拳願会 VS 灘一族   作:青井するめ

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第十三話 拳銃リカルドVS若槻武士(2)

 

 若槻は脚を引きずっていた。

(俺の足のほうが先にイカレた、というわけじゃないだろうな)

 蹴り続けた右足の脛。皮膚が破れ、そこから流れ出た血がくるぶしを伝っていく。

 若い頃は空手一筋だった。手足を徹底的に鍛え抜いた。そのへんの巻き藁では意味がない。鉄柱や石塊に手足を叩きつけ、血まみれになろうとも、ひたすら修練を続けた。だからもう、そう簡単に血が流れるほどヤワな部分など、自分には残っていないはずなのだ。

(こいつの脚は、鉄より硬い、とでもいうのかよ)

 唇が釣り上がる。若槻は笑っていた。何が楽しいのか、愉快なのか、自分でもわからない。内側から込み上げてくる不可解なものが、おれの顔を歪ませている。

 リカルドは、立ち上がった。

 ダメージは明白だ。鼻と口から血を滴らせている。内臓へのダメージも少なからずあるはずだ。

「……あなたを、見くびっていたかもしれません」

 リカルドは言った。

「まさかボクに、正面から殴り勝つことができるなんて。想像もしていませんでした。認めます。あなたはボクが戦った中で、1,2を争うほど強い……」

 ダメージはある。一気呵成に攻めて、このまま倒すべきだ。

 そう、若槻は思っている。だが体が前に出ない。なぜだ? 若槻は訝った。自分の中の何か━━深層心理にあたるものが、ブレーキをかけている。こいつはまだ、隠しているものがあるはずだ。警戒しろ……

「もう、しょうがないよね」

 リカルドは、血に塗れた顔で笑った。

「本気を出させてもらいます……本気の本気です。受けて立ってください」

 す、と前に出る。

 なにが来る━━? 若槻はガードを上げた。間違いなく、仕掛けてくる。だが何を?

 リカルドは拳を振り上げた。

「━━幻魔拳!」

 

 

 建物を震わすほどの悲鳴が上がった。

 

 う が あ あ あ あ あ

 

 叫んでいるのは若槻だ。両膝をつき、顔面を抑えながら、苦痛にまみれた絶叫を上げている。

 なんだ!?

 なにが起きた!?

 リカルドの繰り出してきたのは、なんの変哲もないパンチだった。速くも遅くもない。だが、食らった瞬間、頭が弾け飛んだ。内側から爆発した。自分の眉毛から上には何も残っていない。

 

 が あ あ あ あ あ あ

 

 だが! 両手で頭を抑える。頭は、ある! 吹き飛んだわけではない。なのに、なんだこれは。途方もない激痛。それこそ、頭がなくなったとしか思えないような。

「どうです。これが幻魔拳です」

 勝ち誇った声で、リカルドが言う。

「頭を吹き飛ばされた気分はどうですか。とても立ってはいられないでしょう」

 なんだ! こいつは何を言っている。激痛のあまり錯乱しそうになりながら、しかし若槻の一部は、この状況を冷静に理解していた。この男の技は、架空の痛みを相手に味わわせることができるのだ。催眠術の一種か!?

 

 ズ ン

 

 う あ あ あ あ ぁ ぁ

 

 さらなる一撃。若槻の腹に大穴が開いた。信じられないほどの苦痛! そして恐怖! 発狂してもおかしくはなかった。だが、若槻は立ち上がる。ほとんど本能的に。

「う、う、う」

 眼の前が霞む。すぐそばに立っているはずのリカルドの姿がぼやけて見える。いや、本当に見えているのか? 俺の眼はまだあるのか?

「あああああっ」

 殴りかかる。フォームもなにもない、無様に両腕を振り回すだけだ。当然、当たりもしない。リカルドは悠々と身をかわす。

「まだ失神しないのですか?」

 リカルドは言う。

「恐るべき精神力ですね。幻魔拳を食らったほとんどの人間は、苦痛と恐怖で立ち上がれません。その苦痛はずっと続くんです。耐えられるはずがない……」

「う、うううううっ」

 頭をかきむしり、若槻は悶え苦しむ。錯乱状態にある、と若槻の中の冷静な部分が判断した。どんなからくりか分からないが、恐るべき技だ。とても、戦い続けることなどできない。だが。

「あ、あ、ああっ」

 口から泡を吹きながら、なおも若槻は戦おうとする。

 なぜだ? そう自問さえする。こんなものに耐えられるはずがない。そのうち発狂してしまう。

「ムダですよ」

 リカルドが嘲笑うかのように言った。

「もうおしまいです。さっさと楽になったほうがいい……」

 拳。蹴り。ダメ押しとばかりに、リカルドから打ち込まれる。必死にガードした。ムダかもしれない。自分の体はとっくにぼろぼろなのに。もう死んでいてもおかしくないのに。

 いや━━

 まだ死んではいない。この痛みは、偽物だ。俺の意識が残っている限り、こんなものに屈してなるものか。

「本当に、タフな人ですね」

 リカルドの声に呆れがまじる。

「いいかげん、倒れてくださいよっ」

 リカルドの連打が、雨あられと若槻の身体に降り注ぐ。若槻は身を縮めて、必死に耐えた。精神にだけでなく、肉体にもダメージが蓄積していく。

 

 

 若槻にとって我慢とは、肉体的なそれではなく、常に精神的なものだった。

 小学校に上がる頃には、野球の硬球を握りつぶすくらいの握力があった。軽いキャッチボールでも、その気になれば100キロ以上の速球を投げてしまう。鬼ごっこやボール遊びも、遊びではなく、常に危険なものになっていた。若槻にとってではなく、周囲の子どもたちにとって。

 本気でやれば、周りを怪我させるだけではすまない。殺してしまうこともありうる。若槻は子どもたちと遊ばなくなった。誰とも話さず、ひとりで家にいた。自分の力がおぞましかった。誰に望んだものでもない、人の身には余る力だ。

 空手を始めたのも周囲の勧めによるものだが、一度も本気にはならなかった。軽い突きや蹴りで、大の男を失神させることができた。やがて裏格闘技の世界に身を投じることになるが、そこでも若槻は孤独だった。日本中から集められた猛者をもってしても、若槻を本気にさせるには至らなかった。

 

 加納アギトに出会うまでは。

 

 初めての敗北。初めての苦痛。初めての屈辱。そこで若槻は解放された。生まれて初めて、自分の本気を出すことが求められた。悟ったのだ。もう我慢しなくていいのだと。

 

 生まれて初めて、本気で身体を鍛えた。拳を、肘を、脛を。痛めつけた。苦痛を、そしてそれ以上の喜びを感じた。もう自分は、我慢しなくていいのだ。ただのひとりの人間として、戦えるのだ。

 痛みもある。苦痛もある。武の世界の奥深さを知った。途方もない頂きの高さを知った。だからこそ、耐えられる。どんなものにも耐えられる。

 あそこに、たどり着くまでは……

「さっさと眠りなさいっ」

 リカルドの拳。打ち落とされる。後頭部めがけて。喰らえば、いかに若槻といえど、一巻の終わりだ。

 ここ。

「おおおおおっ」

「な、なにっ」

 若槻の身体が、爆発する。

 

 全身の力を解放━━縮められていた若槻の身体が、爆発する。そのようにリカルドには見えたかもしれない。いずれにせよ、それより先の光景は見えなかった。意識ごと、リカルドの身体は吹き飛んでいたからだ。

 

 爆 芯 !

 

 超人体質の、若槻の全筋力を解放。そのときの爆音は市街地全体に鳴り響き、耳にした住民から警察や消防に通報が相次いだ。また同時刻、各所の地震計に謎の揺れが観測されている。やがて計器の不具合として削除されることになるのだが……

 

 リカルドの姿は、もはや無かった。

 天井に、人の形をした大穴が空いている。突き破って、どこかへ飛んでいったのだ。はたしてどこまで飛んだか、無論、若槻にはわからないし、どうでもいいことでもあった。

 全精力を使い果たした若槻は、そのまま前のめりに倒れ、意識を失ったからだ。

 

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