耳鳴りの魔女 作:大平原
魔女の存在は、基本的に家族や親戚以外に話してはならないことになっている。
それは何故かといえば、ひとえに魔女の持っている力が強大であるがために。魔女の中でも天才と言われる部類の人間は、時間停止や空間転移、天候操作といった人知を越えた所業を鼻歌交じりにやってのける。
魔女を統括する協会という組織の連中は、それが顕著であった。世界概念の反転であるとか世界に新たな摂理を定めるであるとか、それはもう理不尽極まりない魔法を行使した歴史があるほどである。
「すみません、ももとねぎま、ぼんじりを一本ずつ―――」
「―――それからせせりとハツ、皮、あとぼんじりをもう一本追加で」
「えっ!? あ、え……?」
屋台で焼き鳥を選ぶ木幡真琴の背後から、追加で注文を付ける。
驚いた顔で振り返った新米魔女の手に、最近またせっせと作り貯めたマナ真珠を握り込ませ、勘定を任せた。これが魔女にとってどれほどの価値があるかは分からないが、恐らく焼き鳥四本分くらいは賄えるであろう。
私は焼き鳥が焼けるのをそこらのベンチに座って待つことにした。
それで、何を考えていたのだったか。
……ああそうだ、協会の連中が定めた摂理について、か。
私が明確に知っているものの一つとして、“脱兎ルール” というものがあった。先述した内容にも関わってくるのだが、要は魔女の存在が世間に知られないようにするためのルールである。
テレビや新聞といったメディアに魔女が魔法を行使している現場写真、映像を確保されてしまえば魔女界隈の秘密は一発で露呈する。これを予防するのが脱兎ルールと呼ばれる摂理であり、世間に影響力を持った人物や媒体が魔女に接近することを、“偶然の連鎖” によって妨げるものである。
メディアやインフルエンサーが魔女に近付くと、魔女に関連するあらゆる状況そのものが脱兎の如く逃げ出し、まるで捕まらなくなってしまうのだとか。
迂闊にも実際に脱兎ルールを発動させてしまった魔女を見たことがあるが、ドミノ倒しのようにメディア側に不運が重なっていく様は、いっそ笑えるほどだった。
「セイさん、ここにいたんですね。えっと、セイさんの分は……皮とせせりとぼんじりと、ハツで合ってましたっけ」
「うん。ありがとう」
「いえいえ」
木幡妹は私の隣に座ると、手を合わせてそのまままくまくと焼き鳥を食べ始める。
私の見立てでは彼女も中々うっかり屋というか、天然なところのある魔女であった。倉本兄妹は親戚であるから例外としても、同級生の一人にも魔女であることを知られているようだし、真っ昼間の商店街を変装もせずほうきで飛んでいるところすら見たことがある。
それでもこれといって問題が起きていないのは、土地柄と考えるべきだろう。東北は自然豊かな環境と霊峰が重なる関係で風土として魔女が多く、住人のおおらかな人間性もあって未確認飛行物体やオカルト現象の大半が見逃されているのである。
商店街の人間にUFOを見たことがあるかと訊ねれば、『こごいらじゃよぐ飛んじゅっきゃな』などと返ってくること請け合いだった。
「ん〜、美味しいですね」
「うん。……そういえば、真琴はどうしてこんなところに?」
ちなみにこの脱兎ルール、当然と言えば当然のことながら魔女だけでなく精霊やカチーナ、怪異といった魔女界隈の生物にも適用される。つまり、私も対象内である。
幸いにして、今のところこちらのルールにはお世話になったことはないが。
「あ、私はですね、修行の定期報告がありまして」
「定期報告?」
「はい。今の私は、魔女として独り立ちするための修行中なんです。それでどんなことを学んだかとか、今何がやりたいかとかの、協会に向けた定期的な報告ですね」
「ふーん。協会に」
「はい。……あの、どうかしましたか?」
なるほど。協会に。
「ごめんね。私、ここにいない方がいいかもしれない」
「そんなことないですよ。時間になってもアキラさん―――協会の人が来ないので、私も待ちくたびれていたところなんです」
「……」
それで焼き鳥も買っちゃって、と笑う彼女に私から掛けられる言葉はなかった。
私の手元には焼き鳥が二本残っている。
「不思議ですね、普段なら時間前に来ていてもおかしくない感じの人なんですけど」
「うん……」
「?」
ところで、以前私は協会から目を付けられていた。
身分を証明するものを持たない私が家を手に入れるために、あらゆる手段を尽くしたためである。言葉を濁さず言えば、人の常識を改変する魔法とか、記憶を限定的に失わせる魔術とか。
当時の私は考えなしだったため、全世界の魔女を一手に管理する協会が、そういった禁術や禁じられた魔法を感知する術を当たり前のように持っているだろうことなど、想像もしていなかったのだ。
禁術の中の禁術に手を出してしまった私は、結果として魔女協会弘前支部の支部長により指名手配された。私がなまじ長い時間を生きて、抵抗する力を持っていたことも負の方向に働いた。最終的に大魔女たる世界七カ国の支部長と本部長から全力で追い回されたことは、数年を経た今でも記憶に新しい。
自業自得とはいえ、あれは恐ろしい体験だった。
「うーん、遅いですね。そろそろ連絡してみましょうか」
「……たぶん、繋がらないと思う」
「え? どうして分かるんですか?」
私がまだ焼き鳥を食べているからだ。
周囲の音を集めてみれば、遠くでガシャーンとバイクの横転するような音が聞こえてくる。
私の手元には焼き鳥が残り一本。
支部長が七人、総本部長が一人と八人に囲まれ封印されるまで秒読みという状況にまで陥った私が、どのようにして現在まで美味しいものを食べて生きていられたか。
それは、言うなれば脱兎ルールならぬ “セイレーンルール” のおかげである。
協会に対抗するならば、かつての協会の魔法に頼るしかなかろうと考えた私は、既存の摂理に無理やり私の存在をねじ込んだ。新たに摂理を定めるほどの力は、私にはなかったからだ。
すなわち、脱兎ルールのフォーマットはそのままに、対象を魔女とメディアではなく “私” と “協会” に。
脱兎ルールの附則を定めたのである。
これにより、今にもありとあらゆる封印魔術を私に行使しようとしていた八人の魔女は、ピタ◯ラスイッチのごとく魔術を失敗した。そそくさとその場から転移する私を妨害しようとするも、やはり不発。
以来、協会の魔女はぱったりと私の周囲に現れることはなくなった。それは脱兎ルールという摂理が如何に強固であるかを示していると言える。
無論、このルールは今なお有効である。
「……ごちそうさま。それじゃ、またね」
「あ、はい! また!」
「うん。協会の、アキラさん? はもうすぐ来ると思うから」
「だと良いんですけど」
手元の焼き鳥はもうなくなっていた。
私はいつものように、転移で神奈川の自宅に帰るのだった。
◇
「いやー、遅れてごめんね。ひどい目にあったよ」
「私が待ち合わせ場所間違えちゃったかと思いました。あの、何があったんですか?」
「信じてもらえないかもしれないけど……来る途中コンビニに寄ったタイミングでバイクの鍵を猿にスられてね。追い掛けようとしたら踏切に捕まってそのうちに猿からカラスに鍵が渡って、飛んでいったカラスを呼び寄せる魔術を使おうとしたら、今度は呪文を書いた封筒が風に飛ばされちゃって……まあ、やろうとしたことが尽く上手くいかなくてね」
ようやくと真琴と合流できたアキラは、真琴が座るベンチに人一人分のスペースが空いていたことで一つの予想を確信へと変えた。
恐らくはここに、例の人騒がせなセイレーンがいたのだろうと。
確信はしたが、それをここで真琴に訊ねようものならまたルールが発動して散々な “偶然” に巻き込まれるだろう。お偉方から大まかな事情は聞いている。
それは本意ではないと、アキラは追求を断念した。賢明な判断である。
「さて、それじゃあ今回も報告を聞かせてもらおうかな」
「あ、はい。最近の出来事だと、そうですね……」
しかしそこで真琴がふと、セイレーンに魔術を教えてもらったことを思い出してしまったのがアキラの運の尽きだった。
「お姉ちゃんの知り合いの、セイさんって―――」
「あ、ちょっと待って」
アキラが宙に浮かべていた、自動筆記用の万年筆が突然インク切れを起こした。この万年筆は魔具であるため、本来インク切れなど起きるはずもないのだが、何かの不具合であろうか。
替えのボールペンを鞄から取り出すも、手が滑って落とした拍子にそのまま側溝へと転がり込んでしまう。
「んん……」
「だ、大丈夫ですか?」
ここへ来たときと同じように、アキラには察するものがあった。
「……ごめん真琴、今話そうとしている以外のことを話してもらっていい?」
「? 分かりました。じゃあ―――」
それからは、定期報告は滞りなく進んだ。