悪役令嬢は二度、運命を書き換える 作:ベル
彩花は病院の個室のベッドで目覚めた。天井を見上げると、白い壁が目に痛い。窓の外は、すでに深夜の闇に包まれている。
夢……
着ているのは病院の寝巻だろうか。机の上には、試写会にも持参していたノートパソコンと、あの紫のペンダントが置かれている。
「どうなっているの、これ……?」
東京の会場にいたはずなのにベッドの上にいた。自分の持ち物がちゃんとあることを確認する。
スマートフォンのLINEには、担当からの着信が大量に入っていた。どうやら、試写会の会場で意識を失い、病院に運ばれたらしい。
深夜だったため、すぐに返信するのを控える。スマホを胸にどうしたものか考えてから返信する。
『今起きたよ!心配かけたけど大丈夫だから』
LINEでそう返信した。指先がまだ微かに震えている。すぐに返信が返って驚く。
そして心配をかけたことをすぐに謝った。彼女とのやり取りを終えてスマホを置く。
「やっぱり夢……じゃなかったんだ」
夢の中で見たペンダントと、目の前にあるそれは全く同じだ。十数年、持ち続けたもう一つの分身。
一体私は、このペンダントをいつから持っていたのか?
これは祖母から受け継いだ記憶がある。これまでずっと、祖母からの贈り物だと思っていた。
『これは彩花のものだから大切にしてね』と受け取ったけれど、どのような品だったのか……今は亡き祖母に確認のしようもない。
その瞬間、エリザベートにシンクロした出来事が、頭の中で映像としてフラッシュバックする。
「このペンダントは、エリザベートのもの? ……私が持っているものを物語に出したと思い込んでいたけれど。それにあのビジョン……アルフレッドとエリザベートの、私の知らない記憶……」
不安が、彩花を押し包む。
このまま物語に飲み込まれて、現実の私はいなくなってしまうのかもしれない。そんな恐怖が一瞬よぎったが、私はかぶりを振った。
「私は私だ。エリザベートじゃない」
破滅の結末は、絶対に書かない! 私が、この物語の真の作者になるんだ。
そして、この物語を書き換えることは、もしかしたら私の現実の運命をも変えるのかもしれない。
「また、呼び寄せられている!」
ペンダントが再び光を放ち紫色に輝く。その輝きとともに、私の意識は再び過去へと引き寄せられていった。
◆
彩花は再びエリザベートの体に戻っていた。
いるのは宮廷の回廊。月光が金色の髪を銀色に染め、回廊の壁に刻まれた家門の紋章が目に飛び込んでくる。
冷たい石の床から伝わるひんやりとした空気が、私の心を落ち着かせる。
聖なる家門を貶めようとする貴族の陰謀が、そこかしこに渦巻いているのを肌で感じた。リリアを操る真の影が、きっと存在するはずだ。
エリザベートの視点から見れば、卑しい家系の出である彼女一人で、聖なる一族のエリザベートを糾弾する理由としては弱い。
扇を手に、私はリリアの侍女エマの行方を探した。先ほどの裁きの間で、エマの動揺と、リリアの視線が不自然なほどに礼拝堂の方向を気にしていたことに気づいていたのだ。
リリアが書簡の偽装にエマを使っていたのなら、きっと何か秘密の場所があるはず。
宮廷内で秘密裏に事を進めるなら、人目につきにくい場所…… カビの匂いが漂う、古い礼拝堂の存在が、ふと頭をよぎった。
その前に、確証を得るため、一度エマに直接会う必要があった。
図書室の一角で、慌ただしく立ち去ろうとするエマを呼び止めた。
「書簡の出どころ、知ってるわよね?」
エマは怯えた目で私を見つめ、口ごもる。
「わ、私は何も知りません!」彼女はそう叫び、私から逃げるように走り去った。
その背後で足音が響き、振り返るとアルフレッドが立っていた。氷のように冷たい彼の瞳が、私を捉える。
「エリザベート、なぜそこまで無実を証明しようとする? 真実を知る義務はあるが、君を信じるのは危険だ」
エリザベートは扇を開き、微笑んだ。
「破滅の筋書きは好みじゃないの。公爵、あなたのその苦しみは、私を信じたい心からくるものなのか、それとも何者かの罠にはめられているのかしら?」
アルフレッドの瞳が、私の胸元のペンダントに向けられる。これが、すべての鍵なのかもしれない。
「そのペンダント……どこで手に入れた?」
彼の指が触れた瞬間、ペンダントが脈打つ。新たな記憶が閃く――アルフレッドの「君を守る」という言葉は真実だったのか?
「アルフレッド……私、どこかであなたと……」
「深入りするな」
彼は冷たく言い放ち、踵を返した。だが、その背中には、微かな迷いが見えたような気がした。彼の心が、私と同じように揺れているのだと直感した。
◆
アルフレッドとの会話で時間を取られ、エマの姿は完全に見失ってしまった。だが、私は諦めなかった。
あの図書館でのエマの反応、そしてリリアの関与。そして何より、リリアが裁きの間で礼拝堂の方向を気にする様子。
それらを繋ぎ合わせると、やはり古い礼拝堂が最も可能性の高い場所だと、彩花としての直感が囁いていた。宮廷の影に隠された、秘密の場所。
私は迷わず礼拝堂へと足を進めた。薄暗い空間の中心で、紫色の魔法陣が脈動していた。その不気味な輝きに、ゾクリと背筋が凍る。
「原作にこんな場面、なかったはずなのに……」
彩花の意識が呟き、魔法陣に近づく。ペンダントが冷たく震え、まるで心が凍てつくような感覚に襲われる。この震えは、まるで何かが目覚めようとしている証のようだった。
漆黒の闇から、知らぬ男の声が直接エリザベートの心の奥底に響いた。まるで存在そのものが囁きとなるかのように、彼の言葉は思考の隙間に滑り込む。
「その胸のペンダント……それが、君の家門の血で魔王を封じた『楔(くさび)』だ。魔法陣と共鳴し、力を呼び覚ます。君の魂は、私の師が私から奪った愛を取り戻すための鍵。魔王は、私の復讐を約束してくれた」
「あなたは誰? 何者なの? 宮廷の人間ではないわね?」
「いかにも……我の名はカイラス」
「カイラス? 魔法使いなの?」
エリザベートは扇を構え、カイラスを睨みつけた。
「この魔法陣は何なの?」
カイラスは嘲笑した。そうしてから紡ぎ出す言葉には強い憎しみが混じっていた。
「その楔、つまりペンダントが君の魂を刻むたびに、君の心……そう、記憶を削る。魔王は王都を灰燼に帰した闇の王。君の記憶が削られるたびに、魔王が物語を歪め、君の原稿を乱すだろう」
「私のことを知っているの!?」
「最果ての世界からの干渉を果たすとはさすがは聖王家血筋」
ペンダントが激しく光り、激しい頭痛に襲われて私は膝をついた。記憶の奔流が流れ込む――
古い礼拝堂で、アルフレッドと剣を交差させ、互いの瞳に決意と愛を映して誓い合う姿。紫色の鎖に引き裂かれる二人。
『アルフレッド……私、あなたと約束したよね? でも、魔王が、私の魂を奪うように囁くの……』
カイラスが耳元で囁く。
「この楔がなければ、魔王は目覚めなかった。君の記憶が削れるたびに、魔王が君の物語を奪うだろう。愛する者を失う覚悟は、あるのか?」
魔法陣が赤く輝き始め、巨大な赤い目が浮かび上がった。その目は、見る者の魂を見透かすかのように、底知れない闇を宿している。
カイラスの指輪がその赤い目と同期し、礼拝堂の壁に刻まれた王国の紋章がひび割れ、崩れ落ちる。まるで王国の基盤そのものが、揺らいでいるようだった。
「エリザベート……」
魔王の声に、身体に恐怖が走る。ペンダントの光が闇を裂くが、赤い目は消えない。
◆
彩花はアパートで目覚めた。時計は深夜。
まただ! また時間が飛んでいる。私は恐ろしい。この記憶がいつまで確かでいられるかがわからない。
机の上のペンダントは、電灯の鈍い光を反射している。
担当からの連絡はひっきりなしにあってすべてを既読するにはエネルギーがいる。今はそれどころではないのだ。
「物語があの世界との接点なのであるなら。私は書き続けるしかない」
パソコンを開き、「エリザベートは無実だ」と打ち込む。画面の文字が紫色に輝き、再び過去へ飛ぶ感覚がした。
「このペンダントは、私の意志を物語に刻む鍵……使うたびに、原作の記憶が薄れて、結末が曖昧になる…… まるで、私自身の存在が物語に溶け込んでいくみたい。でも、アルフレッドを救う。その決意が、私の魂を燃やす!」
礼拝堂での記憶が鮮やかに蘇る。あの赤い目、カイラスの嘲笑、魔法陣の唸り声。すべてが現実の出来事として、私の中に深く刻まれている。
「君の魂が鍵だ」
再び恐怖がよぎる。
しかし、アルフレッドへの深く募る想いが、破滅の結末を書き換えるという私の決意を、より一層強固なものにした。私はもう、逃げない。
◆
──過去の礼拝堂。エリザベートは脈動する魔法陣を見つめ、扇を強く握りしめる。その手には、確かな決意が宿っていた。
「この物語は、私が終わらせる」
漆黒の闇から、カイラスの声が再びエリザベートの心に響く。今度はより深く、逃れられない呪いのように、彼の言葉は思考の隙間に滑り込んだ。
「その決意が物語を動かすだろう。だが、君の魂が魔王に捧げられれば、アルフレッドの心も砕け散るぞ」
魔法陣が脈動し、赤い目がエリザベートとアルフレッドの誓いを嘲笑うかのように浮かび上がる。
魔法陣から伸びる鎖がエリザベートの魂を引き裂き、アルフレッドとの誓いの記憶が薄れ始める。
ペンダントがエリザベートの存在そのものを消し去るかのように震え、砕けそうな音を立てて眩い光を放った。
闇が彼女を飲み込もうとするその瞬間、物語は新たなページへと続く――