2年の教室で有馬かなは朝から終始笑顔だった。いや朝からはというのは語弊で将来の旦那様(仮・未定・推定・妄想の産物)であるアクアがこの陽東を受験した瞬間から彼女は常に笑顔だった。一緒の学び舎で生活をすることが出来れば今まで変動することがなかった好感度は上昇すると思っていたからだ
「(先輩なんだし学校内を案内するのは当然のことね、それにここなら邪魔なアイツは居ないし時間のアドバンテージは充分にあるわ、ただ姉をどうするか問題よね?目立った活動をしていないのに芸能科にいるってことは身辺警護ってところか?)」
彼女は脳細胞をフル回転させてアクアとの学園生活をどうやって満喫するか妄想していた
「(味方に引きずり込む?いや黒川あかねが既に買収してタッグを組んでいる可能性もあるか、こっちは提示出来るメリットは無いに等しいのがマズい、ただ見た目がアホっぽいし勉強についてこれないかもしれない、勉強を教えるよりもテストの中身を伝える方が良さそうね)」
実はこの陽東高校芸能科では定期テストの問題が例年と同じ傾向であることが多い、決して手抜きという訳ではなく教師の人数が少なく、1人で数多くの生徒を受け持つので時間が無くテスト製作に時間を割くことが出来ないのが現状である。そのため学年主任や校長もこの件に関しては黙認している。とは言え提出物を出さなければ100点を取っても評価は低い
「(味方に引き込むんじゃなくて協力者になってもらった方が良さそうね。やっぱり定番は体育館倉庫かしら?”夕陽が差し込んでくる倉庫に2人だけで整理をしていたら先生が鍵を閉めちゃったって”そもそもスマホを手放している状況が有り得ないわね、屋上も面白いけどアクアを襲うには不向きだし狭い空間で外部と接触を断つ場所って意外と少ない)」
読者の方々は”ロッカーがあるじゃないか”と思われているが有馬は既に妄想の中でアクアと閉じ込められるシチュエーションを何度も経験している。実は彼と共演したドラマにて着用していた入院着を入手していた彼女は自宅に持ち帰り、落ち込んでいる時は縫いぐるみに着させてクローゼットの中に入って抱き合い脳内でロッカールームに閉じ込められた2人を作り出している。しかし所詮は作り物であり段々と刺激が薄くなっているのも事実である
「(いっそのことドラマで恋人役や夫婦役を演じることが出来れば、外堀りを埋めてゴールイン出来るのに)」
10代特有の想像力で今後のことを考えている彼女は数分後、とんでもない表情を周囲に見せつけるのであった。
閉じた瞳、重なる唇、絡み合う舌、時間が止まっているのを空気が教えてくれる。フリルは両手でアクアの頬に触れて堂々と彼の唇を奪ってみせた。学生なら憧れる教室内でのキスは見ている生徒たちの脳を破壊した。一般男性なら再起動するのに短時間で済むが相手はあの星野アクアだ!気軽に口づけをして許される相手ではない
「不知火さん?いったい何を?」
まず動き出したのは近くにいた担任だったが、重ね合わせていた唇を離しハンカチで口元を拭うと彼女はすかさず
「私は以前テレビ局でアクアに助けてもらいました!恩を受けたまま日々を享受することは理念に反します。だからそのお返しを今ここでしているだけです」
「ですが教室内でキスは…」
自身も経験したことが無い口づけを目の前にいる生徒は簡単にやってのけてしまった。正直なところ注意するよりも羨ましいという感情に溢れている。フリルは再びアクアの方に向き直り彼の顎をクイッと持ち上げようとしたが
「流石に2回目は無いから!」
「あらっ意外と素早いのね、
フリーズから復帰したルビーが彼女の背後に回り込んで羽交い締めにして弟から距離を離そうとするがフリルは動く気配すらしない。まるで足の裏が地球の核と一体化しているように感じてしまう。結局のところアクアの方が他の生徒に誘導される形で離れたことで事態は終息を迎えることが出来た
「さて理由を話してもらいましょうか?」
放課後となり別室で椅子に座るフリルを囲む形でルビー・アイ・ミヤコが今回の首謀者に詰問を行っていた。なおアクアは迎えに来た壱護とすっ飛んで来た黒川あかねが随行する形で下校している。
「恩人であるアクアに私の初めてを捧げました」
「だから、なんでキスをしたの‼しかも唇に」
アイは今にも暴れ出しそうな勢いで詰め寄ろうとするのをミヤコとルビーに押さえられたが、いつ爆発するのか分からないほどマグマが煮えたぎっている
「アクアにはいずれ私の伴侶になってもらおうと考えています」
「何を勝手なことを」
「別に彼が他の女性を迎え入れても構いません。ですが1番を譲る気は持ち合わせていませんのでご了承ください」
堂々と正妻発言を恥ずかしい素振りを見せずに口にする姿は10代で魑魅魍魎が跋扈する芸能界を渡り歩く歴戦の猛者としての風格を表していた
「そもそもアクアが恩人ってどういうこと?」
ミヤコの質問にフリルは顔を赤く染めながらゆっくりと口を開いた
「あの時の女の子がこんな大胆なことをするとはな?」
「この場合って恩を仇で返されたってことになるのか?」
アクアは壱護が運転する車の後部座席に乗って窓に映る風景をみながら心情を述べていたが、隣に座る彼女はゼロ距離で詰め寄り彼の手首に爪を立てて
「ねぇいったい何でキスされたのかな?私に黙って浮気したのかなアクア君」
今にも怒りスーパーモードで襲い掛からんとするがギリギリのところで耐えている黒川あかねに向けてアクアはフリルとの出会いを語り始めた
彼が出演したドラマの視聴率は平均で15%で最終回は33.4%の数字を叩き出した。製作側も続編と劇場版にGOサインの判子を押して脚本家は寝る間を惜しんで急ピッチで仕上げ、アクアは続編では退院扱いとなり出演はしていなかったが劇場版では再び入院患者として撮影現場に舞い戻った
「快感!」
劇場版では病院内に立てこもった脱獄犯たちを主人公のナースが機関銃で鎮圧するアクション要素が強い作品となりアクアも掃除用のモップで応戦している。なお当初の脚本ではハンガーをヌンチャクのように扱って
「ちがぁぁう!プラスチックじゃなくて木のヤツ!」
というシーンを盛り込む予定だったがスポンサー側から抗議が届いてしまい、やむなく変更となった。映画が完成すれば次は宣伝となり地方局に出向いてはご当地ローカル番組に出演するのだが
「星野さん、どうかおらが村に移住してくんろ!ここは都会と違って空気が美味しいところダス、村には多くの別嬪もいるんだ」
地方局のアナウンサーとご当地タレントがMCを務める陸の孤島と呼ばれる地域で番宣とグルメリポートを撮り終えたアクアはお土産に段ボールいっぱいの野菜と地元の名産お菓子を受け取っていると複数の老人たちに取り囲まれていた
「すいませんがそういった話は」
隣にいたミヤコが間に入って断ろうとする。都会の充実した暮らしに慣れた現代人に対して辺鄙な土地で暮らそうというチャレンジャーなど存在しない。ましてやこれから俳優として駆け上がっていくアクアに対して提示出来るメリットが”空気が美味しい”しか無いのは限界集落特有の文言である。無精卵を温めても雛は産まれない。しかし老人たちは期待してしまうアクアが村に来れば昔みたいに賑わいが戻るのではないかと幻想に夢を抱いてしまう
「あんたには聞いていないだ、ささっ星野さんどうぞこちらに」
老人たちはミヤコを押し返しアクアの腕を握って実力行使に出て来たが、テレビ局のスタッフや撮影クルー達に取り押さえられ駆け付けた警察官によって腕にシルバーアクセサリーを巻き付けてもらった。この一部始終はカメラで撮影され編集されたものがワイドショーで流され、老人たちの村は数年後地図から名前が消えた
「(眠いな~、北海道から日帰りだもんな)」
朝1番の飛行機で札幌に向かい生放送に出演してきたアクアはすぐに帰りの飛行機に乗り込んで都内に戻り20時から生放送される番組対抗クイズに解答者として参加していた。眠い目を擦りながら周囲を見ていると近くに座っていた女の子が苦しそうな顔でお腹を押さえているのが見えた
「(腹痛かな?いや違うなもしかしてアレか)」
雨宮吾郎時代に培った経験なのだろうか瞬時に予測を立てたアクアは打算的なことを考えていた。上手くいけば早く帰って休めるかもしれない。しかしその安易な選択が後々のキスに繋がるとは知る由もなかった
「大丈夫?無理をしないで」
CMになり席を離れたアクアは女の子に近づいて優しく声を掛けた。彼女の額からは大粒の汗が滲み出ていて明らかに不調のサインが見てとれた。彼は周囲の大人たちに”楽屋まで連れて行くから抜けさせてほしい”と頼むと労働基準法で定められた時間まで1時間というのもあり了承された
「ゆっくりでいいから」
「うん」
アクアは女の子の手を握ると自身の個室まで運んだ、本来であれば彼女の出演する番組に充てられた控え室が妥当だが大部屋ということもあり症状を予測していた彼は自分の所を選択する。部屋には壱護がいたのでメモに書いたモノを頼んだ
「少しお腹を緩めるよ」
「えっち」
ソファで横になっているが冗談を口に出来るレベルなら大丈夫だろうと思うアクアは
「生理痛は我慢しない方がいいよ、キツイ時は声を出さないと」
「なんで分かったの?」
「双子の姉がいるからね」
産婦人科医としての経験の賜物でもある。診察に訪れる患者には酷い生理痛に悩まされて頼ってくる女性や研修医時代に健康管理を疎かにしていた同僚を近くで見ていたので亡くなる直前の頃には目視で症状が分かるようになっていた
「アクア!スタッフから貰ってきたが、これでいいのか?」
「うん、頭を持ち上げて」
「衣装が濡れるけどいいのか?」
壱護からの問い掛けにアクアは頷いて自身の太ももと彼女の首元の間に氷を入れたビニール袋を差し込んで更にカイロを受け取ってお腹と腰に貼り付けさせた
「あっ気持ちいい」
普段はこんなことはしない。姉のルビーが助けを求めても市販薬を渡すだけだが医者だった頃の良心が残っていたこともあり彼女の助けに手を伸ばして掴んであげた。アクアはゆっくりと優しく腹部を摩り寝ている彼女を安心させることに心掛けた
「これは気休めにすぎないから、もし痛みが続くんなら病院に行くこと」
「ありがとう」
アクアの膝枕で寝ている女の子は段々と状況を理解していく、自身が男の子に膝枕されているなんてフィクションの世界でしか経験出来ないことを今自身が体験しているなんて、次第に心拍数が上昇し顔が紅潮していく
「フリルッ‼」
控え室のドアが乱暴に開いて母親らしき女性が駆け込んでくる。アクアは人差し指を口前に立てて静かにというジェスチャーを伝えると女性は自身と壱護に頭を下げて今回のことについてお礼の言葉を口にしていた
「じゃあこっちは帰りますので」
「本当にありがとうございました」
2人は身支度を済ませて控え室を出て行くのを見送ると残された娘は母に
「ねぇお返しどうしようか?助けてくれたのに何もしないなんて」
「そうねフリルが1番というモノをあげれば良いと思うわ、キスでもしたら面白いかも」
それは母親の何気ない冗談だったが不知火フリルは本気で考えてしまった。自身を助けてくれたんだそれこそ生涯を懸けて恩を返すのが筋ではないのか?
「(生涯!つまり恋人から夫婦になって一緒の布団で寝て激しい夜を過ごして子供を身籠って、朝はおはようのキスから始まって、2人で子供の送り迎えと一緒にスーパーで買い出しに行って買い物袋を真ん中にしてアクアと持ち歩く)」
既に夫婦生活を脳内で描いたフリルは自分の大切な初めてのキスを彼にプレゼントしようと、この瞬間に誓うのであった
やっぱキスはやり過ぎだった気がする。ハグ→キス未遂なら簡単に展開を作ることが出来たと今になって痛感しています。
次話は番外編その3です。早ければ月曜日の夜までに更新出来ように頑張ります。土曜日に常にアクセスのグラフが200を超えていてお気に入り登録も増えて驚きました。読者の方々が面白い・満足出来る作品になるように頑張っていきます。
感想を書いていただき誠にありがとうございます。誤字脱字の訂正をしていただきありがとうございます。