さよなら美しきひと   作:SKぱんぢゅう

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第6話 遺されたものは

 自分の叫び声の大きさで、目が覚めたのだろうか。

 体に温かみが戻っていた。

 あんなに恐ろしく吹き荒れていた風の音は、すっかり止んでいる。

 鋭く突き刺さるような隙間風も、今はもう吹き込んではきていないのだ。

 

「せ……んせ……どこ」

 その姿を求めようと、わたしは体をもたげた。

 布の塊から這い出ようと、左手を床についた。

 ふと気がつくと、閉まっていた厚いカーテンの隙間から漏れる一条の光が、まるで細い指輪のようにわたしの指の上を跨いで、部屋の奥まで差し込んでいる。

 

(明るい……)

(吹雪は、収まったの?)

 

 上半身を起き上がらせると、ゴトン、と何か落ちたような鈍い音がした。

 反射的に音の方に手をやり、触れたそれを握った。

 恐る恐る手を開き、心臓が止まるほど驚いた。

 

(ふぅ……ちゃん)

 

 震える指で、ふぅちゃんを撫でた。

 いつも先生が撫でる羽根のあたりが、他のところより少し黒く、艶気を増している。

 間違いなく先生の、あのふぅちゃんだった。

 

「先生、どこにいらっしゃるんですか、そこに、いるんでしょう?」

 

 しんと静まり返る部屋の中に、人気は感じられなかった。

 私はフラフラと立ち上がり、表に出ようと小さなドアの鍵を開けた。

 そうだ、鍵はかかっているのだった。

 不可思議な気持ちを抱え、私は外に向かって扉を押した。

 

 昨日まで、雪に閉ざされ開けにくくなっていた扉は、事も無げにスムーズに開いた。

 開いた途端明るい陽光が、激しくわたしをつつんだ。

 その眩しさに、思わず目を閉じる。

 もう一度開いた私の目に映る光景は、雪解けの水の匂いが香る、きらめきの大自然であった。

 

「先生」

 

 可愛い小鳥たちの囀りが、まるで他愛もないお喋りをするように軽やかに響いている。

 

「先生?」

 

 湿った暖かい風が、わたしの頬を甘く優しく撫でていった。

 

「先生----!」

 

 屋根から落ちた雪解け水が集まって、わたしの足元に流れを作った。

 その流れの先で、何かがチャプン、と跳ねる音がした。

 

 春の、花の香りがした。

 

(水芭蕉の?なんで?)

(まだ、二月が終わったばかりなのに……)

 

 何度呼んでも、先生の返事は無かった。

 やがてわたしの呼びかけは涙声になり、叫び声になり、絶叫へと変わっていた。

 

 高く伸びた木々の、新緑が萌える季節にはまだ早い。

 枝に積もった雪が融け落ち五月雨のように、先生を探して森をさまよう私に絶え間なく降り注いだ。

 

 晩秋に落ちた枯葉が、雪の下から露出していた。

 柔らかくなった土の上では落ち葉たちが水を吸い、再び生を受けたかのように生き生きと煌めいている。

 それは彼らが大地に帰り、この大自然を繋いでゆくための準備なのだった。

 

 短い冬の日の斜陽が、黄色みを帯びて残雪を照らす。

 

 ぽたぽたと落ちる融雪の雫が、太陽の光を乱反射して時に、虹色の輪を描いた。

 不意に吹き下ろす突風が、まるで毛細血管のように細かく張った枝をばさばさとゆすり、雫を金色の霧に変え一気に舞い踊らせる。

 

 美しいと、思った。

 

 わたしはペタリと地面に座り込み、髪に金色の風を感じながら、中空に向かって無意識に語りかけていた。

 

(先生、こんなの、見たことありません)

(綺麗……なんて、綺麗なんでしょう)

 

 金粉を纏った虹が、薄橙の霧のプリズムを通過する。

 その偏光は、残雪を青や緑に染めた。

 真っ赤な夕陽が頬を熱く照らし、私の影を黒く長く、くっきりと浮かび上がらせた。

 

 握って来たふぅちゃんを、その紐で私の胸にたらした。

 ふうちゃんを沈む夕陽にかざすと、気のせいか先生の言葉が、聞こえて来た気がした。

 

 あの言葉の、続きだった。

 

( 生  き  て )

 

 

 

 

 畑だったところで、先生が残して行った書きかけの論文を全て燃やした。

 不思議と、悲しくは無かった。

 

 この論文は、先生だけのものだ。

 先生は、この世界のどこかに必ず居る。

 炊き上がる煙と共に、先生の元へ帰ればいいと思った。

 

 

 先生の私物をほとんど処分し、ほどなくして私はこの崩れかけた小屋を引き払った。

 そして街に移り住み、図書館司書の職を得た。

 

 ここには、先生の生きた証がたくさんある。

 英語や独逸語の難しそうな論文に混じって、子供向けに監修した

 

 

「たのしいどうぶつだいずかん」

 

 

 という本があるのを見つけた。

 とても、古い本だった。

 

 

 巻末に、著者の写真が載っていた。

 まだ髭の無い、若き日の先生の姿だった。

 出会った日の、静かで品のいい佇まいを思い出しながら、私は一枚一枚ページを大切にめくって行った。

 

「はっぱのなかをみてごらん」

「コテングコウモリがお休み中だよ」

 

 美しい大自然に囲まれた森の中で、イタドリの葉に包まれた小動物が、コロンと身を縮めて眠っている絵が描かれている。

 明るく楽しく、夢いっぱいの可愛らしい図鑑には、先生が語った生き物への愛が溢れていた。

 解説文は全て心の中に響き、わたしにだけ語りかけてくれているように思えた。

 

 私は、嗚咽を噛み殺して図鑑を見ていた。

 素肌の胸に潜ませる、ふぅちゃんを服の上から握りしめた。

 

 少し上を向いて、溢れ落ちそうな涙を堪えた。

 

 震える肩を自分の手で押さえていたら、見も知らぬ男の子がどこからともなくやってきた。

 

 そして意外に大きな手で慰めるように、私の頭を撫でて行ってくれた。

 

〜 完 〜

 

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