『起床の時間だ』
「ううん……眠い。あと10分だけ」
『お前以外の人間がそのような口答えをすれば、海の藻屑にでもしてやるが……いいだろう、待ってやる』
いやー、そう言ってくれると嬉しいね。
じゃあ、おやすみ。
…………。
『起きろ。もう30分経つ』
「……え、もうそんな時間。うーん、あと10分」
『昨日も一昨日もそう言って起きなかっただろう』
いいじゃん、いいじゃん。
『……』
ぶぅん、と何か風音がした。
顔面に風圧を浴びて、眠気が吹き飛んだ。
天井が視界にうつった。
僕はベッドの上に仰向けで寝ている。
体にかけていた毛布が部屋の端まで吹き飛んでいる。
鏡で自分の顔を確認すれば、髪が逆立ちしている……。
叩き起こした張本人を、僕はにらみつける。
「毎日毎日勘弁してくれよ。これで何回目なんだ!」
机の上に置かれたモンスターボール。そこから、テレパシーの声が聞こえた。
『ようやく目が覚めたか。毎日、こうやって起こすのには手間取る。部屋を散らかさないように、風の力を調整しなければいけないからな』
「そんな配慮ができるなら、せめてもっと優しく起こしてほしいね」
『それは、主であるお前のためだ』
「ぼくのためなら、少しはゆったりするのを許してくれよ」
『たしかにお前が人間どもの中では、いっとう清らかな心を持っているのだろう』
ルギアはどこか敵意のこもった声でつづけた。
『しかし人間とは容易く堕落する……。
それは生来人間が持つ、救いがたい性質なのだろう。
お前には莫大な恩がある。
だからこそお前という人間が堕落し、愚かな存在へとなり果てるのに目を光らせなければならない』
なんて極端なんだ。堕落……たかだかグータラ3度寝するくらい、別にいいじゃないか。
僕はため息をつきながら、ルギアが入ったモンスターボールに手に取って、部屋を出た。
★
あれからちょうど一週間が経過した。
僕の日常は、大きく変貌したといってもいい。
アサギシティに引っ越してからの生活は、代わり映えのしないものだった。
この海風が吹き付けるアサギシティの街で、ゆったりと過ごす。
毎日同じ景色、同じ場所。
昔はどこにでも行きたくて、このポケモン世界の何かもに目を輝かせていたけれど、今はすっかり燃え尽きた。
だからそのせいか、昔の知り合いには「独居老人みたいだ」と言われる始末。
しかし、そんな刺激のない生活は終わりを告げた。
僕は新しい手持ちポケモンを手に入れた。
それも、ただのポケモンではない。
かつて人々が神として信仰していた、伝説ポケモン、ルギアをだ。
「……ほら、ぼさっとしていないで、ごはんが冷めちゃうわよ」
「あ、うん、ありがとう母さん」
リビングの食卓に座った僕は、いつものように朝食を取る。
その隣で、エプロンを外して、席に座った母さん。
フローリングでは、ポケフードにありつく、イーブイ。
毎日繰り返される朝食の光景だ。しかしここ1週間は、少し様子が違う。
『まさに絵にかいたような傲慢な態度の人間だ』
食卓に置いたモンスターボールが、ころんと揺れた。
そこから聞こえるのはルギアの思念だ。
「手をあわせて、いただきます。もうスクールに通っていたころじゃないんだから、それぐらいわかるでしょ?」
「ああ、ごめん、ついぼうっとしちゃった」
「今日はコイキングの塩焼きよ……ちゃんとご飯になったポケモンには感謝しないとね?」
僕は、皿に乗った、こんがり塩焼きにされたコイキングに視線をやる。
……正直、この世界の食文化には今でも慣れない。
だから、ポケモンを食うことに、ちょっとだけ抵抗感がある。
『ふん、ポケモンに感謝、だと? いかにも人間らしい欺瞞だ』
またしてもルギアは偏見に満ち満ちた声をテレパシーで送ってくる。
『それにしても意味がわからない。
なぜ? 生物の死骸にあのような礼儀作法をおこなうのか?
生き物は死ねばそれで終わりだ。
わざわざ感謝などしても、死んだ者に届くはずがない。
それに、自分を殺した人間どもに感謝などされて、喜ぶ者などいない。
人間の行動はまったくもって、理解できんな……』
テレパシーは僕にだけにしか聞こえない。
本当に人間嫌いだね? 流石に胃もたれしてきた。
「ちょっと静かにして」
『……』
だから、そういって窘めるのが、毎度恒例のやりとりである。
「静かにしてって、ちょっと、なんて態度なのよ?」
「わっ、母さん、違うんだ。これは母さんに言ったわけじゃ……」
その後、なんとか母さんを説得するのに苦労した。
★
『早くここから出してくれ。狭苦しい。他の者たちはこのような苦行に耐えているのか?』
食事を終えた僕はから外に出て、家の裏手にある雑木林に向かう。
僕がモンスターボールを放り投げた。
地面に落下したモンスターボールが開いた瞬間、空気が軋んだ。
どこからか風が吹いて、草木が揺れる。
そして放たれたプレッシャーで、本能的に僕の体が震えあがった。
……もう何度もその姿を目にしているのに、僕の体は未だに慣れていないのだ。
美しい真っ白な流線体の巨体。
ルギアは嘴のようなとがった口を開き、ぐるる、と喉を鳴らす。
『ようやく外に出られたか。この玉の中は窮屈だから我慢しなければならん』
「そこは堪えてね。君の体は大きすぎるから、家の中に入りきらない」
『わかっている。ただ理屈では納得できてもな……』
僕は懐から、いつものアレを取り出す。
すると、ルギアは目の色を変えた。
僕はポフィンはたんまり詰め込まれたタッパーをルギアに見せる。
するとルギアは首を突き出し、今か今かと待ちわびている様子だった。
『はやく! はやく! それだ、それを食べたい!』
「わかった、わかった、ゆっくり味わってね』
『言われなくとも!』
そのままルギアは、ものすごい勢いでポフィンを平らげる。
その姿はとても威厳ある伝説ポケモンとは思えないものだった。
「本当に、このポフィンが好きなんだね……」
うずまき島で出会った時もそうだったが、ルギアはこの高級特製ポフィンを大変気に入っているようだった。
『当然だ、これほど美味な物は今まで食したことがない!』
ひどく興奮した表情で、あっというまにポフィンを食べつくしてしまった。
ああ、結構、このポフィンって値段が張るんだよな。
けど、おこづかいは昔の冒険でいっぱい貯めているし、最近使い道もないから……別にいいか。
『人間は愚かで救いようがないが、この至高の餌を作り上げたことだけは賞賛に値する』
そうテレパシーを送って、ルギアは首をこくりと上げて、おかわりを催促してくる。
いつもなら、ここで2杯目のポフィンをあげるところだが、その前に僕はこう言い放った。
「ひとつ言ってもいいかな?」
『なんだ?』
「母さんの悪口を言ったよね。訂正してほしい』
『……』
ルギアは少し押し黙ったあと、こう返した。
『母さんとは、あの人間の女のことか?』
「うん」
『あの人間はお前にとって大切な存在なのか?』
僕はその質問の意図がわからなかった。
だって家族なのだから、大切に思うのは当然だ。
「そうだよ。なにせ親なんだから」
『お前を傷つけてしまったのか。なら、謝らねばならないな』
そう言ったあと、ルギアは翼を軽くはためかせて、頭を地面に向けて垂らす。
『すまない、あの人間はもっとも身近な同胞なのだろう。ならば私の発言は、お前にとって最大の侮辱と取るのだろう』
それからルギアは、さも当然のようにこう言い放った。
『この首を刎ね落としてもらっても構わない』
「え、ええ!?」
『私は、お前と契約を交わした。
命ひとつを救った恩は、すなわち、この命ひとつ。
お前は主であり、私の命運をすべて握っている。
そして、お前の名誉を今、傷つけた。つまりこれは――「はい、ストップ、ストーップ!」
僕は「極端に考えすぎないでね」と落ち着かせてから、こう聞いた。
「あのさ……どうして、そんな風に思ったの?」
『なに?』
「ポケモンでも、自分の生みの親は大切に思うでしょ? それはルギアにも分かるよね?」
ルギアは、ぐるると小さくうなり声をあげた。
『……私には親という存在がいない』
「親が……いない?」
『ああ、そうだ。物心がついたときには、私は海の底にいた。自分を生み育てた存在は傍にはいなかった』
「同じ種族の仲間はいたんじゃないの?」
『いいや、同族とは生まれてこの方出会ったことはない。何度か探し回ったことがあったが、見つからなくてな』
僕はすっかり失念していた。
こうやって言葉は交わせるけれど、僕は人間で、ルギアは伝説ポケモン。僕たちが人間の尺度とは違う存在なのだろう。
「気にしないで」
『悪いな、主であるお前に気を遣わせてしまうとはな』
なんでそんなに極端なのかな?
この1週間で、多少ではあるが、ルギアの性格が分かってきた。
ルギアは、心の底から人間を嫌っている。
命の恩人である僕以外の人間に対して、見境なく敵意や嫌悪を向けている。
僕の親ですら、その対象なのだ。
事情は知らないが、過去に何かあったのだろう。
少しでも、人間に対する認識を変えてほしいと思うばかりだ。
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『ねえ、君はどうしてチャンピオンになりたいの?』
彼女の言葉を思い出す。
自分の中にある、数少ない温かい記憶。
僕はそれを忘れようと振り払う。なぜなら、僕にはそんな感傷に浸る権利すらないからだ。
野生のポケモンが現れた。
たたかう。
けいけんちを得る。
野生のポケモンが現れた。
たたかう。
けいけんちを得る。
野生のポケモンが現れた。
たたかう。
けいけんちを得る。
まるで作業のように、何度も繰り返す。
ここはシロガネ山の山頂付近だから、とても寒い。体がかじかんで、いつのまにか肩に雪が降り積もっている。
頂上にはあの人がいるが、自分のような才なしでは到底かなうはずがない。
朝から晩まで、血反吐を吐いても、体の節々が痛くなっても、心がやめたいと泣き叫んでも、つづける。
だってそれが、彼の人生を奪ってしまった僕の償いなのだから。