MS戦記   作:綴綴

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海の魔物

 海中は色鮮やかな珊瑚や魚の群れで美しいという先入観は、とうに消えていた。今頼りになるのは暗視カメラと備え付けられたソナーが解析し、モニターに映し出されたCGの海中だけだ。だがそれもせいぜい障害物が沈没船か否かを見受けられる程度の鮮明さしか得られなかった。文字通りの一寸先は闇。

 ほとんどの情報が頼りにならない状況に置かれ、アクアジムのパイロット、ライアット・シロン大尉は唾を飲んだ。

 自分が軍から与った機体は、どれだけ愛着を贔屓目にしても旧式という束縛からは逃れられていない。洗練されたスマートなラインを持つジムの体躯に水流ジェットエンジンとビームピック、そして魚雷ランチャーを取り付けたその図体はジムとはほど遠いものになっていた。骨董品と揶揄されようとも、その機体の開発に心血を注いだ人間がいる限り、シロン大尉は機体を馬鹿にする気はなかった。だが、緊急時となると骨董品と言われるその性能の頼りなさが、心を波立たせた。

 出撃命令があったのは二十分前だった。ジオン軍が一年戦争で使用していた潜水艦の反応が探知され、滅多に訓練以外で動かすことがない愛機を動かすこととなった。海中に対応しているモビルスーツは連邦軍にはアクアジム程度しかなく、普段から冷ややかな視線を浴びていたシロン大尉にとってはこれを機に、心無い言葉を投げかける者の鼻っ柱を折ってやりたい気持ちがあった。

 だが、実際に出撃し、訓練中にも感じていたことが実戦という場でのしかかると、途端にその気持ちも引っ込んでいた。

 良好ではない視界に、決して楽とは言えない操作性。重力よりも機体の動作を制限される天然の檻が、モビルスーツの動きをより鈍重なものにしている。出撃命令が出てから二十分経っている。万が一にも確認されていた敵潜水艦が水中用モビルスーツを出撃させていれば、苦戦することは避けられないだろう。

 水流ジェットなどの専用装備があるとはいえ、水中を重視していたジオン軍のモビルスーツの性能とは、かなりの差がある。

 もし既に背後を取られていたとしたら……。

 緊張状態の脳内にろくでもない妄想が次々と湧き、シロン大尉は慌てて頭を振った。

 大丈夫だ、問題ない。友軍機も近くで待機しているのだし、やばくなれば逃げればいい。そう考えた瞬間、深度百五十メートルの海底に逃げ場などあるのか?と自問する声が頭の隅で浮かび、ぞっとする感覚を味わった。

 直後、背後で何かが爆発し、コクピットにまで届いた衝撃がシロン大尉を揺さぶった。

 

「何!?」

 

 咄嗟に水流ジェットを噴かして海底を蹴り、距離を取ったシロン大尉はアクアジムを振り返らせ、ぎょっとした。

 解像度の荒いCGでもはっきりとわかる異形の巨人。頭部と思われる部分は胴体と一体化しており、そこから人間の眼光にも似た光が一つ。末端肥大気味の手は、「手」というよりは腕から爪がそのまま生えたようなシルエットをしていた。武器を所持するために、大抵のモビルスーツは人間と同じようにマニピュレーターには五指を持っているが、それは見受けられない。武器を所持するよりは、その爪でそのまま敵を引き裂くことに特化しているように見える。

 一年戦争時、ジオン軍が用いた水陸両用モビルスーツ、ズゴック。資料でしかシロン大尉は見たことがなかったが、ピタリと記憶のそれと目の前の姿が一致した。

 

「敵かよ!」

 

 瞬間、シロン大尉の中で何かが起爆し、アクアジムは得物である魚雷ランチャーをズゴックに向けて放っていた。独特の重低音を海中に響かせながら二発の魚雷がズゴックへ向けて発射され、ズゴックは動く暇すらなく直撃を受けた。大量の気泡がモニターを埋め尽くし、相手の姿を隠す。

 これでやられるものではないだろう。どこからか湧いた予感は的中し、佇まいを崩さずにズゴックは海底に立っていた。装甲材質こそチタン・セラミック複合材だが、正面装甲の防御力はかなり高い。向こうも同じ骨董品であれ、その性能の差に唇を噛みしめたシロン大尉は続けて二発の魚雷を放った。

 命中目的ではなく、攪乱を目的として放たれた魚雷はズゴックに命中せず足下に命中し、起爆によって海底のヘドロを巻き上げた。同時に大量の気泡がズゴックの視界を塞ぐ。

 

「接近戦ならさあ!」

 

 水流ジェットを噴かし、海中を掻いたアクアジムはズゴックの頭上を取っていた。ビームピックを構え、上からモノアイごと貫こうとするが、ズゴックは僅かに後退し、結果ビームピックは空しく海中を空振りするだけだった。その隙を見逃すことなく、ズゴックが蛇腹状の腕を動かし、爪の打突によってコクピットを抉ろうとする思惟を感じさせていた。三本の爪が海中を凄まじい速度で掻き、コクピットに迫る。瞬間的に縮まるコクピットとの距離は、しかし中途半端なところで急に失速した。

 アクアジムのもう片方の腕が蛇腹腕の関節部にビームピックが刺し込まれ、敵の装甲と接触したビームピックは同時にビームを放出して関節部を焦熱の刃で焼き切っていた。

 

「腕は二本あるものだろう!」

 

 片腕を失い、明らかに動揺したズゴックが海底を蹴り、水流ジェットで距離を取ろうとした瞬間にはシロン大尉は次の行動に移っていた。流れるように続けてズゴックのコクピット目掛けて蹴りを放ち、衝撃を与える。水中は動作が緩慢になり、同時に物理的威力も減殺されるがそれでも数トンに及ぶ衝撃は確かに敵のコクピットに激震を与える。すかさず追撃をしかけようとしたが、それは突如飛来した魚雷によって阻まれた。

 庇うように間に割って入った新たなズゴックにシロン大尉は露骨な舌打ちを隠すことなく、アクアジムにビームピックを両手に構えさせた。

 先ほど蹴りを与えたズゴックはまだ沈黙はしているが、いつ意識を取り戻すかはわからない。油断は許されない状況に置かれ、心臓が早鐘のように打ち鳴らされるのを自覚しながらシロン大尉は水流ジェットを噴かせた。水中で射撃戦を行ったところで埒が明かないことはもうわかりきっていた。

 一気に距離を詰め、ビームピックを相手の装甲に接触させようと目論むが、それよりも先にズゴックの爪がアクアジムの左肩に食い込んだ。装甲のひしゃげる音がコクピットに響き、戦慄しながらもシロン大尉は操作自体は止めなかった。

 左腕をもがれて固定され、あとはコクピットを貫かれるのを待つだけなど、冗談ではない。貫かれれば待っているのはあまりにも呆気ない死のみだ。こんなところで死んでたまるものか。

 激昂し、アクアジムの片足がサッカー選手のそれのように軽やかにズゴックに打ち出された。しかし実際には分散しきれない衝撃が相手に伝わり、一瞬動きがよろめく。

 

「お前だって骨董品だろうが!」

 

 間隙を縫い、右手のビームピックが確かにズゴックのコクピットに接触した瞬間にはモニターに淡い桃色の光が暗い海底に浮かび、大量の気泡と伝導液が漏れながら沈黙するズゴックの姿があった。

 終わった。

 実感の持てぬままにそう感じ、全身からどっと汗が噴き出す。ようやく終わった戦闘に、ただ生き延びたという事実だけがシロン大尉の身体に圧し掛かった。どれだけ精神をすり減らしたのか、考えるのも面倒くさい。

 だがなぜか自分は生き残っているという実感だけが、シロン大尉の何かを擽った。




そんな話でした。楽しんでいただければ幸いです。
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