1. 事件の余韻
実験棟での襲撃事件から三日が経った。
第一高校は表向きは平静を取り戻していたが、裏では生徒会や風紀委員が警備体制を強化し、教員たちの間にも緊張が漂っていた。
事件の詳細は伏せられ、生徒には「不審者侵入」とだけ伝えられている。
放課後の教室。
窓際の席で、エリカは腕を組み、じっと啓太を見つめていた。
「……何か言いたいことでも?」
啓太は視線を外さずにノートを閉じた。
「あるよ。山ほど。」
エリカは椅子を前に引き寄せ、机に肘をつく。
「この前の事件。あんた、なんで私に黙ってたの?」
「黙っていたつもりはない。」
「じゃあ何? 私を守るために一人で突っ込んだの?」
啓太は少しだけ間を置いてから答えた。
「……あの時は、時間がなかった。それに、お前を巻き込みたくなかった。」
「ふーん……」
エリカは不満げに頬を膨らませたが、その目にはわずかな安堵が混じっていた。
2. 不穏な情報
二人の会話に割り込むように、教室の扉がノックされた。
顔を出したのは風紀委員の渡辺摩利だった。
「志賀啓太、ちょっと来てもらえる?」
その声音は柔らかいが、拒否は許さない雰囲気を纏っていた。
風紀委員室に通されると、そこには生徒会長の七草真由美、そして司波達也の姿もあった。
「君の活躍は聞いているわ。」
真由美は微笑みを浮かべつつ、手元の端末を差し出した。
映し出されたのは、実験棟で倒れていた覆面の男のデータ。
名前も経歴も偽装されていたが、その魔法パターンは既知の犯罪組織《黒鉄連盟》の構成員と一致していた。
「黒鉄連盟……」啓太が呟くと、達也が補足する。
「表向きは魔法器具の密売組織だが、裏では人体実験や術式研究のために魔法師を拉致している。」
真由美は真剣な瞳で啓太を見据える。
「そして――彼らは“無下限呪術”に興味を持っている可能性があるわ。」
啓太の瞳がわずかに細まった。
3. 無下限の代償
「……どうしてそう思う?」
啓太の問いに、達也が答える。
「襲撃犯の装備。あれは特殊な波長を持つ干渉用魔導波発生器だ。普通の防御魔法じゃ意味はないが……君の魔法のように空間を制御する系統には有効かもしれない。」
「試そうとした……というわけか。」
啓太は目を閉じ、深く息を吐く。
無下限呪術は確かに絶対防御に近いが、持続には膨大な演算処理と魔力量が必要だ。
しかも、極限まで空間を分割・収束させる過程は、術者の脳神経に大きな負担をかける。
(長時間使えば、意識が飛ぶ……最悪、記憶に欠損が出る)
それは誰にも話していない、自分だけの秘密だった。
4. 訓練場にて
その夜、啓太はエリカと共に第一高校の訓練場にいた。
事件以来、彼女は何かと彼の側にいる時間を増やしている。
「今日は防御じゃなく、攻撃も見せてもらうからね。」
エリカは剣を構え、挑発的に笑う。
啓太は無言で頷き、指先を軽く動かした。
瞬間、エリカの足元に透明な層が幾重にも生まれ、光を屈折させる。
「……来なさい。」
エリカは一歩踏み込み、剣を振り下ろした。
だが刃は、空中の見えない壁に触れた瞬間、速度を失った。
「これが無下限の防御か……じゃあ、こっちはどう?」
エリカは瞬時に剣を回転させ、壁を滑らせるようにして啓太の横へ回り込む。
だが、啓太は動かない。
彼女の剣が届く直前、空間がねじれ、進行方向そのものが逸らされた。
「……ッ!」
エリカは剣を引き、息をつく。
「完全に距離を奪われてる……やっぱ化け物ね。」
啓太は少しだけ口元を緩めた。
「お前も速い。普通なら一撃目で止まる。」
5. 影の来訪者
訓練を終え、二人が校門を出ようとした時だった。
夜風に混じって、微かな金属音が響く。
啓太は足を止め、視線を夜道の先に向けた。
そこには、全身を黒いコートで覆った人物が立っていた。
顔はフードの影に隠れ、ただ一つ、赤い光のような瞳だけが覗いている。
「……志賀啓太。」
低く響く声。
「黒鉄連盟の者か?」
「答える義務はない。ただ――お前の力は、我々に必要だ。」
啓太はわずかに首を傾ける。
「断ったら?」
「その女を殺す。」
言葉と同時、人物の手元から黒い刃が飛び出した。
だが、啓太とエリカの間に、無下限の壁が瞬時に展開され、刃は空中で粉砕された。
エリカは剣を抜き、啓太の横に並ぶ。
「今度は、二人でやるわよ。」
啓太は短く頷き、夜の静寂が再び破られた――。