日が沈んだ。
河川敷には明かりもない。しかし、遊歩道沿いにある街灯と、月明かりだけで、不自由ない程度の明るさはあった。
成島と龍星は、ゆっくりと間合いを詰める。
成島の見たところ、龍星の身長は170センチほど。体格的には、今井コスモと同じくらいか……
(つまり、油断できないってことだ)
体格的には自分がだいぶ有利だ。しかしフィジカル差など、技術でいくらでも覆せる。ましてや……
先程の、龍星の動きを思い出す。刺客を一撃で昏倒させた。尋常でない速さだった。速さでいえば、自分が今まで見た相手の中でも、間違いなく上位に入る。
「どうしました、成島さん」
龍星が言った。口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「随分とおとなしいじゃないですか。怖気付いたんですか」
「いやいや、龍星くんに先手を譲ろうかとね……」
成島も軽口を返す。そう口を動かしながらも、じわりと間合いを詰めた。まだだ。距離が遠い。しかしあと一歩踏み込めば……。
*
十鬼蛇王馬は、人気のない公園を歩いている。
すでに深夜に近い。薄靄が出ていた。街中から離れた場所にある庭園。閉園時間はとうに過ぎており、当然ながら人気はない。
つまり、お誂え向きの場所というわけだ。
「時間ぴったりやな」
声がした。
顔を上げる。正面の噴水の近くに、ひとりの男が立っていた。
中背で筋肉質。染めた髪を短く刈っている。年齢的には、中年にさしかかったあたりか。
男は言った。
「待ちぼうけにでもなったら、どうしようかと思っとったわ」
「あんたが、俺の相手か」
王馬は言った。
「あんたのことは知ってるぜ。アメリカの大会で優勝したそうだな」
「へえ、ハイパー・バトルのことを知ってるんか」
男は笑った。
「なかなか見どころがあるやないけ」
「でもそれは大昔の話だろ」
「……」
「それ以降、表の試合には出ていない……実際、気になって仕方がないんだ」
王馬は不敵に笑った。
「いまのアンタは、どれだけできるんだ?」
「はん、いらん心配や」
男は、顔の前で拳と手のひらを叩きつける。
「いまから見せたるわ。お前が相手にするんは、ロートルと違うで。現役バリバリ、全盛期の、宮沢熹一や」
*
「俺の首に賞金がかけられていると聞いた」
若槻武士は言った。
「いくらだ? それは」
「いくらでもいいじゃありませんか」
拳獣リカルドと名乗った男は、肩をすくめた。
「どのみち、あなたはもらえないんですから。もらうのはボクです。あなたを叩きのめすという、簡単な仕事のあとにね」
「本当にもらえるのか?」
若槻はそう言いつつ、じりと間合いを詰めた。まだリカルドという男の力量が読めない。もう少し探っておきたかった。
「スポンサーはR国の重鎮だそうだな。あの国が、あんたや、その仲間にぽんと大金を渡すほど、太っ腹とは思えない」
「どうでもいいんですよ、そんなことは」
リカルドは笑った。子どものような無邪気な笑みだ。
「支払いを渋れば、あいつらを叩きのめします。搾り取ってでも払ってもらえます。当然でしょう?」
「……なるほど」
若槻は言った。
「翻意させるのは無理なようだ」
「あなたも、気にすることはないですよ」
リカルドは両手を広げ、
「闘技者でしたっけ? 人を殴るのが仕事じゃないですか。そうやってお金をもらうんでしょう? あなたのことはよく知りません。強いと聞いていますがね。難しいことはないですよ。我々のような人種は、所詮、戦うことしかできないんですから」
「それは、そうかもしれん」
若槻は苦笑し、首を振った。
「だが、俺はそこまでシンプルに考えられん。とはいえ……言葉を使うのは俺の仕事ではない、というのは確かだ。
さっさと始めるか」
そして……さっさと終わらせよう。
言葉にこそしなかったが、ふたりともそう思っていることは明らかだった。
ふたりは同時に踏み込み、拳を繰り出した。
*
廃墟となったビル。
解体されることもなく、長い年月が経過していた。ひび割れたむき出しのコンクリート。積もった土埃に、あちこちから生えた雑草。
一階の広間に、黒木玄斎は座していた。
無言である。目を閉じている。壁の割れ目から、月明かりが差し込んでいた。外は満月である。夜ではあるが、存外に明るい。
足音。
不揃いな足音だ。片方の足だけ、固く、重い。そんな人物の立てる足音である。それが、ゆっくりと近づいてくる。
黒木は目を開けた。
正面に、男が立っている。鬢まで白い蓬髪を、頭の後ろでまとめている、初老の男である。だがその立ち姿に、老いは一切感じられない。
男は言った。
「待たせてしまったか」
「いいや」
黒木は答え、立ち上がった。
目が合う。年齢は男のほうが上、身長もわずかながら男のほうが上。だが、その眼差しはよく似ていた。静かで、水の流れのように穏やかだ。それでいて、いざとなればいつでも激流に変わりうる。
初老の男は言った。
「黒木玄斎だな」
「いかにも」
黒木は答えた。
「貴君は、宮沢尊鷹に相違ないか」
「私を知っているのか」
男はかすかに眉を上げた。黒木は頷いた。
「かつて、バトル・キングと呼ばれた男。米国の格闘技界で無敵を誇り、その後、姿を消した。日本にいるとは思わなかったが」
「懐かしい名だ」
初老の男……宮沢尊鷹の口元が緩んだ。
「だがその名は捨てた。今の私は、灘の宮沢尊鷹だ」
す、と片足を引く。
「茶番に突き合わせてすまんな。だがこちらも、"魔槍"黒木玄斎と戦えると聞けば、断る理由は無かった」
「……」
黒木も、ゆっくりと構えた。後屈立ち。両手を体の前にかざす。魔槍とまで呼ばれた、鍛え抜かれた両の手を。
沈黙。
そして小さな声。果たしてそれを発したのはどちらであったか。
「参る」