ゆっくりと白い霧が流れる。
王馬と熹一はじりじりと間合いを伺っていた。その距離は遠い。通常であれば、拳はもちろん、蹴りも届かない距離。
だが、この位置も危険だと、王馬の本能が告げていた。
(何を、仕掛けてきやがる……?)
王馬の背筋を、ぞくぞくと、何かが這い上がる。それが恐怖か、あるいは歓喜による武者震いか。どちらであっても、王馬にとってはどうでもよいことだ。
(この男、つええ……!)
戦う前からわかる。びりびりと神経に触れるものがある。それはこれまで幾多の強敵と戦ってきた王馬だからこそわかることである。そしてそれこそが、王馬が求めてやまなかったことだ。
動いた。
霧を裂いて、何かが飛んできた。それが何かは見えなかった。見る前に王馬も動いた。叩き落とす。そして後ろに飛ぶ。だが追いかけてくる。ムチのようにしなり、そして鉄球のように重い。それが連続して王馬に襲いかかる。
だがそれを、王馬はすべて撃ち落としてみせた。
「ほぅ」
宮沢熹一が言った。
「見事やのぉ。超鞭打ちを初見で撃ち落としたのは、お前が初めてやで」
「……」
息が上がる。言葉もない。だが王馬の口は、笑みの形に吊り上げられていた。湧き上がった歓喜が、全身の筋肉を震わせる。
(こいつ、つえぇ!)
(こいつを……ぶっ倒してェッ)
「なら、こいつはどうやっ」
宮沢熹一の体がブレる。
途端、これまでよりさらに早い打撃が飛んできた。空気を切り裂く音が聞こえる。その音より、更に早い。
鼻血がしぶいた。
王馬が後退する。かわしきれなかった。一発だけではなく、それが連続でとんでくる。
とても目で追える速さではない。だが……
「なにっ」
宮沢熹一がうめく。更に早くなった打撃を、王馬は頭を振ってかわした。即座に踏み込み、逆突きを放つ。
「ぐうっ」
拳がみぞおちにめり込む。たたらを踏んで後退したのは、熹一のほうだった。
目ではとても追いつけない速さの超鞭打ち……それをかわせるのは、王馬が「気の起こり」を読んだからだ。先読みに関して王馬は、すでに達人とよべる域に達している。
「……どうしたよ」
不敵な笑みを浮かべ、王馬が言う。
「まさかこれで終わりってことは、ないよな」
「……ほんま、面白くなってきたやないけ」
熹一もまた、笑みを返す。
「ほな、みせたるわ……真・新影流の真打を」
宮沢熹一が、両腕をだらりと垂らす。
さきほどまでの構えと、一見すれば変わらない。だが王馬は察知した。
(なにか、しかけてきやがる……)
警戒する理由は山程あった。先程までの戦いでも、宮沢熹一の実力は十分察せられた。それでも、この男が本気の一端しか見せていないことも明らかだ。
いきなり、風が動いた。
(なんだ!?)
反応できたのは奇跡的だった。目に見えない何かが、顎の下に飛んでくる。かろうじて、スウェイでかわす。だがそれで終わりではなかった。空気でできた拳━━としか言いようのないものが、次々と飛んでくる。
(見えないパンチってのは、こいつか!)
今まで一度も受けたことのない攻撃……驚愕とともに、歓喜が背中を突き抜ける。
これだ。
これが欲しかった。
「うおおっ」
王馬は突進した。
相手の真正面に。
あまりにも無謀……無策で飛び込めば、カウンターの餌食だ。それは王馬にもわかっていた。もちろん宮沢熹一にも分かっている。
だが、熹一は引いた。
警戒か? それとも別の理由か? いずれにせよ、
(逃さねえっ)
ニ虎流火天ノ型、烈火━━神速の勢いで、相手の懐に飛び込む。強引極まりないタックルを、熹一は腰を引いて受け止めた。組み合い。打撃の打てる間合いではない。たとえ打たれても「不壊」で受け止められる。生半可な攻撃など通用しない。相手の攻撃にどれほどの威力があろうとも、耐える自信はあった。それゆえの、無謀突進。
だがそれも。
宮沢熹一の手の内であったとしたら……
その動きはゆっくりと始まった。右手を軽く握り、ゆるゆると突き出す。まるで目に見えない何かを押すかのように。
それが、王馬のみぞおちに吸い込まれていった。
(な、なにっ)
丹田で、何かが爆発する……
不壊で固く締められた筋肉の鎧に、衝撃が浸透する。腹から入った「それ」は、胸元を通って頭にはいあがり、そこで再び、爆発した。
「ぐ、はあっ……!」
眼の前が暗くなる。立っていられない。
灘神影流、塊貫拳……
体内に打ち込んだ発勁の軌道を変え、爆発させる。王馬の眼と耳から血が吹き出した。ゆっくりと白目を剥く。
そして、力なく倒れ込む。
宮沢熹一は、それを無言で見下ろしていた。