麻雀牌の見方
萬子は漢字数字
例:四=萬子の四
索子は全角アラビア数字
例:4=索子の四
筒子は記号数字
例:④=筒子の四
三元牌、風牌は漢字で表記します。
牌の間違いを訂正しました。
先にお読みになった方々、申し訳ありませんでした。
十七歩とは、通常の麻雀と同じようにまずは山を四つ積み上げることから始まる。
対戦人数は二人で行い、親を決めるための行為はじゃんけんでも、サイコロでも構わない。親に決まったものは自身から見て上家下家のどちらかの山の一枚を捲る。
これが表ドラ、つまりドラ表示牌になる。
そして、目の前にある山を開きそこから手作りをする。山の枚数は三十四枚、この中から自身が考える一番の手を作り上げる。
「こんな麻雀始めてです」
「二人しかいないときにやる暇つぶしね。姫松は部員の数が多いから、やることなんてあまり無いと思うけど」
末原、この時は初めてやる十七歩のルールに翻弄されることになる。
この十七歩には規定されたルールがある。
まず和了るために満貫(十七歩では符計算を行わないので、四飜で満貫)以上の手を作る。三十四枚もあるのだから基本的な安い手は網羅可能であることの必然である。ただし最初に出た表ドラは一飜として数えられるが、裏ドラは含まない。開局時には立直を掛けること。
また、天和・地和・人和・ダブリー・海底・三槓子・四槓子・嶺上開花・槍槓・門前自摸和・流し満貫が存在しないこと、そして鳴き行為の全面禁止などがある。
また、どうしても配牌に恵まれず満貫以上の手を作り上げられない場合や、聴牌ではなくノーテンのままゲームが始まったとしても、立直によるチャンボは存在しない。ただ、その局を歩き切らなければならなくなる。
そして、互いに十七牌を出した時点で流局となる。
以上がルールである。
デモンストレーション、熊倉が親でスタート。ドラ表示は{6}、つまりドラは{7}である。
熊倉の手牌
{四四四④④444中中北北北}
立直、対々和、三暗刻が現在確定している役であり、ここに追加されるのが中か三色同行のどちらかという手である。
中で上がろうと三色同刻で上がろうと跳満が確定しているため、最低満貫の条件を満たしている形になる。
一方の末原の手牌
{一二三四五六④⑤⑥4577}
立直、平和、ドラ2が確定、高めの{6}が出れば三色同順が付く手。高目の三色同順が絡めば跳満に届く手となっている。
「それじゃ、まずは立直」
熊倉の第一打は{發}である。
次に末原に番が回ってくる。
「えっと、立直。これでいいんですか?」
「ええ、それでいいわ」
末原の第一捨て牌は字牌の{東}になる。こういった特殊条件の麻雀は初めてであるからか、その捨て方はいつもの麻雀に似ている。
だからであろう、それからわずか二巡後、三巡目のことである末原の手から{中}が零れた。
「それよ、ロン」
「…{中}は通りませんか」
「残念だけど、こうやって和了ったら裏ドラを確認する。こんな感じのゲームになるわ。とは言っても点棒計算なんてするつもりもないから気にしないで大丈夫よ」
やんわり語る熊倉、その様子を見ながら末原、このゲームが提示されたことの意味をうすうす察する。
部屋の中に漂う空気は、いつの間にか澄み切っている。まるで研いた刃物の様な空気、気を抜くとそれに精神を切り刻まれる様な錯覚を覚えるほどに。
「条件はなんです?」
「そうね、十回中に一回でもいいわ。私を和了らせずに終わらせれば、恭子の勝ちというのはどうかしら?」
熊倉は自信満々に語る。
モノクルを外し、後ろに蓄えた髪を少しばかり弄ると、先ほど和了ったばかりの手牌を伏せて一気に混ぜ始める。
すでに勝負は始まっている。末原はそれをすぐに察して、山を積み始めた。
第一戦、先制後攻を決める権利は末原に委ねられ、後攻を選択。ドラは{白}となる。
(このゲーム、完全な運ゲーや。ずっと避け続けるなんて偶然が続けられるほど甘くない、特に序盤はそれが顕著、十回の内に一回も上がれないなんてこと、早々あるわけないんや)
その考えを現す様に、末原の手牌は合理性、待ちの多さを重視した形を取る。
末原手牌
{一二三四五五五六七八白白白}
待ちは{一三四六九}の変則多面を模した形となる。
勝負開始、熊倉の第一打は{③}。一発を避けるため、ここは末原も同じく{③}で場を凌ぐ、適度な打ち回し、次いで出た{七}に対し同じく{七}を打ち出す。
(両面待ちは麻雀の基本や、それを熊倉先生だってわかっとるはずや……、つまりこの{③}の筋、もしくはその辺りを出してくるんやないか?{四}はまだ下目が出とらんから、厳しいか?)
末原の推測は当たることになる、次に熊倉が出した牌は{⑤}、開拓的な討ち方である。
ここも末原{七}を切って凌ぐが、同じように熊倉は前回と同じく{⑤}切り、ここで末原初の切り出しをすることになる。
手元に残った牌は{四、②②④⑥⑦、124689、東西西北發中}となるが、これから何を切っていくのか、それが問題となっていた。
(前回字牌で当たったんやから、ちょっと切り出し辛い。筒子の出はええが、ここは私も開拓せなあかんか。でも、ここで無理してもしょうがない、{③}の打ち出しから察するにここは……)
末原{⑥}切りを選択、逆筋が生きていた場合はこれでロンだが、それはなかった。
熊倉はノンストップで牌を出す。次に出てきたのはまたしても{⑤}、末原の番が再び回ってくる。
ここで末原、{9}を選択。索子の開拓者となった。熊倉、これに少しばかり驚いた様子、そして再び回ってきた自身の番でまたもや筒子、{④}を放ち末原もこれに合わせ打ちする。
そして次の周、熊倉は{⑧}を選択、それが河へと放たれた。
(まずは自分が開拓した部分で攻めるちゅうことか? こんな当て合い、当たりやすさを重視しての多面、最低でも二個は待ちを作りたいところや、うちでも運よく五面で待てるんやから、熊倉先生も最低両面以上で手を作っとるのは間違いないで)
末原は自身の残った牌を覗きこんで考える。
現在残った牌は{四、②②⑦、12468、東西西北發中}
この中で{②}が重なり、河に筒子が出ていること、下の方での多面張の可能性もあるが、{⑤}が切られていることで両面待ちとしての価値はなく、また{⑧}の目が潰えたことで{⑤}を絡めた三面待ちもなくなった。
(ここまできて、これはないはずや)
{②}を手に取り、末原は河へと放つ。考えた上での麻雀、和了りを優先するとまずしないだろう待ち、それにそんな分の悪い掛けなどないだろうという考えから出された牌である。
しかし、それは絡めとられることになる。
「恭子、それよ。ロン」
「!!!!」
{一二三九九①①②③③123}
「立直、純全帯、三色同順、一盃口……ウラが1乗って倍満ね」
熊倉はそう静かに宣言する。熊倉の持っていた牌、その残った牌の中身はわからない、わからないが捨て牌だけ見てももっと多い待ちを選択できた。
「……{②}単騎? 捨て牌の{④⑤}を使った立直、平和、三色に受けた方が和了りやすいのに、何で{②}単騎……」
「三面だろうと、単騎だろうと出る物は出るし出ない物は出ない。ただそれだけ、それだけなんだよ。たとえ、変則的な待ちにしても、押さえられてたんじゃねぇ。」
それは、まるで末原の待ち牌を理解しているような言い草である。結果はどうあれ末原の変則五面張は単騎待ちに負けたという結果だけが残った。
一気に牌が混じり合う。残った山もすべて飲み込み、第二戦が始まる。
第二戦、親は末原。ドラ表示は{1}、つまりドラは{2}。
そしてこの時になり末原は親の重み、先に牌を切るという行為がどれほどの重圧であるかをこの時になって察する。
今河には何もない状態、しかも相手が聴牌していることは前提で第一打を打たなくてはならないのだ。しかもその手は最低でも満貫となると、重圧が変わる。
この重圧を無視するように熊倉は一手目を放っていると考えれば、末原と熊倉の間にある力量の差が浮き彫りになる。
(どれを切ればええんや……)
その迷いが魔を引き寄せるのか、それとも進んでその魔に入りこんでしまうのか。先ほどの熊倉の第一手がど真ん中であったこと、それが通ってしまったこと、それが末原にその一打を出させる決め手となった。
手掴んだその牌、望を託すように放たれた牌は、河へと辿りつくことなく。
「ロンね」
{三三三四五六⑥⑦⑧2226}
末原が出したのは{6}、その牌で初手振り込みを決めることになる。
「断ヤオドラ3、満貫」
「……はい」
小さく消え入りそうな声で末原は答える。答え、再び山を崩す。山を作る時間のほうが牌を切り出す時間より長いことが一番のショックであった。
(一回戦の{9}切りに驚かされたけど、この一発振り込み、さっきの私の{③}切りでの開始からの影響かもしれないけど、それはあまり良い傾向じゃないわね。私が打っている麻雀は私の麻雀、それに取りこまれるようじゃね)
熊倉はそんなことを考えていた。
目を細め、じっと睨みつけるように末原を見据える。
この振り込みが末原の精神に与えた影響、それは多大なものであった。
三回戦目、熊倉の{北}切りスタートから始まった。一発は避けたものの、六巡後に{東}の単騎牌へと振り込み、立直、七対子、ドラ2の満貫。
さらに四回戦目、末原迷った末の{白}切りからスタート。熊倉は{⑤}で開始。しかし六巡目、熊倉の{西}の三連続落としによる壁づくりの洗礼を受け、{⑥}単騎へ放銃した。うまく抜けようにもそれを抜ける方法がまったく見当もつかない状態である。
だが、そんな末原に光が差したのは五回戦目のことである。
ドラ表示牌は{南}、つまりドラは{西}。親は熊倉、自身の飜牌である{西}がドラであることはうれしいことであるが、来なければ意味がない。このまま見せるところもなく終わるかという矢先にそれは現れた。待ちを変則化し、満貫縛りを一挙に解消する刺客。この上無い好配牌、それを引き入れる。
(これはツイてるんやないか?)
末原の開けた山、その中に隠れていた中で一層の存在感を放つ牌。それは{西}、飜牌、しかも四枚である。
(これはあれやな、さっきの局の{西}三連落し、それがそっくり渡って来たって言うことや)
幾度も表のドラを確認する。{南}、その次は{西}、紛れもないドラ。
この{西}は末原の推察通り、こちらにやってきたものだ。これほど奇麗に持ってこられた{西}をどう使うか、それこそが悩み所でもあった。
(この{西}、どう使うんがベストや?)
{西}を抱えての満貫を作り出すことも一興であるが、それ以外の選択もまた残されていた。
現在、末原の目の前に広がる牌はあらゆる形へと変貌できる形である。
{一一二三四四六六八}
{①①③③③④⑤⑤⑥⑦⑦⑧⑨}
{11488}
{東西西西西發中}
(この場合、{西}を三つ含めての筒子混一色がよく見える……よく見えるところや。ただ、これをわざわざ手牌に加えんでも、満貫以上の手は作れる)
この時、末原の考えは二つあった。一つは{西}を絡めた筒子混一色、そして筒子の清一色であった。
筒子混一色の場合、待ちの数が多いこともさることながら、その打点の高さを含めるにこれ以外の好手はなく、{西}を絡めれば即満貫というお手軽さが生きてくる。
一方の清一色、待ちはそれほど多くない、多くないがこれほどまでにうまいこと筒子を一枚も消費せずに手ができることなど更々ないし、もしも熊倉の手が筒子待ちであった場合、その目を完全に摘むこともできる。そして終局間際になれば、{西}を使った手回しも可能となれば、これを生かさない手はない。つまり、防御と攻撃手、どちらかを選べる形とも言える。
(ここが唯一の決め手、それは間違いないはずや。しかし終盤までのこと考えれば、どんなに待ちが多くても序盤から中盤に掛けて熊倉先生から和了り牌零れることなんてまずないわけやし、そう考えたら{西}を四枚そっくり捨て牌候補に入れて、終盤に壁作りするほうがええかも)
五戦目は熊倉が親である。そう考えるとすでに後出しができるこの場では逃げの形を作るのも一興、ここまで振り込みが続いたこともあり、それを避けることに末原は舵切りをすることになる。
結果、末原が辿りついた手は{①①③③③④⑤⑤⑥⑦⑦⑧⑨}待ちは{①③⑥}となった。
末原が顔を上げれば熊倉はすでに牌を切りだす準備をしていた。その目は真剣そのものであり、十七歩開始前の人の良さそうな空気はどこかへと消えている。末原の合図を待ち、頷きを合図とするとその冷たいままの顔で、熊倉は持った牌を切る。
熊倉の初手、{南}である。それに対して末原の第一打は{一}、リスキーな{一}、そしてこれを見事放ち通す、これでもう一巡安全が手に入る。
その末原を後押しするように二巡目、熊倉から{二}が姿を現す。末原、またも現物を手に入れる。これであと二巡凌ぐことができる。凌ぎきることを前提にもう一度、{一}を放つ。
最初、その打ち方になんら疑問を熊倉は抱いていなかった、いなかったが、次に放った{四}に先ほど切った{二}を出され、その表情が曇る。
(恭子、現物を切り続ける麻雀みたいだけど……)
末原の様子を見つつ、ノンストップで{1}を切りだし、それを見て末原の顔が綻ぶのが見える。たしかにそれは末原の持つ対子の安牌である。逃げるための牌が増えたと彼女は素直に喜んでいるのだ。
その姿があまりにもおかしく見える。戦いの最中に背中を見せて逃げ出すようなそんな戦い方、危険性への意識なんてほとんどしていないと熊倉はすぐに理解する。
(繋がったこと、そればかりに目が眩んでいるようじゃ……、私の仕掛けた問い掛けにさえ、気づいていない、そう考えるべきなのかもね)
この先、熊倉がまるでアシストするように河の枚数は増えていき、末原はそれを幸運と思う様にして歩を進める。{4}が出れば{4}を、現物以外が出れば、溜めていた現物を放つ。そんな麻雀が続きついに二列の河が出来上がるに至る。
すでに十二もの牌が河を作り出したところ、熊倉の十三牌目は{⑧}が切りだされる。
無論当たり牌ではないためロンはできない。ただ筒子が河に流れたということ、それこそが末原の心に安息を与える。なにせ、ここまで一向に姿を現さなかった筒子がようやく顔を見せ始めたのだ。勝ちの目があると思える瞬間である。
ここの十三を越えることができれば、あとは逃げ切りを決め込める現状が目の前に広がっているのだから、当然と言えば当然である。
そしてその十三巡、末原は現物を一つ持っている。
現在残っている末原の牌は{三六六八、8、西西西西}となる。この一巡前に切った{8}が余っているために、ここを軽く凌ぎ、念願の十四巡へとたどり着く。
末原の河
{一一二四四發}
{14東1中8}
{8 }
熊倉の河
{南二四12發}
{東452白8}
{⑧ }
(よし、来たで……)
末原は手の形を再確認する。待ち牌は{①③⑥}、これが出てくるかどうかは熊倉次第であるものの、この局面になり{西}が四枚手中にある。
この先、{西}四枚を落とす。最後まで落し続ける。そして流局までの間、熊倉が放つ捨て牌を眺めていればいいだけ、それが最初に{西}を残した意味、最後の打ち回しの布石でもあった。
「ここまで、よく持ったわね」
熊倉の言葉が静かに部屋を走る。それは素直に褒めている、上からの言葉、この状況で頂きに立つ人間からの言葉である。ここまで持った事、それはこの先一番の困難を知らせる言葉でもある。最後が一番の正念場、そう告げている。
ただ、この先の道筋が見えている末原にはその意図が伝わらない。それをまるで負け惜しみであるように聞こえ、それに対して余裕を持った答えを返す。
「そうですね、これで終わると思いたいです」
「そうね……」
その言葉に重ね同意しつつも、その顔は静かに淡々とした事実を告げた。
「でも、まだあと四巡も残っているわ」
十四巡目、熊倉の打牌は{五}。すでに萬子の可能性を完全に蹴りあげている{五}の切り出しである。その読みは素晴らしいほどに冴えわたっているものだ。
しかし、その難を凌ぐ回数があと三回もある熊倉に比べれば、末原は一打で流局まで全力待機するだけ、そう一度だけ地獄の門を覗くだけの簡単な作業をすればいいだけの話だった。
この局面で残った牌はわずか四種である。この中で可能性の高さを見れば萬子が未だに息をしている。
(ここまで萬子を捨ててある中で、{三六九}の筋で待つ可能性はまだあるわけやし。この{八}も完全にないとは言い切れへん。そんな危ないところ、どうやっても切れへんわ)
そう考えて、目線はその捨てるべき手牌の右側へと動く、そこに並んだ四つの刺客、その姿を再度確認する。
(だからこそ、運がうちに託した切り札を使う時や)
そう、ここで使わずいつ使う、それがこの{西}の使い道である。
そもそも、その選択肢を選んだからこそ、ここに残したのだ。この四枚の{西}、それを使うことになんら不可解なことはない。
(残りは三巡、後は熊倉先生の捨て牌次第、うちの和了り牌の{①③⑥}、拝ませてくれや!)
{西}を掴む。
この先の逃げ切りを確信しているホッとする瞬間、そんな心境で地獄の門を覗く。
ただ、その門は鉄格子越しに見る地獄、まさに観覧専用の地獄、こんなのが広がっているのかと、見物を決め込むだけの場になる……そう末原は考えていた。
なんの躊躇いもなく{西}は切られる。地獄の門を覗く時間だ。
切って、早々に熊倉の捨て牌を待つ。今抱えているだろう牌の殆どは筒子だろうから、出る確率は高いと末原は胸を躍らせていた。
躍らせながら、妙に落ち着いている熊倉の違和感に視線が上がった。
「ねぇ、恭子」
「なんですか、熊倉先生」
そう、注意しなくてはいけない。
「さすがに、これには失望ね」
「……え?」
その鉄格子がちゃんと機能するのかということは、実際に地獄の使者が現れたときだけ試される。
とくに安心しきった観覧者が突然の事態に至り、何かできるわけもない。何せ、危害などありえないと思い込んでいるからだ。だからこそ、その鉄格子がちゃんと機能するのかという疑問すら考えない。
それが鍵も何も掛っていない、ただの形だけの鉄格子であることを知るのは、それが破られた刹那のことだ。
「考えていない。逃げることだけを考えた打牌、避けるんじゃなくて逃げることだけを重視している。考えればその牌に眠る可能性に気づけるはずなのに、それを怠るとどうなるかくらい、少しは想像できたでしょうに」
「な、なんの話ですか。それよりも熊倉先生の番で――」
「ここで終わり、そう言う意味だってわからないかしら?」
その刹那、熊倉の雰囲気が一挙に変わる。重圧とでも言えばいいだろうか、その重圧はまぎれもなく末原にその最悪を予感させるに十分の物であった。
「ロン」
静かに放たれる言葉、机に響く牌の倒れる音、その数十三。順序良く右から左へ、それは紛れもなくよどみない現実として末原の前に提示される。
あの状態、あの{西}を使って和了れる手など、どんなに探しても一つしかない。その可能性を、末原は失念しここに至り思い浮かべることになる。
{一九①①⑨19東南北白發中}
「国士無双」
静かに宣言された言葉に、末原は体を震えさせること以外にできることはなく、前半五局、すべてを使いきって思い知らされた事、それは自身が逃げの麻雀を打っていたという確たる事実であった。
○
惨敗と言ってもいい結果に私は何も言えない状況になっていた。
熊倉先生が席を外している間に、先ほどの手牌を覗きこんで反省という名の後悔をしていた。
放銃、しかも役満国士無双、その中にロン牌である{①}を二枚使われて、残りの{③⑥}も手中でキッチリ握り潰されている。
それよりも、私が敵わないと思った理由、それはその残りの牌と十三巡目の{⑧}切りを見て、選んだ手を変えていれば和了りの目があったという真実であった。
熊倉先生の手に残っていた牌{③④⑤⑥⑦⑦5}
そして十三巡目の{⑧}切り、これを全て重ねていくと分かる。逃げなんて考えず、勝ちへと向かう手にしていれば私は確実に和了れていた。
そもそも、あの場で{西}が四枚も来る事自体が異常事態だということに気付けなかった自身が情けない。四回戦目に熊倉先生がやった{西}三連打、あれはこの布石だったと思われる。見事に私の元に{西}が四枚来た。多分、表ドラを私が見ていたことも、計算に入れていたんだと思う。
清一を蹴って{西}を含めた混一色に受けて待つ。その可能性を考えていたらこの勝負、確実とは言えないまでも、十三~十七巡目以内で和了れていた。
選ぶべきだった正解はこっちだった。
{③③③④⑤⑥⑦⑦⑧⑨西西西}
和了りが{②④⑤⑦⑧}の五面張、熊倉先生が十三巡までに残っていた牌が{③④⑤⑥⑦⑦⑧5}
最後に残る牌が四枚。この中から最後まで器用に回して行っても、絶対に私のロン牌が零れる試合だった。
十七歩が初めてだからとか、そんな言い訳が通用するわけがない。私は国士無双の可能性、それを完全に失念し、考えることを放棄して、現れた{西}四枚での逃げばかりを考えた。そして結果的に振り込んだ。
熊倉先生は席を立つ前に何度か溜息を漏らしていた。私に失望しているんだとすぐにわかる。
残り五戦で私は熊倉先生からの条件を満たさないといけない。勝利条件を達成しなくちゃいけないというのに、もうこの先勝てるビジョンが浮かんでこない。しんどいと素直に思えた。
私はここまで五回連続で負け続けている。いや、ルール説明の時も入れれば六回も振り込みしているわけだ。ツモがない以上、相手からの放銃を以外で和了りがないこのゲームで、相手のツモの所為なんてものが存在し得ない。
果たして、そんな私に勝ち目があるのだろうかと悩んでいると、用事を終えた熊倉先生が戻ってきて、対面に腰を下ろす。
「続き、できそう?」
それはさっきの空気と比べればやんわりしている。もう、やらなくてもいいと言われているようで、それが悔しく思える。思えるだけでも、まだ私は幸せ者かもしれないとこの時ばかりは思う。
「はい、やります」
「そう、もう一度確認するけど、私を和了らせなければ、恭子の勝ちだからね」
もう一度ルールを口にして、牌を混ぜ始める。
そのもう一度ルールを確認していることに、私は何か引っかかるものを感じて、少しだけ十七歩から思考を外す。
六回戦目が始まる。
山を覗いて手を作りながら、熊倉先生の事を考える。
熊倉先生は、なぜこう話をする前にこんなゲームを提案してきたのか、その意図がつかめない。
話せないことなら、きっぱりと話せないと言えばいいのに、なぜか勝負を挑んできた。しかも勝ちの条件がかなり緩和されている内容。このゲームの仕様を思えば一回は成就するだろう条件だ。
それも熊倉先生は何故か好んで単騎待ちをする。デモンストレーションの時は違うけれど、ここまでの戦い全てが単騎待ちだ。普通、こんな当て合いのゲームでそんなことをする理由はない。広く受けて満貫以上を作り上げるのが定石だ。
私からの始まり、牌を切りつつも私は今違う方面に考えを向けている。この局、というよりも先の五局目で正解を選べなかった今の私が、熊倉先生から和了ることなどありえない。圧倒的な力量の差がある。全てにおいて、この人は上を歩く人だ。
手に持った{東}を切って一巡目を凌ぐ、河を見ればノンストップで熊倉先生が{8}を出したところ。当たり牌ではない。
私は色々と考える。
そんな熊倉先生がこうして私を試しているという事は、多分私が知りたい話に関係しているってことになる。これをやる意味があるって事、つまり力量を図る必要があるということだ。
四巡目、{六}を切り飛ばす。これは三巡目に切られた{九}の片割れ{三-六}の筋、これをどうにか通して再び考える。
(もしかして、私は何か勘違いをしとるんか?)
そんなことを考えるようになる。では、一体何を勘違いしているというのか、それを見据えないとこの十七歩で熊倉先生が試そうとしていることの先が見えないと思えた。
「ロン」
「……はい」
出した{7}が当たり牌、やはりその和了り手は単騎待ちだった。それが尚更不可解で、確実に私の力量を図っているのだと理解できる。
この戦い、私に勝利条件を満たす条件が提示されているんじゃないかと、その時になって思う。
第七戦開始。熊倉先生の出した牌は{④}
一回、一回でも条件を満たせば良いというハードルの低さ、そしてある種の法則性、ここまで手に入れた情報をすり合わせるに……
私は問題点が違うという結論が出せた。
姉帯は言っていた。一度戻ると、一度ということは、何かを話すということでまた宮守に戻ってくるということだ。
つまり、その話す内容。それがこのゲームの場を作り出した要因ってことになる。その理由というのがなんであるか、それはわからないけれど、こんなゲームをしてまで私を試す意味があるということだ。
それは多分だけど。
「その{⑤}ロンよ」
「………」
この先にまだ戦いがあるっていう意味の暗示、そして多分問題点の正体が姉帯の考えていたものと違うということなんじゃないかと思える。
八回戦目、ドラ表示は{北}でドラは{東}。
私は山を開いて勝利条件を思い出していた。そう、勝利条件、普通に考えればそれを考えればよかったのだ。
ルールも分かっている。これくらいしか、私にできる手段はない。むしろ、私にはこれが一番と考えられることだ。私がすべきことは熊倉先生から和了りを取ることじゃない、宮守のみんなの不安の種、その正体を確かめること。勝利条件を満たすこと……
心はすでにギアを入れ替えた。さっきまで凹んでいたのに、すぐに回復できるのは自分自身の長所だとこの時ばかりは感心する。
そう、勝利条件を満たせばいいと思いながらも、心でその決定を止める物があった。
(本当にそれでええんか?)
すでに、その判断を信じることになんら問題はない、そう何ら問題はないのだ。ただ、それが分かっているならそれを信じて攻勢に出ない理由はない。
そもそも、私がしているのはなんだ?
顔を上げる。熊倉先生は未だに手を作っている最中だ。そう、私に目もくれることはない。それが溜まらなく悔しい。
(うちがやってるのは……麻雀や。麻雀やってるんや、勝ちたいに決まっとるやないか)
そう考えれば、ここまで譲歩された情報と法則性がある麻雀に対して、避ける選択肢を選ぶこと自体、暴挙、愚問、高みを目指す気の無い成長の無い麻雀。
(うちの中で変えるしかない。熊倉先生の知ってるうちとは違う形、絶対に予測できない、そういった形に……)
ギアの入れ替え、避けることではなく戦う事、それへと切り返した。
出来上がった手と、残りの牌を見ながら、私は準備を終えて顔を上げた。
私の第一打、ここで振ることもあり得る場面、この中から何を切るのかという事が最初の難題。
{一一二五六九}
{13499}
{①②③⑥⑦⑨}
{東白中中}
この中から切り出していく必要がある。熊倉先生がどの手で待つのか。この状況、絶対に通る牌なんてありはしない……、普通なら。そんな考えを頭の隅に抑えつつ、私はこの中から{白}を掴みあげて放つ。
一拍の間を置いて、熊倉先生の牌が切られる。出た目は{⑨}、それを見定め私は手から同じく{⑨}を落す。
出た{⑨}を見て熊倉先生はなにも反応を示さず、そのまま合わせる様に二枚目の{⑨}を出して二巡目を終える。続いて私の番になり、{⑦}を出す。
この{⑦}出しに、熊倉先生の顔が少しばかり変わった。明らかにその出し方に注意がいったという感じに見える。探る様に同じく{⑦}が出される。
それが出た直後に、{⑥}を切り出す。その{⑥}に対して熊倉先生は{南}を切りだし、そのままの流れで私は{中}を二枚落とし、熊倉先生は{南}をもう一枚に{北}を落とした。
そして七巡目になり、私は自身の読みを信じて{九}を切り出す。全く萬子が出ていないこの場面でのこの切り出し、それに熊倉先生の顔が色を取り戻したように、活き活きとする。そう、第一局の時、私の{9}切りを見た時の様な驚きも混じったそんな表情だ。
さっきまでの静かさが嘘の様に、熊倉先生の姿勢が変わった。
「どうなるかと思ったけど、まだちゃんとやれそうね?」
「まだ、諦めませんよ、勝利条件」
「そう。でもここからが本番よ」
熊倉が出したのは現物の{九}、私の手には安牌はない。
{一一二五六、①②③、134599、東}
この中から開拓するべき形になる。しかし、ここで切る牌に迷いはない。私には読みがある。
ただ、それが熊倉先生の罠であるという可能性の方が十分にある。それに気づいた私の動きを読んで、それを変えてくるという可能性も無いわけではない。だけど、ここに至ってそんな変化、変更をするとは思えない。
{六}を放つ。{九}が通ったとなれば普通ならばこの{三-六}の筋は警戒する所だけれど、私はそこを一気に切りだしていく。避ける、熊倉先生の地雷原を私は見定めて避ける。この{六}は見事にそれを避けた。歩を進めることができた。そして{三}が出る。熊倉先生も一歩進む。
次に捨てたのはドラの{東}、リスキーなものだが、これも通る。
しばらくの間、私と熊倉先生は互いにノンストップで牌を切りだし続ける。歩が進む度に、だんだんと見え始める危険牌の香り、やがて五戦目と同じ位置、運命の十三巡目に差し掛かった。
末原の河
{白⑨⑦⑥中中}
{九六東314}
熊倉の河
{⑨⑨⑦南南北}
{九三東311}
{一一二五99①②③}
残りの枚数九枚。
この中に確実にロン牌はあるということ、それは直感で理解できる。問題はそれがどれであるかという事を、決めなくてはいけない。なにせ五歩という長い距離を歩かなくてはならないからだ。
五局目の自分に言い聞かせてやりたい、とてもじゃないけど逃げ切れるものじゃない。面と向かって見定めて避ける考えでなければ、この十七歩を歩き切れるわけがないと。
この中に通常なら通るなんて物があるはずもない、全てが危険牌といっても過言ではない状況、そんな不安はない、それを証明するように{9}を河へと放つ。
熊倉先生は{4}を出す。今回の試合、熊倉先生は安牌系が多い、私の対応が見たいというように牌が語りかけてくる。そう、今回の勝負熊倉先生に攻撃的な雰囲気はない。
対子のあまりとして{9}を再び出す。応答の様に{9}が出てくる。
残り三牌。
ここで私は対子で残った{一}を切る。これが通るかどうかが少しばかりの不安の種である。私の読みがあっていれば通る。合っていなかったら通らない、それが{一}
その{一}の切り出しに対して、正解だという様に{一}が現れる。
これでいいと、最後の{一}を切り出して、熊倉先生も十六巡目に{白}を切る。
そう、次の牌が出れば私の、私の牌を切り出す歩み、地雷原が終わる。
残り……一牌。
末原の河
{白⑨⑦⑥中中}
{九六東314}
{99一一 }
熊倉の河
{⑨⑨⑦南南北}
{九三東311}
{49一白 }
末原選択牌
{二五①②③}
そう、ここが最後にして最大の正念場だ。
自身の手牌を確認する。
萬子の{二五}、私が手に抑えている萬子は完全に目は潰えていない。そして熊倉先生が切り出した萬子は{一三七九}のみ、あの出された{三}は対子で{二三三}、もしくは{三三四}という形であった場合は、その溢れとして{三}が捨て牌候補に入ったと考えれば、この{二五}を切るのは結構なリスクであり、とてもじゃないが普通は切れない。
次に筒子であるが私の手の中には{③}が二枚に{④}が二枚含まれている。特に{③}が三つあるということが少しばかりのネックになる。この{③}、熊倉先生から考えれば生牌、しかも場には{⑤}が一枚も出ていない。序盤に出ている{⑨⑦}は真ん中の待ちを作り上げるために切られた物だと考えれば、この{③}は狙われやすい。{②}も筋が顔を出していないことから待たれる牌になっているとも考えられる。でも、こちらに{③}が三枚もある以上、{②③}、{③④}の構成が難しい事を考えると、ここで切れそうな牌は{①②}のどちらかということになる。逃れるなら壁を利用しての二者択一が理想形。
(そう、普通に考えたらそうなる。けど、あれが偶然だなんて言うのはここまでの流れで無いはずや)
心臓が高鳴っているのがわかる。私の考えた結果、それがあっているかどうかは切ってから分かる事だとしても、これでもしも間違っていたらと囃し立てる心の動きがあるのも確かだ。
それが私にとっての一番の害悪だ。躊躇するな、ここで自分の読みを信じられないのなら、最初からこんな手にするなと叱咤する。
一つ牌を摘みあげる。心から聞こえてくる声、これでホントにいいのか?もしかしたら裏を掛かれているかもしれない、不安を増大させようとする心の声、これは私の弱い心の声だ。
(うっさいんや。ここで読みを変えるくらいなら、最初から考えなんてせん。この読みに掛けて進んできたんや、ここで切り返して振ったらそれこそ大恥、自身を信じられないのに、この先が進めるか!)
抑え込む、私の心に巣食う弱い流れ、それを断ち切る様に手に取ったその牌を一気に振り降ろす。ぶった切るというのはこの事だろう、私にそれを切る事を躊躇させる数々の呪縛が、一気にすっぱりと引きちぎれるようだ。
まるでギロチンのよう、その刃とも言える牌はやがて机の上に大きな音を鳴らして刑を終える。
「恭子、その牌は……なにかしら?」
自信は…ある。そうでなくてはこれを切る理由にならない。
震えの止まった指を静かに外す。彫り込まれたその文様が姿を見せて、熊倉先生の瞳がそれを静かに見据えた。通ったか否か、それを待つ。
私の手に{③}が三枚ある以上、普通に考えれば、壁を考えて{①}を落とす方がいいのかもしれないと思える。でも、私はここまでの熊倉先生の和了りとその規則性を信じることに賭けた。ここまでお膳立てしてくれた熊倉先生を信じて、私は{二}を落とした。
熊倉先生は静かなままだ。その牌にかけた指がどう動くのかで、私の戦いは決まる。いや、正確に言えば、ここで終わりなのだ。
もしも表に倒れたのならば、敗走、そんな未来がすぐに見える。
そんな私の不安を煽るような問いかけが私に与えられる。
「萬子の危険、そんな考えはなかったのかい?」
その質問に対して、私は何も返す言葉はない。ただ、その手がどちらに動くのかだけが今の私の興味、そしてその手は……。
最後の捨て牌を吟味するために残り五枚の牌に触れた。
その熊倉先生の行動の意味、それを理解して、私は心奥へとから大きく息を吸い、そして吐き出しながらに答える。
「気付くのが遅れましたけど、あんな分かりやすくサイン出しておいて、それはないですよ」
その言葉に熊倉先生は一瞬だけキョトンとして、すぐに愉快そうに笑みを零した。そしてその手が掴みあげた牌を切る間際になって私は告げる。
「熊倉先生の牌が通れば、この局は流れですね。通ればですけど」
挑発するように告げた。
○
その言葉はまさに呪縛と言えた。熊倉は手に取った牌を一度戻して、その手牌を見降ろすことになる。僅か五牌という少ない牌、これの中から切りだすという行為、それが突然重圧を持って現れたのである。
(まさか、こんな風に挑発されるなんてね)
熊倉は自身がやった接待的な打ち筋を見降ろして、それに漬け込まれたのだとすぐに理解する。ここで理解した彼女が取る行動を、熊倉は和了り放棄とそう考えていた。勝利条件、私に和了らせないで終わらせる事を達成するにあたって言えば、リスクを分散しての和了り放棄に掛けるのが一番現実的な行為とも言えたからだ。
熊倉と末原の実力には大きな差がある。そう、五局目まではその差は顕著であった。五局目に切った{⑧}、ここで勝ちに行くなら当たるであろうというボーナス的な意味を込めて出された物、それで和了れない以上、末原が熊倉へと直撃しての終わりは考えられない物だった。
しかし、それは熊倉の物差しである。末原はその物差しで測れない成長をし、その成長した部分が戦いから熱の引いた熊倉を苦しめる。熊倉は勝利条件を満たすだけの結果で終わると、楽観的に考えていた。そしてその切り返しのポイント、それは{九}が切られた七巡目。そこから熊倉は安牌を切り、末原の動きを見ることに徹した。その結果がこの選択肢である。
{五七八④發}
この五枚の中に、彼女のロン牌があることを、今さらになって熊倉は察する。
そう、こうした楽観的な考え、それが今の状況を招いているということに心が揺らされる。
(恭子の成長の可能性、それに目を瞑った結果が安牌無しとはねぇ)
自身の手牌に目を向ける。
{5588①②②⑤⑤東東發發}待ちは{①}単騎待ちである。
この待ちを末原は確信していた。だからこそ、末原は{二}を最後に切りだしたのだ。
その確信、それは熊倉の捨て河の第一打にある。
ここまでの局、デモンストレーションの仕様は違うにせよ、熊倉は一打目の隣牌で待っていると、宣言をしていたのだ。第一局は{③}切りの{②}単騎。第二局目は末原の一発振り込みである{6}、もしも第一打が過ぎていれば手持ちした{7}が切られていた。第三局は{北}で{東}単騎であり、運命の五局目の国士無双に至っては{南}の{西}である。一度気づけば、その仕掛けの単純なサインを見れば、避けることなど容易いものだった。末原はそれに気が付いた、頭を回転させればすぐにでもそれには辿りつけたということになる。そして、熊倉を和了らせないでの流局でも勝利条件が満たせることにも気づいた。ならば、待ち牌を抱えないようにリスクを分散させるために手をノーテンにするというのがお手軽な選択肢とも言える。しかし、ここに至って末原は剣を抜いた。
熊倉に見える様に剣を抜いた。
(恭子の手、捨て牌を見れば断么九を絡めた複合手になるのかしら?)
自身の手と全ての河を見る限りで考えられるのは三色の絡め手。捨て牌の{六}はすでに真ん中の三色の完成系を表しての出しである可能性もある。{二}が出ている事を考えると上の{五八}の筋は本命と言えなくもない。
(立直、断么九、平和を入れてという考えなら、この{五八}はもっとも切りにくいわね。{七}も{四-七}の筋、場に唯一出ている萬子の中で、今の持ち牌を含む手は{五六}、{六七}、{七八}、{六八}のどれかになる。もしくはもっと偏った{六六六七}と言った形、三面張の理想形の可能性もあり得るわ)
末原の河
{白⑨⑦⑥中中}
{九六東314}
{99一一二 }
この捨て牌から考えられる理想形満貫手を熊倉は想像する。
これほどに各種牌が切られている状態で混一色や清一色などの形はあまり考えられない。それはここまで通ってきた牌の流れという物があるし、何より今回熊倉は後出しを主流に手を進めて来た。これで最後の最後でフリテンでしたというのはおかしな話である。なら、ノーテン立直のほうが理に叶っている。
(こう考えると真ん中の三色を絡めた形が理想形になりそうね。序盤の{⑥⑦}切りは合わせ打ちに見せかけた切り出しとすれば、手にはすでに{⑤⑥⑦}か{⑥⑦⑧}の形が入っていて索子、萬子どちらかの待ちという可能性が高い。{58}は手牌で抑えているからその待ちで待たれても和了りの目はないけど、もしも萬子で待たれていたら私の手に残ったこの{五七八}はそう簡単に切れない。そもそも恭子は多面張傾向、そう考えると切れないわね)
萬子が安牌という目がほとんど消える。当然のことだ、これほどまでに中張牌が出ていない場では、変則的に待つことのできる萬子の筋を切るのは無謀。
(となると、この{④}と{發}のどちらかってことになるわ)
末原は心底落ち着いているようだった。ただただ、静かに熊倉の切る牌を待っている。熊倉には考える時間が与えられていたが、まるで足元がぐらつく様な感覚に囚われる。
そんなフラフラする様な心境を抑えつけて、残った牌の内の一つ{④}に目を向けた。
({④}が通る可能性…。これも結局のところ無筋の危険牌、それに恭子は私の宣言牌に気付いている。そう考えれば同じ{①}の待ちを加えた{①④}で待つという可能性もある。{④}なら断么九の条件も満たせる。それに確率は低いけど三暗刻と対々和を絡めての満貫、その可能性の方もある。最低でも二面で待てるこの形、これも恭子が選びそうね)
そしてもう一つの余り牌、{發}へと思考が入れ替わる。
(この{發}が通る可能性。今この状況で考えられる満貫の中に{發}を絡めてできる物は少ない。あるとすればまずあり得ない役満四暗刻、もしくは複合役の和了り牌としてこれを絡めてくるかだけど、その目は低い)
理詰めすれば、この{發}が基本的である。
まず役満という可能性で考えてみれば、すでに{東}は全て見えている、この時点で国士無双の目が消える。そして緑一色の目も手牌に入れている{8}でその目も無く、河にはオールグリーンを構成する上では必要になりそうな牌が四枚も溢れている。さらに四暗刻であるが、この流れを見て末原の手に暗刻が四つあるというのは考えられない流れである。
さらに満貫の手にこれを被せてくるという方法だが、{發}が混じるだけで消え去る役が多すぎること、そもそも{發}単騎という時点ですでに満貫が出来上がっている必要があるなど、色々とハードルが高い。
もう一度視線を戻す。
{五七八④發}
(この中で出すなら{發}、これね。さすがに、冷や冷やさせられたけど、ここまで理詰めしたら、これが一番。もしもこれで和了られたら、それは偶然。彼女に運があっただけの話)
そう、こんなもので待たれたら回避することなど不可能と、半ば開き直ることが賢明な選択である。そう、その選択を誰も責められはしないだろう。そう考えて{發}を手に持ち放つ……
放とうとした瞬間である。
熊倉に戦慄、電撃とも言ってもいい衝撃が走り、手が止まる。
自然とその目はその牌だけを見ていた。無様と言っても良いほどに、熊倉は動けずにいる。その視界に映ってしまったその違和感と既視感、それが彼女を縛りつけた。
(なんてこと……)
末原の第一打は{白}、その事実が熊倉の手を止めた。
そう、サイン。宣言牌である。
この末原の捨て牌を熊倉が作り出したという前提で話を進めれば、その和了り牌が何であるかなど一目瞭然である。答えは見事に提示されている。
({發}……恭子は{發}で待っていると告げている)
{發}で待っている。そう告げる様に末原の河は出来上がっていた。捨て牌に溢れている{中}、彼女の宣言を理解すれば{發}以外に当たり牌はない状態になった。そう、この{發}を切る事自体が理詰めの末や偶然の一言では済まされない、そんな状態になったのだ。
(私の宣言を丸ごと読み切って、それを返して来たって言うのかい?)
{發}を出しかけていた手は未だに動けない。そしてもう一度顔を上げて河を見る。
この中で満貫を得ることのできる形は限られていると言った。そう、限られ過ぎている。ここに至りそんな僅かな可能性を信じて{發}を止めるなんて言うのは、不合理極まりない行為である。
だが、同じようなサインを見せつけられてこれを回避しないというのは、おかしな話である。
(私のサインを理解して、それで{發}以外の牌を切らせるつもり? それとも本当に{發}で待っている?)
末原が熊倉のサインを理解しているのは紛れもない事実である。
そして、その手が止まったところを見ている末原は心の中で目を細めた。
(さぁ、熊倉先生。大いに悩んでや、うちがなに待ちかってこと、そのサインがどういう意味のサインなのかって事に)
末原は自身の手に指を掛けたまま、その最後の瞬間を静かに待つ。どちらも静かではあるが、その内面はどちらも燃え盛っている。
(恭子の手を考えれば多面張が濃厚。この白は私の{發}を切らせないための脅し、武力と考えるか。それとも、単純に私のサインを読み切った上での鏡返しか。こんな歳になって、こんな二択を迫られるなんて、思ってもみなかったわ)
苦渋の選択、すでに状況は劣勢だった。上を歩いていたはずの熊倉の足元が揺れている。今まで盤石だったその地面が、今にも崩壊せんと揺れ始めていた。
(恭子、やってくれるわね)
一度{發}を手の中に戻して、再度練り直す。
前に出るか、下がるか。その振子がゆっくりと動き始める。
単騎と多面張、その可能性、打点の高さ、それら全てを纏める。そして末原のサインという宣言。それらを全て統合して、熊倉は決定する。
その牌を手に持ち、迷うことなく河へ指ごと叩きつける。
強打と呼んでも差し支えない音が部屋に響く、末原はその捨て牌をゆっくりと待った。
その指がゆっくりと離れていく、離れて、離れて、その刻み込まれた文様が浮かび上がる。熊倉の顔は真剣そのもの、そして考え抜いた結果からその牌を選んだ。
(こんな状況で四暗刻なんてありえない。そして断么九と多面張を蹴っての複合も同じ)
切られた牌は{發}、末原の宣言牌、{白}が示すロン牌である{發}。
「{發}ですか」
「ええ、これで当たる満貫以上の可能性があるものは役満クラスくらいよ。で、どうかしら?」
熊倉は自身の読みを信じた。この読みと共に落ちることを選んだ。そう、読みを変えて足を外し落ちるより、読みを変えずに崩れ落ちていくことを選らんだ。
「その役満クラスが出にくいって読みは間違ってないと思います。現に私の手は役満じゃありませんから」
そう告げる末原、さらに。
「残念ながら{發}で普通に和了れても、満貫に届かない手です」
そう言葉が繋がる。
足元の揺れが一瞬収まった、そんな気がして熊倉は心底安心した。逃げ延びた……そう思ってしまった。
思ってはいけない、逃げ延びたという感想を抱いてしまった。
そのことを理解したのは熊倉本人であり、それを見抜く様に末原は一呼吸置いた。
「でも、この十七巡目に限って言えば……」
その瞬間、熊倉は理解する。自身もまた逃れることに必死で、一つの役の存在を忘れていた事、そして単騎待ちに必然的になる役の事、それらの点が線で繋がった時、確かに足元が崩れ去る。その衝撃を感じる。
「この手は条件の四飜……満貫です」
その宣言と共に末原の手が表向きに倒される。
「ロン」
一気に開かれた手、それはまさに見落としていた一つの形、熊倉が作り上げた役と全く同じもの。
{白}宣言、末原の熊倉取りはこうして成し遂げられた。
{七七八八③③④④6677發}
立直、七対子、河底。四飜……ルール既定の満貫。
―勝利条件達成―