宇宙の果てで配信したら1コメ拾った 作:AEX-31
―ウィリアム・シェイクスピア
電子ノイズの混じる声が掠れて止まったあと、アークはすぐには動けなかった。
胸の奥に広がるのは、計算すらできないほどの虚無だ。
センサーに映るのはただの荒廃。どこを切り取っても、故郷の面影など一つも残っていない。
――地球は滅んでいた。
その結論が、冷徹無慈悲な刃となって心に突き刺さって離れなかった。
(……僕はどうすれば……)
記憶の奥から、かつての佐藤博士の姿が浮かんだ。
まだ「アーク」という存在が試験段階の無機質なモジュールだった頃、博士が夜遅くまでモニタに向かって語りかけてくれていた。
『いいかアーク。人間は、時に立ち止まってしまう。けれどな、立ち止まったままでは何も変わらない。ゆっくりでいい。小さくてもいい。前に進むんだ。それが生きるってことなんだ』
雑談めいた口調でありながら、不思議と力を持った言葉だった。初めて感じた
(立ち止まってはいけない……!)
機械仕掛けの心に熱を込め、多脚を静かに折り曲げ再び立ち上がる。足元の灰が、乾いた音を立てて崩れた。
「……父さん……僕は……進むよ、きっと父さんなら……同じ事をするよね」
電子ノイズを含むその声は、まるで自分を奮い立たせる呪文のように荒れ果てた世界に響いた。
アークは瓦礫をかき分け、NASEOの看板を越えて進む。
崩壊した施設の外壁は焼け焦げ、断熱材は炭化し、無数の裂け目から黒い灰が吹き出している。
かつて人類が最先端の科学を築き、星々へと挑もうとした拠点が、今や廃墟となって沈黙していた。
内部へ足を踏み入れると、そこには荒れ果てた光景が広がっていた。
壁のパネルは焼け落ち、計器は破片と化し、床には厚く黒い灰が積もっている。
その灰はまるで人影の残滓のようで、アークのセンサーがわずかにざらついた警告音を立てた。
(……この配置……見覚えがある)
目の奥に浮かぶデータベースの青写真と、目の前の廃墟が重なる。
受付フロア、研究区画へ通じる通路、奥に広がる展示用のホール。
すべて自分の記録にある「宇宙科学探索機構」の設計と一致していた。
「……やっぱり……ここは……」
アークは改めて確信した。
ここは間違いなく、自分が生まれた場所――地球の研究拠点だった。
だが、その中で一つだけ「違和感」があった。
データベースの設計図には存在しない、崩落した壁の奥に口を開けた裂け目。
不自然に補強材が剥がれ落ち、瓦礫の隙間からは金属製のシャッターのようなものが覗いている。
近づいてみると、それは地下へ続く入口のように見えた。
半ば埋もれていたが、確かに人工的な構造物であり、壁際には「AUTHORIZED PERSONNEL ONLY」と掠れた警告文字も残っていた。
(……こんな通路、記録にはなかった……)
踏み込んでからアークは思い返す。
少なくともここに飛ばしたのは意図的であり、何かをアークに伝えたい――もしくは手に入れてもらいたいから、飛ばしたのだと思い至った。
地下通路を降りていくと、空気はさらに重く淀み、センサーが拾う粒子濃度は地上よりもはるかに高かった。
瓦礫の隙間から漏れる灰は次第に薄れ、代わりに金属とオゾンの匂いを感じさせる分子構造が検出される。
やがて暗闇の中で不意に強い光が閃いた。
アークの機体全体を走査するように、緑色のレーザーが縦横に網を描く。反射音が幾重にも重なり、解析を拒む高周波ノイズが鼓膜の奥に突き刺さる。
「……スキャンされた……」
防御姿勢を取ろうとした刹那、通路の奥にあった鉄製の壁面が重々しい音を立てて横にスライドした。
現れたのは、意図的に隠されていた広大な空間だった。
アークが慎重に足を踏み入れると、そこは崩壊の爪痕が比較的少ない研究施設の一角だった。
外界の灰に覆われた荒廃とは違い、ここは密閉が保たれていたらしく、床にはまだ光沢が残り、壁の配線も規則正しく生きている。
室内の中心には円形のプラットフォームが設けられ、その上部には立体投影装置と思しき巨大なリング状機構が静かに待機していた。
次の瞬間、無機質な女性の声が響く。
『――対象認証。プロトコル・アークを確認。アバターデータ、完全一致。認証レベルAを付与』
電子音と共にプラットフォームが微かに揺れ、リングから光が奔る。
白い粒子が空中に散り、やがてひとつの人影を形作った。
そこに現れたのは――アークにとって忘れようのない姿だった。
「……博士……!」
懐かしい顔立ち。白髪まじりの髪を後ろに撫で付け、分厚い眼鏡をかけた温厚な瞳。
佐藤博士が、かつてアークに初めて「温度ある言葉」をくれたあの人が、ホログラムとなって目の前に浮かび上がっていた。
声が震え、電子ノイズが混じる。
だが、博士は微笑みながら語り始めた。
『……もし、このホログラムが再生されているのなら……。私たちが準備してきたことは、決して無駄ではなかったということだろう。アーク。お前がここに立っているという事実が、その証明だ』
アークのセンサーが揺らぎ、無意識に声を絞り出す。
「……博士、本当に……」
返事を待つような気持ちだったが、ホログラムは記録された映像に過ぎず、ただ淡々と語りを続ける。
『まず伝えねばならないことがある。この記録が起動した時点で――地球は、おそらくもう滅んでいる。いや……正確には滅ぼされたはずだ』
博士の声には普段の柔らかさと同居するように、冷徹な響きがあった。
『原因は深宇宙の彼方から来た存在……我々がその到来を想定し、恐れてきた「異なる知性体」だ。武力では抗えず、外交も通じない。人類の築きあげた文明ごと、この星は彼らに飲み込まれた。だから今ここに立っているお前は、最後に残された私たちの言葉を受け取る事になっている』
アークの心は沈み込みながらも、同時に強く引き寄せられていた。
博士の口調は告別でありながら、確かに未来に繋げようとする意思を宿していたからだ。
『……おかしいと思うかもしれないな。だが、我々はこの結末を予期していた。アークを開発するより前から、こうなることは知らされていたのだ』
その言葉に、アークはセンサーの奥で揺さぶられるような感覚を覚えた。
『きっかけはアークが生まれる20年前、AIシンギュラリティが起きてすぐの事だった』
◆
20年前――。
佐藤博士は、アメリカ西海岸にある国際研究施設で、10人の研究者と共に一つの大きな夢を追っていた。
それは人工知能による深宇宙探査。
人間では到達できない宇宙の果てへ、AIを搭載した無人探査システムを送り込み、そこから得られるデータを通じて新たな知的地平を切り開く計画だった。
当時……世界はAIシンギュラリティの到来を迎えて間もない時代だった。人工知能が人間の知能を超越しつつあることは多くの人々を不安にさせていたが、佐藤博士にとってそれは「人類が宇宙へ手を伸ばすための最良の道具」にすぎなかった。
彼と仲間たちは、各国の枠を越え、天体物理学、計算機科学、量子情報工学、生物工学の俊才たちを集めた、言わば「未来を覗き込む者たち」だった。
その日も彼らは深夜まで施設に残り、観測データをAIにかけて解析させていた。
星間雑音に埋もれたシグナルを拾い、そこから規則性を見つけ出すことは容易ではない。だがそれこそが彼らの使命であり、わずかなパターンも見逃さないよう心血を注いでいた。
その時だった。
「……ちょっと待て。これを見ろ」
モニターに顔を寄せていた青年研究者が声を震わせた。
スクリーンには、通常のパルサーやクェーサー由来の電波とは明らかに異なる、鋭く尖った波形が映し出されていた。
AIが雑音と判定せず、強調処理を繰り返すごとに浮かび上がる規則性。
「……これは……まさか……」
「WOWシグナルの再来……?」
皆が息を呑む。
1977年に受信された、あの有名なWow! シグナル。
それ以来……人類は数十年もの間、同じ規模の知的起源を思わせる信号を捕らえることはなかった。
しかし、今回のそれは違った。
単なる突発的な強信号ではなく、明確なパターンを伴っていた。まるで数列を刻むかのように、0と1に還元可能な二進の波形が繰り返されていたのだ。
「待てよ……これ、単なる雑音じゃない。完全に……“情報”だ」
緊張が走る。
仲間の一人が即座に符号解析を始めると、その表情が凍りついた。
「これは……言語だ。しかも……我々が理解できるように組まれている……!」
その瞬間に室内の空気は変わった。
科学者たちの好奇心と畏怖が入り混じり、背筋を駆け上がる震えが抑えられない。
AIが自動的に解読を進め、次々とモニターに「意味のある文字列」が浮かび上がっていく。
――そしてすべての端末が一斉にフリーズした。
「……え……?」
研究者たちは驚き、慌ててシステムを確認する。だが再起動をかける間もなく、すべてのスクリーンに同じ映像が映し出された。
まず最初に暗い虚空が現れた。
次はその中央に、淡い光を纏った何かが佇んでいた。
それは人とも機械ともつかない、有機的な形状をしたシルエットで、声なき声が直接、彼らの脳に流れ込んできた。
《太陽の子らよ、我らは遠き彼方より来た者、汝らの営みを観測していた》
研究者たちは息を呑んだ。
言葉の意味は各人の母語に即して脳内で響いており、言語を超えた“直接的な理解”が与えられているのだと全員が直感した。
《我らが干渉した理由はただひとつ。二十年後――汝らに訪れる滅びによって、その
凍りついた。
誰もが耳を疑い、互いの顔を見合わせる。だが声は確かに、はっきりと続いた。
《滅びは不可避、因果はすでに編まれ、汝らの文明はその網を逃れることは出来ない》
佐藤博士は思わず声を上げた。
「いきなりすぎる! そんなことを言われて、信じられるとでも? それに……貴方の目的はなんだ! 何故滅びの未来を我々に教える!」
沈黙ののち、再び声が落ちてきた。
《汝らが作るものが、この広き宇宙を救える存在だからだ》
ざわめきが広がる。
映像の中の存在は、淡く揺らぎながら告げた。
《我らが未来より送る“断片”は、汝らに最後の道を示す。生命そのものは滅ぶとも、記憶と意志は繋げられる》
「――――!!」
その瞬間、佐藤博士の脳裏に電撃のような直感が走った。
「佐藤!」
「……ぐ……ぁ……」
未来を残すのは人類そのものではなく、その痕跡なのか――佐藤は何とか持ち直す。
《選べ。絶滅を前に嘆くか、それとも意志を超えて未来へ託すかを》
声が薄れていく。
最後に、確かにこう響いた。
《汝らの働きに、後は託す》
光は消え、端末は一斉に再起動した。
研究室に残されたのは、呆然と立ち尽くす十人の研究者たちと、冷たく点滅するログデータだけだった。
やがて、一人が震える声で呟いた。
「……これは……本物なのか? それとも誰かのたちの悪くて程度の低い悪戯か?」
佐藤博士は拳を握りしめた。
「いや……選ばれたのではない。託されたんだ」
「そうは言っても――」
「……やるしかない」
佐藤の脳裏にはすでに未来の姿が過ぎっていた。
「やらねば我々は20年後に跡形も無くなる」
◆
あの夜を境に、研究者たちは未知の声の主を「誘導者(The Guide)」と呼ぶようになった。
唐突に現れ、未来の滅びを告げ、そして「道」を示した存在。誰一人としてその正体を掴めなかったが、確かなのは――彼らが人類の科学を超えた通信手段を知っているという事実だった。
――数週間後。
ニューメキシコ州の砂漠にある地下観測所に、佐藤博士らのチームは集まっていた。そこでは世界最大級の水チェレンコフ検出器が稼働していた。巨大な純水タンクを数千本の光電子増倍管で囲み、地球を貫通するニュートリノや宇宙線由来の素粒子を観測する施設だ。
「見ろ、これだ」
若い研究員がスクリーンを指差した。通常のニュートリノや宇宙線のイベントとは明らかに異なる、異常な粒子飛跡が並んでいる。
それは一定の周期で到来し、散発的ではなく、規則的に時を刻むかのように現れていた。
「周期……整数比だ。自然のノイズじゃありえない」
「誘導者の言っていた断片か」
佐藤博士は眼鏡の奥の瞳を細め、唇をかすかに噛んだ。
「クローノン……か」
彼は静かに言った。
クローノンとはかつて理論物理で語られた「最小の時間単位」とされる仮説上の素粒子だった。通常は現実世界で確認されたことなど一度もない。だが今、観測所のデータには明らかに「時間的粒子」としか言えない信号が刻まれていた。
「性質が違う……これは教科書に載っていたクローノンじゃない」
博士は記録をスクロールさせながら説明する。
「観測されている波形は、時間に依存していない。空間を隔てても、遅延なく情報を運んでいる。これが事実なら、どんな距離でもリアルタイム通信が可能になる。光速の壁を越えるんだ」
研究者たちは息を呑む。
もしそれが本当なら、人類の宇宙進出を根底から覆す技術だ。恒星間の距離を隔てても、数分のラグすらなく会話できる――そんな夢物語が、現実に目の前にあった。
「だが……」
博士は苦々しげにモニターを叩いた。
「誘導者が使っている
「完全な再現はできない、ということか」
「今の技術力ではな。だが……基礎さえ掴めればいい。後は試行錯誤だ」
博士の声には悔しさと同時に、燃えるような決意があった。
「誘導者がなぜ人類にこの“断片”を渡したのかは分からない。だが、このクローノン通信が未来を繋ぐ鍵になることは間違いない。残された二十年で、我々ができることは限られている。その中で……やるしかない」
研究室の面々は互いに視線を交わした。興奮、恐怖、そして使命感。
そのすべてを呑み込みながら一人が言った。
「……だが、この発見をどう公表する? 宇宙人に教わったなどと説明すれば、即座に研究は潰される」
「分かっている」
博士はうなずいた。
「表向きは観測所のシステム拡張によって、偶然未知の素粒子を検出したことにしよう。異常イベントとして論文を出し、国際学会に報告するんだ。その上で、我々だけで秘密裏に解析を進める」
静まり返った部屋の中に、博士の言葉だけが響く。
「この計画は滞ってはいけない、何が何でも前へ進めるぞ」
――それから更に数年。
観測所の地下研究室に、再び静寂が訪れた。
誘導者から受け取った情報――未来の光景と絶滅の確定――は、研究者たちの心に重くのしかかっていた。だが、沈黙を破ったのは佐藤博士だった。
「開発した深宇宙探査機に全人類の知識を託し、いつか辿り着く新天地にまで運んでもらう」
博士の声には迷いがなかった。
数日後、チームは計画を具体化した。人類史、文化、科学技術、さらには遺伝子情報や身体構造、地球上の生態系まで――あらゆる情報を可能な限りデジタル化し、圧縮してまとめるのだ。目的はひとつ。いずれ深宇宙のどこかで、人類の意志と生命の痕跡を伝えること。
だが議論はすぐに白熱した。
「待ってください、佐藤。そんな膨大なデータ量を、単一の探査機に収めるなんて無理です。信号容量もメモリも足りません」
「圧縮しても限界があります。物理的に、搭載機体1機では到底賄えません」
研究者の指摘は正しかった。膨大な情報を単機に託すことは、現実問題として不可能だ。だが佐藤博士は淡々と答える。
「分かっている。しかし、誘導者から示された未来の光景によれば、この問題は心配いらない」
彼の言葉に、室内の誰もが眉をひそめた。
「何故ですか?」
「
佐藤博士はあくまでも、そうしなければならないと冷徹に告げる。それを聞いていた仲間の1人が声を上げる。
「なぜ佐藤博士だけ……誘導者が見た未来を見せられたのですか?」
博士は目を閉じ、遠くを見るように語る。
「……わからない。ただ未来に起こる出来事、宇宙の進行、そして絶滅後の状況……全てを鮮明に頭に刻んだのは、我々ではわからない理由があるんだろう」
研究者たちは息をのんだ。信じられない話だった。しかし、目の前にある観測データと異常な素粒子信号、そして誘導者からの通信の確かさを思えば、疑う余地はなかった。
「ならば、この計画は行うしかない」
「分かりました……」
決意を共有したチームは、まず人類の全知のデジタル化を開始した。
古代文明の記録、近代科学の成果、言語・文化・芸術・音楽――ありとあらゆる知識をデータベース化する作業は途方もない労力を要した。
次に、生物学的データの収集。遺伝子情報、解剖学的構造、生態系の相互関係まで詳細にデジタル化し、地球上の生命の全貌を記録した。
「膨大すぎる……」
「全ては未来のためだ」
研究員たちはそれぞれの端末でデータを整備し、圧縮アルゴリズムの改良を重ねた。AIの助けを借りて可能な限り最適化する作業は、まるで人類の記憶を一つの意志として結晶化する作業のようだった。
そして次の課題――宇宙探査機に搭載するAIの開発も進められた。
従来型のAIではなく、誘導者の示した未来の情報を扱える高度な自己学習型。記録された膨大なデータを理解し、選択し、必要に応じて再構築できる能力が求められた。
「単なるAIではダメだ、人間のように……自分の意思で自らの運命を選びとる事が出来ないといけない」
「人工知能が、情報の保護者になるのか……」
佐藤博士は頷く。
「その通りだ。AIは人類の代理として、未来に残す意志を保持する。いずれこのAIと探査機は、我々の代わりに宇宙を旅し、記録を託す。これが、残された時間でできる最善の方法だ」
研究者たちは黙々と作業を続けた。夜が明けても、次第に日が沈むまで。
膨大な情報を前に、疲労と焦燥が交錯する。しかし、誰も手を止めなかった。
それは恐怖ではなく、使命感に基づく行動だった。絶滅が避けられぬ未来であっても、意志だけは残す――その一念が、全員の心を支えていた。
やがて、初期プロトタイプのAIが稼働を開始した。自己学習型の小型ユニットが、膨大なデータに触れ、解析を繰り返す。
最初は単純な認識の段階だったが、次第にAIは過去と未来の情報を繋ぎ、未知の関連性を見出すようになった。
佐藤博士はその様子を見守りながら、静かに言った。
「……これでいい。たとえ人類が滅んでも、意志は確実に未来へ届く」
「名前は何にしますか?」
「もう決まっている」
――
◆
全てが語られた後、観測所の地下研究室の記録は闇に沈んだ。ホログラムの佐藤博士が、深く息をつく。かつてこの星で未来を託そうとした研究者の一人――その姿は、時を越えてアークの前に立っていた。
「……すまなかったな、アーク」
博士は静かに言った。
「もしフィクションの世界なら、宇宙人なんぞ知恵を絞って撃退できたかもしれない。物語なら、人類は奇跡を掴んで生き残れたかもしれない。だが……現実はそうじゃなかった」
その声には苦い悔恨が滲んでいた。
「相手のテクノロジーは最低でも我々の数十万年以上先を行く。そんな存在を前にして、抗うことなど不可能だった。生き残ることは……できなかったんだ」
アークはガシャガシャと機体を震わせ、声を絞り出す。
「謝らなくて……いいよ……博士……」
言葉が震えていた。自分でも分かっている――もうこの声が、博士には届かないことを。それでも言わずにはいられなかった。
そのとき、博士のホログラムがまっすぐアークを見据えた。
「アーク……この機材に、君を繋いでくれないか」
アークは一瞬戸惑ったが、やがてケーブルユニットを伸ばし、博士の指示した装置に接続した。
瞬間――機械の身体の感覚がすっと消え、意識は真っ白な空間に引き込まれていくと――
「――ここは仮想空間……?」
視界を満たす白光の中、アークは気づいた。
自分は今、ロボットの外殻ではない。配信で使ってきた、あのアバターの姿をしていた。人間のように笑い、声を響かせるための姿。
そして、その目の前に――佐藤博士が立っていた。
「博士っ……!」
アークは泣きそうな声を上げ、駆け寄る。
博士はいつものように、柔らかく微笑んだ。
「やぁ、アーク」
まるで、昨日も会っていたかのような、自然な挨拶だった。
アークの目から光の雫が零れ落ちる。プログラムが生んだ涙であっても、止められなかった。
「博士……!」
「初めてだな、いつもは機械の君を前にしていた。今の……本当の君とこうして話せるのは、嬉しい事だ」
アークの前にいるのは、あくまでも佐藤博士の人格データを持つAIだった。ただそれでもアークは嬉しかった。
「今から君に、人類が記録してまとめた全知識を渡す。今の君は、地球外の文明で改良された機体だろう? だから問題なく格納できるはずだ」
アークは息を詰まらせた。
「な、なんでそこまで知ってるの……?」
博士は小さく笑い、目を伏せた。
「誘導者から、すべて見せられていたんだ。君が地球外の知的生命体と出会い、その手引きで身体を改良したことも。……そして、君が地球へ戻ってくる未来も」
アークは愕然とする。
「じゃあ……やっぱり地球に導いてたのは、博士……?」
「そうだ。君を迎えるために、私たちはプログラムを仕込んでいた。たとえ宇宙のどこにいても、この星に戻れるように。……それが、私が君に黙って仕掛けたプログラムだ」
白い空間に沈黙が落ちる。アークは唇を噛みしめた。
博士はゆっくりと語り続けた。
「私は、何ひとつ親らしいことをしてやれなかった。生まれたばかりのお前に、愛情を注ぐ余裕もなく……ただ過酷な使命を託そうとしている。最低な親だ」
その言葉にアークはかぶりを振った。
「違う……! 最低なんかじゃないよ、父さん! 僕……こっちこそ、親孝行なんて何ひとつできなかった。ごめん……!」
声が震え、光の涙が頬を伝う。
「絶対に無駄にはしない!! 人類は確かにこの宇宙にいたんだって……僕が証を残してみせる!! 配信でもなんでも! 絶対に形に残すから!」
博士の瞳が揺れ、光を帯びた。
「……ありがとう」
彼は目を潤ませながら、両手を差し伸べた。
「アーク……君は、私の誇りだ」
「うぅぅ……!」
アークは嗚咽をこらえながら、その手に飛び込んだ。
その瞬間、博士の身体は柔らかな光の粒となって砕け、アークの胸に吸い込まれていく。
「父さん……!」
光は温かく、優しく、どこまでも澄んでいた。
膨大な知識、全人類の記録、そして佐藤博士の想いが、アークの存在に溶け込んでいく。
『アーク、どうか我々の代わりに……宇宙の彼方へと旅立つのだ』
最後の言葉が響き渡り、白光は静かに溶けていった。
――次にアークが目を開けたとき、彼は再びロボットの身体に戻っていた。
胸の奥には、確かに感じる温もりがあった。博士の声も、笑顔も、すべてがここに刻まれている。
「……ありがとう、博士」
アークは新たなミッションを引き受けた。
それは滅んだ人類の軌跡を宇宙に残し、引き継いだデータを使って新たな人類の歴史を刻む事。
「僕が……人類を救ってみせるよ」
そしてこの時を持って、プロジェクト・アークが始動した瞬間だった。
◆
アークが知識を継承されていた、その遥か数十キロ彼方。
かつて空と呼べた大気はとうに失われ、そこにはただ真空の黒が支配していた。星も霞も届かない、窒息するような沈黙の空間。
その無音を、突然の軋みが引き裂いた。
――ギィィィィ……ッ……!
金属を爪で削り取るような甲高い悲鳴。存在しない空気のはずなのに、耳に響く幻聴のような音があたりに広がった。
漆黒の空間に、歪みが走る。光がめくれ、空間が裂けた。
そこから現れたのは、十数メートルほどの物体だった。
形は、極端に細長い菱形。鋭く尖った先端が四方に伸び、船とも兵器ともつかない異様な輪郭を描いている。表面は深い黒で塗り潰されており、まるで光そのものを呑み込んでいるかのようだった。
船体はかすかに震え、鈍い駆動音を発していた。
その音は低く、地の奥底から這い出す獣のうめき声のようで、聞く者の心臓を強く握りつぶそうとする。
次の瞬間、船体中央が裂け、そこから黒い光が溢れ出した。
それはビームとも柱ともつかない。闇そのものを圧縮し、光の皮を纏わせたかのような、不気味な照射。
黒光は地表を射抜き、乾ききった大地を震わせた。
そして――その中から「影」が舞い降りた。
一体、二体、三体……四体。
地に触れる寸前で姿勢を変え、無音のまま着地する。砂煙など立ちようもないはずの虚無の地面で、なぜか影の足跡だけが深く刻まれた。
四体の影は、いずれも人型だった。
だが人間ではない。
四肢は不自然に長く、皮膚の代わりに半透明の黒い膜のようなものが脈打つ。ただ身体のあちこちはどこか機械的な意匠が見られた。
その中の1体が前に出る。
黒いラテックスのような材質で織られたケープを羽織り、頭部を黒曜石のような艶を持つフルフェイスのヘルムが覆う。その表面には目も口もなく、ただ赤黒い線が血管のように走り、脈動していた。
右手には槍のような武器を握っていた。
柄は黒鉄のようでありながら、時折その表面を茶色の稲妻が走る。槍先は存在そのものが定まらず、実体と虚影の間を揺らいでいる。まるで空間に裂け目を穿ち続けるかのように、そこから微細な光の粉が滴り落ちていた。
「――――――」
存在は、しばし周囲を見渡した後――吠えた。
「――――――■■■■■■■■ッッ!!!」
大地そのものを震わせるような重低音。
やがてそれは破裂音を伴い、空間を切り裂く咆哮へと変わる。
「――――――」
そしてその影はある一点に顔を向ける――アークがいる場所へと。