思い返せば、つまらない前世だった。
生まれつき病弱で、幼い頃からいつも病院のベッドで毎日を過ごした。
そんな僕の唯一の心のよりどころが、ポケモンだった。だから、これはきっと神様のプレゼントなのだろう。
短い一度目の人生を全うしたあと、僕はポケモンの世界に転生した。
ジョウト地方。
そこが2度目の、僕の生まれた場所だ。
二度目の人生は、健康的な肉体を持って、生まれた。
さらに両親に恵まれ、温かい家庭で育った。
これほど、幸運なことはない。
5歳になるころには、初めてモンスターボールを手にして、ポケモンを捕まえた。
最初のポケモンは確かコラッタだった。
10歳になるとジョウト各地のジムをめぐり、色々と忙しない毎日を過ごした。
けれどしばらく経った後、僕は心機一転し、両親と共にアサギシティに移住することにした。
たぶん、当時の僕は疲れていたのかもしれない。
穏やかに過ごしたいと、気が変わったのだろう。
そうして今現在、16歳を迎えた僕は、故郷のアサギシティで静かに暮らしている。
★
隠居老人のような生活をしていた僕であったが、ある日、ふと思い立った。
「ポケモンの世界に転生したのだから、伝説のポケモンと出会いたい」
実をいうと、この世界に転生してきて、まだ伝説のポケモンを目撃したこともない。
ジョウト地方はあらかためぐったが、その間、かの有名な三犬すらも遭遇することはなかった。
まだ出会ったことのないものと、出会いたい。
そんな冒険心が、僕を駆り立てた。
アサギシティを南下すると、40番水道が広がっている。
その奥地には、うずまき島がある。
原作ゲームに触れた者は、誰もが知っているだろう。
あの島には、伝説のポケモンであるルギアが生息している。
「そうだ、ルギアに会いに行こう」
僕は、すぐに行動に移した。
★
手持ちポケモンであるラプラスにまたがり、40番水道を横断する。
道中、海をおよぐ海パン小僧やビキニお姉さんと目が合う。
いざ、ポケモン勝負! となりかけたところで、僕は全速力でラプラスを水上移動させ、逃れた。
ここ最近、ポケモン勝負はしたくはない気分なのだ。
うずまき島は、ゲームの仕様と同じく、4つの入り口がある。
ルギアがいる最深部につながっているのは、4つのうちの1つだ。
ゲームでは、北東にある入口がその一つである。
そしてどうやら、この世界でもゲームと同じ仕様であったらしい。
北東の入り口に足を踏み入れる。
僕は、手持ちのメガニウムに<フラッシュ>を使わせ、内部を照らしながら、進んだ。そうしてあっさりと、最深部の洞穴まで着く。
最深部は、滝つぼがある広大な空間だった。
周囲は月明かりに照らされているように、青く発光している。
おそらく壁に埋まった鉱石が、光源になっているのだろう。
きょろきょろと、僕は周囲を見渡すが、何もいない。
そこで、僕は思い出す。
原作の金銀、もしくはHGSSにおいて、ルギアと出会うには、ぎんいろのはねというアイテムが必要である。
それを使用することで、奥地で眠るルギアを呼び起こすことができるのだ。
だが、僕はぎんいろのはねを所持していなかった。つまり、ルギアをお目にかかることはできない。
「……一旦、帰ろうかな」
そもそも、ぎんいろのはねを使用したところで、ルギアを呼べる確証はない。
「ぎゅうぎゅぐぐぐ」
その時である。そばにいたメガニウムが、不安そうに鳴いた。
「どうしたの……」
メガニウムの視線の先には、天井の隙間から降り注ぐ、滝がある。
あの滝の中に、何かがある。メガニウムは視線で、そう訴えているようだった。
目視して気が付いたが、どうやら滝の裏側に、空間があるらしい。
「まあ、せっかくだし、隅々まで探索してみよう」
僕は吸い寄せられるように、そこへ足を踏み入れた。
ぐるる、という低く、うなるような声が、狭い空間に反響する。
ポケモンの声だ。奥にポケモンがいる。
かなり大きなポケモンのようだ。
バンギラスだろうか?
いや、バンギラスはこんなところに生息しているはずがない。
その正体は、すぐに明らかになった。
薄暗い空間の中、地面に巨大な生き物が寝そべっている。
洗礼された、美しい白いフォルム。一対の翼。背中から生えた青色の骨板。
ルギアがそこにいた。
一歩一歩とルギアに近づくにつれ、背筋に鳥肌が立つ。
自分の何倍以上もの、大きな体。
その場にいるだけで、周囲をすくみあがらせるプレッシャーだ。
一目で、そこらの草むらから出没するポケモンと格が違うと、本能で理解させられる。
汗が噴き出して、その場から逃げたくなった。
自分の体が、伝説のポケモンという圧倒的上位存在に、畏怖しているのだ。
だが、それ以上に感動してしまう。
ついに待ち望んだ、伝説のポケモンを目撃できた。
捕まえようとは思わなかった。
自分のトレーナーとしての実力では、ルギアを捕まえ、さらにはパートナーとして扱うのは到底不可能であると思ったからだ。
目的は果たしたので、満足である。引き返そう。
そうして、踵を返そうとした瞬間である。
ルギアは首を上げて、僕の方を向いた。
その瞬間、僕はその場から一歩も動けなくなった。
ルギアの瞳には、敵意が宿っていた。
「ピギュゥゥ」
ルギアは体を起こして、相手を威嚇するように、翼を広げる。
メガニウムが、僕をかばうように、ルギアの対面へ移動する。
洞窟中に、暴風が吹き荒れる。
やがて風は、ルギアの口に収束していき、エネルギーの塊に圧縮されていく。
おそらくあれは、ルギアの専用わざである<エアロブラスト>だ。
「下がって、メガニウム! あれを喰らったら……」
僕も、メガニウムも、ルギアの威圧感にただ動けずにいた。
そうしてルギアの口から<エアロブラスト>が放たれそうになる。
「ぎゃぁ……ぁす」
だが突然、ルギアの<エアロブラスト>が霧散したのだ。
そのまま弱ったような鳴き声を上げて、ルギアはふらふらと倒れた。
「……いったい、なんだっていうんだ?」
そこでようやく僕は気がついた。
ルギアは全身に傷を負っている。
薄暗い空間だったから、ルギアの体が鮮明に見えていなかったのだ。
素人目でも分かるほどに、重傷だった。
頭のつま先から尻尾の先端にかけて、さまざまな傷がある。
打撲、切り傷、裂傷。とくにひどいのは、胸の中心あたりにある傷だ。血がこびりついている。
さらには、なんらかの状態異常にかかっていると思われる。
「ひどい、どうしてこんなことに……」
なぜルギアがここまで重症を負ったのか、その原因は謎であった。
ただひとつわかることは、このまま放置すれば、ルギアは死んでしまうことだろう。
僕はゆっくりと、ルギアに近づいた。
弱りきったルギアはまぶたをうっすらと開けて、僕をにらみつける。
「大丈夫、僕は君を傷付けない。だから攻撃しないで」
僕は努めて優しい声で、ルギアに敵ではないことを伝える。
自分の言葉が伝わっているのかわからない。伝わっても信じてくれるかわからない。
僕はバッグから、すごいキズぐすりを取り出して、ルギアの体に塗りたくった。さらになんでもなおしを口に含ませる。
「痛むかもしれないけど、我慢して」
最初は、胸部にある大きな傷だ。
次に、胴体部分、頭、足と翼、しっぽの順に処置をほどこしていく。
傷に触れるたびに、ルギアは「グルルル」と痛みに堪えるように声を出して、体を揺らす。
そしてその間、僕のメガニウムがルギアのおでこをペロペロと舐めて、落ち着かせてようとする。
くわえてメガニウムの首の花びらは、リラックス作用がある香りを放つ。
その香りのおかげで、ルギアは暴れる様子を見せなかった。
そうして、その場で自分ができるだけの、処置を終える。
僕はメガニウムを連れて、ルギアから離れた。
その頃になると、ルギアは僕たちに敵意を向けることはなくなった。
その翌日も、僕はうずまき島に向かい、ルギアの元へ訪れる。
僕の気配に気が付くと、ルギアは首を起こす。
そして僕と隣に連れたメガニウムがやってきたのを確認すれば、首を地面に倒して、ねそべる。
そこには、初めて出会ったときのような、敵意も警戒もない。
僕は昨日処置した傷の様子を確認したあと、バッグからあるものを引っ張り出す。
「はい、これ」
それは、ポフィンである。
シンオウ地方で特に好まれている、きのみで作られたお菓子だ。
タッパーに入ったポフィンを取り出し、ルギアの顔面に近づけてみた。
ルギアは、眉をしかめて、ポフィンを見つめる。
……警戒しているようだ。別に毒なんて入っていないのに。
「昨日からずっとここにいるでしょ。たぶん、何も食べていないよね?食べなよ。栄養を摂取しないと、傷も早く治らないし、元気にもならないよ」
僕の言葉に納得したのか、ルギアは渋々、ポフィンを口にした。
すると、ルギアは目を見開き、ぴくり、と硬直する。
次に僕が手に持っていたタッパーに、目を輝かせながら視線を送る。
そして目にもとまらぬ速さでタッパーに顔をつっこみ、中にあるポフィンをたいらげていく。
「……やっぱり、お腹を空かしていたんだ」
僕が持ち込んだポフィンは、何を言おう、あのポフィンの名産地であるヨスガシティの名店に販売されたものだ
その美味さは、他のポフィンを圧倒するほどであった。
ポフィンを食い尽くしたルギアは、物欲しそうに僕を見つめてくる。
僕が首を横に振ると、見るからに落ち込んだような表情を浮かべる。
どうやら、ルギアはポフィンがとても気に入ったようである。
それから次の日も、その次の日も、僕はうずまき島に踏み入り、奥地にいるルギアの様子を見に行った。
時々キズぐすりを使ったり、ポフィンをあげたりした。
ルギアの体にあった傷はどんどん治っていく。
そしてメガニウムはすっかり、ルギアに懐いたのか、じゃれようとする。
ルギアは、仕方ないといった様子で、相手をしている。まるでメガニウムの兄か姉のように見えた。
そんな微笑ましい光景を目にしながら、僕はふと、冷静になった。
──どうして、自分はこんなことをやっているのだろうか。
ルギアの治療をしたければ、いったんルギアをモンスターボールで捕まえて、ポケモンセンタ―に連れて行けばいいのだ。
わざわざ、キズぐすりを与える必要はなかっただろうに。
「……考えるだけ、無駄かな」
そうして一週間が経過する頃には、ルギアの傷は完治した。
胸にあった深い切り傷は、傷跡すら残っていない。
それは僕の治療のおかげというより、ルギアの驚異的な自己治癒力によるものだろう。
「それじゃあ、ルギア、元気でね」
すっかり元気になったルギアに、僕は別れを告げる。
そもそも勝手に、ルギアの住処に立ち入ったのだ。
もうこれ以上、関わらない方がいいだろう。当初の「伝説のポケモンと出会う」という目的はとっくに果たされたのだから。
ルギアから背を向けて、去ろうとする。
メガニウムが「きゅぅ」と寂し気につぶやく。
僕の中で迷いが生じた。
やっぱり、明日で最後にしようか。
いや、きっぱり今日でおしまいにしよう。
『待て、人間よ』
僕は振り返った。
ルギアと視線があった。
『一つたずねよう。なぜ、私を助けた?』
「もしかしてこの声は、ルギア……? 頭に響くこの感じは、テレパシーなのか?」
『ああ、そうだ。念力でお前に語りかけている』
声が、頭の中で響いている。変な感じだ。
『初めは、住処に踏み込んだ不届きものだと思っていた。だが私の予想は外れた。お前は何の対価も求めず、私の傷を癒し食糧を与えた。なぜだ?』
率直な質問だった。
「ただ、助けたかっただけだよ」
いっぱしのポケモントレーナーとして、倒れているポケモンがいたら放っておけるわけがない。
僕の答えにルギアは眉をひそめる。
『それが理解できぬ。人間とは愚かな存在だ』
「愚か?」
『ああ、そうだ。人間とは自らの利益をなによりも優先する。そして他を傷付けることをいとわない。あまつさえ、他の生きるものを隷属させ、自分の道具のように使役し、戦わせる。どこまでも傲慢で、強欲で、利己的な存在だ』
「……そ、そうなんだ」
他の生きるものとは、ポケモンのことだろうか。
『……まあ、この話をするのはここまでにしよう。
命の恩人であるお前に対して、人間をこき下ろすような発言をするのは、あまりに無粋というものだ』
「はぁ……」
『さて、本題に入ろう。
人間よ、お前は私の命を助けた。
お前が傷を癒さなければ、私はこの洞穴の奥で、朽ち果てていただろう。
ゆえに、お前は私の命の恩人だ。
よって私は、お前に恩を返さなければならない』
ルギアは、ずいっ、僕に顔を寄せてくる。
『お前の望みはなんだ。私が命にかけても、なんでも叶えてやろう』
目の前の、伝説のポケモンは、僕にそう言ってくる。
僕は命の恩人だ。だから自分の命に釣り合うほどの恩返しをしたい。何でも言うことを聞くと。
僕は、ごくりと唾をのみこんで、ある願いを口にした。
★
『……本当にこんなささやかなものでいいのか?』
さわさわ、と手に柔らかい感触が広がる。
「一度は、こうしてみたかった」
僕は両手で、ルギアの頭をふにふにと触っている。
僕が口にした願いはこうだ。「ルギアの体を触ってみたい」と。
くしゃくしゃと毛をなでてみる。
もみもみと頭をもんでみる。
とにかく、手触りがいい。
この伝説のポケモンは、伝説的なまでに手触りの良さがあった。
しばらくペタペタとルギアの体を撫でつづけていた僕は、満足して手を離した。
するとルギアは、不服そうに顔をしかめる。
『こんなものでは、私の恩返しをまだ終わっていない。私の命を救ったのだ。私の命に釣り合うほど、もっと大きな願いを口にしろ』
「うん、正直、もう満足かな」
『なんだと?』
「僕は別に見返りを求めて、ルギアを治療したわけじゃない。君が助かったのなら、それで十分さ」
ルギアは僕の言葉に、目を見開いた。
そして戸惑っているのか、ぐるる、と弱々しいうなり声を上げる。
『人間とは強欲だ! そのような利他的な行動を取るはずがない。私を恐れているのだろう。だから偽善に走っているのだ! 本音を話せ』
「いいや、素直も素直だよ」
僕がそう言うと、ルギアはまたしても信じられないといった風に、目を見開く。
だから、僕はつづけた。
「ルギアは……人間は、全員が自分勝手な存在だって思っているかもしれない。
けど、みんながみんなそういうわけじゃないってことを、分かってほしいかな」
僕がじっと見つめると、ルギアは目をそらした。
『……お前は、奇妙な人間だな』
少しでも、人間への偏見がなくなってくれるといいのだが。
「じゃあ、僕はもう帰るよ」
『待て、人間。お前はこれから家路につくのだろう。ならば、そこまで送迎してやる』
意外な提案だった。
ルギアが背中に乗せて、家まで飛んでくれるらしい。
思わず、その提案に頷きたくなるが、僕は首を横に振る。
「ううん、別にいい。それじゃあ」
それから僕は、短く別れを告げ、洞窟を出た。