年越し
◯
妖怪と人間の混血は、珍しいと言えば珍しいし、ありふれていると言えばありふれている。人間と妖怪がばちばちやり合って土地の覇権を巡っていた時代も今は昔。昨今はすっかり妖怪勢力もなりをひそめ、人間社会の隙間で細々と生きているのが現実だ。そんな時代、妖怪を恐れない人間が生まれてくるのも当たり前で、そして妖怪に恋をする人間が生まれてくるのも、またある意味では必然だった。
そしてその逆、人間に恋をする妖怪なんてものも、増え始めたのが時代なのだ。
たとえばぼくの母が妖怪たる父に恋をしたように。
たとえば望月ぺた子の母が人間たる父に恋をしたように。
人間も妖怪も、色恋には勝てない。
馬に蹴られては、たまらないからだろう。
ともかくそんなわけで。
このぼく、伏見桜伊江郎は、望月ぺた子と出会った。
大晦日の夜。スーパーマーケットで。
「あ! 伊江郎先輩! おつかいですか?」
そんな風に元気いっぱい、年の瀬にしてはいささか激しすぎる声で、彼女はぼくに声をかけた。
女の子にしては高い、ぼくと同じくらいの背丈に、ぼくの幼馴染が哀れに思えるほどダイナマイトなボディ。ぱっちりとした大きな目に、愛らしく結ばれたサイドテール。その姿を、ぼくはよくよく見知っている。
「そういう君もか、ぺた子」
ぼくは買い物袋を片手に、彼女を呼び捨てた。彼女が後輩として礼を尽くしている以上は、偉そうにもそうすることが礼儀なのだ。
そう、彼女はぼくの、中学時代からの後輩だった。そのボディのダイナマイト性からすれば信じられないことだが、彼女は未だ中学生である。ぼくの通う高校、猫耳学園などというハレンチなあだ名が付けられた学舎、新神海岬学園の、その中等部に通う中学三年生。内部進学の確定した受験のないエスカレーター組だからだろう。中学三年の年末という時ごろにしては、いささかひりつきの足りないのほほんとした面構えだ。
彼女はニコニコと朗らかな笑顔で言う。
「大荷物ですね。持ちましょうか?」
「後輩に荷物を持たせちゃ先輩の名折れだよ。むしろ、君の荷物は? 重いようなら持ってやるが」
「先輩に荷物を持たせる方が後輩の名折れですよ。それに、私の荷物ってこれだけですから」
そう言って彼女が持ち上げたビニール袋には、スーパー併設の和菓子屋で売っているつきたて餅(五百グラム)だった。ふむ、確かにそれだけなら重いということもなかろうが——
「君の家、餅、買うのか?」
ぼくは問いかけた。何もお前の家が餅なんて上等なものを買えるのか、なんて邪悪な煽り文句を言いたかったわけではなく。
「君の御母堂——
そんな事情があるからだった。
望月ぺた子、付喪神と人間のハーフ。
彼女の母親は、
「こう、正月なんかはぺったんぺったんやるんじゃないのか?」
「やめてくださいよいやらしい」
「いやらしい!?」
ぼくが疑問を呈すれば、彼女は頬を赤くしてぼくを睨みつける。
「もう、先輩ってば本当にデリカシーがないんですから、まったく。そんなことをしたら妹が生まれてしまうでしょう」
「生まれてしまうのか!?」
妹が!? 餅つきで!?
「当たり前でしょう。私だってそうやって生まれてきたんですから」
「待ってくれ、君分類としては餅なの?」
人間と妖怪のハーフじゃなくて?
「人間と妖怪のハーフですとも。父が炊いた餅米を母でつき捏ね、生まれてきたのが私なんですから」
「すまん、ちょっと人類の常識を超越した出生すぎて理解が追いつかない」
それは人間と妖怪から生まれたと言えるのか。餅米から発生してはいないか?
「そんなこと言ったら人間だってタンパク質とカルシウムから発生しているじゃないですか。私だってそれと同じですよ」
「同じ……同じ、か?」
人間としてのアイデンティティが揺らぎつつあるのを感じながら、ぼくはかろうじて頷いた。まあ、うん。原材料がどうあれ、今の彼女はどう見たって餅ではないし……。
「まあ、今でも杵と臼を見ると思わず突かれたくなっちゃいますけどね」
「じゃあ餅じゃないか」
どう考えても餅としての本能だよそれは。
「だから和菓子屋とか行くと結構気まずいんですよね。同胞が普通に売られてるんで」
「同胞って言っちゃってるし」
「なんなら同胞が生まれるところが実演されてたりしますしね。流石に目のやり場に困ります」
「やめろ。神聖な餅つきをそんな邪な視線で穢すんじゃない」
「ぺったんぺったんって擬音、聞くたびにピー音入れなくていいのかな? って思います」
「いいんだよ、入れなくても。人間にとっては」
「全自動餅つき機とかあれ、完全に淫具ですよね」
「これ以上ぼくの餅に対するイメージを侵略するな!」
お正月に餅が食えなくなったらどうしてくれる。
「まあ冗談は置いておいて」
「どこまでが? どこまでが冗談だったの?」
「随分と大荷物ですけど、先輩のおうち、ご親戚が集まったりするんですか?」
問われて、ぼくは「ああ」と頷く。
「親戚が集まる……というわけではないんだが、何人か、友人がな」
「友人? 誰のですか?」
「ぼくのだよ」
「えっと、先輩……私は年越しは普通に家族と過ごすので」
「知ってるよ」
お前以外にもいるんだよ、友達は。
「ええっ、嘘でしょ!?」
嘘でたまるか。
「え、誰誰? 誰が来るんです?」
「まず
「あの人先輩の片思い相手じゃないんですか」
うるさいよ。
いいだろう別に。友人と片思い相手って相反する概念じゃないんだし。
「あとはほら、従姉妹の
「誰誰誰」
後輩は怯えたように首を振る。
「まあ、お前は知らんだろうな。瓜子姉さんはともかく、他は今年知り合った相手だし」
中等部にいたぺた子は知るまい。ぼくが頷けば、彼女は「私が知らないっていうか、読者が……」なんてわけのわからないことをぼそりと呟く。
「ま、色々と縁ができたということだ」
ぼくは言う。そう、本当に色々と、縁が出来た。
今年一年。失ったものも多くあり、また得たものもある。
ぼくは片手に荷物をまとめて、頭をすっぽりと覆うニット帽を深く被り直す。
「そういうわけで、待たせてる相手もいるのでな。そろそろ、お暇させてもらうとしよう」
ぼくは言って、ぺた子に手を振る。
「良いお年を」
「色々言いたいことはありますが……はい、良いお年を」
言い合って、ぼくはスーパーを出る。とたん、冬の寒気がぼくを襲った。
息を吐けば、白く煙る。
どこか遠くから、鐘の音が聞こえた。煩悩を滅浄する、除夜の鐘だ。願わくばぼくの中の河童の血までも、まとめて滅浄して欲しいところであるが、生臭坊主には荷が重かろうか。
ぼくはゆったりと夜の街を歩く。そういえば今頃、師匠はどうしているだろう。この頃、彼とはめっきり会えなくなった。願わくば彼にもまた、暖かな帰る場所があればいいのだけれど。
いずれにせよ。
ぼくは家族と、そして大切な友人の待つ家を目指しながら、思う。
年を越す。そんなことは、何一つだって特別なことじゃない。今日が終わって、明日が来る。そんな当たり前の延長線。それでもそれが、何か特別なことのように錯覚するのは、きっと同じ錯覚を抱えた誰かがいるからだ。
近くじゃなくても、遠くでも。
側にいなくても、語らうことすらできなくても。
それでも同じ時を同じように特別に思う誰かが、この世界には必ずいる。
それは幸運なことだ。
ぼくは思い、息を吐き出す。白く濁るそれも、あとわずか。もうすぐそこに、暖かな家が待つ。
ぼくはドアノブに手をかけながら、どこか遠くの、見知らぬ誰かにそれを言う。
それじゃあみんな。
また来年。
良いお年を。