セパ
正門から蜘蛛蛇の屋敷を出る。軒先で携帯端末を開き、マップを確認していると、掃き掃除をしている女性に声をかけられた。
「あら? どちらまで行かれるんですか? 先生」
「ちょっと、芦高県まで」
「あらまあ、遠いのね……。新幹線で行かれるの?」
「いや……監視カメラに映ると困るし、徒歩で行くよ。明日には、帰って来るから」
すると、俺の脊髄反射的な答えに、目に見えて心配そうになった女性が、自分が車を出すと言い出してしまった。ついうっかり余計なことを言ったせいで、気を使わせてしまっている。
「その、大丈夫。俺、慣れてるし……とにかく、平気だし。えっと、俺……行ってきます!」
焦りに顔が熱くなる。前世はもう少しマシだったはずなのに、俺は立派なコミュ障になってしまっていた。
足に魔法を纏わせて、風に足を「引っ掛けて」飛び上がる。一足飛びで俺の体は空を何十メートルも進んだ。
風向きも悪くないため、次の一歩では百メートル近く進む。門で掃除をしていた女性からは、もう見えなくなっただろう。
これも、原作キャラの一人が好んで使っていた技だった。韋駄天という技名だったはず。俺は流石に、本家本元には及ばないが、捷疾鬼程度には走れるようになった。お陰様で、俺は移動に困ったことがない。
便利な移動法だが、一つ重大な注意点がある。「謎の飛行物体X」として余人に見つからないよう、別の原作キャラの魔法で透明になる必要があるのだ。丸見えの俺は空に浮く風船のようなもの。民間人相手でも、殺し合いの場でも、この欠点は致命的だった。
何故なら原作において、韋駄天の男はそれが理由で女王蟻に負けて殺されたのだから。
無惨な死に様の一コマが頭に浮かぶ。いや、本当に……思い返してみるとマジで女王蟻最強だな……原作キャラの殆どが女王蟻に殺されて死んでるんだもんな……。
しかし俺はそんなバケモンと、多分これからオシャレなバーか何処かで、軽食を食べることになっている……。俺本当に女王蟻とメシ食べんの? 味とか分かんのかな……。
色々と脳内でシミュレーションをしつつ空を跳ぶこと数十分。軽く息切れし始めたので、山をいくつか越えた辺りで遂に着地した。あとは地面を歩いて下山しよう。疲れた……。
二つの魔法を使うのは難しいのだ。魔法は本来一人につき一つで、その血に最も適したものしか使えないものだから、今も相当自分の体に無理を強いてしまっている。もう慣れたけど。
――さて、ここから山を下って都心部でスーツか何かをレンタルして、高級ホテルのロビーで女王蟻と会わなければならない。
「……死なないように、気を付けよう」
気を引き締めて、山を下る。土だらけだと入店拒否されかねないので、転ばないように慎重に山道を下っていく。
山下りの途中、目が死んでいるのと軽装過ぎるせいで、自殺志願者と疑われ、大幅なロスタイムが発生し、街中を全力疾走することになったのは蛇足である。
***
「お待たせしてしまい申し訳ございません、女王蟻様」
「私も今来たところだ。構わないよ」
俺の彼氏か何か……? というかなんでもう来たの……?
余裕(心の方だ)を持ちたかったので、待ち合わせの二時間前にロビーに着いていたのだが、何故か女王蟻は俺がロビーについてからさほどの間を置かず、ホテルから降りて来て、彼氏さながらのセリフを述べている。魔法で探知されたのだろうが、その規模と精度にしみじみとした「原作最強」を感じた。
それにしても、彼女の仕事は既に終わったのだろうか? 促され乗り込んだエレベータは、45階を指している。バーのあるフロアだ。完全に食事が始まる流れになっているが……。
不可解に思いつつも、その背に従うしかない身の上である。黙って女王蟻の背中を眺めて、上昇するエレベータの停止を待つ。
彼女の今日の装いは、女性的なデザインを極限まで廃したフォーマルドレスだ。背面にはレースのデザインがあったが、全体の印象としては格好良いと形容すべきかもしれない。
恐怖というフィルターを除くと、その背中が華奢に見えて驚いた。白い生肌が見えて、途端に生を感じる。彼女は指先一つで空間断絶とかもできてしまうが、正真正銘、きちんとした生き物なのだ。
そう……だよな。この人も――人間、なんだよな……。
「どうした? まさか私に見惚れているのか?」
「それも、あります」
「素直なやつめ……。フフ、では何を考えていた?」
「あなたが、生き物なんだと思って……」
「フ、アハハハッ!! キサラギ、お前……!」
彼女は場にそぐわない大声で笑うと、俺を振り返った。ドレスの裾が翻る様は優雅だったが、彼女は腹を抱えて笑っている。
俺は自分の失言に青ざめた。人としてもかなりデカ目の失態である。無礼すぎる……。
「も、申し訳ございません。おかしなことを言ってしまいました」
「アハハハ……! やめろ! これ以上、ッ、ハハ、笑わせるな!!」
狼狽える俺を見て彼女はさらに爆笑した。命の危機に直面した俺は、冷や汗をかきながら目を白黒することしかできない。
彼女の笑いが収まるまでの間、沙汰を待つ罪人のつもりで俯いていると、彼女が俺の顎に手をかけて顔を上向かせた。
「こら、キサラギ。面白かったが、今のはダメだ」
「申し訳……ございません……」
彼女の指先が俺に触れている。頸動脈が近い。詰みだ。死を覚悟して目を閉じる。拍動がうるさい。全身が総毛立って、焦燥で頭の中が真っ白になる。
ほんの数瞬の間に、即席の走馬灯が浮かぶ。幼少期のこと、これまでやってきたこと。……人を殺してきたこと。
ずっと血まみれの記憶が流れているのに、あのファミレスでの出会いを境に、ミサキと蜘蛛蛇のことばかりが巡った。温かい感情と、貰い物の強靭な心のお陰で、幾分かパニックが収まったのを感じる。
瞬き一度分の時間が経った。目を開く。女王蟻は笑っていた。何処か愉しそう……というよりも、悪戯っぽいと形容すべき笑みだった。
「本当に、お前は変わらないな。それが好ましかったのは確かだが……私も一端のレディだ」
ポーン、とエレベータの到着音。
「こういう時は、こう言うんだよ――キサラギ、今日のお前の服は、お前によく似合っているな。フフ……私のために選んでくれたのだろう? とても素敵だよ」
ちゅ、と軽やかな音を立てて、頬に柔らかな何かが触れる。
「……え。……」
「分かったな? 次からの参考にするように。さて……席は用意してある。窓際の、一番奥だ」
「……は、い」
「ハハ! いつまで呆けているんだ。今のお前は休暇中だ。私の犬ではないのだから、お前には……やるべきことがあるだろう?」
女王蟻の手が差し伸べられる。俺は先日、念の為にとネットで読み込みまくった知識を総動員して、その手を自身の腕に絡めるよう導いた。
「それでいい」
満足げな彼女が、俺の腕を抱きしめる。肩が跳ね上がりそうになったのを、魔法で無理やり筋肉を制御して押さえると、女王蟻はまた笑った。
――こうして俺の人生史上、最も壮大なディナーが幕を開けるのだった。
セ ク ハ ラ(?)
パ ワ ハ ラ
続きは元気あったらまた来月!
鬼のように忙しい時期なのでむりかも!