◇ ◇ ◇
夢を見た。あの日の夢だ。何度も何度も見た悪夢だ。
あたり一面の赤い部屋。壁にもペンキをぶちまけたように、飛沫が飛んでいる。
ひたり、裸足を冷たく不快な感触が包む。赤いのは部屋じゃなくて、部屋中に広がっている液体のせいだった。
足を上げると、水滴が撥ねる。ただの水よりも粘度の高い不快な赤色の液体を踏みつけながら、目的の二人の姿を探す。
足元に転がっていた塊に気が付かずに、足を引っかけて転ぶ。
少しだけ、地面の赤が口に入る。鉄棒を舐めてみたときみたいな独特の苦みと、ねちゃりと粘着質な感触で気持ち悪い。
こんなところに何か置いてあったっけ。思って、見てみる。
見なければ良かった。
どうしてこうなったんだっけ。私のせいかな、私が悪い子だったからかな。
私が――。
「――本当に、最悪な気分」
瞼を開けば、目に映るのは無機質な天井。夢の中で見ていた赤色は、どこにもない。
夢から覚めても、気分の悪さは続いてる。
十二年前のあの日の事を忘れたことはない。
彩花にあの問いかけを投げかけられてから、余計に夢を見る頻度が高くなった気がする。
芹香ちゃんも忙しくなったのか、あんまり来てくれなくなったのも影響しているかも。
何を隠しているのかは、結局教えてもらえてない。
一応、芹香ちゃんたちが取り組んでいる魔法少女支援策の手伝いはしてるんだけどね。
心を開いてもらえてない。ってよりも、別の理由で隠してる感じはした。
善意で隠してるんだったら、無理に聞き出すのも難しい。
芹香ちゃんは信念を抱えている子だから。決めたことは、曲げないでやりきれると思う。
「私は……」
ここ最近はすっかり魔人と戦ってない。
魔法少女とは何だったのかと言わんばかりの平穏に、心が不思議とざわついている。
本当に、私はこのままでいいのかな。
私は、何かを忘れてるのかな。忘れてるとすれば、一体何を忘れているんだろう。
「魔法少女に、なった理由……」
きっと、そこに理由がある。
知らないといけない。知るべきだ。
この胸の奥のわだかまりを解消するために。
「美羽! 美羽!」
「どうしたの、ポムム」
「町がおかしいポム!」
町がおかしい?
どういうことだろう。
「冷静になって。おかしいって、どういう状況なの?」
「わ、わからないポム。町中から魔人の気配がするんだポム」
町中から魔人の気配がする?
明らかな異常事態だ。すぐに動かないと。
「変身! ルミコーリア!」
変身を終え、すぐに家から飛び出す。
まだ空が白んでいる時間帯だからか、空気がやたらと冷たく感じた。
状況がつかめない。家から出たばかりだと、魔神の姿はどこにもない。
あれだけポムムが騒いでいたのにも関わらず、異変がないってのはおかしい。
「ポムム! 状況を――」
呼びかけても返事がない。隣にいるはずだったのに、姿が見えない。町も静かだ。
状況を理解した時には、すでに遅かった。
視界が歪む。ふらついているわけじゃない。転移の魔法だ。
一瞬の暗転を挟んで、目の前の光景は全く別のものに切り替わっていた。
ここは……工事現場?
「やあ、ルミコーリア」
「……またなの、ステラフィクス」
「うん、まただね。芸がないって? それはごめんよ、八年間も付き合ってるんだから、そろそろネタ切れなんだ」
影を纏う魔法少女、ステラフィクスが、少し離れたところに立っている。
大学構内で争った時とはまるで立ち振る舞いが違う。今度は完全に準備万端ってことだよね。
「この間言ったことは考えてくれた?」
「私が魔法少女になった理由を思い出せ、ってやつ?」
「その通り。自分を見つめる覚悟は、できたかな」
ずきりと頭が痛む。まただ。
この頭痛の答えを、彩花は知ってるのかな。
「……残念だよ。少しばかり、荒療治しないといけないみたいだね」
ステラフィクスは本当に、心の底から残念そうに表情を歪めた。
「ねぇ、何がしたいの」
「それを明かすためにも、少し話をしようか」
私の様子を把握してか、彩花は悠然と語りかけてくる。
「久遠美羽という女の子の話をしよう、ルミコーリア」
何がしたいんだろう。何をしようとしているんだろう。
わからない。いや、分かろうとしてない? 私の事が、わからなくなってきてる。
「十二年前には魔法少女という存在がまだ一般的じゃなかった。同時に魔人もオカルト同然にしか、存在を認知されていなかった」
その通り。当時は、誰も魔人について詳しく知らなかった。
魔人や魔法少女について大きく存在を知られ始めたのは、十年前に魔法庁が設立されてからだ。
「施設に移った少女は、そのきっかけとなった理由も信じてもらえないまま、肩身が狭い思いをする。でも、それは彼女にとって重要な事じゃなかった。なかったんだよ」
彩花は、何をしようとしているんだろう。
私の昔話をして、何になるっていうの?
『本当に、わからないの?』
耳元で女の人の声がした気がした。
「四年が経過し、その女の子は魔法少女になる。でも、冷静に考えてみて欲しい。少なくとも、彼女は冷静に考えてしまった。魔法少女になる、なれるという意味を」
胸の鼓動が激しくなる。
ステラフィクスの声は鈴の音のように響き、するすると私の耳を通って頭の中に滑り込んできていた。
「彼女は疑問に思っちゃったんだよね。魔法少女になれる才能があったのなら、どうして、って」
「……止めて」
「女の子が八歳の時、両親が死んでいたんだ。原因は、今ならわかる。魔人によるものだった」
「止めて」
「あの時、自分が魔法少女になれれば、両親は死なずにすんだんじゃないかって」
「止めて!」
苦しい、苦しい、苦しい。なんで苦しいのかもわからないまま、私はそれ以上言わせまいとステラフィクスへと襲い掛かる。
全速で近づこうと数歩踏み出したところで――踏みつけた地面が大きな爆発を起こした。
衝撃は私の全身を打ち付け、宙に浮かび、背中から地面に叩きつけられる。
丈夫ばかりが取り柄だからか、大した怪我はしてない。
「そうなると思って、事前に準備はさせてもらったよ。この周辺には、魔力感知で起動する爆薬を仕掛けさせてもらった」
星の目と、彩花自身の思考処理速度による疑似的な先読みの厄介さは、こういう事前準備が可能な場所でこそ本領を発揮する。
でも、爆薬というのなら、空中には仕掛けられないはず。
今度は地面を走るのではなく、宙を駆けようとして――背後から衝撃を受ける。
「それも見えてるよ」
魔力砲? こんな遠隔で?
この間見せてくれた魔力砲は、全てステラフィクスの近距離から放たれていた。
隠していたってこと? あの時から、この瞬間が来ることが分かっていたってこと?
違う。この子なら、そんな不確定な考えはしない。
こうする予定だったから、あの時に隠したんだ。
「話を戻そうか。可哀そうな少女は、両親を救えなかったのは自分のせいだと思い込んだんだ」
黙らせようと体を動かそうとすると、先んじて魔力砲が飛んできて邪魔をされる。
避けようとすれば、爆薬に検知されて吹き飛ばされる。
動く余裕がどこにもない。機動力を徹底的に削ぎにきている。
「少女は賢かった。だから、理論を組み立ててしまう。自分の都合が悪い方向へと、どんどんどんどん積み立てていく」
本当に、これ以上聞きたくない。
でも、動こうとするたびに、魔力砲で制止させられる。
言葉は止まない。
「何のために魔法少女になったのか、魔法少女になれてしまったのか。魔法少女とは何なのか。私は、なんなのだろうか」
繰り返し投げかけられる問いは、的確に私の頭の奥の扉を叩く。
無意識に封じ込めていたはずのそれは、開けてくれと叫んでいる。
開けたくない。見たくない。
私は、私は普通だから――。
「美羽」
不意に優しい声色になった。もっとも、私はそんなことを気にしている余裕はないけれど。
でも、次の言葉を聞くための振りだったなら、とても効果的だった。
「――クリムセリアたちも、美羽の過去を知っているよ」
さっきまですごい勢いで巡っていた思考が、不意に鳴りやんだ。