耳鳴りの魔女   作:大平原

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5. 無銭飲食の常連さん

 

 私の家がそうであるように、魔女の暮らす家には何らかの偽装魔法が掛けられていることがある。

 それは例えば、一定の素養を持たない者の目にはただの空き地として目に映るような欺瞞であり、あるいはそもそも人が目を向けない、興味を持たないように誘導する結界もその一つである。

 ここ、喫茶『コンクルシオ』も店主たる魔女の手によって店全体に幻惑の魔法が施されている。普段は好き放題に蔦が這った廃屋にしか見えないのだが、二礼二拍手一礼の参拝作法を示すことによって瀟洒な喫茶店に早変わりするという仕掛けである。

 

「いらっしゃいませ、ってセイさんか。注文はいつもの?」

「うん、お願い」

「はーい。―――あ、それと。あとで前の話の続き、聞かせてよ」

「……お代もそれでいい?」

「うーん……うん、いいよ。面白い話だったし」

「いいんだ」

 

 私の家もこの喫茶店から着想を得て幻覚魔法を施してあり、ある行動によって本当の建物の姿が見えるようになる、という点に至るまで模倣している。ただ、横浜で蔦がびっしりと張り付いた廃墟を装っていては少々目立つため、錆の浮いた大きめのガレージに見えるよう魔法をアレンジした。

 とはいえ、時折魔術を失敗しては怪奇現象が起こる程度の家である。

 それなりに高度で、しかも私にとっては相性が悪い光の魔法を修得してまで偽装する必要があったかと言われれば、否と答えるほかない。あの頃の私は自宅を手に入れるための騒動を経験した直後であり、警戒心が最も強まっていた時期だったのだ。

 

「お待たせしましたー。サンドイッチとコーヒーね」

「ありがとう」

「わたしが言うのもなんだけど、たまには別のメニュー食べてみようとか思わないの?」

「私、人と違って食べ飽きるとかの感覚ないから」

「それにしてもだよ。もう半年くらいそれしか頼んでないでしょ」

「美味しいからね」

 

 ということは、私がこの椎名杏子という見習い魔女と出会ってからも半年が経つことになる。見習いを名乗っていながら考古学に関しては大人顔負けの知識量を持ち、それでいてなお知識に貪欲な少女である。己が興味を満たさんがために人外の言語を含む多言語話者として研鑽を積んでおり、私のような精霊や他世界の住人とも親交を深めることに積極的だった。

 前回店を訪れたとき、彼女には私が海の中で暮らしていた頃の話をしたことがあった。考古学が好きだと言う彼女に、実は私は何百年か下手したら千年くらい生きているかもしれないと。海の中は不思議に溢れていて、そんな長生きの私が生まれる前からとある構造物が海溝の底に沈んでいたのだと。

 

 昔の私は、その構造物の残骸を住処にしていた。言うまでもないことだが今のような調理器具や設備はなく、現在の生活とは比べようもなく不便な暮らしぶりである。

 私はあれやこれやと思い出しながらサンドイッチ片手に暇つぶし程度のつもりで話したのだが、椎名杏子の食いつきようと言ったら閉店以降も私を引き留めようとしたほどであった。

 

「じゃあ、この前の続きを話そうか」

「待ってました」

 

 明らかに、現代の人類の技術力すら超越した近未来的な構造物。

 私はそれを、“アトランティス” と呼んでいた。

 

 

 以前までの椎名杏子にとって、その常連客に対する印象は『だらしがないということを体現したような人』であった。

 例えば、店に入るための作法である二礼二拍手一礼を面倒くさいと言って、代わりに誰かが幻覚魔法を解いてくれるまで店の軒先で昼寝をしていたこともあった。さながら、マンションのエントランスで待機する不審者のごとき挙動である。

 かと思えば、自慢げな様子で一人で来店した別の日には “二礼二拍手一礼人形” なるものを携えていたりした。彼女のローブの中で何かが暴れていたので不審に思って訊ねてみれば、その正体は二礼二拍手一礼をひたすらに繰り返す藁人形であったのだ。まるで、それしかプログラムを組み込まれていないロボットのようだった。本人の談では、試行錯誤の末に魔術で作り上げたらしい。そこに手間暇を掛けるくらいなら素直に手順を踏んだら良いのに、と杏子は思った。

 その他にも、出会って以来全く同じメニューしか頼まないことなど、彼女の怠惰加減を象徴するエピソードには枚挙にいとまがない。

 

 椎名杏子の中でこの自堕落なセイレーンのイメージが一変したのは、つい先日のことである。

 

『へえー、考古学好きなんだ』

『うん。まだ趣味程度で勉強中の身ですが』

『ふーん……私、すごく長生きだから、五百年くらい前のことまでなら教えてあげられるよ。海のことに限るけど』

 

 危うく紅茶のポットを取り落とすところであった、と杏子は回想する。

 魔女の親を持ち、自身も見習い魔女として生きていれば時間のスケールが異なる種族との交流もままあることである。しかし、不自由のない意思疎通が可能であり且つこの世界で暮らす種族、となるとこれが中々難しい。別世界の住人による話も非常に面白いのだが、やはり自分が今生きている世界に対する興味とは趣がやや異なる。

 そこへ現れたのが、このやたらと長命な海の精霊であった。

 椎名杏子には知る由もなく、また当の本人もとっくの昔に数える気をなくした彼女の年齢は、実に千と二百年ほどになる。季節が巡るごとに百歳までしか数えていなかった無精のセイレーンは、未だに自分の年齢を四百歳か、精々が五百歳くらいだろうと思っているが。

 鯖を読むにも程があろうという話である。

 

『海の不思議と言えば……ああそうだ、アトランティスとかあったね』

『あーあれ。科学的には否定されちゃったけど、話としては面白かったな』

『ううん、それじゃなくて。私が個人的にアトランティスって呼んでる、海底の建物のことだよ。私が生まれる前からあったやつ』

 

 今度こそ杏子はポットを落とした。

 足元に破片が散らばったが、その時の杏子にとっては些事であった。

 

『海の深い、ずっと深いところにあるんだけど、綺麗に形を保っていたんだ』

『うん』

『淡い緑色に発光してる建物で、私だけじゃなくて他の生き物もその光を目当てにそこに集まって暮らしてた』

『うん』

『建物の中にはキノコみたいな形の椅子とかテーブルなんかがあって、触るとまた光って変な文字が―――あ、もう閉店の時間か。ごめん、なんか懐かしくて長々と』

 

 椎名杏子は一言一句、違えることなくメモを取っていた。それなりに記憶も鮮明であるらしい生き証人の発言は、この上なく貴重であった。

 いつものように、当然のように伝票を持つことなく席を立とうとするセイレーンの腕を、椎名杏子はがっしりと掴む。どうしてこのまま立ち去らせると思うのか。

 

『……ツケで。ツケでお願い。茜に払わせるから』

『あの人もずっとツケてるんだけど。けど今はそれよりも、話の続きをしていってもらいたいな』

『あ、そっち。……でももうお店閉めるでしょ。また今度来たときにね』

 

 何を勝手なことを。ここまで話しておいて今さらお預けとは道理が通らない、と杏子は反駁したが、この面倒くさがりなセイレーンは早く家に帰って布団に潜りたいようだった。その魂胆は見え透いている。正当な建前としてツケのことも持ち出して、残りの情報もキリキリ吐くまでは帰さない腹積もりであった。

 絶対に帰したくない杏子とさっさと帰って惰眠を貪りたいセイレーンの押し問答は、後者が根負けする形で幕を下ろした。

 

『じゃあ今度来るときまでに、もう一回あそこの様子見てくるから。その代わり、今日はもう帰して。で、ツケも茜に』

『……うん、それなら』

 

 

 そうして迎えたのが今日である。

 これまでであれば週に二日ペースで来店していたところを、一週間ほど空けての来店であった。理由は、やはり昔の家を探索する手間を海の精霊が面倒がったためであったが、そのせいで杏子は少々長い間やきもきすることとなった。

 

「約束通り、また見てきてくれた?」

「うん。けど特に何も変わってなかった。まあ、何百年もああだったんだからこの五、六年で変わるわけもないか」

「どうかな。そういうものって、ほんの些細なきっかけで崩れたりするから」

「へえ。でも叩いてみたけど頑丈だったよ」

「叩くな」

 

 椎名杏子は思わず普段の口調も捨ててツッコミを入れた。

 当のセイレーンには一切響いた様子もなく、実演するように拳を素振りする。

 

「椅子とかね、座ってみると低反発で良い感じなんだけど、こうやって叩くとすごく固いんだ」

「……」

「ああ、あと机ね。机は触ると光る文字が浮いてくる。できるだけ覚えて写してきたのが……あった。これあげる」

「っ! ありがとう」

 

 紙片を見たところ杏子の知らない言語であったが、むしろ調べ甲斐があるというものである。

 怠け者セイレーンにしては珍しく、杏子の興味に応えようと多少の労力を払った結果であった。気力が貯まるまでに一週間掛かったことはさておいて。

 杏子の表情が明からさまに輝いたことに、対面の精霊も満足感を覚えた。

 

「それと知りたがってたのは、規模だっけ」

「あ、うん。セイさんの言うアトランティスって、どれくらい大きいの?」

「うーん、残骸が辺り一帯に散らばってる感じだから。一つにまとめたら……たぶんラン◯マークタワーくらい?」

「でかいね」

「でかいよ。一番大きいのだと、高さだけでもこの家の何倍もある」

 

 想像していたよりもずっと大きな遺跡だったようである。

 一見冷静さを保っているように見えるが、杏子の興奮は頂点に差し掛かっていた。メモを取る筆跡はもはやぐちゃぐちゃである。

 

「いつからあったのか、は分からないんだよね」

「私が生まれた頃にはあったからね。たぶん五百年くらい前なんだけど」

「なるほど。五百年よりは昔の文明なんだ」

「うん」

 

 本人に悪気はないというのが、たちの悪いところだった。

 

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