カッパドキア・ハゲリスクタイム   作:忘旗かんばせ

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 ◯

 

「まったく、紛らわしいことしないでよね〜」

「それはこっちのセリフだ」

 

 ため息をついて言う少女に、いー、と牙を剥いて返す。

 

 肌がチクチクするのも厭わず、人の尊厳を捨てながら草むらで彷徨った時間は完全無欠に無駄であった。

 

 あの場に猫などいなかった。いたのは、それを探す人間だけだ。どうやら追い詰められた人間が至る思考というのは、似通うものらしい。

 猫の鳴き真似をする狂人二人が引き寄せられ合う姿は、外から見ればさぞ滑稽であったことだろうが、当事者であるぼくからすれば笑えない徒労である。

 

「ま、少なくともあのあたりにはいなかった、ってことで」

「わからんぞ。どこかに隠れながら間抜けな人間どもの滑稽劇を愉快に観察していたのかもしれん」

 

 捕獲したのは、互いに間抜けな人間一匹ばかり。時刻は、もう八時だった。あいも変わらず、猫の姿は見えない。人通りが増えた鴨川沿いを、負け犬二人が汚れた姿のまま並んで歩く。

 

「……と言うか、どうして依頼主であるお前までもがわざわざ探しに来ているんだ」

 

 ぼくは隣にじっとりと視線を向ける。

 そう。ぼくが今現在果たすべく苦労している猫探しの依頼は、何を隠そう彼女自身が出したものであったらしい。

 

「いやー、人にだけ探させるってのもなんだか申し訳ないしさ〜」

「申し訳なさなぞどこに感じる必要がある。身銭を切って依頼しているのだから、ふんぞり返って待っていればいいだろうに」

 

 自ら余計な苦労を買って出たがるなど、損な癖の娘である。

 

「でもふんぞり返って待ってたら、君いつまでもにゃーにゃー鳴きながら一人で彷徨ってたでしょ」

「うぐぅ」

 

 鋭い一刺しに、ぐうの音が出た。

 

「まあでも、来てくれたのが伊江郎くんでよかったよ」

 

 にへら、と笑う彼女であるが、ぼくは何もいいことなどない。猫探しなど、こうも苦労するものとは思っていなかった。畜生一匹見つけ出すのが、こんなにも大変であろうとは。

 

「あはは〜、そりゃあ、猫だって生きてるもん。一度逃げ出したからには、そう簡単には捕まってくれないよ」

「ふん、それならいっそのこと、そのまま自由にしてやったらどうだ。逃げ出したと言うことは、元の環境に不満があったと言うことじゃないか?」

「……そうかもね」

 

 彼女はしゅんと顔を伏せる。

 

 ……まずい。言いすぎた。

 

「いや、その——」

「でも」

 

 ぱ、と顔をあげて、彼女は言う。

 

「本当に嫌で逃げたかは、話してみないとわかんないじゃん? もしかしたら何かの弾みで逃げ出しちゃっただけかもしれないし、今はもう、帰りたいと思ってるかも」

 

 だから、まずは見つけてあげないと。

 なんて、瀬来目潤果は強かに笑って見せた。

 

「……どうやって猫と話すつもりなんだよ」

「ほら、それはさっきみたいに『にゃ〜ん』って……」

「バカめ。そんなものが本物の猫に通じるはずないだろう」

 

 ぼくは鼻で笑う。先ほどのぼくにしたって、あれは猫なんぞになりきっていたから騙されてしまっただけのことだ。

 

 ……いやその理屈ならばむしろ、通じて然るべきなのか?

 

 ぼくは首を捻りかけて——

 

 にゃおん。

 

 またも、鳴き声。

 

「わかったわかった。お前の鳴き真似が上手いのはわかったから——」

「待って、今私やってない」

「む?」

 

 どちらともなく、ぴたりと立ち止まる。

 

 耳をすませば——また。

 

「上だ」

 

 見上げる。景観を確保するために植えられた、枝の広い街路樹。そのバンザイをするように大きく開いた枝葉の一つに、蠢く毛玉が一つ。

 

 黒とオレンジ。やや汚らしい二色のまだら模様は、よく見れば三角の耳が二つと、よく動く尻尾がついている。

 

 そして首筋には白い首輪がかけられており、その金具はまさしく、ぼくらの跳ねる心臓を象るようなハート型であった。

 

 ぼくたちは思わず顔を見合わせる。

 

 にゃおん。

 

 その頭上から降りかかる、震える畜生の情けなく腰のひけた鳴き声が、今ばかりはまるで主の御言葉のように、ぼくらの努力を、祝福するようだった。

 

 ◯

 

「伊江郎くん、肩車して」

 

 潤果がいつになく真剣な表情で言うので、ぼくは強く頷いて即答した。

 

「嫌だ」

「嫌だ!?」

 

 当たり前である。

 

 頭上から、ひゃんひゃんと鳴き声がうるさくなる。どうやら畜生といえど、自分が助かるかどうかの瀬戸際にいるというのは理解できることであるらしい。

 

「何で? 私、あれだよ? この体型だし、そんなに重くないよ?」

 

 枝にしがみついて泣き喚く猫と、ぼくの顔とを交互に見比べながら、彼女は焦ったように言う。だが、ぼくは首を振った。重い重くないの問題ではないのだ。

 

「お前、今日スカートだろう」

 

 ぼくは彼女の下半身に目をやる。チェック柄のプリーツスカートが風に揺れていた。

 

 学生の制服というのは不思議なものであって、この令和の世にあっても未だ、なぜか女子向けのそれだけは下半身がスカートなのである。しかも、我が校の校則ではなぜか夏場はストッキングやタイツも禁止。おそらくは校則を定めた人物が生足至上主義の性的倒錯者であったのだろうが——きっと水泳部出身だったに違いない——いずれにせよ、ともかく。そのようなわけで。

 

「ぼくが肩車の土台役になると、お前の太ももをダイレクトに押し当てられることになってしまうからな」

「えっと……私、気にしないよ?」

「いやぼくが触りたくないんだ」

「触りたくない!?」

 

 大袈裟に驚く彼女であるが、しかしこれにはいた仕方ない事情がある。

 

「お前、無駄に体温高いだろう」

 

 ぼくは常日頃いささか低体温気味なので(長年にわたる水泳部生活が影響を及ぼしたのは目に見えている)、彼女の体温の高さは、ぼくにとっては正直火傷しそうなほど——と言えば流石に大袈裟だが、しかしあまり長時間触れていたいものではない。冬場ならばともかく、この季節、顔面近辺でその暑苦しさを体験するなどごめん被る。

 

「だからどうしてもぼくを土台にするなら、もういっそのこと靴のまま肩に立ってくれ」

 

 そちらの方がまだマシである。

 

「えぇ……」

 

 何とも言い難い複雑な表情で彼女はうめいた。

 

「まあ、君がそうしろっていうならそうするけどさぁ〜」

 

 彼女は不満そうに言った。煎餅を期待して濡煎餅を齧ってしまったかのような、ねちゃねちゃとした齟齬感が表情に現れている。

 

「肩車より高さも稼げるし、合理的だろう」

「肩汚れちゃうよ」

 

 草むらを彷徨っていた時点で、とっくの昔にだ。

 

「ほら、さっさと来い」

 

 小動物が喚いている木の幹の下で、乗りやすいように後ろを向いてしゃがむ。彼女は諦めたようにため息をついた。

 

「流石に土足じゃ気が引けるしね〜、靴は脱ぐよ」

「別に気にしないが」

「私は気にするの」

 

 彼女はきっぱりと言って、背後でガサゴソと音を立てる。その後すぐに、ぼくの右肩に暖かな感触が乗った。

 

「重くない?」

 

 体重をかけながら彼女が問う。が、ぼくからすればそれこそ猫のように軽かった。

 

「全く」

 

 それを聞いて安心したのか、もう片方の足も乗る。ほんの一瞬ぐらつくが、彼女の方がすぐに木の幹に手を添えてくれたおかげで安定した。

 

「持ち上げるぞ」

「おっけ」

 

 彼女の両足首を手で掴みつつ、一気に立ち上がって彼女の体を押し上げる。

 

「大丈夫か?」

 

 声だけで問う。

 流石のぼくも、紳士の端くれとして、上を見上げることはできない。たとえ相手が数年前まで同じ風呂に入っていた幼馴染であろうとも、親しき中に礼儀ありだ。

 

「大丈夫〜」

 

 バランスは安定しているようで、肩にぐらつきは伝わってこない。あるのは熱の感触だけだ。

 

「だけど、ちょっと位置が悪いかな〜」

「どっち側にずれればいい?」

「あ、上見ていいよ」

「良いわけあるか」

 

 仕方なく、ぼくは俯いたまま、記憶を頼りに猫がいた枝のあたりまで向かっていく。

 

「あー、その辺その辺。あと一歩右」

 

 音声操縦に従って、位置を微調整していく。

 

「よし、届きそう」

 

 停止して、彼女の支えに徹する。木の幹からやや外れたので、万が一バランスを崩すと支えがない。最悪の場合はぼくがクッションになる覚悟を固めつつ、彼女が無事猫を捕らえてくれることを祈った。

 

「おいで〜」

 

 ひゃあん、と情けない声。二、三度響いたのち、わずかの沈黙。そして——肩の上で、少しぐらつく感触。一歩下がって、バランスを取った。肩の重みが増す。猫の鳴き声は、止んだようだ。

 

「捕まえたか?」

 

 と。

 そこで思わず。

 ぼくはうっかり、頭上を見上げてしまった。

 

「あ、すまん」

「へ?」

 

 スカートの裏地が作る、円形の暗幕。その中心へと伸びる、二本の白い柱。その二つが結合する中心に、見えた景色は——

 

「え、お前学校にTバック履いてきてるの?」

 

 もはや、懺悔のしようもないが。

 

 そのときぼくが吐いたセリフは、想像しうる限り最悪の一言であったと断言できる。

 

 いくら思わず見てしまったスカートの中身が、想像のはるか上を行く刺激と危険に満ちた衝撃的な光景であったとはいえ——それを素直に口にするなど、最低最悪にも程がある。

 

 デリカシーの欠片もない、セクハラにセクハラを重ねる下衆低俗な言動に、おそらくは読者諸兄の九割九部がこの破廉恥男を一秒でも早く処刑せよと鼻息荒く叫んだことであろうけれど——しかし安心してほしい。

 

 世の中、因果応報はあるものだ。

 

「——〜〜っ!?」

 

 足元に敷いていた台座が突然やらかしてくれやがった痴漢行為に動揺したのだろう。彼女は声にならない悲鳴をあげて、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ——その光景を思い返せば、やけにゆっくりと時が進むように感じられる。

 

 円形に広がるスカートの暗幕。その裾の一端に、現れる撓み。

 

 うねる撓みは引き延ばされたときの中でも瞬く間に大きく広がり、まるで水滴が湖面に波紋を打つように、速やかにスカート全体に伝播していった。その波が円周の逆側にまで伝わる頃、ついに満を辞して、暗幕の一部が押し除けられる。

 

 その向こう側から現れたのは、黒とオレンジのまだら模様。差し込む木漏れ日が眩しく、その毛並みを後光のように照らす。

 

 驚きのあまりか、全身の毛が爆発したように膨れ上がり、その耳の先までもが針のように逆立ちながら、ゆっくりと落ちてくるそれと——その時ぼくは間違いなく、目が合った。

 

 極限まで開いた黄色の瞳がぼくを捕らえた瞬間、その広がった両手の先から、にゅうと爪が伸びる。

 

 あ、と、思う暇もなく。

 

 広がっていた手足が、()()()()()()()()()に向けて収束し、そして——

 

「————ぎゃあああああああ!!」

 

 ことの顛末は、大方の読者の想像通り。

 

 顔面に真紅のストライプ模様を作ったぼくは、それを作り上げたデザイナーが優雅に地面に降り立つのとほとんど同時に、バランスを崩して倒れ込んだ。

 

 当然、真上にいる少女もまた、その崩壊から逃れられるものではなく——

 

「うわあっ!?」

 

 支えを失った少女は、受け身も取れずに落下して——先に倒れ込んだ哀れな変態に、とどめを刺した。

 

「………………生きてる?」

 

 酷く不安そうな顔で、少女がぼくを覗き込む。どうやら、一瞬意識が飛んでいたらしい。

 

「……いや、死んだ」

 

 錆猫が、阿呆を見る目で屍を見下す。ぼくは甘んじてそれを受け入れるほかなかった。

 

「どこか、折れた?」

「……そこまでじゃない」

 

 心配そうに見つめる少女に手を振って、ぼくは起き上がった。下手に受け身を取らず、そのまま落ちてくれたのが却ってよかったらしい。全体重を乗せたボディプレスをモロに食らうことになったとはいえ、全身で全身を受け止める形になったから、衝撃は分散できたようだ。体は痛むが、それだけである。何なら、引っ掻かれた顔の方が痛い。

 

 ああ、全く、酷い目に合った。

 

「……顔の傷、痕残っちゃうかも……」

 

 今にも泣きそうな顔で、彼女はぼくの頬に触れる。大袈裟だ。傷付くことを案じなければいけないほど上等な面構えでもない。

 

「気にするな」

 

 自業自得だ。心配される謂れもない。

 

「それに、傷の治りは早いほうだからな」

 

 痛みは強いが、傷の深さはさほどでもない。せいぜい、真皮をえぐった程度であろう。この程度なら、一日二日で治る。

 

 これだけは唯一、己の忌むべき血に感謝する一点である。頭皮の一部組織の代謝能力が落ちている期間、それ以外の傷の治りは逆に早いのである。割りに合うトレードではないが、役に立つことは役にたつ。

 

「それから、セクシャルハラスメントの誹りを受けるかもしれないが——」

 

 ぼくは一応の前置きをしつつ、言葉を続ける。

 

「学校にTバックを履いてくるのは流石にやめた方が良いのではないだろうか」

「うるさいよっ!」

 

 彼女は顔を真っ赤にして言うが、しかしこれは伝えておかないわけにはいかないだろう。曲がりなりにも幼馴染だ。そんな彼女が、破廉恥にも痴女の烙印を押されてしまうなんてことがあれば、ぼくの沽券にも関わってくる。

 

「スカートの中見せる人なんていないんだからいいのっ! とにかく、もう、無し無し! 全部無しっ! 記憶から消して!」

「いやしかし……」

「消、し、て!」

「はい」

 

 勢いに押されてしまった。はい、ぼくは何も見ていません。

 

「全く……」

 

 彼女は顔を赤くしながらスカートの裾を直す。

 

「それで、こいつはどうするんだ?」

 

 ぼくは錆猫を拾い上げて腕に抱え込む。ジタジタと暴れられるが、逃しはしない。

 

「と言うか、お前の猫だったのか、逃げたのは」

 

 ぼくは猫の顔を見ながら言う。へちゃむくれの、太々しい顔つきである。

 

「ううん。ジョセフィーヌちゃんは、近所のおばあちゃんのところの子だよ」

「どう見てもジョセフィーヌという顔ではないだろうこいつは」

 

 鼻の潰れた短毛の錆猫である。せいぜいがタマ。おしゃれを気取るにしてもニケまでがせいぜいではないか。

 

「と言うか、お前の猫でもないのなら、探す義理もなかったのではないか?」

 

 ぼくが言えば、彼女は困ったように笑った。

 

「そうかもしれないけどさ、それでも——もしも自分の家族が居なくなったらって思うと、放っておけないよ」

 

 家族——

 家族、か。

 

「よかったな、にゃん公。お前は思ったよりも、大事にされてるらしいぞ?」

 

 ぼくが言えば、猫は当たり前だとでも言いたげに「にゃん」と喉を鳴らした。

 





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