どう対応したら正解なんだ? これ。俺一応、「真社会」のボスのお気に入りなんだけど……。
流石に何をどうするべきか迷い、口籠る。これってもしかして、俺が押し負けて、復讐を代打したら、原作が始まらないのか? そしたら「真社会」が国を乗っ取って、最悪のディストピアを開始しちゃうのか?
かと言って、断るにも……俺は彼女に顔を覚えられている。昨日は気づけなかったが、蜘蛛蛇一族特有の「糸」の魔法で追跡されたらしい。微かな痕跡を見つけて、魔法で焼き切った。
「依頼を受ける気はない。……どうすれば諦める?」
「諦めない。やつらを地獄に落とすためなら、何だってできる……!!」
だよなあ。俺もそう思うよ。
漫画で読んだ時の彼女は、怒りと生気に輝いていた。燃え上がる感情のままに憤って、走り続けていた。
目の前にいるミサキは紙面で見たよりも幼いが、俺という「手段」を前に引き下がれるような、生ぬるい覚悟ではここに座っていないだろう。
「正直、お前のいう対象の殺害にはここまでの額はいらない」
「! なら……!」
「……これだけあれば、他も問題なく雇える。別のやつに頼め。……分かるだろ。昨日の俺を見たなら」
彼女のギラギラとした目が眩しい。俺はそれから目を逸らした。
「……もう、殺したくない。俺は、死にたくないから生きてるだけだ。人を殺してまでやりたいことなんて、一つもないくせに……」
俯き、弱音を吐露する――と、がしりと両手をつかまれた。
「な、んだよ?」
「無理を言ったことは、謝る。でも私は諦めない」
「嫌だって言ってるだろ!」
「分かってる。あなたに殺させはしない――あなたが私を鍛えるの。ここにある一億五千万で、あなたが私の先生になって」
ミサキの手は熱かった。グツグツとした血潮が、彼女の内側に巡っているからだ。
「私は必ず成し遂げる……蜘蛛蛇家の当主は、決して獲物を逃さない」
「は……?」
「弱い私が言っても、きっとあなたは何の価値もないと切り捨てるだろうけど……私は、本当に何だってする。なんだってできる」
彼女は俺の手を握る力を強めた。目を逸らしてしまえばいいのに、俺は彼女の瞳から視線を動かせない。
「だから、あなたが私を強くして。そして強くなった私は復讐を遂げて……その後は、あなたのために全てを捧げる。惜しいものなんてない。……私は、あなたに希望を見た。だから――この縁の糸を、決して離さない」
「なん、なんだよ、お前……」
俺は段々目元に変に力が入ってきて、唇が戦慄くのを止めるために、きゅっと噛み締めて耐えた。
ああ、駄目だ。なんでだ。なんで今更……。
「あなたを掴んで、引き上げる。あなたを、必ず――助けるから」
誰も言ってくれなかった言葉だ。ずっと欲しかった言葉。
そうだよ、俺は……ずっと、誰かに……。助けて欲しくて……。
「……おまえ……ッ、あたま、おかしいよ……」
俺の声は震えていた。目元を慌てて拭ったが、涙が滲んでいることを彼女は見逃しはしなかっただろう。
無言で数秒耐えると、幸い涙はすぐに収まった。黙って金の入った鞄を押し返し、彼女に持たせる。
「……わかった」
「……!」
「受けてやる。でも、金はいらない。先行投資だ。……明日から、お前の家に通ってやる。毎日とは行かないけど……蜘蛛蛇の屋敷なら、空き部屋の一つくらいあるだろ、そこで……」
「暮らすんだね。分かった」
「……!? そんな話はしてない! 俺は訓練をつけてやるって言ってる。暮らすなんて一言も……!」
「毎日出入りすれば、あなたが人目につく機会が多くなる。あなたの雇い主は、あなたが落ち目の蜘蛛蛇一族の女に"入れあげる"様子を見ても寛容でいられる?」
「……。……」
女王蟻の顔を思い浮かべる。俺は、伊達に"お気に入り"をやっていない。
「……。家賃くらいは払わせろ」
「こちらも先行投資させてもらうよ、先生」
なんなんだよこいつ……漫画で見てた時も思ったけど、意志が強すぎるだろ……。
***
すったもんだありつつも、数週間が過ぎた。訓練の方は順調にに進んでいる。
「先生! 本日もよろしくお願いします!」
「……うん」
ニコニコと笑みを浮かべたミサキが、俺に駆け寄ってくる。薄々感づいてはいたが、俺はかなりミサキに懐かれているようだった。これは原作からの大いなる乖離である。
原作だと初対面から俺はボコられ、敗走し、以降ありとあらゆる邪魔をし、人を殺し……とミサキを妨害し憎まれているはずなのだが、まさかこんなことになろうとは……。
「魔力……じゃなくて、霊力の練り方が甘い。もっと均一に流せ。何事もそれが出来てから、だ」
「はい、先生」
ミサキの威勢のいい返事が返ってくる。張りのある声はいつだって力強い。……こんなに周りから見られているのに。
道場を借りての稽古だが、壁際にはびっしりと蜘蛛蛇一族の人間が座り込んでおり、老いも若きも俺とミサキの訓練を目に焼き付けている。熱量が凄まじい。漫画で見たことのある顔ぶれが幾らかあったが、彼らの壮絶な復讐鬼としての最期を知る身としては、気が気でなかった。
住み込みで訓練をすることが決まった日、彼女はニコニコと俺を一族に紹介した。一族は復讐のために死地に赴く当主について行くくらいなので、彼女の決定に誰も異論を挟まなかった。
食事や訓練の時間を共に過ごすうちに彼らは俺を認めたのか、最近は監視の目もなく過ごさせてもらっている。なんならおやつや魔力の籠もった小物を贈ってくれる人もいる。
「安定したな。じゃあ次は、そのまま素振りだ。絡めた霊力の糸を乱さず、保ち続けろ」
「はい!」
見えないほど細い糸で何重にも巻かれた木刀が振るわれる。筋繊維の動きを目で追いながら、魔力の乱れが起こる度、ミサキの背に触れて無理やり整え直す。
「右腕が起点でズレた。……次、左の人差し指。左の親指。どっちも力み過ぎだな。五指の糸を均等に使え。肉体の力はいくら込めていいが、霊力は均等に、だ」
「っく……! はい!」
軍隊(?)出身なので、形式的な訓練法には不本意ながらも詳しい。
漫画を読んでいた記憶もあるから、彼女が使う必殺技も知っている。糸を張り巡らせて、それに這わせた魔力の炎で焼いたり、魔力の塊を何度も跳弾させて袋叩きにしたり……とか。
そういう繊細なコントロールのためには、こういう地味な訓練が欠かせない。意欲的な彼女にとっては、やりがい溢れる訓練だそうだが。