「キサラギ、おいで」
「……はい」
「フフ……前に見た時より、顔色が良い。何かいいことがあったか?」
言われるがままに側に侍ると、目元を指でなぞられる。薄い皮膚の下で、恐怖で脈が異様な動悸を奏でていることが悟られた。とはいえ、これは女王蟻の傍にいるときのデフォルトなので問題なかろう。
「最近は……」
「最近は?」
「その、ファミレスのパフェが、美味しかったので……」
「……それだけか?」
「パンケーキも、食べました」
このカスみたいなコミュニケーションも、いつも通りなので問題ない。
コミュ障ここに極まれりのコミュニケーションは、女王蟻との常だった。俺は毎回新鮮に怖くて、ろくに思考ができないし、女王蟻もそれを知っている。なので会話方式は、簡単な質問か、答えが出るまで根気強く圧迫面接してくるかの二択だ。後者の場合は怖すぎてチビりそうになる。
「そう……」
「……」
「お前は相変わらず、かわいいねぇ」
軽やかになった声で、よしよしと首の裏を撫でられたかと思うと、そのままぐっと下に引き寄せられる。抵抗せず、椅子に座る彼女へと傅く姿勢になった。
「よしよし、可愛いやつ。みんなお前みたいになればいいのに」
「……」
髪をかき回され、頬を撫でさすられる。彼女の手のひらが後頭部に触れて、あまりの恐怖に鳥肌が立った。
緩い力で引き寄せられるまま、胸元に頭を寄せる。何が怒りに触れるか分からないので、なんとか鎖骨のあたりに頭部を避難させた。姿勢の都合上、豊かすぎる胸が俺の喉仏に当たっている気がしなくもないが、当然抵抗などできるはずがない。意に沿わないことをした構成員が死ぬところを、数え切れないほど見てきた。
緊張で指先が冷え切っている。硬直した俺を面白がっているのか、抱きしめたまま彼女はぽんぽんと背中を叩く。寝かしつけるような動きだった。
「仕事をたくさん任せて悪いね。お前以外は使い物にならない者ばかりなんだ」
「……恐悦至極にございます」
「そうか、そうか! お前は本当にいい子だね」
怖すぎて泣きそうだ……。先週、このセリフを言った後、「だが気に入らないな、失せろ」と人を殺している瞬間を目撃した記憶がある。
「可愛いキサラギ。たくさん殺して大変だったろう。だから、ご褒美をあげよう」
女王蟻がシャツをはだけさせ、俺の頭をそこに押し付ける。
「好きなのを一つ選んでいいからな。何でも食べていいぞ」
「ありがとう、ございます……」
緊張で噛み合わない歯を気合で押さえ込み、恐る恐る彼女の首元に歯を立てる。
女王蟻とは、遺伝子を次の世代に継がせるための存在だ。その名を冠する彼女は、自分自身や、自分の「群れ」の人間の能力・可能性の全てを、その体内の血に内包する特異体質を持っていた。
俺は今回、そこから「好きなの」をもらえるらしい(ここで不興を買って死ななければ)。
筋力、魔力、頭の良さ、顔、幸運。彼女からはなんだって手に入る。だから、俺は微かに血が滲む程度に噛み締め、願いを込めながらその血を舐めた。
――女王蟻から、「恐怖を感じない心」をもらいたい。
「そんなものでいいのか?」
「はい。……その、これまでは、俺が弱いばっかりに、怖くてちゃんとお話できなくて、すみませんでした」
「……!! 私のためか? 私のために選んで食べたのか?」
「お、俺のためでも、あります」
恐怖がなくなった。手の震えが収まった。それはそれとして、こんなにも目を輝かせて頬まで紅潮されると、その、なんだ……戸惑う。
「キサラギ、お前は! お前というやつは……! なんて可愛いやつなんだ!!」
「うわ、っ、女王蟻様!?」
これ以上ないほどに頭を撫でくりまわされながら、俺は安堵していた。
――これで彼女は「恐怖を感じない強い心」を失ったのだ。
女王蟻は生まれてから一度も、恐怖など感じたことがない究極の生き物だが――いずれ初めての恐怖が、ミサキという少女の名と共に刻み込まれることだろう。
原作では、失敗続きの俺に面白半分で与えた結果の、ラスボス瓦解の伏線なのだが、「お気に入り」になった俺でも無事フラグ回収できて良かった。
ほっと胸を撫で下ろしながら、俺は大人しく頭髪を鳥の巣にされる作業に従事するのだった。
続きは来月元気があったら!