異邦人   作:つるみ鎌太朗

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 目覚めるとリディアが消えていた。それでも五右ェ門は動じなかった。夜中に彼女がワゴンで出かけたところを、あてがわれた部屋の窓越しに見たからだ。そのうち帰ってくるだろう、と割り切って慣れない朝食の用意をはじめた。

 日本食を好む彼にとってトーストは口に合わないが、ここは異国なのだから仕方がない。ルパンや次元がいつもやっているとおりにトースターに差し込むと、チンと音を鳴らしてトーストが出てきた。バターは塗らずにそのまま食べた。

 水でも飲もうとしたとき、外から漏れる異質な音に気づいた。長年泥棒と連れ添っているせいか聴き慣れたものだ。パトカーのサイレン。第六感が消えたリディアと結びつけた。

 彼は流星を携え、音のするほうへとすぐさま駆け出した。既に左足の感覚は充分に戻っていた。

 

 パトカーはリディアの家のすぐそばにある林で停まっていた。むせかえるような緑の中、一か所だけどす黒く変色していた。……こんなところで流されるべきではないものだった。

 その中心に、リディアがいた。だがそれをリディアと呼んでいいものか躊躇われた。

 腹から股まで裂かれた上に、辺りに内臓をぶちまけられている。全身血で濡れており、かろうじて覗く白い肌にはうっすらと手の跡が浮かんでいた。爪で引っ掻いたような、彼女が抵抗した証も見えた。このような死体には慣れていなかった。

 

「ひっどいことしますねぇ」

 

 若い捜査官がうっぷと口を押さえていた。それに対して初老の刑事が、

 

「犯人はよほど恨みを抱えていたのだろうな」

 

 と、酷く冷静に応えた。そのやりとりに五右ェ門は静かに怒りを覚えたが、まさか指名手配中の自分が出ていく訳にもいかないので現場を後にした。彼女が町民に忌み嫌われていた理由や、昨日の花壇で感じ取った気配から大体の目星はついていた。

 彼は数日前に赴いた場所へと急いだ。

 

***

 

 林の奥深くにある彼らのアジトはたった数日で随分と寂れていた。頭を叩いただけで組織というものはここまで崩壊するものなのか。おかげで侵入するのも楽だった。しかし彼は油断することなく慎重に歩を進めた。

 そうしているうちに昨日と同じ気配を感じた。リディアを殺めただけでは収まらなかったのか殺気が未だに満ち満ちている。……まだ組織に入って日が浅かったのだろうな、と少し同情した。五右ェ門は部屋の戸に手をかけた。

 瞬間、銃声が響いた。音からして散弾銃のようだ。開けかけた扉をすぐに戻して防いだ。

 

 

「誰だっ?!」

 

 男が悲鳴に近い声で訊ねてくる。

 壊れかけの扉をゆっくりと開いて顔を見せた。今度は男も撃ってこないようだ。

 そのまま部屋へ滑り込むと無言で男を見る。男は歯をかちかちと鳴らし、充血した目で五右ェ門の姿を捉えて離さない。もはや瞬きすら忘れているようだった。

 

「誰だと訊いているっ!」

 

 男がまたも散弾銃を向けてくるが、五右ェ門は表情一つ変えなかった。その代わりに、

 

「その前にこちらの質問に答えてもらおうか」

 

 言葉に男がさっと青ざめる。その反応に五右ェ門は確信した。

 

「リディアを殺したのは、お前か?」

 

 いらえはなかった。しかし男の額にぶわりと噴きだした汗が全てを物語っていた。

 

「なぜ」

 

 最も訊ねたかった問いが唇から漏れる。

 男が上ずった声で答えた。

 

「あ、あんた、をかく、まって、い、いたからだ」

「それだけのことで、かつての恋人を葬ったのか」

「あ、あの女。俺が組織に入ったぐらいで『別れる』って言い出して……それで連絡も返事も寄こさないで……その上、こっちがあんたにボスを殺されて切羽詰まっているところをよォ、まさかその張本人に取り入っているだなんて」

 

 五右ェ門は顔をあげた。震える手で男が散弾銃を握りしめていた。

 

「あの女は俺を裏切ったんだ。俺はそのうち良い暮らしをさせてやる、って言ってやったのに断りやがったんだ。それで、俺が苦しんでいるときによりにもよってお前なんかと!」

 

 男のこめかみに血管が浮いている。被害妄想にとりつかれてしまっているようだ。ぎりぎりと歯を食いしばりながら虚言を繰り返している。

 

「だから殺されて当然なんだ! 犯されて当然なんだ! 全部、全部あの女のせいなんだ! あの女が俺を裏切らなければ俺だって殺したりしなかったんだ! いや、あんたを家にあげてなんかいなければ……」

 

 男は最後に叫んだ。

 

「俺は悪くない!」

 

 刹那、部屋の空気が変わった。元々冷え切った部屋ではあったが極寒の殺気が周囲を包んだ。足先、指先、心臓すら凍りつくようだった。

 

「お前のボスは性根こそ腐ってはいたが、少なくとも一閃で斬るだけの価値はある奴だった」

 

 彼の口にする言葉でさえ鋭利な刃物のように、男のなけなしの理性を切り裂く。男は顔をくしゃくしゃにして泣き叫んだ。しかし、もはや手遅れだ。

 暗闇の中で硬質な光が煌めいた。

 

***

 

 それから数十分過ぎて、ようやくアジトに残っていた残党も何者かが侵入していることに気がついたようだ。近づいてくる複数の足音に五右ェ門は我に返った。扉が開かれる音に振り返る。そこには驚愕の表情を浮かべる男たちの姿があった。

 それも当然だ。五右ェ門は、真っ赤に染まっていた。足元には肉片が転がっている。何が起きたのかは誰の目にも明らかだった。

 血糊のせいで元の美しい艶を失った流星が空しかった。

 

「あ、あんた、は」

 

 肉片と化す前の男と同じように上ずった声で話す男たちに、五右ェ門は目を向ける。だが、まつ毛から流れてくる血のせいで上手く見えない。それを実感するとともに身体中にずしりと重量がのしかかってくる。ぼろの着物が血を吸って重い。

 その姿が男たちの恐怖を煽った。変だな、と五右ェ門は考える。流星も今は血で使い物にならないし、自分も視界が悪く、万全な状態ではないというのに。それなのに彼らは多勢を理由に五右ェ門へと襲いかかってはこなかった。

 

 これ幸い、と五右ェ門は扉へと歩き出した。男たちは一斉に道を開けた。男たちが開けた道には引き摺ったような紅い足跡が残された。

 アジトを出ると五右ェ門は川めがけて駆けだした。一刻も早く血を洗い流したかった。だが袴も血を吸いこんで普段ほど足があがらなかった。風が全身に吹きつけてくる度に、冷えきった血を感じた。肌まで付着した血が乾いて痛い。視界はまだ真っ赤に染まっており、まともに見えやしなかった。

 走った先に清廉とした川があった。彼は着の身着のまま飛び込んだ。途端に乾ききっていない血が清らかな水を紅く染め上げていった。彼はその様子を何の感情も持たない顔でただただ見つめ、頭から水を被った。

 

 

 あの事件から一ヵ月が過ぎ、五右ェ門はまた見知らぬ町にいた。裏路地では町行く人の笑い声が遠く響いた。コンクリートの壁にもたれて待っていると、約束の時間よりも遅れてその女はやってきた。ショッキング・ピンクのミニクーパーを流れるような動作で停めて、するりと降りてくる。

 

「あら、電報がちゃんと届くなんて。珍しい」

 

 女は亜麻色のウェーブがかった髪を指で梳き、口角を上げて微笑んだ。

 

「あんたに借りをしたままだと後が怖いからな――不二子」

 

 五右ェ門は不二子に視線だけを向けた。彼女は鋭いそれを受けても笑ったままだ。あまつさえ、その表情を崩さずに茶化してくるのだから始末に負えない。

 

「その察しの良さを、どうしてあの時には発揮できなかったのかしら? あのジェフって男の行動を予測してさえいれば、あなたも余計なことをせずに済んだのに」

 

 痛いところを突かれた五右ェ門は目を泳がせた。

 

「……オレが花壇であの男の気配を感じたときには、まだ殺気はなかった。それが何故だかたったの一日そこらで」

「弱い者ほど感情に振り回されやすいのよ」

 

 その諭すような口調に、彼はもう苦笑するしかなかった。

 

「毎回手厳しいな」

「当たり前よ。貴方は使える人だもの……こんなつまらないことで刑務所にでも入られたら困るわ。感謝しなさいな」

 

 不二子は顔をついと背けると、路地から少し出て持っていた白い日傘を差した。今日の彼女はどこぞの西洋の貴婦人のような格好だ。純白のドレスが日差しを反射して眩しい。

 しばらく不二子との雑談に付き合ったあと、「乗って」とミニクーパーの助手席へ促された。エンジンのかかる音に、五右ェ門は「どうせろくでもないことに付き合わされるんだろうな」とぼんやり思う。

 そのとき、リディアの声が耳をかすめた気がした。

 

『Forget-me-not?』

 

 彼女はわすれなぐさをそう呼んだ。五右ェ門が一度も口にしたことない名だった。そして今後も彼にとって、あの花はわすれなぐさ以外の名を持たない。

 二人を乗せたミニクーパーが発車した。

 

 

   完

 

 

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