お待たせしました。
圧倒的な文才不足に嘆く今日この頃。
どうすれば、いい文章が書けるんだろうか。
どうすれば、いい表現が描けるんだろうか。
「……ここが、ギルド」
隣に立つベルがぽつりと呟いた。
その言葉に、俺は心の中で静かに頷く。
ギルドの入り口には、多くの人々が出入りしていた。
甲冑を纏う者、マントを羽織る者、剣や杖を携える者——その姿はまさに“冒険者”そのものだ。
ギルド。
それは冒険者と迷宮の管理を一手に担い、魔石やドロップアイテムの売買を統括する機関。
ひいては、オラリオという都市そのものを支える中枢組織でもある。
俺たちがここを訪れた理由は、冒険者登録のためだ。
ダンジョンへ入るには、冒険者登録が必須となる。
神から『恩恵』を授かり、『ファミリア』に所属していること——その二つを満たして初めて、登録が許可される。
俺たちはすでにその条件を満たしていた。
あとは手続きを済ませれば、いよいよダンジョンに挑むことができる。
早くダンジョンに潜りたい。
その思いが、ここまで足を運ばせた。
——けれど今、胸の奥に渦巻くのは、別の感情だった。
その原因は、目の前にそびえるギルドそのものにある。
外観は一言で言えば、“万神殿(パンテオン)”。
イタリアの首都ローマにある古代建築の傑作。
地球にいた頃、世界史の教科書でその写真を見たことがある。
——いつか、本物を見に行きたい。
そう願った日のことを、今でもはっきりと思い出せる。
海外旅行。
それは多くの者が一度は憧れるイベント。
そして実際に行く場合、大抵は家族で行くのが相場だと思う。
けれど、俺にとっては家族旅行なんて夢のまた夢だった。
俺の家族は“血が繋がっているだけの他人”だ。
互いに関心も愛情もない。
だから、家族で出かけた記憶なんて一度もない。
結局、十二年間、海外に行くことも叶わなかった。
——だが、それももう過去の話だ。
あの家に未練などない。
俺が消えたところで、誰も気に留めもしないだろう。
それが、あの家の“当たり前”なのだから。
……今は、そんなくだらないことはどうでもいい。
それよりも、目の前のことだ。
意識を切り替え、改めてギルドを見上げる。
胸の内を満たすのは、純粋な感動。
地球では叶わなかった憧憬が、今こうして目の前に広がっている——その事実だけで、胸が高鳴った。
色褪せた白い柱には、積み重ねられた年月の重みがある。
一体どれほどの歴史を、この建物は刻んできたのか。
想像するだけで、心が躍る。
『ヘスティア・ファミリア』の拠点である廃教会もそうだが、この世界には日本では決して見られない建築様式が多い。
異国の香りに満ちた風景に、飽きることなどなかった。
荘厳な神殿を前に胸を弾ませていると、不意に——くすくす、と笑い声が耳をかすめた。
何か面白いことでもあったのかと周囲を見渡すと、多くの人がこちらを見て笑っている。
……理解した瞬間、顔が一気に熱を帯びる。
感動から一転、今度は羞恥心が全身を支配した。
もう一度当たりを見渡せば、やはり笑っている。
優しげな視線を向ける者もいれば、あからさまに嘲笑う者もいる。
どちらにせよ、穴があったら入りたい気分だ。
心の中で「くそっ」と悪態を吐きながら、何とか気持ちを整える。
——落ち着け、俺。
深呼吸を一つ。
徐々に頬の熱が引き、荒れていた心拍が静けさを取り戻していく。
「……ベル、早く中に入るぞ」
冷静さを取り戻した俺は、ベルに声を掛けた。
この場から早く立ち去りたい。
長居すればするほど、精神が擦り切れてしまう。
しかし返ってきたのは——
「え、あ、うんっ」
どもりながらの返答。
視線を向ければ、ベルも真っ赤な顔をしていた。
……お前もか!
心の中でツッコミを入れる。
どうやらベルも、周囲の視線に気づいていたようだ。
それなら、この反応にも納得だ。
それにしても二人して羞恥に溺れるとは、何とも情けない。
自嘲気味に息を吐きながらも、気を引き締める。
ここでは、子どもっぽさを見せれば舐められる。
“騙された方が悪い”——それがまかり通る都市だ。
弱小ファミリアの俺たちにとって、油断は死活問題。
不用意な隙を見せるわけにはいかない。
気を取り直し、ギルドの入口へと足を進める。
背後から聞こえる足音。ベルが追いかけてきたのだろう。そのまま俺の隣に並ぶ。
俺たちは自然と並んで、ゆっくりとギルドの中へと足を踏み入れた。
ギルド内は喧騒に包まれていた。
耳を澄ませると、聞こえてくる会話の数々。
楽しげな会話もあれば、穏やかではない会話もある。
やはりギルドというだけあって、見渡す限りが冒険者。そんな彼らがどのような会話をしているのか、盗み聞きが悪いことであることを承知していながらも、気になってしまう。
「受付は……あっちだな」
視線を走らせ、受付場所を確認。
ベルに一声かけて、二人で受付へと向かう。
幸い、そこまで混んではいない。
朝一番というわけではないが、それなりに早い時間帯に来た為、少し待つだけで済みそうだ。
待つことがあまり好きではない俺は、安堵の息を吐く。
そうして、順番が回ってくる間、耳に入ってくる冒険者の会話を無意識に拾う。
内容は様々だが、そのどれもがこの世界の“日常”なのだと感じさせる。
思わず口元が緩む。こうして聞いているだけでも、俺の胸はどこか浮き立っていた。
(……これが、冒険者の世界か)
そんな思いを噛みしめていると、
「次の方どうぞ―!」
受付から呼び声が響いた。
俺たちの番らしい。小さく息を整えて、カウンターの前へ進む。
「おはようございます! 本日はどうされましたか?」
明るい声でそう訊ねられる。
聞き覚えのある声だ。
直接声を聴いたことはないけれど、耳馴染みのある声。
視線を受付に立つ人物へと向ける。
そこには、一人の受付嬢。
ほっそりと尖った耳に澄んだ緑玉色(エメラルド)の瞳。肩のあたりまで切りそろえられた茶色の髪は光沢に溢れている。
綺麗な人、いやエルフ。彼女を一目見て、そう思った。
やはりエルフという種族は総じて美形が多いようだ。血筋が関係しているのか、はたまた別の要因があるのかは定かではないが、正直羨ましいと感じてしまう。
そして彼女が綺麗に着こなしている黒のスーツとパンツ。他のギルド職員も同じ服装であるため、これがギルドの制服なのだろう。彼女の細い身体も相まって非常に似合っている。
仕事のできる女性。その言葉が似あう彼女は事実、仕事を丁寧に熟し、冒険者たちからの評判もいい。
なぜ初対面なのに彼女の仕事の様を知っているのか。それは彼女が『ダンまち』の主人公であるベルのヒロイン候補だからだ。
アニメでは、彼女はベルの担当アドバイザーとして活躍していた。
彼女の名は、エイナ・チュール。
エルフのように美しい容姿でありながら、どこか角が取れた親しみやすい風貌の彼女は、ヒューマンとエルフのハーフだ。
「冒険者登録をしに来た」
彼女を見て、記憶に浸っていた俺は用件を簡潔に告げる。
それを聞いたエイナは、一瞬瞠目してこちらを見る。
恐らくは、俺たちが明らかに年端もいかない子供だからだろう。彼女の瞳の奥には、逡巡の色が見える。
彼女は優しく、そして世話焼きな部分がある。その性格からして、子供が冒険者という危険な職業に就くことに難色を示すことは容易に想像できる。
けれど、彼女は仕事ができる女性だ。
驚きと迷いで一瞬硬直を見せたが、すぐに切り替えて、
「冒険者登録ですね。かしこまりました」
と受付嬢としての対応をしてくれた。
その姿に、内心流石だなと感心する。
仕事のできる女性は格好いい。そんな印象を与えてくれる。
「それでは、こちらの用紙に必要事項のご記入をお願いします」
エイナから渡された用紙に視線を落とす。
そこには、名前、年齢、ファミリア名……と幾つかの項目が記されている。
少し前までは読めなかった文字。
しかし、ベルに教わったことで今では読み書きに不足はない。
心の中で、今一度ベルに感謝の念を送り、必要事項を記入していく。
横目でベルの様子を伺えば、少しの緊張が見られる。
その姿に自然と頬が緩むのが自分でもわかる。
同時に共感も覚える。
俺自身も内心少しばかり緊張しているのだ。
それは用紙に記入することに対してではない。この記入を完了すれば、冒険者になれるからだ。
この先に、俺の冒険が待っている。
そう思うだけで胸が高鳴り、逸る気持ちになる。
恐らくは、ベルも同じ気持ちなのだろう。
少しの時間を有して、各項目の記入を完了した。
俺たちは書き終えた用紙をエイナに渡す。
受け取った彼女は、用紙に視線を落として記入漏れや書き間違いがないかの確認を始める。
「『ヘスティア・ファミリア』……ですか。もしかして、新興ファミリアですか?」
視線を上げたエイナが、柔らかな声で尋ねてくる。
新興ファミリア——つまり、できたばかりの派閥という意味だ。
俺とベルはヘスティアの初眷族であり、団員は今のところ俺たち二人だけ。
当然、エイナの言う通りの“新興ファミリア”である。
エイナの問いに頷きで返す。
すると彼女は受付カウンターの下から新たな用紙を一枚取り出し、こちらに差し出してきた。
「新興ファミリアということでしたら、申し訳ありませんがこちらの用紙にもご記入をお願いします」
受け取った用紙に目を通す。
内容を確認し終えた俺は、なるほどと心の中で頷く。
今渡された二枚目の用紙。これにはファミリアに関して記載する項目が並んでいる。
先ほど書いた一枚目が“個人情報を登録する用紙”であれば、二枚目は“ファミリア情報を登録する用紙”というわけだ。
この世界では、冒険者になるためにはどこかしらの派閥に属していることが必須だ。
であれば、当然ファミリアとしての登録もする必要がある。
冒険者は、個人ではなく団体活動ということだ。
二枚目の用紙にも、一枚目と同様に必要事項を記入していく。
特段おかしな項目もなく、どれも開示しても問題ない事項であったため、迷うことなくペンを進める。
ファミリア名、登録日、団長————
ベル・クラネル、と。
その名を書き入れた瞬間、隣から勢いよく声が上がった。
「え!? ちょ、ちょっと!!」
「……なんだよ」
ベルが信じられないという顔で、用紙を覗き込む。
「なんで団長のところに僕の名前を書いているの?!」
「なんでってそりゃ……お前が団長だからだろ」
当たり前のことを聞くなと言わんばかりに答えると、ベルの目が更に丸くなる。
「僕が団長?! 団長は夜でしょ?!」
「いや、団長はお前だ」
「夜の方が絶対にいいよ!」
「いや、団長はお前だ」
「僕なんかよりも夜の方が相応しいよ!」
「いや、団長はお前だ」
「さっきから同じことしか言ってなくない?!」
「いや、団長はお前だ」
「会話する気ある?!」
無いに決まってんだろ。
「無いに決まってんだろ」
「決まってるんだ?! って、そうじゃないよ!」
「耳元で騒ぐな、うるさい」
鼓膜が悲鳴を上げる。
本当に騒々しい奴だ……。
原因が俺にあることは理解しているが、それでももう少し声を抑えてくれと言いたい。
距離が離れている状況であれば特段問題はないが、今の俺たちは真隣同士。つまり、ベルの声は物凄く耳にくる。
俺は顔を顰めながら、ベルから距離を取る。
すると、ベルはこちらに一歩近づいてくる。
——いや、何でだよ。
お前と距離を取るために離れたのに近づいてきたら意味がないだろう……。
内心でツッコミを入れながらベルの顔を伺う。
視線が交差する。その表情には特に反省の色はなく、抗議の眼差しを向けてきている。
こいつ、なかなか図太くなってきたじゃないか……。
俺が苦悶の表情を浮かべていることなどどこ吹く風といった顔をしている。
はぁ、と一つ息を吐く。
確かに、勝手に決めた俺が悪いし、会話をする気がない態度をみせたことも悪かった。
ベルの優しさに甘えて、つい適当に言葉を返してしまう。
それはつまり、遠慮をすることがなくなったということ。しかしそれは俺の都合でしかない。
相手に一方的に甘える。そんな関係性は俺の望むところではないし、よくないことだ。
内心で自己の言動に反省し、改めてしっかりとベルとの会話に望む。
「……悪かった。けど、団長には俺よりもお前の方が相応しいよ」
「それは、どうして? だって、夜の方が頭もいいし、力もあるのに……」
「確かに表面的な能力で見た場合は俺に白羽の矢が立つだろうな。けど、団長になるのに必要なのはそんな単純な能力だけではない、と俺は思ってる」
「なら、何が必要なの?」
「人を惹きつける力……俺は団長になる上でそれが最も必要だと思う」
「人を惹きつける力……?」
そうだ、と首を傾げるベルにそう返す。
ファミリアの団長とは、実質派閥内での最高権力者だ。各派閥によってはその限りではないが、少なくとも『ヘスティア・ファミリア』においてはその認識で間違いはないだろう。
そして、最高権力者ともなれば、その任は慎重に決める必要がある。不相応の者を選べば、そのファミリアは瞬く間に地に落ち、再起不能になる可能性は十分に考えられる。
ゆえに、本来であればもう少し話し合いの場をしっかりと設けた方がいいのかもしれない。
けれど、今この場においてそれは不要だ。なぜなら、この場にいる俺とベル、二人のうち片方が団長になるのだとしたら、間違いなくベルの方が相応しいと断言できるからだ。
理由は三つある。
一つは、原作において、『ヘスティア・ファミリア』の団長はベルが務めていたからだ。
この世界線には俺がいるため初の眷族はベルだけではないが、本来の世界線ではヘスティアの初眷族はベル一人。そして、今後増えていくメンバーの中で、一番ランクが高いのがベルとなる。
それらを総合的に考慮した結果、本来の世界線ではベルが団長になった。
実際のところはどうか知らないが、それほど的外れな推測でもないだろう。
二つ目は、ベルの成長のためだ。
団長とは、責任が付き纏う役柄だ。
ファミリアの最高権力者である以上、最終的な責任は団長に行き着く。
ファミリアの責任は、団長の責任。それが派閥という組織構造の特徴の一つだと思う。
はっきり言って、今のベルは頼りない部分がある。
それは、力がないこと、積み上げた経験がないこと、理由は数多くあるが、何もかも不足している今のベルには当然の観点だと思う。
である以上、そんなベルを成長させるには、強制的に責任が働く場所に置くのが最も効率的がいいし、効果的だ。
そして三つ目は、ベルには人を惹きつける力があるということ。
ベルは人に好かれやすいと個人的に思っている。
容姿、性格、人柄……他にもあるが、それら全てを総合的に見た場合、人を惹きつける魅力がベルには兼ね備えられている、そう感じる。
何より、ベルはこの世界の主人公。つまりは主人公補正が働いている。それもまた、人を惹きつける大きな要因の一つであるんじゃなかろうか。
いずれにせよ、ベルには団長の器たる資格を有していることは間違いようのない事実だ。
結論、団長にはベルがなるべきであるというのが俺の考えだ。
……それに、ベルは俺の方が相応しいと言っていたが、それだけは絶対にないと断言できる。
ベルは他人を思いやれる優しい奴だ。
一方で、俺は自分本位の身勝手な奴だ。
どちらに人はついて行きたいと思うか、考えるまでもないだろう。
「今はわからなくてもいい。いずれわかる時が来るだろうからな」
俺の言葉の真意を上手く読み解けないのか、うーんと首を傾げながら唸るベル。
今はそれでも構わない。
ベルが成長して、頼もしい仲間に囲まれるその時までは俺が傍にいる。
「何かあれば、俺が対処してやる。だから、ベル——団長になってみろ」
俺の言葉に、何かを噛み締めるかのように拳を握り俯くベル。
やがて、顔を上げてこちらを見てくる。
その表情に、自然と笑みが浮かぶ。
瞳は決意で灯り、幾分か男らしさが芽吹いている。
——やっぱり、お前は格好のいい男だよ、ベル。
ベルの姿に満足した俺は、ベルの頭に手を置き乱暴に撫でる。
俺の行動が予想外だったのか、「うわっ」と情けない声を上げて驚いている。
その様子につい笑いが零れる。
ふさふさしているベルの白髪は触り心地が良く、何時までも撫でていたい誘惑にかられる。
それを理性で何とか我慢する。数秒間撫でた後、最後に軽く頭に手を置いて、
「ありがとな」
本心からの感謝を口にする。
そして、内心ではすまないと謝罪の言葉を零す。
勝手に押し付ける形になってしまったことに、微かな罪悪感が胸中に渦巻く。
何時だって俺は自己本位で、独善的だ。
今回の団長決めもそうだ。
これが俺の本性で、きっと直ることはないかもしれない。
だから、やっぱり俺は団長にはなれない。
だから——頼んだぞ、ベル。
「っ、うんっ!!」
俺の胸中で渦巻く醜い感情とは対極的に、明るく澄んだ笑顔のベル。
その純粋な表情を見た俺は——果たして俺はベルの隣にいていいのか、そんな考えがふと、脳裏に過る。
だが、すぐにその考えを押し殺した。
今はただ、ベルの背中を押す。それでいい。
「んんっ……!!」
ベルと青春群像劇を繰り広げていると、そこに咳払いが一つ落ちた。
視線を向ければ、ジト目のエイナ。
腰に両手を当て、上体を前屈みにしながら、私怒ってますと態度で告げている。
その姿に、美人は何をしても様になるなぁ、と場違いな感想を内心で抱く。
「仲がいいのはわかったけど、ここは君達の家ではないんだよ?」
綺麗な笑みを湛えながらも、その瞳は一切笑っていない。
少し怒気を含んだ呆れ声に、やってしまったと軽く後悔する。
周囲を見渡せば、案の定、視線を集めてしまっていた。
横目にベルを見れば、顔を真っ赤にして俯いている。
……状況が混沌と化していた。
ギルドの前で似た状況を経験したばかりだというのに、再び同じ失態を犯してしまった。
はぁ、と重々しい息を吐き出す。
学習しない自分自身に呆れることしかできない。
一度瞳を閉じ、頭の中で渦巻く思考を追い出す。
凪のように静まり返ったところで、ゆっくりと目を開いた。
視線を用紙に落とす。
まだ書けていない項目があったので、手早く埋めていく。
書き終えた俺は全ての項目が埋まっていることを確認し、エイナに差し出した。
「悪い。つい、いつものノリで話してしまった」
その際、先ほどの件に関しての謝罪も告げておく。
エイナは苦笑を浮かべ、「次からは気を付けてくださいね」と言葉を添えながら用紙を受け取った。
そして、一枚目と同様に記入漏れや書き間違いがないかの確認作業を行い始めた。
その姿を見ながら、ふと思う。
先ほどから俺は彼女に対してため口で話している。
けれど、彼女は特段気にした様子もない。
寛容なのか、それとも単に無関心なのか。
聞けばわかるだろうが、別に聞くほどでもないとその選択肢を排除。
そもそも、直す気がないのだから気にするだけ無駄かと思考を打ち切る。
俺が敬語ではなくため口で話すのは、何も相手を舐めているからではない。
単に相手に気を遣うのが面倒くさい。ただそれだけだ。
子供じみた考えだということは理解しているが、仕方がないことだと自己完結。
「はい、こちらも問題ありませんね」
俺がくだらない思考を巡らせているうちに、確認を終えたらしい。
エイナは視線を用紙から上げ、柔らかく微笑んだ。
「これで、お二人は正式に冒険者となります。これからよろしくお願いします」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
今日から冒険者。その事実に胸が躍るのを実感する。
横目でベルを伺えば、どうやら気持ちは同じらしい。ベルの深紅の瞳は期待と興奮で輝いていた。
「はい! よろしくお願いします!」
年相応に弾んだ声。
その隣で、俺も短く「よろしく」と言葉を返す。
エイナは満足げに頷くと、新たな話題を切り出した。
「これからお二人は冒険者として活動していくわけですが、ギルドでは皆さんに担当アドバイザーを一人付ける制度を設けています。これは任意ではありますが、私としてはぜひ付けていただきたいと思っています。——いかがされますか?」
担当アドバイザー。
その単語に、原作の記憶が蘇る。
確か、ベルの担当を務めていたのはエイナだったはずだ。
ならば、ここは原作通りに進めるのが自然だろう。
それに、情報面での支援は大きい。
この世界の知識には自信があるが、所詮は限られた範囲だ。
未知の情報を補ってくれる存在がいるなら、それは間違いなく力になる。
「ベル、付けても問題ないな?」
念のため確認を取ると、ベルは迷いなく頷いた。
了承を得た俺は、エイナに視線を戻し、「頼む」と一言。
「かしこまりました。それでは、お二人の担当アドバイザーは私、エイナ・チュールが務めさせていただきます。よろしいでしょうか?」
頷くと、彼女は満足げにほほ笑んだ。
優秀な彼女が付いてくれるのであれば、非常に心強い。
「ありがとうございます。それでは早速ですが、初心者のための講座を行おうと思います。よろしいですか?」
“講座”という言葉に、懐かしさが胸を掠めた。
授業など受けたのは中学以来だ。
あの頃は何もかもが虚しくて、学ぶ意味さえ見いだせなかった。
だが今は違う。
学ぶのは、生きるための知識。
道を知ることが、強さに繋がる。
ベルに視線を向ければ、頷きが返ってくる。
講座を受けることに賛成ということだろう。
その意思をエイナに伝えると、彼女は穏やかな笑みで応じ、俺たちを別室へ案内した。
——こうして、俺たちの長い“初心者講座”が始まった。
講座は、冒険者としての基礎知識から始まった。
エイナが手元の資料を机に広げ、淡々と説明を進めていく。
「まず、ファミリアにも冒険者と同様に“等級(ランク)”があるの。これによってギルドから受けられる依頼や報酬の上限が変わってくる」
そう言いながら、彼女は羊皮紙の上に描かれた表を指し示す。
IからSまで、細かく区分けされた等級。
下から始まり、功績と実績によって少しずつ昇格していく。
──地道な努力が前提、というわけだ。
「また、ダンジョンで得た戦利品や素材はギルドで買い取ることができる。危険な依頼ほど報酬は高くなるけど、無理をすれば命を落とすことになる。……夜君、ベル君、それだけはちゃんと覚えておいてね」
淡々とした声色に、わずかな真剣さが滲んでいた。
日々、命を落とす者を見てきた者の言葉だ。
その重みが、静かに胸へ染み込んでいく。
隣でベルが一生懸命メモを取っている。
真面目なやつだ、と内心で苦笑する。
俺はといえば、聞くことに集中しながら、頭の中で情報を整理していた。
原作で語られていた知識と、今エイナが口にしている言葉。
そのわずかな差異が、この世界が“現実”であることを実感させる。
それにしても——と、ふと視線をエイナに向ける。
今の彼女は、冒険者登録の時とは打って変わって柔らかな雰囲気を纏っている。
口調が砕け、呼び方が変わったことで距離感がぐっと近づいた気がした。
これは講座が始まる前、最初に言われたことだった。
彼女としても年下の俺たちには、その方が話しやすかったのだろう。
正直、俺も“ツクヨミ氏”と呼ばれるのはむず痒かったから、助かった。
そんなことを考えている間にも、講座は淡々と進んでいく。
「次に、冒険者として最も大切なことを二人に伝えるよ」
エイナが資料から顔を上げ、真っすぐこちらを見据えた。
「それは──仲間を大切にすること」
その瞬間、空気が少しだけ引き締まった。
彼女の瞳には、先ほどまでの穏やかさとは違う色が宿っていた。
「ダンジョンは一人では決して潜りきれない。どれほど才能があっても、慢心した者は必ず命を落とす。だから、仲間を信じ、支え合うこと。それが冒険者として……ううん、人としての最低限のルール。二人とも、そのことを忘れないで」
その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。
彼女もまた、過去に誰かを失ったのかもしれない。
そんな想像が頭を掠める。
ベルは真剣な眼差しで頷いていた。
俺もまた、胸の奥に小さな痛みを覚えながら、静かにその言葉を受け止める。
——大切な人を失う、その痛みは知っている。
だからこそ、もう二度と同じ後悔はしない。
それだけは、何度でも心に刻む。
「……最後に何か質問はあるかな?」
エイナの声で意識が現実に引き戻される。
ベルがいくつか素直な疑問を投げかけ、彼女が丁寧に答える。
俺は特に口を挟まず、そのやり取りを静かに見守っていた。
彼女たちの会話の中に、確かな温度があった。
それを見て、少しだけ口元が緩む。
──悪くない。
この世界での始まりとしては、悪くない。
やがて、講座は終わりを迎えた。
資料をまとめながら、エイナが柔らかく微笑む。
「以上で初心者講座は終了だよ。二人とも、お疲れさま!」
彼女の声に合わせて軽く息を吐く。
思っていたよりも内容は多かったが、それだけに得るものも大きかった。
頭の中で学んだことを整理していると、椅子を引く音が響く。
視線を向ければ、資料を抱えたエイナが立ち上がったところだった。
「それじゃあ、私は仕事があるしもう行くけど——君達はこれからダンジョンに潜るの?」
その問いに、今日の予定を思い浮かべる。
講座はだいたい四時間。今はちょうど昼頃だ。
昼飯は、『影の倉庫』に保管してあるじゃが丸君で済ませればいい。
装備もすでに整っている。
——準備は万端。
いつでもダンジョンに潜れる状態だ。
そう確認を終えた俺が顔を上げると、隣から視線を感じる。
横を見れば、ベルが期待と興奮を宿した眼差しをこちらに向けていた。
どうやら、やる気満々らしい。
その熱に触発されたのか、口角が自然と吊り上がる。
ベルもまた、同じように笑みを返してくる。
「はぁ……君達も男の子だね」
呆れ交じりの吐息。
「君達は冒険者になったわけだし、止めたりはしないよ。けれど、無茶だけはしないでね」
眉を下げたエイナの表情には、心配と不安が滲んでいた。
彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。
だからこそ、申し訳なく思う。
——俺は、その約束を守れない。
強くなるためには、無茶をしなければならない。
安全に強くなる方法など存在しない。
困難の数だけ強くなれる。
それを乗り越えてこそ、先へ進める。
だから、彼女の言葉に頷くことはできなかった。
沈黙を選ぶ俺の隣で、ベルは元気よく「はい!」と頷く。
エイナは満足げに微笑み、今度は俺に視線を向けた。
「夜君も……約束してくれるよね?」
やはり逃がしてはくれないか。内心で悪態を吐く。
彼女の真っすぐな眼差しが、“逃げ道はない”と物語っていた。
仕方なく、俺は言葉を濁しながら答える。
「……まぁ、気が向けば」
「それ、守らない人の常套句だよね?!」
エイナの鋭いツッコミが炸裂した。
——仕方がないだろう。
口約束でも約束は約束だ。
一度交わせば、守らなければならない。
だから言葉を濁し、曖昧に済ませる。
それが、今の俺にできる精一杯の誠意だ。
「はぁ、全く。夜君は手のかからない子だと思ってたんだけどなぁ」
肩を落としながら、苦笑するエイナ。
どうやら初めは、ベルの方が手がかかると思っていたらしい。
頼りなさそうに見える外見のせいだろうか。
しかし、それがなぜか今は俺に向いている。
彼女の評価に内心で不満を呟くが、口には出さない。
言えば話が長くなるだけだ。
俺が黙っていると、エイナは小さく息をを零して苦笑を浮かべる。
「私は所詮アドバイザーでしかない。だから君たちの方針に口出しする権利はない。けれど、それでも——命だけは大切にしてほしいの」
その懇願にも似た言葉が、胸に痛いほど突き刺さる。
彼女の真摯な思いが、俺の心を苦しいほどに縛り付ける。
「……わかった」
無茶をしない約束はできない。
だが、“命を大切にする”約束ならばできる。
一つしかない命。それを失えば、全てが終わってしまう。
だからこそ——大切に。
命の灯火が消えない程度に酷使しよう。
「……よしっ、それじゃ、私はもう行くね!」
俺の返答に満足したのか、エイナは笑顔で部屋を後にした。
その背を見送りながら、扉が閉まるまでの間、彼女の“作られた笑顔”が脳裏にちらついて消えなかった。
——カチャリ。扉が閉まる音が響く。
しばしの静寂のあと、ベルがこちらを見上げてくる。
「……行こっか」
心配そうな表情。
その顔を見る度に、胸が絞めつけられる。
何時になれば、その表情を消してやれるのだろうか。
先の未来を想像すれど、願う希望は見通せない。
はぁ、と重く息を吐き出す。
自己嫌悪に苛まれるが、意識を無理やり切り替える。
「……ああ、行こう」
抑揚のない声が自分の口から漏れる。
その響きに、思わず自嘲する。
重い空気を背に、俺達はギルドを後にする。
背中に纏わりつく嫌な感覚を振り払いながら——初めてのダンジョン探索へと、歩みを進めた。