【! 注意書き !】
残酷な描写があります。以下の要素を許容できる方のみ先へお進みください。
・流血表現・グロテスクな描写
・強姦を思わせる描写
また、この作品の五右ェ門はいちおう原作仕様です。作者の力不足のために表現しきれていない・または人物造形が異なっている箇所もございますが、どうかご了承ください。また、オリジナルキャラクターが許せない方もここで引き返して頂いた方がお互い嫌な思いをせずに済むのではないかと思われます。
以上の要素を許容し、また実年齢15歳以上の方のみ2ページめへどうぞ。
1
その夜、彼女は何となく窓を開けてみた。普段は決して開けはしないのに、その日は別だった。闇に部屋のあかりが溶けていく。外の風景が煌々と照らされ、見慣れたはずの景色がどこか薄気味悪かった。
そこへあの侍がやってきた。足を引きずっており、明らかに怪我をしているようだった。だから彼女は侍を家に招いた。そのときは自分の身に何が起きるかなど考えもせず、傷ついた旅人を助けようとただただ必死だった。
***
彼女は傷ついた侍を自室のベッドに寝かせ、手当した。最初こそ奇妙な出で立ちに物怖じしたが、すぐに慣れた。彼の目に強く惹かれたからだ。
この地域ではあまり見かけない黒い瞳。その目に映されると、まるで彼がやってきたあの闇に覆われているように感じられた。それでも不思議と恐怖を覚えることなかった。
彼の瞳の闇は、彼女が知る闇とは全く違うものだった。
「あなた、ニッポン人?」
負傷している左足に包帯を巻いてやりながら訊ねると彼が頷いた。やっぱり、と口元に笑みを浮かべる。すると彼も微笑む。あら、可愛い、と思い、そして戸惑った。
顔立ちこそ凹凸が少ないので幼く見えるが、身体にはしなやかな筋肉がついており、『可愛い』と言われて喜ぶ年齢でもなさそうだ。
彼女は口をつぐむと意味もなく顔を逸らす。それがおかしかったのか、侍がくっくと咽喉を鳴らした。非難するような目を向けても、彼には関係ないようだった。
「リディア」
彼女の家に転がり込んで三日が過ぎた頃、侍が訛りのある発音で呼びかけてきた。
そのとき、彼女――リディアは洗い物をしていたが、泡のついた皿を床へ落としてしまった。その音に彼が目を丸くした。
「リディア?」
もう一度名前を呼びながらその場に屈み、割れた皿の破片を拾おうとしている。まだ左足の傷も閉じていないのに無理な体勢を取ろうとしたせいか顔が歪んだ。
「あっ、いいの! 大丈夫だから」
さっさとしゃがみ込み、急いで皿の破片を拾う。だが、彼も「いい」と言われたのにずっと拾い続けている。英語を理解できていない訳ではなさそうだった。リディアは何度も「いい」と身振り手振りで伝えたが、彼は頑固にも破片を拾いきるまで立ち上がろうとはしなかった。
正直に言うと、リディアにとっては迷惑以外の何ものでもなかった。広がった傷口をまた手当するのは彼女の役目だったからだ。
2
リディアは庭で育てた花を市場で売ることで生計を立てていた。昔ながらの花売り娘……という訳ではなく、ワゴンに花の鉢を積み、丘を下って市場で店を開く。決して商売繁盛とは言えなかったが必要な衣食住を得るには充分だった。
しかし、リディアは侍が現れる少し前から市場にはご無沙汰だった。彼女の恋人が町で悪さを始め、町民がリディアにも白い目を向けるようになったからだ。ただ、少しなら蓄えもあるので数日は何とかしのぐことができた。そう、数日だけならば。
やがて食料も尽き、どうしても市場へ花を売りに行かねばならなくなった。気は進まない。どうせ、大して売れもしないのに。そして罵倒を浴びせられるに決まっているのに。
そんな彼女を放っておけなかったのか、突如侍が市場へついていくと進み出た。リディアは断ったが、あの皿の件同様に彼を説得することはできずにワゴンの助手席に乗り込まれてしまった。かくしてもう一人分の重量がハンドルを握る手へとのしかかった。道中、砂利道での最悪な乗り心地がリディアの胃をさらに痛めつけた。
「あなたって、本当に頑固でどうしようもできないのね」
文句を垂れても侍は一言も返さず、涼しい顔のままだった。何なのかよくわからない木製のカタナを懐に抱いて、窓越しにラッパズイセンの群れを眺めていた。
一時間かけて市場へ到着し、店を開いた。案の定、客は集まらなかった。靴を履いていると言うのに伝わってくる石造りの道路の冷たさに足先が凍るようだった。
それなのに侍は助手席に座ったままだ。リディアは溜息をついたが、生活費を稼がないことには暮らしていけないので声を張り上げた。
「手間暇かけて栽培された花ですよ。窓に飾られるのにぴったりな明るい色から、眺めて心を落ち着かせてくれる色まで揃っていますよ」
しかし、その呼びかけで集まったのは心ない人々ばかりだった。ある中年男は、
「何だ、この売女! その金であの野郎に貢ごうってのかい」
また以前はご贔屓にしてくれていたおばさんも、
「ウチはあっちの花屋でしか買わないことにしているからねぇ」
そして、極めつけに幼い子供が石を投げてきた。これにはリディアも堪忍袋の緒が切れ、むんずと子供の首根っこを掴んだ。しかし、すぐに子供の母親が血相を変えて飛んできた。
「何するのっ、家の子を売りに出そうってんじゃないでしょうね!」
リディアは口を噛む。やることなすこと総てを恋人……それももう滅多に会うこともない男とこじつけられてはたまったものではない。息を大きく吸った。
その間にワゴンから侍が降りてきた。意表を突かれて振り返ると、手をひらひらと振られた。
『何も言わなくていい』
彼は瞳とほんの少しの手の動きだけで、そう伝えてきた。藁作りの変なサンダルで足音も立てずに彼女とその親子のもとへやってくる。すると、彼はいきなり中腰になり、子供と同じ目線になった。子供の肩がわずかに震えた。
彼の目はいつになく真剣だった。リディアの胸が高鳴る。そんな自分にまた戸惑い、冷えた手で朱に染まる頬を冷ました。
しばらくすると子供がぐったりとした様子でリディアを見上げた。
「ごめんなさい」
それに、リディアだけでなく母親も目を剥いた。ただ彼女も子供のいる手前、みっともない姿を晒せないのか、
「ふ、ふん。こっちも悪かったと思うけどね。だいたい、あんた、もう新しい男を見つけたのかい? まったく尻の軽い女だねっ! まあ、いつまでもあんな男と付き合うよりはマシだろうけどさ……」
などと捨て台詞を残し、さっさと去っていった。そうしたら周囲の人々も何故かリディアの花屋へと集まってきた。おそらく、侍が彼女の新しい恋人か何かだと勘違いしているのだろう。町の人も以前から縁のある彼女を心から忌み嫌っていた訳ではなかったらしい、あの男と関わりを絶ったのだと知れると昔と変わらぬ態度で接してきた。
彼女はおそるおそる侍を見た。が、彼は既にワゴンの助手席に戻っていた。リディアは身体から一気に力が抜けてしまった。
その日、彼女が花屋をはじめてから一番の売上を叩きだした。
***
侍のおかげで、またリディアは自宅で過ごせる時間を多く手に入れた。いくら町民が彼女をまた受け入れたと言っても、それまでに受けた仕打ちを忘れることなどできなかった。心の傷を癒すためには時間がまだ必要だった。
だが、いつまた食料が尽きるか知れない。そのときのために花の手入れはかかせなかった。
ある朝、普段どおり花壇まで足を運ぶと、彼がいた。
「どうしたの?」
訊ねてはみたが返事は期待していなかった。まだほんの僅かな期間ではあるが彼がリディアの問いに答えたことなどない。そのはずが侍は予想を裏切ってきた。
「日本でも咲く花を見かけたから、つい」
随分と訛りがあったが、きちんと意味の通る英語だった。リディアはぎょっとして後ずさりした。まさか、こんな短期間に英語を習得したのだろうか?
彼女の考えを読み取ったかのように侍が告げてきた。
「いや。最初から少しはわかる……元々話下手なだけで」
たどたどしい発音だった。リディアは納得しながらも複雑な気持ちになった。もっと早くに話してくれていたなら、もっと楽に意思疎通できたかもしれないのに……。そう考えて、いや、そうでもない、と考えなおす。それほど侍の思考はなかなか読めなかった。それは異文化のせい、だけではないだろう。リディアには、彼が、世界中に吐いて捨てるほどいるそこらを歩いているだけの人々とは根本的に違う生物のように感じられていた。
そんなことは本人を目の前にして言う気にはなれない。リディアは肩をすくめ、あくまで平静を装った。
「まぁ、いいけど。ところでニッポンでも咲いている花ってどれ?」
彼女が訊くと侍は薄紫色の小さな花を指差した。ああ、と相槌を打つ。
「Forget-me-not?」
「日本では『わすれなぐさ』だな」
侍は、自身の国の言葉は流暢に喋った。その発音があんまり綺麗で、少し腹が立つほど。
「でも、これはヨーロッパで古くから咲いている花よ?」
責めるような口調になったのも、きっとそのせいだった。彼もそれに気づいたのかたじろぐような素振りを見せた。これにはリディアも驚きを隠せなかった。彼のこんな反応を見るのは初めてだったからだ。
「あ、いえ……別に怒っている訳ではないの。ちょっと考えごとをしていただけ」
リディアは謝ると微笑んでみせた。侍が言葉を重ねてきた。
「考えごとって……あの、男がどうだの、という話か?」
彼の口からそんな俗っぽい言葉が出たことにリディアは口元を手で隠した。思わず見つめてみても彼の瞳は相変わらず澄んでおり、とても『男が』と言うような人物には見えない。
「何か?」と彼が短く訊ねかけてくる。リディアは慌てて返事した。
「いいえ、いいえ。何でもないの。ただ、こうして話してみて、あなたが思ったよりも……何と言えばいいのか……普通の、人? みたいだったから」
口にしてすぐ後悔した『普通の人みたい』――つまり、暗に彼に『普通ではない』と伝えているようなものだ。すぐに言葉を取り消そうとしたが、その前に侍が口を開いた。
「普通、か」
彼は視線を花々へ落としたまま、ひとりごちる。
その瞳は、彼女が知っているものではなかった。澄んでいたはずの瞳には何か別のものが映り込んでいた。重々しいもやのような、すべてを遮るような何かが。
3
失態を見せた日の夜、リディアは珍しく酒を呑んでいた。彼女はあまり酒に強いほうではなく、呑むのならばグラス一杯程度。それが今夜は千鳥足になるほどの深酒だ。
彼にあんな瞳をさせた自分が許せず、こうして痛めつけている。きっと明日は二日酔いだろうな、と苦笑した。
そんなとき、携帯電話が鳴った。のろのろと手を伸ばす。
「はぁい、なんですか?」
間延びした声に対し、受話器の向こう側の人物は弱々しく話しかけてきた。
『リディア……助けてくれないか。俺だよ』
リディアは息を呑んだ。聞き覚えのある声だった。
「ジェフ?」
彼女はその人物の名を呼んだ。
ジェフは返答もせずに語りつづける。
『もう駄目だ。俺は、なんて馬鹿なことをしちまったんだろう。もうおしまいさ』
そのすすり泣くような声にリディアはただならぬ事態を感じ取った。自然と身を硬くする。
「どうしたの? 何が、おしまいなの?」
『ボスが殺された』
絶句した。もちろん、リディアはジェフが属する組織の事情など知りたくもなかったが、それでもかつての恋人の身の危機から目を逸らすことはできなかった。
それに、侍との関係もこじれていたから。
「あなたはどうなるの?」
『わからない……まだ町の奴らにはボスが死んだことは知られていない。だが、それも時間の問題だ。いつか必ず知れ渡る。そうすりゃ頭のいない組織を叩くなんざ朝飯前さ』
彼の声には、もはや諦めが交じっていた。それがリディアには哀しかった。だからなのか無意識のうちに次のように申し出ていた。
「わかったわ。――あの、すぐ私の家の近くまで来れるかしら?」