―1―
インターハイが終わり二ヶ月経った。私こと末原恭子は幾度か目の電車にその身を置いている。宿を経由しての旅であるが。幾度か目であることもあって体にそれほどの負担は無く。むしろ快調ともいえる。
インターハイは残念ながら優勝はできなかったものの、私としては多くの収穫があったともいえる大会になった。なにより、大阪からこうして電車を引き継いで足を運ぶ先ができたことが何よりの収穫であり、今の楽しみの一つでもあった。
「はぁ、海に行ってからあまり会う機会あらへんかったから、どうなるかと心配やったけど、なんだかんだで縁っていうのは続くもんやな」
そう感慨に浸りながら外に見えていた景色が暗闇にスライドする。どうやら最後のトンネルに差し掛かったようだ。見る物もないと目線を下げれば、奮発して買ったお土産が顔を覗かせていて、みんながどんな顔をするかということが楽しみで仕方がなかった。
そこで、鞄にねじ込んでいた携帯が小さく震えているのに気が付いて、数回の内に鳴るのが止まり取りだしてみるとメールが一件。誰からかと開いてみれば丁寧な文字が羅列されている。
【おはようございます。今日の朝に着くという予定でしたね。着きましたら連絡をお願いします】
顔や行動に似合わないけど、小瀬川白望はメール文に関しては一貫してこんな感じの文字を送ってくるので、メアドを交換した後の始めてきたメールを見たときは誰かと思ったほどだ。
「なんやかんやで、小瀬川って親切やなぁ」
日ごろダルいとか、ダウナーな発言ばかり多い彼女であるが、それが他人を気遣った後に出たりすると照れ隠しであることは早々に見破れることで、そこが小瀬川の可愛らしいところでもある。
と、そこで大規模な改行がなされていることに気が付いて下っていくと、最後に一言書いてあった。
【この前言ってた手作りたこ焼きが作れる機械、楽しみにしてる………トヨネが】
「……姉帯をダシに使うなや」
率直な感想を述べると、上げていた荷物を下して出入り口に足を向ける。
出れば、そこが宮守だ。
事の発端に関して手短に説明すると、宮守と私の関係性は大将である姉帯豊音との繋がらりから発生したもので、姉帯と私の間に何があったかと聞かれれば、私はサインの書き方もそうだが、文字を綺麗に書く練習をするべきだということになる。まぁ、今回に限れば清澄大将の件もあるけど、概ねそれが私と宮守の繋がりになったわけである。
その後に二人で海に行くなんてこともあって、その時に今度は宮守に来ないかと提案されて、今回が三度目の宮守訪問となる。
駅に降りても人はまばらで、私はぽつねんと残されたように立ち尽くしていた。何度来てもそうだが、この誰もいないような雰囲気はあまり好かないのである。
人、できれば早く知り合いに会いたいという気持ちは携帯に手を伸ばさせ、すぐさまに到着した事を打ち込むと、改札を出てすぐのベンチに腰を下ろすことになった。
もう十月に差し掛かること、流石にだんだんと寒くなってきたなと思いつつ、少しばかり重い上着を脱いで一息吐いた。
最初に来た頃に比べればえらいほどに体力に余裕がある。一度、東京に宿泊してから来るようにしたのは二回目からである。学校が終わる金曜日に新幹線に飛び乗って東京、一泊して始発に乗ってここまで来る、なんだかんだこれが一番体に負担の無いプランだったりする。
一回目は大阪から一気に来る手段を取って、到着したのも夕方だったし、連絡したところで眠りこけてしまい、ベンチで寝ているところを背負われていったのは、正直思い出したくもない失態であった。
「しかし、あの時は宮守メンバーのメアドなんて知らんかったからなぁ。姉帯にしか連絡できへんかったわ」
「そうだね…」
「そうね」
「ソウデス」
「だねっ!」
はて、先ほどまでは人がまばらだと思っていたのに、私の背後から四人四色の言葉が掛けられる。振り向くとウェルカムボードよろしくなホワイトボードを持った影に、ダルそうに肩を下げている影に、モノクル装備の影に、ちっこい影があった。
「今、ちっこいって思いましたね」
「そうやな、だってちっこいやん」
「失礼ですっ!」
そう鹿倉胡桃は癇癪を起して、私の腰のあたりをポカと叩いてくる。だってちっこいもんはちっこいやろ、仕方ないやろ。ちっこいんやから。
「前回みたいなことになってないか心配で、少し前からあそこで待機してたよ」
「あそこって、公園やん」
「結構寒かった」
少しばかり上気した頬でそう告げるのは臼沢塞で、その顔は私の荷物の量を見て予想外といった具合になっている。前回の経験でさすがに学ぶわ……
「コンカイ、オミヤゲスクナイ?」
「そうや、今回はみんなで楽しめるんもん持ってきたんや」
「オー、コレガウワサノタコヤキマシン?」
紙袋の中身を見下ろしていたエイスリン・ウィッシュアートはキラキラした目で私を見上げる。前回のようにホワイトボードを使ってお土産多すぎと言われるのはどうにか避けた。
「これで作るのか……ダルぃ」
「今回は交代制でいくで、だから小瀬川も頑張るんや」
「…塞が作ってくれる…はず」
そんなことを言いながら小瀬川白望は、臼沢に期待の視線を浴びせていたが、彼女は気にする必要もないと私の手にあったお土産をやんわりと手に取った。
眼だけで礼と了解ができるくらいに、私は宮守のメンバーと関係を深めているわけである。
「ところで、あと一人おらへんけど、あの目立つのはどこにおるん?」
「ああ、トヨネならあそこに」
そう臼沢の指先を追うようにして見ると、そこには大きな影が一つちょこんとあって、やっとこっちに気が付いたと言わんばかりに大きく手を振っている。
大きな子供という表現があるかもしれないが、その満面の笑みと行動を見る限りそれは間違っていないのだなと心の中で思った。
「末原さーん、ここだよー」
「見りゃわかるわ!」
そう投げかけて、私は四人と共に休憩所を出て姉帯と合流した。
短い坂を上りつつ、私は進路に関しての質問をされていた。私は大学を考えているわけであり、最初プロを目指すものだと思われていたようで、進学を考えていると答えると皆驚いた。
「それじゃ、若手プロ認定大会のエントリーはしないんだね」
「そうやな。受験もあるしするつもりないわ。それに私が出るよりプロ目指してる主将と、一緒に出たい言うてる絹ちゃんが出た方がええからなぁ」
今話をしている若手プロ認定大会は、インターハイでベスト8入りを果たした学校を対象に渡される若手プロ試験の登竜門的な大会で、姫松もその対象校になっている。各高校から二人ずつまでエントリーできる大会で、エントリー費用は掛らないと至り尽くせりの大会だったりする。
そして、優勝すれば正真正銘『若手プロ』としての肩書きも貰えるという、将来のプロを目指すのであれば一度は参加するべき大会であり、かなり狭き門であるが一般予選もあって、すでに16人の上位メンバーが決まっている。
現在、姫松の面々の中で大会にエントリーすることになっているのは主将と絹ちゃんで、これはほぼ動くことのない状態だったりする。
「スエハラサンナラ、プロモイケル」
「買い被り過ぎやで。まぁなんや、ありがと」
「恭子、実際強いと思うけど…」
「煽ててもたこやきは自分で作ってや。ちゃんと作り方の教本も持って来たから」
「当てが外れたわね、シロ」
女三人集まれば姦しいとは言うもので、寒く空気の澄み始めた町の中に私たちの声がよく通る。
珍しく賑やかなのが珍しいのか、時々人から視線をもらってちょっとうるさすぎるのかとか、そんなことを思いながらも話は続く。
しかし、そんなこの中で妙に大人しい姉帯に自然と注意が行く、いつもなら最前線無いし、中間くらいの位置を歩いている彼女が、今回はなぜか最後尾に徹していることに、少しばかり思う部分があったのだ。
「姉帯はたこ焼き作ったことあるんやっけ?」
「……」
聞こえなかったのかともう一度声掛けしてみても、姉帯は何か言うような雰囲気はなかった。
無視を決め込んでいるというのは姉帯の性格的に考えられないことで、一同足を止めて待ってみる。
少しだけ開いていた距離がのんびりと縮まっていくのを見る限り、意図的に最後尾を歩いているのではなくて、足が遅くなっているという感じだ。顔もどこか下を向いていて何やら感慨に耽っていると言った様子。
そのまま静かに歩みを進め、やがて次に後ろを歩いていた小瀬川に体が触れた所で覚醒したように顔を上げるに至った。
「わ、シロ、いつの間に」
「いや、トヨネが止まってる私に当たっただけ…、それよりどうかした?」
「う、ううん。なんでもないよー」
大げさに手で否定の素振りを見せながら、率先するように姉帯が先頭になって丁度私の横に立つ形になった。
やはり姉帯はとても背が大きい。見上げてしまうとは正にこのことだろう。姉帯がマッチの箱だとするならば、私はマッチの箱より小さい!という宣伝文句で売りに出される商品のようなものだ。
ちっこいのは……、まぁちっこいからしかたない。
「ところで姉帯はたこ焼き作ったことあるんか?」
「ううん、たこ焼きはないかな。でも薄焼とかそういうのなら作ったことあるよー。薄く伸ばした生地にね、キャベツとかお肉とか入れて、くるくるくるーってやるの」
「クレープみたいなもんか」
「クレープもおいしいよー。そうだ!たこ焼きにイチゴとか合うかな?」
「ロシアンたこ焼きやないかい。買ってきたもので変なもん作るのやめてーや。それに、できればみんなでおいしいもん作ってほしいわ。おいしく楽しく作るんが今回の目的やし、ロシアンは次来た時にしよ」
遠路遙々やってきてロシアンやって帰るというのは、中々に高難易度の旅やないかと思いつつ、姉帯の返事を待っていると、少しだけ間を置いてから、うん、と小さく言葉を漏らした。
やはり姉帯は何かを考えているようだっていうことくらいが、この時の私に気づけたことだった。
「というわけで、たこ焼きを作るわけやけど」
そう高らかに発言するのは宮守の部室で、今自動卓は部屋の四隅へと送られ、一つ大きな机とその上に置かれた簡易たこ焼き機が我が物顔で部屋の住人たちに挨拶している最中であった。
よく屋台で見る業務用の機械と比べれば、まったくと言っていいほどちっこい。しかし、これだけでも本格的にたこ焼きが作れるのだから何気に優れ物である。
しかし、それは初めて見る人々には全く伝わらないようで、まるでひ弱な子羊を囲む様にそれぞれが思う感想を述べていた。
「小さいわねこれ、ほんとにたこ焼きできるの?」
「なんか小さくて頼りない…」
「ナンカガッカリデス」
「これ仲間な感じする、弱そうだけど」
「小さくてかわいいよー」
「へぇ、今回のお土産はこれなのね」
すでに監督兼教師である熊倉トシ先生まで来ている始末である。
「そ、それじゃまずは私が作りますから、見ていて下さい」
そう公言して材料を取り出す。
薄力粉に水、卵に具としてタコにベーコン、ネギと紅しょうがは好き嫌いが分かれたりするから今回は外しておいて、味付けにはソースと鰹節、それに青のりとオーソドックスな組み合わせである。
まずはボールに薄力粉と水、卵を入れて混ぜ合わせる。混ぜ合わせる際にだまにならないように少量ずつやるのが個人的には効率が良い。
人数的には一人当たり八個で、七人だから五十六個くらいに見ているので、材料的には困らないはずだ。
「ちょっと、プラグ差して熱通してくれへん?」
「えっと、これでよかった?」
「OKや」
プラグが入って、卓上たこ焼き機から小さい振動音が聞こえ始める。余熱に五分程度かかるから、その間に使うものをあらかた切り分ける作業に移る。
ベーコンとタコは一口よりも小さめに切り分けて、キッチンペーパーでてるてる坊主みたいなものを作る。これは油を塗るのに使うものになる。小さな小皿に油を入れてそに頭の部分を浸すと大方準備は完了。
「じゃ、手順説明するから。まずはこのてるてる坊主を使って油を塗る、スッと付けるだけでええから、中に油溜まりは作らないように気いつけてな」
みんなが一様にうんうんと頷く。
「次に生地を穴に丁寧に注ぎ入れる。ここで注意やけど少し膨らむことと、具を入れることを考えて縁が残るくらいに入れる感じに調整してや」
部屋の中に油で焼き上がる生地の音が広がり始め、食欲を誘う匂いが漂い始める。すでに数名は、ほぉ、はぁ、うまそう、なんて感想を漏らしているわけで、このたこ焼き機に抱いていた印象が丸変わりしているのがわかる。
「で、次に具を入れる。そして竹串を使って縁をなぞりながら、外側が焼けたかどうか確認する作業やけど、これが癖ものやから頑張ってや」
具を入れて外側が焼けたのを確認すると手早くひっくり返す。そのままコロコロコロコロ焼き上げて皿に乗せる。形も崩れず見事にふんわり丸い形を保った近年稀に見る出来(末原恭子的累計)のたこ焼きが出来上がる。
「サスガオオサカ!」
「普通にうまいっ!」
「おいしい…」
「これの後に作るとか、何の罰ゲームよ」
「やるわねぇ」
五人からそれぞれ評価の高い声を頂き、私は心の中で大きくガッツポーズした。
言いだしっぺができなくてはだめだと、この一週間、たこ焼きの練習を続けた甲斐があったというものである。
「そんなわけやから、みんながんばってや!」
一番手エイスリン。
「ガンバリマス!」
出来あがったのは全てが繋がったたこ焼き?みたいなものだった。生地の入れ過ぎだった。
「ムズカシイデス、デモタノシイデス」
二番手小瀬川。
「ダルぃ…」
出来上ったのはなんだか台形の形をしたたこ焼きだった。生地の量が少なかったようだ。
「……ハズぃ」
三番手臼沢。
「さァ、かかってくるがいいよ」
出来上ったのはちょっと中身が顔を覗かせているたこ焼きだった。ひっくり返すのが少し遅かったようだ。
「うーん、でも初めてにしては上出来じゃないか……たぶん」
四番手鹿倉。
「いくよ!」
出来上ったのは見事にたこ焼きの形をしたたこ焼きだった。つまり成功である。
「相性抜群だ」
五番手姉帯。
「私の番、いくよー」
出来上ったのは焦げたたこ焼きだった。焼き過ぎてしまったようだ。
「失敗しちゃったよー」
最後に熊倉先生。
「うまくできるかね」
出来上ったのは……どう見てもたこ焼きだった。
「久々だけどうまくできてよかったわ」
こうして集められたたこ焼きが机の上に並べられる。
ダルぃと何度も何度も言っている小瀬川の姿を臼沢がからかって、繋がったたこ焼きを串で器用に鹿倉が分けていき、それをエイスリンが食べる。
みんな互いのたこ焼きの出来に何か言っては食べつつ笑い合っている光景に私も釣られて笑顔になるというものだ。
熊倉先生も自分の作り上げたたこ焼きを食べつつ、姉帯にも分けてあげると言った具合にみんな各々のたこ焼きを食べあっている。
こうしてたこ焼きを作るっていう計画は成功したと言えて、私は手早くみんなに作ったたこ焼きを渡して、みんなの物を一個ずつもらう。
そう、ここまでは良かった。
いつもの癒しみたいなものの延長で、私はみんなと一緒にたこ焼きを食べたっていう有り触れた思い出を胸に大阪に帰るだけのはずだった。
そう、そのはずだった。
「ねぇ、恭子。ちょっといいかしら?」
モノクルの奥、その瞳を鋭くしながら私の横に臼沢が腰を下ろす。その手に持った皿にはたこ焼きはほとんどなく、小瀬川を見ると多くのたこ焼きが乗せられていた。
「なんや、たこ焼き小瀬川にあげたんか?」
「まァ、色々あってね」
何か話があるというのはすぐにわかった。それも、少しばかり困っているといった具合だ。
「なんかあったんか?」
「何でそう思ったわけ?」
「いやいや、あからさまなタイミングで横に腰かけしといて、そりゃないわ」
「それもそうだね。まァ話があるのは確かよ」
そう観念したように漏らすと、耳打ちしてくる。少しだけ耳に掛る息にくすぐったさを感じつつも、その言葉を待った。
「トヨネが、何か悩んでるみたいなの。みんなも気にはしてるみたいだけど……」
姉帯が悩んでいること、やっぱりみんな感づいているようだった。というか、姉帯のあの態度で何かあると考えられないのは、それ相応に問題ではある。
これに気づかないって言うのは麻雀をやっていて聴牌した瞬間から黙ったりとか、よく喋る様になったりとか言う相手と何十戦も戦って気づかないとかそんなレベルのことだ。
「うちらが聞こうにも、ちょっと測れなくてね。こんなことで頼るのは悪いと思ってるんだけど…」
測れないというのは何とも違和感のあることである。多分だけど、姉帯が悩んでいることを直感的に自分たちに関係のある出来事と読んでいるのだと思う。
ここまで頼りにされているというのは、個人的にうれしいことではある。あるけれど、その問題に私が手を出していいのかどうかがわからない。
ただ、姉帯が悩んでいるというのであれば力にはなりたい、これに偽りはない。
「私でええんか?」
「恭子だからよ」
臼沢の瞳は真剣に私を見ている。信用しているとその目は語っている、語っているからこそ私はその言葉に応えざるを得なかった。
「せやな、できる限りやってみるわ」
「ありがと、っていうわけで、たこ焼き頂き!」
臼沢はしめしめと私の皿からたこ焼きを奪って頬張り、私は小さく溜息を漏らした。
私がどこに泊まるのかということは、宮守メンバーにとっては面白い楽しみのようなもので、二回目から厳正なじゃんけん勝負によって決められている。
ちなみに今日のじゃんけん対決に勝利したのは姉帯で、私は今姉帯の家にその身を置いていた。
正確には熊倉先生の家らしく、通された居間には小さな炬燵が中心に設けてあり、そこから手を伸ばせば大抵の物に手が届くように物が置かれている。
なんというか、ここで一日中炬燵生活をする熊倉先生の姿というのは、中々に想像できそうになかった。
「ああ、豊音。今日はちゃんと部屋の布団で寝るんだよ。いつもみたいに炬燵で寝たらだめだからね」
「ううっ、わかったよー」
どうやら、この炬燵周りの配置は姉帯によるものだったらしい。しかし、この巨体でこたつの中に果たしてすっぽり埋まるのだろうかとか、そんなことを考えていると熊倉先生から声が掛る。
「ちょっと、買い物に行ってくるから、豊音と留守番お願いできるかしら?」
「はい、わかりました。御気を付けて」
「二時間くらいで戻るから、その間よろしくね」
そう言葉を残して玄関の扉の開閉音の後、少しだけ部屋の中に静けさが蔓延した。
さて、こうして二人きりになったわけで、先ほどの臼沢の言葉がすぐに頭をよぎる。どういう天の周りか、誰もいない空間で姉帯と二人きり、すでに質問をする環境は整っていた。
朝から姉帯が何か悩んでいるのはすぐに理解できたこともそうだが、まるでこうなる様に仕組まれていたようで、少しばかりきな臭い物さえ感じる。
ただ、姉帯が悩んでいるのならその力にはなりたい、それは何度も言えることだ。
だから、私は単刀直入に切り入ることにした。
「姉帯、なにか悩みごとでもあるんか?」
なんの前触れもなく出てきた私の言葉に、お茶の準備を始めていた姉帯の動きがぴたりと止んだ。止んで少しばかりしてからその目はグルグルとせわしなく動き始める。
「な、悩み事なんてないよー」
「嘘はあかんで、いつもなら真っ先にお土産を確認しに飛んでくるのに今日は来なかったし、なによりもみんなと一緒にいる中で考え事してはるなんて、姉帯にしては珍しいことや」
そう指摘されて姉帯は困ったように慌てる。
口々にお土産次は何かなーとか、そう今日はどんなことしようか考えていた、と言葉が返ってくるがそれら全てが嘘であることは明白であった。
そんなことで臼沢や他のみんなが声を掛けるのを断念するわけがないのだから。
「姉帯が話したくないんやったら別にええよ。無理して聞くのも悪いことやからな。ただ、私もそうやけど、みんな心配しとる」
「みんなが?」
「そうや、臼沢に頼まれたん。姉帯の様子がおかしいから聞いてくれへんかって、姉帯一人で悩むんもええけど、答えが出ないんならみんなを頼ってええんや。もちろんうちも力なる」
それが友達ってものだ。私はそう思っている。
「末原さん……えへへ、一人で悩み過ぎてたよー」
私の言葉に心動かされたのか、少しだけ悩む様に目を細めてから姉帯は口を開いた。
「熊倉先生のことで、悩んでるの」
「熊倉先生のこと?」
姉帯は頷いて答えた。
「先生と何かあったんか。も、もしかして、水面下で喧嘩とかしとるんか?」
そう考えると、二人ともすごい演技派やなぁ、昼間のたこ焼きの光景からはそんなの感じなかったわ、とか感心しているとそれは違うとすぐに否定が入る。
「ち、ちがうよー。私と先生は仲良しだから、喧嘩してもすぐ仲直りだよー」
「じゃあ、なにがあったん?」
その言葉に姉帯の表情が急に曇る。目尻に涙が溜まっていき、下を向いたままに口を開いてくれた。
「この前、熊倉先生の電話を聞いて……」
―1週間前―
末原がまだ姫松高校でたこ焼き作りに精を出していた頃、宮守の一同はいつも通りグダグダと部室で時間を潰していた。
適度に麻雀をして、適度に本を読んで、適度に話をして、ただただ優々とした時間を過ごしていた。
「うーん、ちょっと早いけど今日は帰ろっか?」
そう提案したのは臼沢で、もうやることに関して新しい思い付きもなくなってきた一同は、静かにその提案に乗る。もうそろそろ準備が必要だろうと準備されたストーブがいつ使われるのかという話題が最後の肴で、牌を仕舞い電気を消す。
もう十月に入ろうという頃で、外の寒さは校舎全体に広がっていた。そろそろ本格的な秋が来て冬が来ることを予感できる。
「紅葉狩り、今年も行こうか…」
「いいわね。トヨネも一緒に行こうよ」
「紅葉狩りって、見るだけなのになんで狩りって書くのかな? 不思議だよー」
「モミジモミモミデスネ!」
「エイちゃん、それ危ない!」
そんな季節の節目、今年で三年生ということもあり進路などに色々考えが向く頃合いであるが、五人がそれを気にしている気配はなかった。
それに一週間後には末原がやってくるということもあって、そのことも五人が持っている共通の予定と言えた。
「そう言えば恭子が来るの、これで三回目になるわけだけどさ」
「インハイ終わってまだ一、二ヶ月しか経ってないのに、よく足を運んでくるよね…」
「これもトヨネの勧誘のおかげだね。間違いないよ」
「そういう言い方しないでよー。末原さんとは友達なんだから」
「ソウルフレンド?」
「熊倉先生ともすぐに打ち解けて、恭子なにげに社交性あるよね」
「そうかな……」
「シロは餌付けされたようなものだもん。仕方ないよー」
懐かしむ様に話をしながら至る分かれ道、それぞれが向かうべき方角に足を向ける。姉帯の家には熊倉が先に帰っており、今日は珍しく部室に顔を出すことがなかった。
それがあったからかもしれない姉帯の帰り路の足はいつもより、少し速めだった。
見慣れた玄関に至ると音を立てないように静かに中へと入る。驚かせてみようという子供のような好奇心からの行動だった。
踏みなれた廊下を進み、居間から聞こえる声に帰宅していることを知ると、そのまま忍び足で入口へと足を寄せた。
「……そうですか」
そのトーンの低い声に姉帯は動きを止めて、静かに聞き耳を立てていた。
姉帯のイメージの熊倉というのは、いつも明るいものでこうしたトーンの声はあまり聞いたことのないものだった。
「はい、そういう約束でしたから…」
何の約束かと姉帯は考えるが、熊倉先生の返答の言葉だけではそれらすべてを図るのは難しく、若干秘密を知るということに興味が移り、そのまま聞き耳を立て続ける。
楽しい話ではないということは口調から概ね予想ができていただけに、その先も彼女のトーンは低いままで、相手の言葉に対してその通りですねと、まったく否定する構えや対抗すると言った言葉の節も見受けられない。
時間にして五分程度の話なのだろうけど、聞いている姉帯には長く長い時間にさえ感じられる。自然と悪い予感が何故か募って、その発生源がまったく掴めない恐怖が生まれる。何事もないようにと姉帯が祈る中、電話はやがて終わりを迎えようとしているようで、もう話すこともないというように熊倉先生は言い切った。
「はい、一度帰ります……それが本家との約束ですからね」
その言葉に姉帯に電流が走る。体中の硬直もそうだったが、自身の耳に届いた熊倉の台詞の信憑性を疑っていた。一体どういう意味なのかということを聞くべきなのだと思ったが、それを聞きに行くには今の状況はとても悪いものだと姉帯は思う。
なにせ、身を潜めて盗み聞きをしていたということもあった。これがドラマであるならすぐに戸を開いて話を聞くという選択肢もあった。あったが、姉帯にその選択肢は無かった。聞こえる電話の置いた音と熊倉の大きな溜息に負けて、それをすることは叶わなかった。
結局、姉帯は静かに一度玄関まで戻り、小さく深呼吸してから扉を開けて今帰ってきたばかりである様に振舞った。
一度仕切り直しすれば聞けるだろう、そんなことを姉帯は考えていた。いたが、出迎えた熊倉はいつも通りの熊倉であり、先ほどの電話とのギャップに切り出すことができず、末原が来るまでに至った。
話の流れを整理してみると、どうやら熊倉先生は一度実家に帰らなくてはいけないようで、その中に出た約束という単語を聞いて姉帯は一人で考え込んでいたらしい。
なるほど、それはみんなに話せへんよなと、心の中で頷いた。
不安の種というのは他人が決めるものじゃなくて、その見た本人が決めることだ。
姉帯が不安の種と思ったそれを話さなかったことに、なんら間違いはない。
「そっか、熊倉先生が実家に帰るってことやな。それに約束か、結婚とか?」
「結婚とかの電話なら、熊倉先生笑って受け答えしてると思うよー」
「たしかにそうだわ。あの人なら式場とかの話でドンドン主導権握ってくイメージやし……どちらかというと姑やしなぁ。ただ、直接聞いてみないと、これ以上は図れへんわ」
それが私の出した答えだ。ここで推測しても構わないことかもしれないけれど、結局本人に確認を取るのが一番手っ取り早いし、なにより確実だ。
そこで拒まれたら、その時はもう一度考えてみればいい。どちらにせよ、私としてはこの不安の種の正体が、不安かそれとも杞憂かを調べる義務があると思っている。それが臼沢から頼まれたことの終着点であると思えるから。
と、そこで私が難しい顔をしていると姉帯が表情を解した。まだ目尻に涙は溜まっているものの、先ほどに比べて元気が出たようである。
「末原さんに話して、ちょっと落ち着いたよー」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。しかし、みんなに相談してもよかったやで?」
「みんなに話して大騒ぎになると思って、私一人で考えちゃって、でもみんなに心配かけちゃった。だめだなー私」
「まぁ、二度目は言わんから。この件はうちにちょっと任せてくれへんか。ちゃんと熊倉先生に聞いておくから」
「うん、ありがとう」
そこから熊倉先生が帰ってくるまでの間は当たり触りの無い時間が過ぎた。時間が過ぎて、夜になって、三人で夕飯を作って食べ終わると、私はどうやって話を切り出すべきか、そんなことばかりを考えていた。
そして、深々とした夜がやってきた。
居間の中、すでに私を信じて姉帯は違う部屋で眠っている。
目の前に座る熊倉先生は、いつも通りにお茶を入れて啜っては、ほぉっと温かい息を漏らすだけで、さほど変わった印象はない。
「それにしても、恭子も三回目になるけど、ここにはもうすっかり馴れたものね」
「みんなが案内してくれますし、なにより私自身、ここに来るのが楽しみですから」
「そう言ってくれると嬉しくなるわね。これからもみんなと仲良くしてね」
「もちろん……ところで、熊倉先生はどうして宮守にやってきたんですか?」
「そうねぇ、赴任が決まったからっていう理由じゃいけないかしら?」
「熊倉先生は教師としてここに来たって割には、いろいろとやることやってるじゃないですか。特に姉帯のことなんて、まるでここに来るまでに宮守の麻雀部員の数を把握してたみたいですよ」
「そうね、宮守の麻雀部の人数が三人しかいないって言うのは知ってたけど、豊音を見つけたのは偶然みたいなものよ」
そう静かに答える熊倉先生、どこか思った事があるのか天井を見上げた。
「みんな、私にとっては一番大事な教え子になるだろうからねぇ。卒業を思うと名残惜しくもなるよ」
「名残惜しいって、まるでどこかに行くみたいな言い方ですね?」
「それを聞くために、わざわざこんな時間まで起きてたんでしょう?」
空気が一気に固まった。
すでにそういう見当を持たれていたということだろうし、やはり私はまだまだ子供だと思わざるを得ない。
今の状況、それを理詰めしたように熊倉先生は言葉を紡ぐ。
「あの豊音がこんなに早く、恭子が来てるのに眠るから何かあるだろうと思ってたけど、そう、話を聞いたのね」
「やっぱり、姉帯が話を聞いてたこと気付いてたんですか」
「それはそうよ、居間のガラス戸越しに大きな帽子が顔を覗かせてるものだから、ちょっと電話中に笑いそうになってしまったくらいねぇ」
それは何ともおまぬけである。しかし、この人のこのポーカーフェイスっぷりは一体なんだろうか。いやどちらかというとこれは鉄仮面とかそんな領域にさえ感じる。
あらゆるものを切り離したうえで話をしているとしか思えない。バレているとか、核心に迫ってもこの人の仮面というのは簡単に崩れるものではなさそうだった。
しかし、小細工も何も必要ない状態というのは好都合で、私の聞きたかった質問、つまり核心を尋ねることにする。
「それで、熊倉先生は実家に戻るんですか?」
「そうねぇ……」
茶を濁す様に熊倉先生は手を後ろへと伸ばした。そこには姉帯の物と思われるそれが置いてあり、そのまま無造作に取りだして机の上に置く。
こんな夜中にそれを取り出すとは一体?
「ちょっと、話が長くなりそうだから、十七歩でもやりましょう」
そう、熊倉先生は笑って提案してきた。