耳鳴りの魔女 作:大平原
魔女とそれ以外の人間とを隔てる最大の壁、それは魔法あるいは魔術を使えるか否かであろう。
しかし魔女や私含む精霊やカチーナといった存在がどのようにして魔法という不可思議な力を使っているのか、どうして使えているのか、実のところ曖昧である。大抵の魔法は『なんかできる気がする』からやってみたら『なんかできた』ものとして、その魔法が魔女の間で広まっていく、という経過を辿る。
ある属性のマナと相性が良いとは、この『なんとなく』の感覚をどれだけ的確に掴むことができるかを表しているのではないかと、私は考えている。時間や空間を操る魔法を使うことができる闇の魔女が極端に少ないのは、そもそも多くのヒトにとって時空間を支配するイメージが困難であるからではないか、と。
私の勝手な考えではあるが、この理屈を補強する事実の一つにここのつ占いがある。
たとえば幼少の頃から海や川へ足を運び水と親しんできた魔女は、水が自然の中でどのような振る舞いをしているかを熟知しているはずである。よって海や川が好きな魔女のここのつは水、という相関が見られることにも説明が付くのである。
「真琴。おはよう」
「あ、おはようございます。いつの間に来てたんですか?」
「ついさっきだよ。ちょっと用があって、茜を探していて。この家にはいない?」
「お姉ちゃんはワリスフュチュナっていう国に行きました」
「ワリス……どこ?」
「知らないです」
倉本家の庭先に出てみれば、何故か木幡妹がほうきに乗っていた。ほうきによる飛行も一種の魔法であるわけだが、それにしても何故家の中で飛ぶ必要があるのだろうか。
しかもやたらとしかめっ面をしている。
魔法の行使にあたっては、想像力―――というよりも思い込みが重要である。できると思い込んでやらなければ、できるものもできなくなってしまう。
魔法の図鑑なんてものが魔女の間では流通しているらしいが、あれも魔法でできることを魔女たちに説明して証明しているに過ぎない。雑な言い方をすれば、図鑑に載っているからにはこの魔法を使えるはずだ、と魔女に思い込ませるための本である。魔法は魔術とは異なり正式な手順や詠唱などというものはほとんど存在しないのだから、それ以外の意義は薄いだろう。
その点、元より不思議生物である私のような精霊は、わざわざ自分に思い込ませるまでもなく自由に魔法を扱うことができるので便利なものである。私自身、言うなれば “生きている水” のような存在であって、生まれからして非現実的である。
「あっそうだ、セイさんに聞きたいことがあったんです」
「どうぞ」
「セイさんって、今もそうですけどよく飛んでいますよね? 飛ぶときのコツみたいなものってありますか?」
「ああ、これはほうきで飛ぶのとは、違って……うん」
「……え?」
「ごめん。説明が面倒になったから、今のなしで」
「ええっ」
◇
セイレーンのそれは、魔女がほうきで飛ぶような魔法とは原理が異なる。彼女自身が述懐した通り多くの精霊はヒトとは思考の枠組みがズレているため、空中でも泳げるように
魔女がほうきで飛ぶのは分類上は土の魔法で、地球の重力から自身を切り離した上でほうきの柄に指向性を持たせて飛んでいる。海の精霊が扱うような魔法とは、マナの属性からして異なっているわけだ。
「―――つまり私のこれは、空を飛んでるんじゃなくて空中を泳いでるんだよ。だから真琴にほうきで飛ぶコツを教えるのは、私には難しい」
「なるほど」
怠惰にして現金なセイレーンは、真琴からもらった饅頭を頬張りながらペラペラと解説した。
「でも、どうしてそんなことを?」
「……私、ほうきに乗っているとおしりが痛くなってしまうんです」
「あー。魔女あるあるらしいね」
「そうなんです。それでお姉ちゃんに聞いてみたら、浮いたほうきに乗るんじゃなくてあくまでもほうきと一緒に体を浮かせるんだ、って話をされたんですけど」
理論としては理解できても、それをすぐさま実行に移すのは困難である。
木幡真琴にとって人は重力に縛られる生物であり、ほうきが空に浮くことはあっても人体が空に浮くとは、どうしても思い込みきれないのだった。故に、宙に浮いたほうきに乗ることはできてもほうきと共に宙に浮くことはできない。そして尻が痛くなる。
ほうきとは重力を切り払うための道具である、と姉に言われて実演されたとて、今までの常識を心の底から否定するまでには至っていないのだった。
「んー、じゃあ真琴はもうコツは教わったんだ。あとは、真琴の固定観念をもっと徹底的に壊せばいいと」
「えっ、なんかそれは怖いような」
「遠慮しないで。お菓子のお礼」
菓子を食べ終えた海の精霊は、空中遊泳の魔法を解いてふわりと地面に降り立つ。
「私もほうきで飛ぶ魔法は使ったことないんだけど」
そう言ってセイレーンが持ってきたのは卓上ほうきである。ふざけているのかと問い質したくなるような道具のチョイスであったが、だからこそ新米魔女の常識を打ち壊すには適しているのかもしれない。
そして真琴はこの精霊がいつの間にか倉本家の家具の位置を把握していたことに気が付いたが、あえて訊ねることを避けた。家が留守の間に作り置きしていたはずの惣菜が消え、代わりに何やら綺麗な宝石が置かれていた事件との関連性は不明である。
セイレーンは素知らぬ顔で卓上ほうきを軽く握ってみせた。
「これを持って、重力を払って……飛ぶ」
「ミニほうきでですか!?」
長いこと海の中で暮らしてきた精霊に、良きにつけ悪きにつけ常識などあろうはずもなかった。卓上ほうきに乗ることもなく、ただ手に持っただけの状態で飛行することにあっさりと成功する。
手元の小さなほうきに導かれるようにして宙を飛び回るその様は、真琴の目から見ても普段の彼女とは違っていた。先ほど話していた空中を泳ぐ魔法ではなく、魔女の魔法を使っているのだと分かる。
全くもって魔女らしさはなかったが。
セイレーンがミニほうき片手に空気の抜けた風船のごとく飛び回り始めた時点で、真琴の中の常識は粉々に打ち砕かれた。
「そういえば、セイさんはお姉ちゃんに何のご用だったんですか?」
「あ、そうだ」
その後、木幡真琴は尻を痛めずほうきに乗って飛ぶことに成功した。本人は釈然としない様子であったが、成功は成功である。
「よければ、私からお姉ちゃんに伝えておきましょうか」
「ああじゃあこれ、茜に渡しておいてもらえる? 前話してたやつ、収穫したよって」
「っとと……収穫? これって普通のニンジンじゃないんですか?」
「うん。これ、ピノキオの鼻」
ピノキオの鼻。
魔女が魔術の材料に用いる、特別なニンジンである。栽培方法が確立されていないため、天然物のマンドラゴラ同様魔女の間では貴重な植物として知られている。
名前の通り、ニンジンの種を植えてから収穫するまで毎日、一日一つだけ嘘を聞かせて育てるとピノキオの鼻と呼ばれる真っ赤なニンジンが穫れる……と言われているのだが、条件はこれだけではないらしく確実な収穫が難しい。嘘としてのクオリティが高くないとダメであるとか、ネットで検索してきたような嘘はダメでオリジナリティがないとニンジンは満足しないとか。
ちなみにこのピノキオの鼻は、毎日セイレーンからカスの嘘を吹き込まれて育った一品物である。色艶もよくサイズも特大で、品質としては最高級の代物であった。
「これがあの……」
「うん。たまたま上手くいったみたい。茜がね、これがあればすごく美味しいスイーツを作れるって言ってたから」
「へえー、なんか勿体ない気もしますね」
「そんなことないよ」
食道楽を地で行く海の精霊のことである。食い気味の否定であった。
「とにかく、お願い。楽しみにしてるって言っておいて。別の魔術とかに使ったら許さないって」
「分かりました! しっかり伝えておきます」
なお、後日木幡茜が手渡しに来たキャロットパイに、セイレーンは非常に満足したことをここに記しておく。
元々の約束通り茜からお裾分けをもらった倉本一家も、空き巣で食い逃げされたことを許すほどの逸品だったとか。