「こんにちは」
その日もいつものように、家でぐーたらしていると、来客がやってきた。
ミカンちゃんだ。
「稽古のお相手をしていただきたいのです」
ミカンちゃんは開口一番、そう口にした。
びっくりした。彼女から、ポケモン勝負の練習に誘われるなんて初めてだったから。
「……いいけど、今から?」
「はい、今すぐに」
ひょっとすると、彼女はもう僕が立ち直ったと思ってくれているんだろうか。
一時期結構ひどい精神状態だったし、とにかく追い立てられていた。傍から見れば今の僕とは別人みたいだったと思う。
だが、続けてミカンちゃんが言い放った言葉は、さらに衝撃的だった。
「ルギアと勝負してもいいですか?」
「ん、んん!?」
『なんだと、小娘?』
僕は手の平の上に、ルギアが入ったモンスターボールを乗せていた。ころん、とボールは揺れ、そこにいるルギアが思念を飛ばす。
ミカンちゃんはにこやかに、こう答えた。
「ごきげんよう、ルギアさん」
『小娘、この私と殺しあいをするつもりか』
「ちょっとストップ! 一旦落ち着いてくれ」
『落ち着くもなにも。この娘は、私と命をかけた決闘を申し出てきたのだ』
「違うって、君は誤解をしている!」
『誤解……?』
慌てた僕は、すぐに釈明する。
『ポケモン勝負だと? ……それはなんだ?』
ルギアはそうたずねてくるので、僕は要点をかいつまんで説明した。
「ほら、前に言っただろ?
ポケモンを持っている人間を『ポケモントレーナー』っていうんだ。
で、ポケモントレーナー同士は目と目が合ったら勝負をする。
おたがいに自分の手持ちポケモンを戦わせるんだよ」
『なにっ、人間どもは享楽のために、ポケモン同士を殺し合わせているのか!?』
おいおい、ちょっと待ってくれ。
またしても、とんでもない誤解をしている。
「違う違う、はい、落ち着いて、冷静になってー、深呼吸しようねー」
そろそろルギアの扱い方が分かってきた気がする……。
『いじっぱり+せっかち+まじめ』の三点欲張りな性格は、一旦落ち着かせるのが大切だ。
「そんな物騒なものじゃないよ。
ポケモン勝負は、おたがいにポケモンがわざを繰り出して、試合をおこなうんだ。
相手の持つポケモンがすべてひんし状態になったら、自分の勝ち。逆にこっちがそうなったら負け。
けっして命の取り合いなんかじゃないよ」
ルギアは、考えるそぶりを見せた。
『少なくとも殺し合いではないのか……。だが。おたがいに瀕死になる寸前まで戦わせるとは、人間の競技に付き合わされるポケモンたちが哀れでならない』
「それはまぁ……最初はそう思って当然だろうね」
ルギアの考えは、完全には否定できない。
この世界に転生して、ポケモン勝負を初めて目にしたとき、僕は恐怖したことを覚えている。
ポケモン勝負は、ポケモン同士は全力で戦う。
普通の人間がくらえば大けがでは済まないような、攻撃の応酬。
勝負の中で、ポケモンたちはもちろん傷つく。
恐いし、辛いし、痛いだろう。
僕は当時の衝撃を思い返して、どう答えればいいのか迷った。
そうこうしているうちに、僕の手の平にあるモンスターボールが振動する。
中にいるルギアの感情が伝わってきた。
『戦うとは、本来、己の身を守るためにあるものだ。縄張りを死守するため、食糧を得るため、あるいは脅威から生き延びるため……』
それは静かな怒りだった。
『これは人間の快楽を満たすためにおこなわれている。ポケモンひいては生命に対する侮辱だ!』
「違います」
ピシャリ、と否定の言葉を口にしたのはミカンちゃんだった。
『違うとはどういうことだ?』
ルギアが鋭く声を発する。
「私のポケモンたちは、私の命令で戦っているんじゃありません」
『なぜわかる?』
ミカンちゃんは腰のホルスターに収まったモンスターボールへそっと手を伸ばした。
まるで相棒の存在を確かめるような仕草だった。
「いつもこの子たちと一緒にいるから、分かるんです。
強くなりたいから。
仲間と一緒に頑張りたいから。
勝ちたいから。
そう思ってくれているんです」
ルギアは反論する。
『それはお前の思い込みかもしれんぞ』
「もしそうなら、わたしはこの子たちを戦わせません。だって勝つことより、この子たちとの信頼のほうが大切ですから」
『……』
ルギアはしばらく黙り込んだあと、こう言った。
『主よ』
「うん」
『頼みがある』
「言ってみて」
『一度でいい、ポケモン勝負とやらをこの目で見届けて構わないか?』
僕は思わず、目を見開いて、声が出そうになった。
人間をあれだけ信じないと口にしていたルギアが、そう言うなんて、まったく予想できなかったから。
僕は「いいよ」と即座にうなずいた。
★
ポケモン勝負の場所は、ミカンちゃんのとっておきの秘密の訓練場所だという。
「ここだったら、ルギアは誰にも見られません」
アサギシティジム内部。その奥にはジムリーダーが挑戦者を待つ部屋がある。
そしてその部屋の裏側には、ミカンちゃんの、秘密の特訓部屋があるという。
「あなただけですよ。他の方には決して見せませんから」
そう言って、ミカンちゃんが口元で人差し指を立てたとき、なんだか胸がドキリとした。
ミカンちゃんの特訓部屋は、ジムリーダーが鍛錬するにふさわしい、設備の整った訓練所だった。
体育館程度の面積の、箱庭のような大部屋。
サンドバッグ、ランニングマシン、ポケモン用のウェイト、ノートがぎっしり詰まった本棚があちこちにある。
そして部屋の隅にあるポケモンセンターで使用される回復装置が配備されている。
つまり、遠慮なく勝負ができるってことだ。
部屋の中心にあるバトルコート。その両端に、僕とミカンちゃんが立った。
おたがいに、モンスターボールを握っている。
『では、とくと拝見させてもらおうか』
コートから少し離れた位置には、ボールから外にでたルギアがどかりと座り込んで、観戦している。
勝負をする直前、ミカンちゃんはこんな風なことを言った。
「……断られるかなって思ったんです」
「ルギアのこと? まあミカンちゃん以外の人には秘密にしているしね」
「あっ、そうじゃなくて……」
ミカンちゃんは、どこか遠慮がちにこう告げる。
「だってもう、ずっとポケモン勝負をされてなかったじゃないですか?」
「そういえば、そう……だったね」
「もう、二度とコートに立つことないと思っていましたので」
ポケモン勝負はもう何年もしていない。
別に嫌いになったわけじゃない。怖くなったわけじゃない。
ただ、きっと疲れてしまっていたのだろう。
だから僕はポケモン勝負の世界から降りて、今では怠惰な生活ばかり送っているのだ。
「もう一度、君がポケモン勝負をしてくれて、わたしは嬉しいんです」
ミカンちゃんは、ニコリと朗らかに笑った。太陽のように明るく、けれど彼女らしい優しげな笑顔。
「あ、うん、ありがとう……」
なぜかわからないけれど、心臓がバクバクした。
そのせいでうまく言葉を返せなかった。
『ふむ、心拍数が上がっている。主はあのミカンという娘に発情しているようだ……!』
外野が余計なことを言っている。
『やはりあの二人は番なのか? いや、友人という間柄らしいので違うか、いやひょっとすると、友人とは番という意味なのだろうか?』
念のために釘を刺しておくか。
「ルギア、今日はポフィンの量を減らすね」
『なぜだ? 本当のことを言っているだけなのに……』
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「……誰ですか?」
「……」
「あなたは……そんな、まさかご本人に会えるなんて!!」
「……」
「サインください! レッドさん!」
「……」
「え……<ペンを持っていないからできない、ごめんよ>ですって? それはまあ、こんな場所でペンなんて持っているわけないですもんね」