——実はね」

 

 お父さん、転職することにしたんだ。

 と、父は言った。

 

「ふうん。そうなのか」

「なんだよう、反応薄いなー。伊江郎くんにも関係あることなのに」

 

 確かに、このしょぼくれたハゲオヤジの稼ぎの寡多が、ぼくの小遣い事情にも直結してくるわけであるから、関係はある。

 

「給料は上がるのか?」

「いきなりそこ聞く? ……ま、上がるよ。そこはバッチリ」

 

 大黒柱ですから、なんて笑う。その名称に相応しい給料をもらえるようになるのならばいいのだが。

 

「なんの仕事をするんだ?」

「そっちを最初に聞いて欲しかったなぁ……ま、実家のね、家業を継ごうかなって」

 

 前々から誘われてたんだけど、ついに決心したっていうか。

 彼は言って、メガネを指で押し上げる。

 自分で見つけてきたわけじゃないのかよ。コネで仕事を見つけておいて、よくそんなにも偉そばれるな。

 

「というか、実家? 家業なんてやっていたのか?」

 

 父方の祖父母の家には何度か行ったが、特に何屋というわけでもなかった気がするが。

 

「あれ、伊江郎覚えてない? 配送業だよ」

 

 配送業……だったっけ? 祖父がトラックや何やらを運転していたような記憶は特にないが……。

 

「ま、給料が増えるならなんでもいい。せいぜい頑張って、稼いでくれ」

「うん。バリバリ稼いでくるさ。だから伊江郎も、お父さんのいない間、頑張ってね」

 

 ……ん?

 

「お前のいない間?」

「うん。実家の会社って——県外にあるからさ」

 

 お父さん、転勤です。と彼は汚い笑顔で言う。

 

「待て待て待て、転勤はいいが——あれはどうするんだ」

「あれ?」

「……鴨川の守護者だとかいう」

 

 馬鹿みたいな話だが、これだけ外から話を聞けば、きっと本当のことなのだろう。

 この男が、鴨川の平和を守っていたと言うのは。

 それを——投げ出すつもりなのか?

 ぼくは問うが、彼は笑顔を崩さない。

 

「だから、言ったじゃない。お父さんがいない間、よろしくね、って」

「……は?」

 

 おい。

 おいおいおい。

 嘘だろう。

 まさかとは思うが——

 

「んんっ」

 

 困惑するぼくを置いて、父は咳払いを一つする。

 そして——

 

「第三十三代鴨川守護河童、伏見桜妖司郎が任ずる。我が息子、伏見桜伊江郎を——第三十四代鴨川守護河童とする」

 

 それを言われた瞬間——ぼくの体に、のしりと——なんらかの力が掛かるのを感じた。

 とても嫌な話だが、体の調子が、すこぶる良くなるのを感じる。

 

「おい、待て、お前——」

「お父さんは嬉しいよ」

 

 ぼくの言葉も無視して、父は続ける。

 

「私が入院している間も、立派に鴨川を守り抜いてくれて」

 

 さすが私の息子だ、なんて、宇宙一の侮辱を投げかけられる。

 

「私が居なくなったあとも——立派な河童として、鴨川を守っていってくれよ」

 

 頼んだぞ、なんて、肩に手を乗せられて。

 ぼくは。

 

「……ふ」

「ふ?」

「——ふざけるなぁーッッ!!」

 

 曰くして。

 のちに聞いたところによれば、その怒声は、遠く北山の山頂にまでも轟いていたという。

 

 怒り、恨み、そして嘆き。

 その全てを拳に込めて、ぼくは病み上がりの父へと叩きつけた。その顔面を、全身を、徹底的にタコ殴りにし、無責任にも己の責務を息子に丸投げした、邪悪極まるハゲ妖怪を、再び病院に送り返してやった。

 

 夏も間近に迫る暑い日。

 よく晴れた空に日差しが眩しい、昼下がりのことである。

 

 ◯

 

「……どっちがいいかな」

 

 ドラッグストアの一角で、ぼくはしゃがみ込んで商品を見比べていた。

 

 AGAケア商品——平たく言えば、毛生え薬の一種である。

 

 潤果との戦いの時。ぼくは河童に変身し、河童としての力を、あまりにも多く使いすぎた。

 その結果が——今、ぼくに頭には刻まれている。

 

 直径、五センチ。

 

 尋常ならざる巨大さの、円形脱毛。それが、ぼくの頭頂部に、罪の証のように刻まれていた。

 

「はぁ……」

 

 ため息を吐く。

 

 過去最大、である。

 

 はっきりと、ハゲであった。もはや誤魔化しようもない。頭頂に、五センチ円の肌色があれば、それはそれは目立つ。周囲の髪を総動員して必死に隠してはいるが、風が吹けばすぐバレる。最悪であった。

 

 治るまで、どれだけ時間が掛かるものか。あるいは、きちんと治り切るものなのか。心に不安が積み重なる。

 

 もしも、このままだったらどうしよう。

 毛生え薬を握りしめたまま、ぼくはうつむき——

 

「あれー、伊江郎くん?」

 

 どうしたの、こんなところで——なんて、背後から声をかけられる。

 咄嗟に毛生え薬を背後に隠しながら、ぼくは振り向いた。

 

「ああ——潤果か」

 

 そこにいたのは——見慣れた姿。

 低い背、ない胸、童顔——糸目は、けれど今は見開かれ。

 丸い、つぶらな瞳がよく見える。

 

「何見てたのー?」

「ん、ちょっと、毛を染めようかと思ってな」

 

 ヘアケア商品は、カラーリング商品の近くの棚にあった。ぼくはあくまでもそちらが目的であると嘘をついた。

 

 見栄である。

 

「え、染めるの?」

「ん、ああ。染める。金髪とかにする」

 

 言いながら、適当な商品を手に取りつつ、毛生え薬をこっそり棚に戻した。

 

「染めるのって、そのー……頭皮に、結構ダメージいくよー?」

 

 ……そうなの?

 ぼくは手に取ったカラーリング剤を、棚に戻そうか迷う。

 けれど、ここで戻したら、まるで脱毛を気にしているかのようだ。

 それは、なんか嫌だった。

 

「い、いいんだ」

 

 何もよくない。

 何もよくないが——ぼくはそう言い張った。

 

「そっかー……」

 

 潤果は覚悟を決めたような顔で頷いた。

 

「あの、私ね」

「なんだ?」

「その、ジェイソン・ステイサムとかも、好きだから」

 

 ……。

 ふむ。

 潤果の奴、筋肉俳優が好きなのか。

 意外な趣味だ。

 

「ぼくも、シルベスタ・スタローンとか、好きだよ」

「え!? お……う、うん、趣味が合うね!」

 

 いいよね、ランボーとかね、と彼女は言う。

 ……まあ、ぼくは社交辞令で話を合わせただけだから、本当に趣味が合うとは言えないのだが。

 

 しかしこいつが好きだと言うのならば、ぼくも色々、見てみようか。

 今度、筋肉映画のおすすめでも聞いてみるかな、なんてそんなことを思っていると——潤果は、真剣な表情でぼくを見つめて来た。

 

「あの時、さ」

「うん?」

「なんで私のこと、殺さなかったの」

「それはもう、言ったと思うがな——」

 

 ぼくは腕を組んだ。あの時。彼女が意識を取り戻した折に、その場で説明したはずである。

 

 河童に尻子玉を抜かれると死ぬ。

 その伝承は、ある意味では正しい。

 

 河童は、水を操る妖怪である。

 そして尻子玉とは、人体に潜む生の水——すなわち、血の結晶なのだ。

 

 それを抜かれるのだから、当然、量によっては即死である。

 人体の中に手を突っ込み、血を集めて尻子玉とする。

 それを引っこ抜くのが、河童の残酷極まる必殺技なのである。

 

 ぼくはあの時、潤果の尻子玉を抜いた。

 それは当然、潤果の血を集めた結晶だったわけだが——その時に、ぼくは集める血を、偏らせた。

 

 つまり、潤果の中の、()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

 

 潤果が純血の妖怪であれば、それをしてもただ死ぬだけだが、潤果はハーフだ。妖怪なのは半分だけで、さらに血の中の、妖怪としての成分だけに絞れば、その量はもっとずっと少なかった。だからこそ、彼女は貧血を起こして倒れこそしたが、無事に生き残り。

 

 妖怪としての性質も消え、純粋な人間として、生き返ったのである。

 

 ぼくはそれを改めて説明するが——

 

「その、そうじゃなくてさ、どうやって、じゃなくて——どうして、私を殺さなかったの?」

 

 彼女は言う。

 

「妖怪じゃなくなっても——私は人殺しの化け物なのに」

 

 伏した目で言って、彼女は震える手で服の裾を握った。

 ふむ。

 ぼくは顎に手を当てる。

 

「悪いがな、それは、ぼくの知ったことではない」

 

 ぼくは言い切った。

 瀬来目潤果が、人殺しの怪物である。

 はっきり言おう。

 

 ()()()()()()()としか言いようがない。

 

「な、なんで——」

「ぼくは正義のヒーローではないのだ」

 

 人殺しの怪物を、退治しなければいけない義務はない。

 その権利もない。

 そもそも。

 

「何が悲しくて、ぼくは自分の大切な人を殺さなくてはならないのだ」

 

 社会の規範など、倫理など、知ったことか。

 犯した罪は償わなければいけない、とか。

 

 クソである。

 

 踏み倒せるなら踏み倒せばいいのだ。

 それで怒る人間もいるだろう。苦しむ人間もいるだろう。不幸になる人間も、きっと居るのだろう。

 

 だがぼくは。

 そのために、ぼくの友達を殺したくなんてない。

 

 ぼくは瀬来目潤果が好きだ。

 彼女がぼくを嫌いでも。

 ぼくは彼女が好きなんだ。

 だから——

 

「お前には生きていてもらわなきゃ、困るんだ」

 

 いわば、我欲だ。

 

 それだけだ。

 どこかの誰かが、それで不幸になるのだとしても、ぼくは潤果に生きていて欲しい。

 

 そうでなくては、ぼくが不幸になる。

 不幸と不幸のトレードしかできないのなら。

 ぼくはぼくの幸福を取る。

 進んで不幸になんて、なってやるものか。

 

 彼女はあの時、自分をヒトデナシだと言ったが、それを言うなら、ぼくの方がよっぽどだ。

 

 みんな勘違いをしている。

 ぼくは、優しい男などではない。

 自分が良ければ、それでいい。

 他人の気持ちなんて、わからない。

 他人の痛みなんて、わからない。

 理解できようはずもない。

 だから。

 だからぼくは、自分にとって、一番いい結末を選ぶことにしたのだ。

 

 彼女が殺人者だというのなら、いいさ。

 ぼくはその共犯だ。

 そうして二人で、こそこそと逃げ回りながら、悪党らしく、生きていけばいい。

 

「……いいの?」

 

 彼女はぼくを見上げる。主語がわからん。はっきり言え——と言いたいところだが。

 

「いい」

 

 それでいい。

 少なくともぼくは、それでいいと納得している。

 

 人殺しでも、構うものか。

 その程度の欠点が、なんだという。

 ぼくなんか、ハゲてるんだぞ。

 直径五センチのハゲが、頭上にあるんだ。

 それでも生きてる。

 生きていく。

 死ぬつもりなんて、さらさらない。

 

「世界の全てとお前なら、ぼくは躊躇なくお前を選ぶ」

 

 人殺しでも。

 化け物でも。

 この世界の全てが、敵になるのだとしても。

 一生掛けて、守り抜きたい。

 

 許されないことかもしれないが、知ったことか。

 権利だとか、義務だとか。

 正義だとか、悪だとか。

 難しい話はうんざりだ。

 そんなものは全部、自分の外側の話でしかない。

 

 世界の話なんて、ぼくには全然、関係ない。

 ぼくが、それをしたいと思った。

 それだけだ。

 それだけで、十分だ。

 

「……そ、う、なんだ——」

 

 彼女は、顔を伏せて、言葉を詰まらせる。

 気に入らなかったのだろう。まあ、当然だ。一方的に重たい感情をぶつけられても、困るだろう。

 

 だが、それでもいい。

 報われない恋も、悪くはないものだ。

 師匠の言葉を、思い出す。

 あの人は本当に、どこまで知っているんだか。

 

 なんて、過去を懐かしみながら、ぼくが彼女をぼうっと見つめていると、彼女は突然、ばっ、と顔を上げた。

 

「あの、これっ!」

 

 彼女は、鞄から何かを取り出した。

 

「これね、プレゼント!」

「お、おう……?」

 

 突然の勢いに困惑するまま、彼女に押し付けられた紙袋を見る。

 

「これ、すっごい()()って話だから、使ってみて!」

 

 じゃあね! と。

 彼女は走って、その場を去った。

 

「金髪の伊江郎くん、楽しみにしてる!」

 

 なんて言葉を、残しながら。

 

「……空調、効いてたと思うんだがな」

 

 彼女の顔は真っ赤で、汗まみれだった。

 暑かったのだろうか。

 もう、夏だから。

 ぼくは紙袋を持ったまま、ため息を吐く。

 

「期待してる、か」

 

 髪の毛を染めないという選択肢は無くなってしまった。

 ぼくは仕方なく、毛生え薬を買うために持ってきた金でカラーリング剤を買い、ドラッグストアを出た。

 

 頑張ってくれ、ぼくの頭皮。カラーリング剤に負けないでくれ。

 ぼくは祈りながら、家に帰る。

 

 父は病院で、母はその付き添いである。ぼくはまたしても、家に一人。——いや、ポチコと蛤姫がいるから、一人と二匹だが。

 

 ポチコを連れて、二階の自室に戻る。蛤姫の住むおもちゃのお家が、机の半分を占拠している。邪魔だな、と思いつつも、机の残り半分に、買ってきたものを並べた。と言っても、カラーリング剤だけだが。本当は、毛生え薬のはずだったんだがなぁ……。憂鬱と共に、それを眺める。ポチコはそれがおやつの類でないと気付くとすぐに興味をなくし、ぼくのベッドの上に乗って、あくびをしていた。

 ぼくもなんだか、眠くなってきた。

 もう寝ようかな、なんて考えて、ふと——渡された紙袋の中身が気になった。

 

 鞄に入れっぱなしだったそれを取り出す。

 中身は——

 

「AGA治療薬……」

 

 ガラス瓶に入った、透明な液体。

 それはぼくが望んでいた、毛生え薬だった。

 ぼくは嬉しさと共に——なんとも言い難いモヤモヤとした思いを胸中に抱える。

 

 気にしている、と。

 思われているんだなぁ。

 

 いや、事実だ。

 事実なんだが、なんか。

 気遣われると、それはそれで、嫌な気分になると言うか。

 贅沢な話だとは思うんだが——

 なんて、うんうんと、テーブルの上に置いた瓶を前に唸っていると。

 

「それ、なんですか?」

 

 なんて、自宅のドアを開け、てけてけと、蛤姫がやってきた。

 

「な、なんでもない、気にするな——」

 

 と。

 咄嗟にそれを隠そうとして——

 

「あっ」

 

 手が、滑って。

 ぼくはその瓶を、取り落とした。

 

「ああーーっ!」

 

 叫ぶも、すでに遅く。

 がしゃーん。

 瓶は床に叩きつけられて、砕け散った。

 

「うひゃあ、大変!」

 

 蛤姫は叫び、「ポチコちゃん近寄っちゃダメですよ!」なんて、何事かと寄って来ようとしていたポチコを避難させる。

 

 ぼくは砕け散ったガラス瓶の元にしゃがみ込んだ。クソ、なんでよりにもよってガラス製なんだ。プラスチックのボトルでいいだろこんなの……!

 

 器は完全に砕け散り、中の液体が床にびしゃびしゃと広がって、池を作っている。

 

 ああ、もったいない……。

 その水面に、己の顔が映って、ぼくは。

 

「………………」

 

 覚悟を決め。

 

 床に広がった毛生え薬を手で掬って、そっと頭に、塗り込んだ。

 

 

 

 カッパドキア・ハゲリスクタイム——了

 





カッパドキア・ハゲリスクタイム、これにて幕となります。
ご愛読、ありがとうございました!
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