「裏格闘技団体そのものに対する、攻撃ねえ」
病院からの帰り道。コンビニで買った菓子パンを齧りながら、成島光我はつぶやく。
(社長はそう言ってたけど、いまひとつピンとこねえや。スケールがでかすぎる)
成島の実感はそれだった。もとから頭を使うのが得意な方ではない。陰謀や計画といった言葉をハナから嫌悪している。ムズカシイことを考えるのは俺の仕事じゃねえ……そういうことは、もっと頭のいいやつに任せりゃいいんだ。
「けどまあ、社長の言いつけくらいは、守らねえとな……」
成島は大通りから路地へと入っていった。駅へ向かうなら、こちらのほうが近道だ。とはいえ……狭く、薄暗い通りであり、めったに人は通らない。地元の人間以外は誰も使わない道といっていいだろう。
だから、好都合だった。
しばらく歩いたところで、足を止める。背後からの足音も、また止まった。
振り向く。
数メートルほど離れたところに、男が立っている。長身痩躯、細長い身体を特注品と思しきロングコートで包んでいる。
成島は言った。
「そのタッパで気づかれないように尾行とかムリだぜ。何の用だ?」
口ではそう言いつつ、成島は察していた。男は全身からぷんぷんと殺気を放っている。こういう男の用事は決まっている。
男は言った。
「てめえには賞金がかかっている。5000万だ。叩きのめせばな……」
「へえ……」
5000万という数字を聞いて、とっさに成島の頭にいろいろなものが去来する。それだけあれば高級車とか買えるな……うまいモノ食って、ブランドものの服とか着て……チッ、発想が貧困だからそのくらいしか思いつかねえ。
「そうやって賞金をかけて、闘技者を狩っているのかよ」
成島は言った。社長から説明された通りだった。
何者かが、闘技者に賞金をかけている━━
*
日本の裏格闘技会全体への攻撃。
乃木と豊田は顔を見合わせている。だが、山下は一向に飲み込めなかった。いったいどういうことなのか。
「裏格闘技への攻撃、って」
困惑したまま、山下は言った。
「どういうことですか? だいたい、誰が、なんの目的で?」
「それはね、かずっち」
豊田が言った。
「ちょうど僕が"煉獄"を立ち上げたころのことだけどね。そのころの僕には、資金こそあったけど、煉獄には知名度も何も無かった。業界の老舗である拳願会には、対抗しようもない」
太い腕を組んで、
「僕はいろいろ考えた。自前の選手はいたし、拳願会から引き抜いた選手もいた。それならばさ」
「……拳願会の闘技者と戦って、勝つ。それで、自分たちが拳願会より上だとアピールできる。そういうことですか?」
「御名答。話が早いね」
豊田は頷いた。
「それでも時間はかかったよね。拳願会のトップ層はほとんど引き抜きに応じてくれなかったからね。正直、もっと「強引な」手段が使えればなあ、と思ったこともあったよ」
「……強引な、手段」
恐る恐る、山下は言った。
「つまり。こういうことですか。なにか、別の……裏格闘技の団体が」
「その、強引な手段を使っている。拳願会を貶め、自分たちの名を上げるという、その目的のために。それが我々の推測だ」
乃木が重々しく言った。
「だとしても、まだ疑問は残る。向こうは、こちら側の闘技者トップに匹敵する実力者を手駒にそろえているわけだ。そしてそれほどの実力者なら数が限られるし、日本国内であれば察知されるはず」
「そう、だから海外、と思うんだよね」
豊田はそう言った。
「海外にはまだまだいる。我々の網にかかっていない実力者がね。そういう人間をリクルートして、我々への手駒に使っている、と考えるのが自然なんだよね」
「つまり……」
乃木は何かを言いかけたが、携帯の音に遮られた。
懐から携帯を取り出す。相手と小声で短くやり取りし、通話を切る。
「岩美重工からだ」
乃木は言った。
「関連があるか分からんが、情報をよこしてくれた。ユリウスが何者かに襲われていたらしい」
*
ユリウス・ラインホルトによれば、それは半月ほど前の出来事であるという。
その日の早朝、ユリウスは自身のジムへと向かっていた。ハンブルクの古い工業地帯。うらぶれた倉庫街の一角。その使われていない倉庫のひとつを、ユリウスは借り受け、プライベートジムとして使っていた。
日は出て間もない。湿った霧が石畳の上を流れていた。人通りもない。まだ勤め人は寝ているか、出勤の準備をしている頃合いである。
だから、その男は嫌でも目に入った。
倉庫へ入る路地の入口。そこを塞ぐように立っている。巨漢である。身長は2メートルをゆうに超える。横幅も広く、骨太のがっちりとした両腕が、だらりと体の左右にたれていた。
体格ならユリウスも負けてはいない。いや、体格だけでいうなら、ユリウスに勝てるものは地球上にほとんどいない。
身長205センチ、体重230キロ━━
全身これ筋肉で覆われ、無駄な脂肪はひとつもない。見るものを圧倒する、巨大な肉の固まり……それが、ユリウス・ラインホルトだった。
ふたりの大男は、朝靄の中に対峙した。
「なにか用か」
ユリウスは言った。そして同じ内容を、ロシア語で言い直した。
確信があったわけではない。だが男の顔立ちには、明確にスラヴの血が見て取れた。見た目だけではない、男が顔に貼り付けた、冷ややかな無表情。それもまた、かつての東欧圏で、ユリウスが何度も目にしたものだった。
大男は答えなかった。代わりに動いた。
ユリウスもそれに応える。男の目的が平和的なそれでないことは、子供でも察せられることだった。ならばそれにふさわしい返答を用意しなければならない。
拳。
男の動きは単純だった。ひとつも迷いもない。ただ、踏み込むと同時、その巨大な右の拳を、こちらの顔面に飛ばしてきたのだ。
「ぬうっ」
恐懼の声が漏れるのを、ユリウスは聞いた。
ユリウスの背後、レンガの積まれた壁。それに、男の拳がめり込んでいた。頑丈なレンガ塀の縦横に亀裂が走る。
だが、ユリウスを驚かせたのはその威力ではなく。
(避けた?)
(この俺が?)
そう、大男の動きに合わせて、ユリウスは咄嗟に身を引いていた。それは結果として大男の拳がレンガ塀に突き刺さることとなったわけだが……
ユリウスは相手の攻撃を避けたことがない。例えば関林ジュンなら、それを矜持というだろう。だがユリウスは違う。単純に、避ける必要がないからだった。徹底的に鍛えられた体重200キロ超の肉体は、生半可な攻撃など跳ね返してしまう。それはユリウスが知る厳然たる事実にすぎない。
だが。
大男がこちらを向く。ユリウスと視線が合う。レンガ塀から拳が抜かれ、再び、こちらに向かって放たれる。
同時だった。
ユリウスも拳を放つ。お互いの拳が、お互いの顔面に直撃する。
落雷のような音がした。
近くに住む住人の全員が、残らずベッドから転げ落ちるような轟音だ。その音を、ユリウスは聞くことはなかった。
衝撃によって意識が飛んだからだ。
数秒にも満たない空隙。ユリウスの脳は再び意識を取り戻す。そして状況を把握。
大男の体が、ぐらりとよろめいていた。俯いていた顔が、しかし、ぐいと上げられ、その目に光が戻る。
クロスカウンターのように撃ち合った拳。それによって、双方ともに一瞬気絶したのだ。なんという。ユリウスの背筋を戦慄が駆ける。これほど強烈な打撃は、これまでどの闘技者との戦いでも、受けたことはない。
若槻武士を除いては。
「ふんっ」
どちらがその吐気を発したか。
同時に前に出た。正面からだ。お互いの顔面、頭突き。闘牛のように、頭からぶつかった。拳。交錯する。殴る。殴られる。
絶対に引くつもりはなかった。それはやはり矜持なのかもしれなかった。あらゆる小細工は無用。常に正面から戦い、相手を叩き潰す。それがユリウス・ラインホルトの戦い方だった。絶対に引くわけにはいかなかった。
眼の前の男は、笑っていた。
ユリウスの拳をもらって、目尻は裂け、鼻は潰れ、唇は腫れ上がり、流れ出した血で真っ赤に染まっている。それでも笑っていた。ダメージはないのか。痛くはないのか。憤激がユリウスの胸に込み上げる。
「ぬうううっ」
組み付く。男の胴体にユリウスの腕が回る。男がそれを振りほどこうとする。
それでもやはり。
力比べで勝ったのは、ユリウスのほうだった。
持ち上げる。巨躯が宙に浮いた。男が足をばたつかせる。無意味な抵抗。
投げた。
スープレックスの形で。頭から、地面に落とした。石畳の路面である。頭蓋骨は砕け、頚椎は折れる。それで一巻の終わりだ。
そのはずだった。
爆音。そして土煙。
(なんだと……)
今日何度目かの驚愕。
石畳が砕け、地面が陥没していた。男の頭蓋骨のほうが、硬い石畳より勝っていた。それでエネルギーが分散された。こちらに蹴りを入れて、むりやり引き剥がされた。そして立ち上がる。
男はまだ笑っていた。血を流しながら。
「そこまでだ!」
誰かの声。
ロシア語だ。そのことにユリウスが思い至ったのは、もっとあとのことだ。
見れば、大男の背後、すこし離れた通りに、大型の黒いバンが止まっている。その助手席の窓から、中年の男が顔を出している。
「ボリス、引け! 頃合いだ」
男はそう叫んだ。
ボリスと呼ばれた男は、咄嗟に視線を泳がせた。その言葉に従うべきか、否か。だが、すぐに顔から表情が消える。男は両腕をおろし、その巨体からは信じられないような軽やかさで、身を翻した。
大男がバンに乗り込むと同時に、発進。ユリウスは追わなかった。その場にただ立っていた。
考えをまとめる必要がありそうだった。
*
(ユリウスのオッサンも襲われた、って社長は言ってたな)
といっても成島はそれ以上詳しく知らない。まだ分かっていないことの方が多いのだ。だが目の前の男の目的は、一目瞭然だ。金目当て。分かりやすい。成島としてはありがたい。
「一応聞いておくが」
成島は言った。
「俺がお前を倒したら、なんかもらえんのか?」
「知らねえよ」
大男はにべもなく、
「おとなしく俺にぶちのめされな。余計な手間をかけさせるんじゃねえ」
「あー、ちょっと待ってください」
若い男の声が割り込んできた。
いつのまにか、路地の入口に誰かが立っている。中肉中背の男だ。いやむしろ、まだ少年と言っていい顔立ち。
だがそのあどけなさの残る端正な顔を、台無しにしているものがあった。眼帯だ。無骨な黒皮の眼帯が、顔を横切って左目を覆っている。
大男は少年に向き直った。
「なんだてめえ。割り込んでくるんじゃねえ……」
「いえ、割り込んだのはあなたですよ。こっちは一時間も前から話す機会を伺っていたっていうのに……」
若い男はそのまま、大男の脇をすり抜けるように前に出た。
瞬間。
「あうっ……」
大男はうめいて、白目を向いた。
そのまま壁に体を擦り付けて、横倒しになる。完全に失神していた。
(なんだと!?)
成島は絶句した。
大男のみぞおちが、大きく凹んでいる。すれ違いざまに、若い男が一撃をぶち込んでいたのだ。それが、見えなかった。拳眼を持つ成島にさえ、である。
若い男は言った。
「成島光我さん、ですね?」
「……あんたは?」
「長岡龍星といいます。あなたに話があります」