さよなら美しきひと   作:SKぱんぢゅう

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第5話 さよなら美しきひと

 

 薪が、二度目の冬が終わる頃底をつき始めた。

 外はこの冬一番の、激しい吹雪に見舞われていた。

 それはわたしが記憶する中で、最大級の厳しい強風だった。

 朝からずっと大きな力にゆすられているように、小屋全体がミシミシ、ギシギシと軋んでいた。

 風の音の中に、何か大きなものが剥がれて飛ばされいくような、尋常ではない破壊音が混じった。

 そして、おかしな方向から切りつけるような冷気が吹き込むのを感じ、嫌な予感がした。

 

 暖を取ろうと、残り少ない薪を焚べようとした。

 そのわたしの目の前に、絶望が音を立てて、落ちてきた。

 あの音は多分、煙突のどこかが壊れた音だったと理解した。

 暖炉の中に大量の雪が落ち込んでいた。

 あまりのことに声も発せず、わたしは火の消えた暖炉の前に脱力してへたり込んだ。

 最後の雪がはらりと舞い落ちると、部屋の温もりがどんどん外気に奪われていくのを感じた。

 

 何とか火を復活させようと雪をかき、濡れた灰を床に掃き出したが、暖炉はその機能を完全に失っていた。

 慌てすぎ、素手で雪をかき出したのは致命的だったのかもしれない。

 手は悴み切り、濡れた床は一層急激に、部屋の暖気を奪っていった。

 体ががちがちと震え出し、動きがままならないくなってきた。

 そういえばわたしはここのところ食べる物も節約して、碌な食事も摂っていなかったのだ。

(火を……なんかなんでもいいから、火を)

(だけど、すごく疲れた、体が重い)

 

 手当たり次第の衣類や毛布を何とか被ってはみたものの、それらもまた冷え切っている。

 しかしやがて不思議なことに、寒さを感じなくなってきた。

 激しい震えを感じていたはずなのに、いつしかそれも止んでいた。

 

(眠たい)

 

(せんせいごめんなさい)

(今日戻っていらしても、お部屋をあたためることができません)

(少しだけでいいんで、寝かせて)

 

 

 

 なぜだかとても暖かい、懐かしい感じの光に包まれ、目が覚めた。

 いつの間に、眠ってたんだろう。

 顔を上げると光の奥に、更なる光を纏って発光する、人型のようなものが見えた。

 

 そしてやがてその人型に表情が見えることに気づいた時、思わずわたしは叫んだ。

(せんせえっ!?)

 

 待ち焦がれていたその笑顔で人その型は、少しずつこちらに向かって近付いてくるようだった。

 光りすぎていて正視も難しく、わたしは目を細めながら先生に話しかけた。

 

(おかえりなさい先生)

(だけど、すみません、暖炉が壊れて)

(せっかく帰ってきてくれたのに、あったかくないんです)

(ごめんなさい……)

 

 今度先生が帰ってきた時は、泣かずに笑って迎えて、抱きしめたかった。

 だけど今のわたしには突っ伏した床から頭だけをもたげ、満足に温めてもあげられない情けなさに涙ぐみながら、詫びることしかできなかった。

 

(何を言っているんですか)

(ここは、とても暖かい)

 

 先生はまるで宙に浮いているような角度から、わたしの頭のそばにしゃがみこんだ。

 そしてわたしの頬を包むようにそっと手のひらを伸ばし親指で、目に滲んだものを拭い取った。

 

(この涙のように、ここはとても、暖かいですよ)

 

 その優しげな声は、耳ではなく頭の中に響いてくるように染み入ってきた。

 

(そんなはずは……)

 

 言いかけて見遣ると、先生は一糸纏わぬ姿なのだ。

 

(先生、こんなに寒いのにどうしてハダカなの……)

 神様みたいに真っ白に輝く先生からは、ほのかだけど確かな、温かみを感じる。

 わたしは上半身を起こし、ごちゃごちゃに絡まった布の塊から這い出した。

 そして先生に触れようと、手を伸ばした。

 しかしその手は光に包まれるだけで、先生の体を素通りしてしまうのだった。

 

(あれ、先生、刺青が消えてます。とっても綺麗です)

 雲のような光をつかもうと、掌を幾度も握ったり開いたりしながら私が尋ねた。

(そうなんです、目覚めたら無くなってて。まあ、それはどうでもいいのですけれど)

 

(良かった……)

 あの禍々しい、わたしの大嫌いだった刺青が無くなっている。

 心底から嬉しくて笑った私に先生は、無言だったが笑顔を返してくれた。

 先生は大自然を慈しむ時、こんなふうによく、静かに笑っていたなあと懐かしく思った。

 

 その尊い笑顔を見て、咄嗟に思った。

 先生はもしかしたら、自然に帰ったのかもしれない。

 

(先生、世界の美しさをご覧になったんですか)

(一体化、なされたんですか)

 

 先生の笑顔が、真顔に戻っていくのを見た。

 軽く眉を顰めてわたしを見つめたままで、質問への返答は無かった。

 

(わたしも行きたいです、先生の世界に)

(先生の思う「美しい世界」へ、わたしも連れて行ってください)

(もう待つのは嫌です。先生のそばに居たい)

(お願いです、連れて行って)

(連れて行って……)

 懇願していると、いつの間にか涙がポロリと落ちた。

 

(そう言うと思いました)

 その涙を見た先生は、困ったように眉毛を八の字に寄せて微笑んだ。

 

(あなたなら、きっとそう言ってくれると、信じていました)

(……信じて、いました)

 

 念を押すように呟くと、先生の頬にも涙が一筋流れて落ちた。

 

(だったら……)

 

 言いかけて伸ばしたわたしの指に、さっきまで掴めなかった先生の手が触れた気がした。

 

(だからのこと、できないのです)

 

 優しいけれどきっぱりとした口調で、先生は軽く横を向いてわたしの目線を逸らした。

 先生は、いつもいつも、こうだった。

 わたしの気持ちをきっと知っていて、わざと聞かないようにして、最後には顔を背けて避けるのだ。

 

(それは……やっぱり人間が美しく、ないから、なのですね)

(わたしは、先生の理想の世界に、不要なのですね)

(分かりました、もう……)

 

 しゃくりあげながら拗ねたように言うわたしに、先生は珍しく声を荒げて否定した。

 

(違います!!)

 

 ビクッとした私の両肩を、先生がつかむ。

 先生からは触れるんだ、とわたしは妙に冷静に思った。

 

(違います、よく聞いて)

 

 先生が真正面から、真剣な眼差しを向ける。

 

 小鳥のキスから、ぎこちない愛撫。

 何度かやり直してやっと結ばれた、あの優しい夜の事を思い出していた。

 

 何かを探究するような眼差しでわたしに臨む先生の額に、わたしの額ををコツンとぶつけた。

 するとハッと何かに気づいたように、先生ははにかんだ。

 その様子が可愛くてつい笑ったわたしに、「なんともむつかしい」と恥ずかしげに先生は下を向いた。

 顔の下から、わたしが自分で唇を寄せて口づけた。

 そっと唇を離してまっすぐ見つめたその瞳に、戸惑いが覗いたので抱きしめた。

 固く強く抱きしめ返され、溢れるほどの温もりに溺れた。

 

 あの時、わたしは明日を信じていた。

 

(醜い私が浄化されるには、美しい世界と一つになる以外方法がなかった)

 

(醜いって、何ですか。誰が先生にそんな事を言いましたか)

(先生の何が醜いんですか。醜くなんかないじゃないですか)

 

 食い下がって問い詰めるわたしを、先生は無視するように続けた。

 

(こんな私でも、世界は受け入れてくれた)

(ここはとても美しいところです。思っていた以上に。だけど)

 

 先生は一呼吸置いて、小さな咳払いをした。

 

(一度しか言いませんからね)

 

 涙に濡れたわたしの顔を見て先生は、一瞬目を細めた。

 

(だけどあの日、あの朝に見た)

(朝焼けに照らされたあなたの、あなたの清らかな眠り顔ほど尊くて)

(美しいものは、どこにも無かった)

 

(あなたと過ごした四季ほど、眩しいものは無かった)

 

 先生は優しく、だけど力強く、そう断言した。

 

(分かるでしょう。だからあなたを、連れて行くことはできないんです)

 

 わたしは流れる涙を振り撒くように、ひたすら頭を左右に激しく振った。

 先生の掌が、包み込むように頭をさすってくれた。

 先生がわたしの両手をそっと取って握ってくれても、私はただイヤイヤと泣き続けた。

(そんなのダメですついていく。連れてってくれるまで承知しません)

 

(そんな、あなたらしくもない。子供じみた駄々をこねないで)

 

(私らしいって何なんですか、私は先生と一緒にいたいから)

(ずっと、我慢していたんです……)

 昂る感情をぶつけるように言葉にすると、また涙がぼたぼたと溢れた。

 

(やっぱり、先生の言う美しい世界に、わたしはそぐわなかったのですよね?)

(だからあの時、わたしを始末して下さらなかったのでしょう?)

(ナイフでも、頸っても、殴ってくれても、わたしはなんでも、良かったのに……)

 

 感情的に捲し立てるわたしを軽くいなすように、先生はにっこりと、まるで聖母のように清らかな笑みを浮かべた。

 そしてふーっと大きくため息をついた。

(あなたを、傷つけたくなかった)

(わたしたちは……似たもの同士だったのかもしれませんねえ)

 

 軽く宙を見る姿勢で胸に手を当て、先生は訥々と続ける。

 

(この世界は不思議な事に満ちていて、中でも自分のことなんて、いちばん、よく分かりません)

(あなたを美しいと、あなたを、思うこの気持ちも)

(この世界とひとつになれて、初めて理解したことなんです)

 

(美しいあなたを、穢したくはなかった)

 

(わたしが……美しい……って……)

(そう……おっしゃいましたか、今)

 

 ぼ、と音を立てて体が熱くなる気がした。

 

(ああもう、何度も言わせないで。恥ずかしいよ)

(もう少し早く分かれって、あなたは言いたいのでしょう)

 

 わたしが熱くなればなるほど、先生はわたしが愛した悪戯っ子のような、可愛い笑顔を向けてくるのだ。

 

(さあ、そろそろ聞き分けてね)

 

 握られた手の中に、何か硬い感触が生まれた。

 咄嗟に開こうとした手を、先生が力いっぱい握り込んだ。

 

(さよなら、美しきひと)

(あなたは、この麗しき世界そのもの)

 

(どうかいつまでもす こ や か に)

 

(生、き ・ ・ ・ )

 

 言葉が終わる前に真っ白く大きな光の塊がすごい速さで、先生の背後から飛び込んできた。

 あんなに固く握ったはずの手は、あまりにも呆気なく引き離された。

 

 それはまるで、巨大なほうき星だった。

 攫われていくように、先生はわたしの目の前からあっという間に消え去ってしまった。

 

(い……いや……)

(嘘でしょう先生、行かないで)

 

 

「・ ・ ・ かないで」

「 行 か な い で !!!」

 

 大声を上げたわたしが目覚めた場所は冷たい床の上、乱雑に引き被った衣服や毛布の塊の中だった。

 

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