十鬼蛇王馬は、横倒しになったまま、ぴくりとも動かない。
宮沢熹一はそれを見下ろし、鼻を鳴らした。
「へったくそな狸寝入りやのう。さっさと起きいや」
返答はなかった。王馬は依然として倒れたままである。
だが……
指先がぴくりと動く。両目がぱちりと開かれる。そのまま王馬は、するすると立ち上がった。昼寝から目覚めたかのように、自然に。
「さすがに、引っかからねえか」
王馬は笑って、顔の血を拭った。
「待っててもらってすまねえな。さて、続けようか……」
「それでこそ、や」
にぃ、と熹一の口元も、笑みの形に歪む。
「さて、もっと楽しませてもらおうやないか」
(とは言うものの……)
王馬は自分の受けたダメージを冷静に分析する。
さきほどの一発で、強烈な脳震盪を起こした。いまだ完全に回復したとは言い難い。もう一度喰らえば、おそらく、起き上がれないだろう。
(さあ、どうする)
離れれば、あの見えない打撃が飛んでくる。かといって接近戦では、「不壊」でも防げない一撃を打ち込まれる。
手詰まりか?
いいや。
口元の笑みが深くなる。俺は恐れているんじゃない。ただただ……楽しいんだ。
「うおおっ」
突っ込む。
だが今度は正面からではない。間合いに飛び込む寸前に、横に動く。
二虎流火天ノ型、火走━━
風に揺らめく炎のように。不規則な歩法で、熹一の周囲を回る。相手に的を絞らせない。打たれないためには、まず打たせないことだ。
「しゃらくさいのぉ……」
熹一が呟く。
動きを止めなければ、打たれることはない。しかしそのままでは攻撃できない。攻撃のためには止まる必要がある……そのことを、熹一も王馬もわかっている。
そこが、狙い所であると。
「おおっ」
「しゃあっ」
同時に踏み込んだ。
お互いのパンチが交錯する。当たらない。連打。防がれる。さばかれる。どちらも……
「なにっ」
驚愕の声。
均衡が崩れた。王馬の動きが加速する。
ガードをすり抜け、直突きが熹一の顔面に刺さった。鼻から血がしぶく。
「あうっ」
体勢を崩した熹一に、さらなる追撃。連撃が雨あられと飛んでくる。先程よりさらに速い。さばききれない。
(な、なんやこの速さは……)
熹一は驚愕する。これまで受けたことのない打撃の速さだ。
二虎流奥義、前借り━━
心拍数を大幅に上昇させ、身体能力を極限まで引き上げる技。だがその代償に、心臓への負荷は致命的なものとなる。
もって数秒……それを過ぎれば、身体は限界を迎える。待つのは勝利ではなく、自身の死だけだ。
(その間に、倒し切るっ)
「おおおおおっ」
連撃。
繰り出される攻撃の数々を、熹一はひたすら捌く。それでも。
「ぐうっ」
一発。二発。打撃がヒットし始める。一気呵成。押し切れるか? だが。
「甘いわっ」
いきなり、姿が消えた。
眼の前にいるはずの宮沢熹一が。残像となって消え、王馬の拳はむなしく空を切る。
(なにっ……)
そして。
顔がつくほどの至近距離に、宮沢熹一の顔があった。攻撃をかわしただけでなく、懐に飛び込まれていたのだ。
ズン━━
拳が、王馬のみぞおちにめり込む。
灘神影流、塊貫拳!
勁を相手の体内に打ち込み、その経路を自在に操って、爆発させる技━━
「これで終いや」
ふてぶてしく、熹一が告げる。
だが。
「な、なにっ」
何も起きない。王馬の体内で爆発するはずの勁は……消失していた。
熹一の腕をつかみ、王馬が言う。
「ようやく、捕まえたぜ……」
次の瞬間。
熹一の身体が、いとも鮮やかに投げ飛ばされる。
二虎流操流ノ型、柳!
「こなくそっ」
咄嗟に受け身を取ろうとする。が、王馬がそれを許さない。
「うおおおおっ」
体勢が崩れたままの熹一に、鉄心を叩き込む。その勢いのまま、全体重をかけ、地面に叩きつける!
金剛水天ノ型、鉄砕廻!
「が、はあっ……」
熹一の口から、血の混じった吐息が漏れる。そのまま白目を向き、ぴくりとも動かなくなる。
勝負あり━━
はたから見れば、そう判断されてもおかしくはない。王馬による会心の一撃は、それほどまでに強烈だった。
だが……
王馬もまた、力尽きたように、横倒しになった。
「……ぐ、うっ」
立ち上がることができない。そのまま身を転がし、身を起こそうとするが、身体の自由がきかない。
(ちくしょう……!)
右腕を見下ろす。手首が、完全に粉砕され、紫色に変色していた。
塊貫拳を受けた瞬間、水天と躁流で剄のエネルギーを散らした。たとえ初見の技であっても、数多くの強敵と戦ってきた王馬である。その術理をおおまかにでも理解するのは難しくなかった。
うまく相手の隙を誘い、「柳」で投げたまでは良かった。だが完全に体勢を崩したはずが、いつのまにか手首を絡み取られていたのだ。
灘神影流、飛翔・猛禽返し━━
一瞬だった。いつ折られたかも分からない。それほどの早業だった。
さらに。
「ううっ」
頭頂部から、血が滴り落ちる。眼に入ろうとするそれを、王馬は左手で拭いさった。
宮沢熹一の蹴りだ。
地面に叩きつけられる寸前だというのに、蹴りを王馬の後頭部にぶち込んできたのだ。強烈だった。先程の塊貫拳に続いてのダメージで、めまいが収まらない。
「ど、どないしたんや……」
宮沢熹一の声。
見れば、口から血を流した宮沢熹一が、ゆっくりと立ち上がろうとしているところだった。かなりのダメージを負っている。だが致命傷には至らなかった……
(タフな野郎だぜ)
「こ、こんなもんで、この熹一様を倒せると思ってもらったら、困るで」
「……」
王馬もまた、応えるように立ち上がり、構える。どちらのダメージのほうが大きいか……
折れた右手を、むりやり握り込む。動かないわけではない。だが鉄砕を使っても、威力は本来のものに遠く届かないだろう。
ならば……
す、と片足を引く。腰を落とし、深く構えた。
「ほお……」
宮沢熹一が、笑った。
「面白そうなことするやないけ」
王馬の口元にも笑みが浮かぶ。
「まだまだ、あんたを楽しませてやろうと思ってね……」
二虎流究極奥義、鬼鏖━━
相手の攻撃を倍加させて打ち返す、無形のカウンター技。王馬の選択は、それだった。いや他に手はなかったという他はない。
どちらも受けたダメージは甚大だ。それでも王馬は、自身がわずかに不利と判断していた。
(これに相手が乗らなければ、俺の負けだ)
そして、宮沢熹一は……
ゆっくりと足を踏み出す。無造作に、何も恐れるものなどないかのように。
「さあ」
呟くように言う。
「これで、終いや━━」
勝負は、一瞬で付いた。