銃声と爆発音。夜空を照らす火花。
戦闘は続いている。ゲリラと政府軍。ほぼ一方的な、殺戮に近しい戦い。
しかしその一角からは、なんの音もしなかった。
日下部覚吾と、黒木玄斎。
蹴り、貫き手、肘打ち、正拳、膝蹴り……
全てが、強烈無比な打撃である。だが黒木と覚吾は、それらを的確にさばき、防いでいる。
(この男……!)
日下部覚吾は内心で瞠目する。
おそらくは沖縄の古流だろう。だがこの若さで、これほどの腕前とは。全ての技が練り上げられ、鍛えられている。
しかも、迷いがない。
己の求道に、一ミリのゆらぎもない。戦うこと、そして殺すこと。全てはこの男にとって、シンプルなひとつの目標点のためにある。
武の追求。
見事、と称えるべきか。あるいは嫉妬すべきか。覚吾にとって「武」とは、つねに煩わしいものでしかなかったからだ。
拳聖・日下部丈一郎の息子として生まれ、幽玄新影流の後継者として周囲に望まれて育った。だが父親に匹敵する才を持ちながら、どうしても覚吾は「武」を信じられなかった。
この平和な世の中で、己の技を鍛え上げることに、なんの意味があるのか?
幽玄真影流は古の殺人術であり、人を殺す以外になんの存在価値もない。だが、そのように理屈で捉えながらも、覚吾の中にある破壊衝動は、その価値のない殺人術を思うがままにふるうことを望んでいた。そのアンビバレンツの中に、日下部覚吾という男は存在していた。日本を離れ、危険かつ無謀と言えるほどに紛争の多い地域に身を置いたのも、その葛藤の現れだったことに間違いない。
なんのために戦うのか。
なんのために殺すのか。
一度たりともその問いに答えが見えたことはない。しかし、眼の前の男はどうだ。
貫き手。その節くれだった太い指。一朝一夕で作り上げられるものではない。10年以上、何千回、何万回も巻藁を突き、異形と言えるほどに鍛え上げられた指。人を傷つけ、破壊することに特化した指。
そうだ。
戦いとは、武とは、そのためにあるのだから。
だからこそ……
(惜しいな)
覚吾は、そう思わないではいられなかった。
これほどの才を、つわものを、自分は殺さなければならないのだ。
*
黒木玄斎にとって戦いと修行は一体と言っていい。
求道。己の道を追い求める。それだけの話である。そしてその道は、幼い頃から、黒木の眼の前にあった。それは険しい道であり、危険であり、常人なら通ることを避ける、そんな道であった。しかし、そこから外れようと思ったことは一度もない。この道がどこへ続くのか、果たして果てはあるのかそれを確かめるまでは、決して立ち止まるまい……そう心に決めて、ここまで生きてきた。
それが……
(強い)
というのが、黒木の簡潔で偽らざる感想だった。
眼の前の男だ。
年のころは中年、男としては盛りをすぎている。長身ではないが体格はいい。短く刈った髪には白髪が混じり、膠のように硬く色褪せた肌は、長い辛苦を塗りつけたかのよう。
その男が、黒木の眼の前にいる。
それだけではない。
こちらのあらゆる攻撃を、全て防ぎきっていた。
息も乱していない。その目には何の感情も見受けられない。底が知れぬ……黒木の立ち会ってきた多くの強敵の中でも、ずば抜けた力量の持ち主。
だから、なんだというのか。
相手が強かろうと、弱かろうと、己のすることはただ一つ。
「ぬんっ」
踏み込む。
男の右拳。さばく。僅かな隙。ここ。
魔槍━━
極限まで鍛え込まれた貫き手。それが、男の胸板に吸い込まれる。手応えは……ない。いや、男の体自体がない。消え失せている。霞のように。
「!!」
本能的な勘。それが黒木の命を救った。
身を前に投げ出す。土の上を転がった。直後、背後を風が吹き抜ける。殺意を含んだ風だ。
膝立ちになって、振り向く。
男は、ただそこに立っている。
「よくぞかわした……」
男は言った。呟くように。
「惜しいな。本当に惜しい。これほどの才を殺すのは……幽玄の技を見たものを、生かしておくわけには……」
男の呟きは続く。紙のように乾いた顔。感情も殺意もなく、男の中にあるのは完全な空虚だった。
その空虚こそが、もっとも恐るべきものだ。
黒木の背に戦慄が走る。知らず、後退っていた。初めての経験である。恐怖からではない。落雷、雪崩、津波、そうした人力の及ばぬ猛威に対する、本能的な忌避感……
男は、だらりと両腕を下げた。
それだけではない。腕を、後ろに組んだのだ。まるで戦いを諦めるかのように。だが、男の目は……死んでいない。いや、今や、炯々と燃える戦意に輝いている。
男が腰を落とし、両足で大地を深く踏みしめた。その瞬間、地鳴りが聞こえた。地の底の龍が、不意に身動ぎしたかのように。
直後。
「ぬんっ」
拳が。
見えなかった。黒木の目をもってしても、何も見えなかった。だがそれは確かに拳であった。目に見えない拳が、黒木の鳩尾にめり込んでいたのである。
幻 突 !
幽玄新影流、その中でも、当主日下部丈一郎と、その息子、覚吾にしかない、強力な脚部……幻脚(モンスター・フッド)から繰り出される、目に見えない打撃。それこそが幻の秘拳、幻突にほかならなかった。
およそ数メートル、黒木は宙を飛んだ。地に落ちる瞬間、辛うじて受け身を取る。もんどり打って地面を転がった。膝立ちになり、辛うじて構える。だが身体の自由が効かない。もはやこれまでか……
「あそこだっ」
「いたぞ」
「殺せえっ」
闇の中から声。
銃を手に、兵士たちが走り寄ってくる。覚吾の反応は早かった。すぐさま身を翻し、闇の中に姿を消す。
兵士たちはそれを追った。そして……銃声は聞こえなかった。ただ、かすかな悲鳴と、うめき声。
それきり、闇の中からは、何も聞こえなくなった。
*
黒木にとってそれは、己の長い戦いの歴史において、もっとも敗北に近いものであった。世界は広い。強者は、どこにでもいる。まだ未熟だった黒木は、それを思い知らされた。
だからこそ……
「二度とその技を受けるつもりはない」
呟くように独白する。
その言葉を、宮沢尊鷹は、険しい顔で聞いた。