悪役令嬢は二度、運命を書き換える 作:ベル
東京の夜空に星々が宝石のように瞬く。高級ホテルの宴会場の一角。
シャンデリアがこうこうとレッドカーペットを照らし、ざわめきが響く中に祝宴の主人公がいた。
内田彩花──25歳。人生初の舞台で緊張に身を包んでいた。
私は今、ライトノベル作家として、代表作『氷の公爵と悪役令嬢の栄光の破滅』のドラマ化プレミア試写会に臨んでいる。
黒のドレスの裾を握りしめながら、業界の著名人たちの前で笑顔を絶やさない。
息が詰まりそうだ──素顔を隠す眼鏡の奥に隠した緊張はもう限界だ。ここに自分が見知った顔はほとんどない。
見知らぬファンや記者の視線。唯一安心できるのは担当編集者の存在だ。安心させようと彼女に微笑んでみせる。
待って、待って、私の心臓! 人生もうあるかないかの一大舞台なんだから!
張り裂けそうな心臓を抑え、張り詰めた緊張はインタビューで最高潮だった。
「エリザベートは私の分身です」
インタビューで絞り出した言葉は、私の心の奥底に渦巻く後悔を隠しきれなかった。
『氷の公爵と悪役令嬢の栄光の破滅』は、ひねくれた悪役令嬢が、婚約者である冷徹な公爵との関係を通じて、自らの破滅の運命に抗う物語だ。
彼女の追放劇と破滅は、決して悲劇ではなく、放浪の中で真の愛と栄光を手に入れるための第一歩だ。
すでに完結の物語まで終了してネットに公開されている。
私の中に後悔がある。あの破滅の結末を、何としてでも変えたかった――
それは昔から私の中にあるビジョンだ。物心ついたか頃から見る夢の中に登場する人物たちの記憶と物語がある。
それが物書きを目指したきっかけだった。学生の頃にノートに書いたストーリーは書籍化に当たっての大きな力になった。
ただの物語のキャラクターではない。ペンを握るたび、彼女の悲劇がまるで自分のことのように胸を締めつけた。
エリザベートの絶望が、私の心の痛みになっていたのだ。
巨大なスクリーンに、予告編が流れ始める。私が生み出した悪役令嬢、エリザベート・フォン・ルミエールが映し出される。
あでやかな黒い髪のエリザベートが、扇を手に貴族を見下ろすその姿は、まるで私自身を映す鏡のようだ。
扇を振って「くだらない濡れ衣ね」と言い放つシーンで、会場の観客たちの表情が変わるのを、私はじっと観察した。
映像を通して初めて、物語が読者に与える感情の波紋を肌で感じた。
その瞬間、胸元の紫のペンダントが熱を帯びた。ペンダントが光を放つ。
頭の中に原稿の文字が視覚的なイメージとなって浮かび上がり、震えた。
『くだらない濡れ衣ね』
「……え? 何?」
視界で踊る文字に目が滲み、繰り返し何度も見た、あの紫色の光景が鮮やかに蘇る。意識が過去へと引きずり込まれる感覚。
周りの景色も会場も人も消えていた。
まるで糸を引かれるように、深い淵へと落ちていく。その中で、何者かの囁きが耳元に響いた。
「封印が……目覚める……」
「誰の声なの?」
私の意識は、問いかける間もなく闇に沈んだ。
◆
目を開けると、そこはもう東京の会場ではなかった。夜景に輝く都会の面影はどこにもなく、無理をして身につけていたレンタルの黒のドレスは、いつの間にか豪華な衣装へと変わっていた。
この衣装も光景も私は知っている。仮初の映像の世界ではない本物の──
その感触は、私の肌に違和感なく馴染んでいる。冷たい石の床の上で、私は確かにエリザベート・フォン・ルミエールだった。
右手には扇が握られている。そして左胸には、紛うことなく紫のペンダントが輝いていた。
事態が飲み込めないまま、耳慣れたセリフが響いた。
「エリザベート・フォン・ルミエール! 魔王と結託し、王国を裏切った罪を認めなさい!」
貴族たちの怒声がホールに響き渡り、彼らの視線が私を突き刺す。その圧に、体の芯から震えが走った。
知っている! 私はこの声を知っている! 声優の声ではない、本物の彼の『声』だ。
中央には、氷のような青い瞳を持つアルフレッド・ヴァン・クロフォード公爵が立っている。
彼こそが、私が創造した物語の主人公。魔王の復活を防ぐ、王国の守護者。
いや……違う。
イメージの公爵は、創作のために読者に向けて造り上げた姿ではあるが、夢のビジョンで見た記憶に近い姿を再現したものでしかない。
だが目の前の人物は脚色のない真実の姿でそこに立っている。
(私はここに帰ってきたのだ!)
原作と記憶が、鮮烈な光景となって蘇る。
ここは第一章――エリザベートが冤罪で処刑される場面だ!
そして彼を前にして涙があふれそうになった。自分でも訳が分からない状況なのに。
私の中のエリザベートの記憶が、怒涛のように流れ込んできた。
ルミエールの家門は、魔王が王都を灰燼に帰した夜に、その力を封印した聖なる血統だ。
その絶大な力を恐れる貴族たちが、私を排除しようとしている。
だが、エリザベートは無実だ。この物語は、私が変えることができる!
「エリザベート、魔王との書簡が見つかった。弁明は?」
想いに揺れて俯くエリザベートにアルフレッドが一歩踏み出し、冷徹な声で問いかけた。その声には微かな震えが混じっていた。
彼は王国への裏切りを恐れている一方で、聖なる血統を引き裂くことへの恐怖も感じているはずだ。その葛藤が、僅かに声音に滲んでいるのが分かった。
ここで泣き崩れている場合じゃない! 最序盤で負ければエリザベートは長い放浪にでることになる。
あまたの苦難を乗り越えて……だがそれは物語として脚色した多くのエピソードが入り混じっている。
その道は直感で私の歩むルートではないと感じた。
私の手で結末を書き換えるんだ! 彼との和解が物語の果てでは遅すぎる!
私は決意を込めて唇を噛み締め、アルフレッドと、彼を取り囲む貴族たちに向き直った。
扇を握る手に力を込め、エリザベートは空気を切るように扇を広げ、不敵な微笑みを浮かべた。
今この瞬間、内田彩花はエリザベートそのものだった。彼女の意志が怯えるエリザベートの心と繋がって燃え上がらせたのだ。
周囲の敵意のある視線に手が震え、反撃の言葉が一瞬遅れる。しかし、その恐怖を打ち破るように、激しい闘志が胸に燃え上がった。
「そんなありふれた筋書きを信じるなんて、ご冗談を公爵様。よろしければ、その証拠とやらをこの場でお見せいただけますかしら?」
会場がざわめき、貴族たちが顔を見合わせる。アルフレッドの瞳に、明確な動揺が走った。
彼もまた、私が反撃に出るとは予想していなかったのだろう。その眼差しは、警戒から驚きへと変わっていた。
原作では、エリザベートはここで怯え、泣き崩れるはずだった。
甘んじて追放と放浪を受け入れるなど私にはできそうもない。
だが、現代作家としての私の知識と、この状況を覆すという覚悟が、エリザベート本来の気品と融合し、堂々たる反撃を生み出していた。
作家としての自分が、この展開を創造しているような不思議な感覚がした。
後方で、金髪の令嬢リリアが顔をこわばらせていた。その視線には、聖なる家門への憎悪と、根深い畏れが滲んでいる。
彼女こそが、貴族たちの敵意を煽り立てる影の存在。
「エリザベート様は無礼です! その書簡は確かな証拠なのですから!」
リリアの声は震えていた。エリザベートは扇で口元を隠し、目を細める。
リリアが妙に目を泳がせる。その仕草に、エリザベートとしての記憶がざわついた。同時に、作家として多数の物語を紡いできた私の直感が、一つの可能性を導き出す。
確か、リリアは書簡の読み書きが苦手で、侍女のエマが代理をしていたはず……?
「リリア様、その書簡の筆跡、貴女の代理筆跡人でもある侍女エマのものに似ていない? 文字の読み書きに疎いあなたの代理をしていたでしょう? 最近、彼女、妙に慌ただしかったわよね」
周囲がざわめき、アルフレッドの瞳が動揺に揺れてリリアを見た。リリアは息を呑み、その表情は揺らぐ。貴族たちの視線が、一斉に彼女に集まった。
エリザベートは勝利を確信し、内心で手を打った。よし、原作の流れを変えた!この手応えこそ、私が物語を書き換えている証拠だ。
そのとき、ペンダントが冷たく震え、新たな記憶が閃く
──古い礼拝堂で、アルフレッドと剣を交差させ、互いの瞳に決意と愛を映して誓い合う姿。
血を流すアルフレッドが「君を守る、たとえ世界を敵にしても」と囁き、エリザベートに背を向ける。紫の鎖に縛られる二人。
「何、これ……! 私が知らない、原作にはない記憶……!」
この記憶は、裏切りか、それとも深い愛の証なのか。
彼の冷徹な態度に胸を締め付けられながらも、私は微かな希望を見出していた。この記憶こそ、私が辿るはずのない、新しい未来への道標かもしれないからだ。
「エリザベート?」
アルフレッドのその声には、ごく僅かながら温かみが混じるが、ペンダントを見つめる彼の瞳には、抑えきれない苦しみが滲んでいる。
新たな記憶の動揺が二つの魂を揺らがせていた。その瞬間、彩花とエリザベートは乖離する。
現実と夢の視界が混ざり合うように埋め尽くし──舞台は暗転する。