ダンジョン一階層。
出現モンスターはゴブリンやコボルト等の最弱モンスター。その強さは一般人であっても倒せる程度。しかし、それでも凶悪なモンスターに変わりはなく、油断すれば殺されてしまう。
俺たちは今、モンスターの坩堝——その最初の関門へと足を踏み入れている。
「……外よりも薄暗いね」
隣を歩くベルが呟く。
確かに、全体的に薄暗く、外ほどの光量はない。迷宮内は天井が宿す燐光が明かりの役割を果たしている。夜が訪れようと朝を迎えようと消えることのないその光が視界を照らす頼りとなる。
「そうだな。だが、時期に慣れるはずだ」
「そうだね」
本来であれば、迷宮探索時には松明や提灯を用意するのが定石かもしれない。しかし、今の俺達は持っていない。その点に関しては、準備不足は否めない。だが、仮に用意していたとしても戦闘中は邪魔になるため端に置いておかなければならないだろう。そうなれば、やはり頼りになる光源は迷宮の燐光のみとなる。であれば、今のうちにこの薄暗さに目を慣らしておいた方が後々の為になるだろう。
一階層に足を踏み入れて十数分が経過した。
未だモンスターとは遭遇することなく、迷宮が醸し出す不吉で重々しい空気だけが体に纏わりついてくる。隣を歩くベルを一瞥すると、緊張と恐怖によってか身体を少し小刻みに震わせており、額からは汗が滲み出ている。
(だいぶ緊張しているな。まあ、無理もない。何しろ、これが初めてのダンジョンアタックなんだ。緊張と恐怖を抱くなという方が無理な話だ。それにモンスターと戦うこと自体まだ未経験のはず。ならば、今のベルの状態は至極普通の状態だろう)
ベルは故郷にいた頃、モンスターとの遭遇自体は幾度かしたことがある。しかし、いずれも逃げたか他の者に助けられたかで自身で対処したことはないと言っていた。
オラリオ外のモンスターは迷宮内のモンスターよりも弱体化している。それでも子供であるベルには荷が重いのは明白だ。ゆえに、戦えないことは悪いことではないし、むしろ逃げてでも生き延びる方が賢い選択だと言える。そして、その“生存本能”こそがベルの武器でもあるのだろう。
(それに何事もそうだが適度な緊張は必要だ。だが、今のベルは明らかにその限度を超えている。これでは、ベストな状態で戦いに挑むことはできないだろう)
適度な緊張はパフォーマンスを向上させる。しかし、何事もそうだが限度を超えれば害となる。そして、今のベルは間違いなくその害に侵されている状態だ。
このままでは戦闘の際、支障をきしてしまうかもしれない。そう思った俺は静謐とした声でベルに声を掛ける。
「ベル、少し緊張しすぎだ」
「夜……」
「気持ちはわかるが、その状態ではまともに戦えなくなる」
こちらに視線を向けるベルの瞳は怯えるように震えており、体は小さく委縮している。まさに、狩られる兎のような姿だ。そんなベルに、努めて冷静に話をする。
「何かあれば俺が対処してやる。上層のモンスターに後れを取ることは絶対にないからな。だからもう少し肩の力を抜け」
そう言って優しくベルの肩をたたく。
上層のモンスターは、いずれもLv.1で対処可能な個体だ。数体ほど一人では対処が困難なモンスターもいるが、俺であれば問題なく対処できるだろう。もちろん、油断しなければの話だが、その点に関しては問題ない。相手が誰であろうと油断する気はないからだ。
それに、今の俺達の人数は二人であってそうではない。上限はあるものの、俺ならば【冥魂招来】で味方を増やすことができる。つまり、今の俺たちの脅威となるのは、油断と慢心、それと“異常事態(イレギュラー)”くらいのものだ。
数秒の間、ベルは立ち止まって呼吸を整える。
その間、周囲への警戒を怠ることなく神経を張り巡らせる。モンスターは壁を破って生まれるらしいが、生れ落ちてから攻撃に転じるまでのタイムラグがどの程度なのかは実際に見てみないとわからない。ゆえに、何が起こっても対処できるように、周囲への注意を緩めることはしない。
少し落ち着きを取り戻したベルが、閉じていた目を開いてこちらに向けてくる。その瞳に映る怯えの色は先ほどよりも薄れている。これならば大丈夫だろう。そう思った俺は、笑みを湛えてベルの背を軽くたたく。
「よし、それじゃ探索を再開しよう」
「うん……っ!」
気合は十分。ベルの声からは暗にそう告げているように感じられた。その様子に内心で満足げに頷いた俺は、【探知系魔法——魔力感知】を使用する。
発動と同時に、俺の魔力が迷宮内に広がる。
直進通路、左右への分かれ道、更にその先へと進み下層まで範囲を広げる。余すことなく行き渡った俺の魔力は、正確に範囲内の情報を読み解く。
(ふむ、反応は多数。一番近いのは、目の前の角を左に曲がった通路の先か。……数は二体。姿形からして、恐らくはどちらもゴブリン)
標的を定める。【魔力感知】で探知した数は多いが、その中でも一番近い存在を討伐対象として指定する。敵はゴブリン、強さのレベルも今のベルには最適だ。流石に初戦で二体同時に相手取るのは難しいだろうから、片方は俺が相手するとしよう。
方針を固めた俺は、ベルにそのことを伝える。
「ベル、前方の左角を曲がった先にモンスターが二体いる。恐らくはゴブリンだ」
「え?!……すごい、よくわかったね」
「まぁな。それより、相手は俺達と同じ数だ。一体ずつそれぞれで対処する。できるか?」
視線を向ければ、それに気付いたのか同じように視線を向けてくる。俺たちの間で視線が交差する。
しばらくの間、沈黙が流れる。これから始まるのは命を懸けた戦い。どちらかが勝つまで戦い、片方の絶命が戦闘終了の合図となる。それを理解しているのだろう。ベルの瞳には迷いが見える。
怖いはずだ。逃げたいはずだ。死にたくないはずだ。殺したくないはずだ。それはヒトの心を持った者ならば誰もが抱く感情だ。俺はそれを否定する気はないし、その感情を後押しする気もない。
ここから先はベルの選択だ。何を選び、何を切り捨てるか。そして、何を拾うか。これより始まるは、ベル・クラネルの物語。部外者である俺が立ち入っていい場所ではない。だから、俺は待つ。ベルが自らで選択する時まで待ち続ける。
そして、ようやくベルの顔つきが変わる。臆病さは抜け落ちていない。恐怖も払拭できてはいないだろう。けれど、それでいい。恐怖こそが人を人たらしめている。そして、その恐怖に立ち向かう心こそが、お前のなりたい『英雄』への一歩となる。
ベルの決意に対して、俺は笑みを浮かべて頷く。ここから先に言葉は不要だ。ただ勝つことだけが全て。
角を曲がり、標的と対面。その正体は、俺の予想通り、緑色の肌に子供と背丈が変わらない体躯のゴブリン。その姿を見たベルが鳴らす喉の音が耳に届く。
あちらも俺達の存在に気付いたようで、こちらに身体を向けては「ギギギ」とモンスターらしく声を上げて、純然たる殺意を向けてくる。モンスターには人間のような知能がない。ゆえに、彼らにとって俺達人間は単なる殺害対象でしかない。そのため、モンスターが発する殺意には混じり気が一つもなく酷く純粋なのだ。
少しの間が訪れた直後、二体のゴブリンがこちらに突撃してくる。
その様子に胸の奥から高揚感が溢れているのが感じられる。モンスターとは幾度も戦った。その中には当然ゴブリン以上の相手もいた。それでも気持ちが昂るのは、この戦いが迷宮という空間での初戦ゆえだろう。自然と笑みがこぼれ、闘争心が燈る。
しかし、今回の主役は俺ではなくベルだ。そのため、仕方なしに昂る気持ちに自制を掛ける。そうして、あくまでも表面上は平静を装ってベルへと声を掛ける。
「行くぞ、ベル。ここから——俺達の物語を始めるんだ」
「っ! うんっ!」
ベルの高揚感を高めるために、あえて格好をつけた言い回しをする。そうするとどうしても中二病感が出てしまうため、少しの羞恥心にかられてしまう。しかし、案の定、ベルには効果があったらしく目に見えてやる気が出ている。そのことを確認した俺はベルから視線を切り、向かってくる敵を見定める。
——そして、地を蹴る。
俺とベルはほぼ同時に駆け出すが、日頃から鍛えていた俺はベルよりも先に敵の眼前へ到達する。【身体強化】を施していないので速度も膂力も心許ないが問題ない。決して油断することなく、冷静に戦闘へ身を投じる。
迫って来た俺に一瞬身体を硬直させる目の前のゴブリン。その後すぐに攻撃へと転じ、鋭利な爪を振りかざしてくるがその攻撃が俺に届くことはない。
硬直した一瞬の隙、その好機を逃すわけもなく、突き出した俺の刀が正確にゴブリンの脳天を貫通する。必殺の一撃を喰らったゴブリンは、汚い奇声を上げながら体を灰へと変えた。
残るは一体。その相手は俺ではなく——自慢の敏捷力を活かした速度で俺に続いて迫るベル。俺はその場を離脱し遠目から戦闘を観察する。しかし、いつでも助けに入れるように臨戦態勢は崩さない。
そうして始まったベルの初戦。その戦いは終始ひやひやさせられるものだった。ゴブリンとベル、実力はまさに互角。どちらも戦闘技術など皆無に等しく、防御を捨てた攻撃のみの応酬。どちらも傷を負い、それでも必死に戦い続けた。そして、数分の後、ようやくベルの一撃がゴブリンに致命傷を負わせ、見事に勝ち星を上げた。
「や、やったー! 勝った!」
目に見えて大喜びのベル。気持ちはわかる。俺も初めての戦いに勝利したときは喜んだものだ。まあ、流石にここまでではなかったが。
ベルの初戦は華麗さも流麗さもなく、素人然とした拙い戦いではあった。それでも見事な戦いだったと思う。勝利を掴んだ、その結果こそが全てであり、戦闘技術や経験はこれから積んでいけばいい。だから、今は勝利の余韻に浸る、その勝者だけの特権を存分に堪能するといいさ。
ベルが喜ぶ様子を傍から見ていると、こちらを向いては笑顔で駆け寄ってくる。
「夜っ! 僕勝ったよ!」
何とも綺麗な笑顔だ。俺の醜い心が浄化されているような気がする。もちろん気がするだけだが、それほどまでに澄んだ表情をしている。こいつが男だから気持ちが揺れることはないが、もしも女だったら……いや、やめておこう。その先は沼な気がする。一度かぶりを振って要らない思考を追いやる。そして、対面に来たベルにこちらも笑顔で応える。
「おう、よかったな」
「うんっ! 実は僕、小さい頃にゴブリンに殺されかけたことがあって怖かったんだけど……今日、やっと倒すことができたよ!」
「ほう、つまり昔の弱さを乗り越えたってことか。すごいじゃん」
「うんっ。でも、僕がゴブリンを倒せたのは夜のおかげだよ! だから、ありがとう!」
「……そうかい」
ベルの純粋な言葉は容易く俺の心を乱してくる。純粋な本心を告げられた経験が少ない俺は羞恥が芽生える。その恥ずかしさをベルに見られたくなく、つい顔を逸らしてしまう。
けれど、悪くないと、そう感じてしまう自分がいる。
ベルの温かさは、いつだって俺の冷めた心を溶かしてくれる。そのぬくもりが心地良いと感じてしまう。そして、そんな自分には持っていないモノを持っているベルに、少しばかりの嫉妬心を抱いてしまう。そのことが堪らなく嫌で、自己嫌悪してしまう。まるで、お前が醜い存在だと、ベルの隣にいるには相応しくない存在だと、その事実を突きつけられている錯覚に苛まれる。
そこまで思考が沈んだところで、はっとして思わず意識を現実に戻す。いつもの良くない思考をしてしまっていたなと胸の内で恥じる。こればかりは前から直そうとしているが一向に直る気がしない。まあこれに関しては昔から、それこそ地球にいた頃から染みついた習慣のためどうしようもないと半ば諦めている。時間が解決してくれるだろう、そんな他人任せでいつも済ませている。
(さてと、今はくだらないことに思考を割くのは無駄な行為でしかない。それよりも……)
死んで灰と化した二体の存在を視る。そこには、闇のように暗く黒い魔力が助けを乞うように蠢いている。これは抽出可能ということだ。
そこでふと、セレンのことを思い出す。そういえば、彼女の亡骸からは黒い魔力が放出されていなかった。どうしてだ? 疑問が脳裏を過る。ほぼ同時刻に死亡したフィルからは出ていた。
浮かび上がる疑問が頭を悩ませる。しかし、今考えたところで答えは出ない。とりあえずは保留にしておいて、今は目の前のことに集中しよう。そう結論付けた俺は二体の死体に向けて命令を下す。
「起きろ」
俺によって下された一言。その言葉に呼応するようにして、死者が影となって現世へ回帰する。その様を見るのは今回で二回目。やはり驚きを禁じ得ない。どういった原理でこのような事象が起きているのか、今の俺では理解できない。この事象を理解するためには、“死”とは何か、“魂”とは何か、そういった根源的問題から掘り下げていく必要があるだろう。哲学者よろしくといった問題だ。
今は考えるだけ無駄。そう結論付けて、この問題もまた保留にする。色々と考えることが増えてきた、その事実に未来を憂いる。
「す、すごい……。これが夜の力……」
ぽつりと呟かれた声を耳が拾い、そちらに目を向ける。すると、俺の視線に気付いたのかベルもまたこちらを向く。その表情は驚きと興奮に満ちており、そして瞳の奥には少しの嫉妬が孕んでいる。俺はその感情を真正面から受け止める。ベルもまた、俺と同じような感情を抱いている。その事実を認識し、噛み締めた。
「夜は……本当にすごいね」
ベルの表情は一見普通の笑顔に見える。しかし、一年近く一緒に過ごしてきた俺にはその笑顔が作られていることがわかった。けれど、そのことを口にはしない。力を持った者に憧れ、嫉妬する。その気持ちは痛いほど理解できるから。
だからこそ——俺は決して同情も慰めの言葉も送らない。ただただ対等に、俺にとってベルは好敵手(ライバル)だから。
一度ベルから視線を切り、虚空に向ける。そうして、淡々と自分勝手で、傲慢不遜で、独善的に言葉を告げる。
「俺はお前を待つ気はないぞ」
「ッ——!」
「俺は俺の速度で強くなる。置いて行かれたくないなら必死に食らいついてこい」
そう言って口角を釣り上げ、挑発的にベルを見下ろす。俺の言葉を受けたベルは驚きからか固まっている。しかし、すぐに動きを取り戻すと今度は俯いてしまう。
それからしばらくの間、沈黙が辺りを支配した。
顔を下げているベルの表情は伺えない。俺の言葉を聞いて、何を思い、何を感じたのか、それは本人にしかわからない。もしかしたら折れてしまったかもしれない。また傷付けてしまったかもしれない。罪悪感が胸の中を渦巻くが、それが同情であることを知っている俺はすぐにその感情を払拭する。罪悪感を抱くことはベルに対する冒涜でしかない。
普段は情けないベルだけど、それでも強い心の持ち主であることを俺は知っている。だから、ベルなら——絶対に立ち上がる。
俯いていたベルは顔を上げて、俺と視線を交差させる。向けられる眼差し、そこに映る思いの意味は前に視たことがある。覚悟を持った、決意を灯した男の目。それを向けられた俺は自然と頬が緩む。今度は挑発的な表情ではない。言うなれば、弟に向けるような、そんな優しげな表情をしていると思う。
立ち上がってくれたことに内心で感謝の念を送る。ぶっちゃけ、少しだけ焦っていたのは事実だから心の底からほっとした。そんな俺を余所にベルは溌溂とした態度で自身の思いを告げてくる。
「僕も強くなる! 強くなって……夜の隣に並んでみせるっ!!」
その言葉は覚悟の表れ。まだまだ子供の、それでも大人に負けないくらいの大きな雄叫び。その姿は未完の少年で在りながらもどこか英雄の姿を幻視させた。これが物語の主人公の威光なんだと感じさせられた。
その姿を、その言葉を受けた俺は素直に嬉しく感じた。
「はっ、やってみろ」
「うんっ! 夜に必ず追いついてみせる!」
お互いにどちらからともなく笑いが噴き出る。今まで喉に燻ぶっていた詰まりが取れたような、そんな晴れ晴れとした気分が全身に満たされる。
「それじゃあ、探索を再開しようぜ」
「そうだね! 行こう!」
話はここまで。もはやこれ以上の語りは不要だ。お互いにそのことを何となく感じた俺達はそれより先は多くを語ることなく迷宮の奥へと歩みを進めた。
*
場所は変わり、現在俺がいるのは十三階層。そこは“最初の死線(ファーストライン)”と呼ばれており、上層とは一線を画す『中層』地点だ。ここから先の適性基準はLv.2。今の俺より一つ上のランクを要求される。そんな階層に俺は今一人で来ている。
「ここからが中層か」
周囲を見渡し、ぽつりと呟く。
中層からは探索の難易度が一気に跳ね上がると言われている。モンスターの強さや遭遇率が上層と比較して格段に上がり、更に出現するモンスターも徒党を組んで襲ってくるタイプや、魔法に近い遠距離攻撃を繰り出してくるモンスターも出現する。ゆえに、基本的にLv.1のみのパーティでは攻略は不可能とされており、たとえLv.2であっても単独での探索は自殺行為であり、単独の探索にはLv.3以上の【ステイタス】が必要と言われている。
そんな階層にLv.1の俺が一人。傍から見れば、自殺行為に等しい行動。しかし、それでも一人で来たのには理由がある。
数十分前まではベルと共に上層の探索をしていた。初めての探索ということも相まって楽しく迷宮攻略に励んでいた。しかし、一時間弱上層のモンスターと戦っていると物足りなさを感じてきたのだ。単純な“Lv.”に重点を置いた場合、俺に適した攻略階層は上層だ。しかし、俺の“能力”に重点を置いた場合、上層では明らかに拮抗が取れていない。はっきり言って、上層のモンスターは俺にとっては弱すぎるのだ。これではいくら戦ったところで大した【経験値】にはならない。
そう感じた俺はベルに別行動を取りたいと申し出たが、初めは難色を示された。それもそうだろう。俺が一人で下層へ潜るということは、必然的にベルは一人で上層を探索しなければならないということになる。原作では一人で潜っていたベルだが、それは元々一緒に潜る仲間がいなかった故の選択肢無き決断だ。しかし今は俺がいる。仲間がいるのに一人で潜るのと、仲間がいないから一人で潜るのとでは心理的バイアスが大きく異なってくる。
それゆえに、俺と別れて一人で潜ることに忌避感を抱いていた。しかしそこは俺の『スキル』である【冥魂招来】が光り輝く場面だ。探索中に抽出したコボルトの影を四体、ベルに同伴させれば単独行動という問題は解消される。そのことをベルに提案したら顔を顰めながら「そうじゃない!」と怒られてしまった。まあ、言いたいことは分かっている。ベルが望んでいたのは“同伴者”ではなく、俺という“仲間”ということだろう。ベルは俺との迷宮探索が楽しかったみたいだ。それには俺も共感した。確かにベルと一緒に探索するのは楽しかった。
しかし、楽しいだけではダメなんだ。俺が今一番求めているのは“力”だ。不条理を打ち砕き、理不尽を捻じ伏せる、そんな圧倒的な強さを求めている。だからこそ、突き進まなければならない。たとえ『楽しさ』を犠牲にしてでも俺に停滞は許されない。
俺は何とかベルを説得し、コボルトの影を四体同伴させてベルの安全マージンを確保することで下層への進出を渋々許してもらった。その時の構図は完全に妻の尻に敷かれた夫の構図であったが気付いていないふりをした。
そういうわけで、ベルと別れた後はこの十三階層まで最速で辿り着いたということだ。その際、敏捷値を向上させる【比翼抱慕】を発動させたのだがあれは反則級だ。ここに来るまでの俺の速度はフェルを優に超えていた。このスキルは懸想の丈によって更にその効果を向上させるからな。つまりはそういうことだろう。恥ずかしいから深くは言わないがな。
回想に耽っていた思考を現実に引き戻す。いくら能力が常人よりも優れているからと言ってもほんの少しの油断と慢心が命取りになる。ここはそういう場所だ。今一度気を引き締める。
(おっし、それじゃあ早速モンスターを見つけますか——)
——ワォォオオオオオンン
「お?」
気を引き締め直し、【魔力感知】にてモンスターを探知しようと思っていた矢先、獣の遠吠えを耳が拾う。その雄叫びを聞いて口角を吊り上げる。
(どうやら相手側からわざわざ来てくれるようだな)
腰に据えた刀を鞘から静かに抜刀する。俺お手製の刀の切れ味は上層ですでに試し済みだ。【オムニ・ジェネシス】——魔法で創った刀が果たして鉱石を用いて一から作った武器とどの程度の差があるのか、その点だけは懸念していた。しかし、結論だけを言えばその懸念は杞憂で終わった。
【オムニ・ジェネシス】——この魔法は、魔力そのものを根源的なエネルギー源として、新たな物質を生成する魔法だ。【オムニ・ジェネシス】は大きく分けて以下の三段階で成り立っている。
一つ、『構想(イメージ)』。これは俺の“想像”と“意志”によって、創る対象の「概念」を定義する段階。例えば、剣を創る場合、形状、高度、質量、用途、材質などを全て思い描く必要がある。そしてイメージの精度と理解度が創造物の完成度を決める。
二つ、『具現(エネルギー変換)』。これは魔力を“物質的・現象的なエネルギー”へと転換する段階。魔力が「形」と「情報」を得る瞬間だ。
三つ、『定着(存在確立)』。これは生成されたモノを“現実世界の法則に固定・同調”させる段階。ここで初めて消失しないように創造物の存在を確立させて現実世界に定着させることができる。
この魔法における要素は全部で四つ。
一つ、『想像力(イメージ能力)』。これは創造の核と言える。つまり、俺が思い描けないものは創ることができない。
二つ、『理解(認識力)』。この魔法は、対象の構造・性質・理を理解していないと、不完全な生成となる。
三つ、『魔力量(存在変換の燃料)』。この魔法は、無から有を生み出す魔法だ。まあ、厳密には魔力から生み出しているため無からという表現は適切ではないかもしれないが。兎も角として、モノを生み出すということだけあって莫大な魔力が必要となるのだ。
四つ、『意志(存在固定の要)』。「創りたい」という意志が弱ければ、世界法則に押し潰されて消えてしまうということ。簡単に言えば、創造失敗ということだな。
以上が【オムニ・ジェネシス】の原理だ。探り程度の理解しかないため、全て合っているとは限らない。しかし、この短期間で使用した今の段階で言えるのはここら辺が関の山だろう。これ以上の詳細ともなれば、流石に時間がないのでもう少し検証を繰り返して深堀していく必要がある。
奥の通路から「ヘルハウンド」を視認。先ほどの雄叫びはこいつらから発されたものか。数は十を超えている。流石に俺一人での対処は骨が折れる。
「——出てこい」
ならば増援を呼び出せばいいだけのこと。ただし呼び出す影の兵士の力がヘルハウンド以下では意味がない。影の兵士は損傷した場合、俺の精神力を消費して再生する。そうなれば、敵より劣る影の兵士の召喚はむしろ精神力の無駄になってしまう。
以上を考慮した場合、俺が呼び出せる戦力は現状フェルのみ。というか、そもそも俺の影に保管している影の兵士はフェルしかいないけどな。しかし、フェル一体でも全く問題ない。こいつはヘルハウンドの強化種。推定Lv.は3程度。戦力としては申し分ない。
「グルルルル」
俺の影から這い出てきたフェルが敵に向かって睨みを利かせる。その体躯は、通常の個体を凌駕する巨大さを誇る。
視線を敵へと移した俺は、静かに命令を告げる。
「蹴散らせ」
「ルォォォオオオオオーーッッ!!」
俺の命令に呼応するようにして雄叫びを上げたフェルは、その俊敏性を活かして次々と敵を屠っていく。一体、また一体とその数を確実に減らしていく。
しかし、フェル一体では流石に十を超える敵を同時に相手取ることは難しい。フェルの蹂躙を抜け出した個体が俺に向かって突撃してくる。ヘルハウンドの俊敏性はLv.1の【ステイタス】で対処することは困難だ。俺は【神速】を使用して自己強化する。そして、眼前にまで迫り来る牙を横にずれることで回避。そのまますれ違い様に刀を斜め上に滑らせて一閃。ヘルハウンドの体躯は容易く上下へ斬り離されて地に落ちる。
今度は遠目にいるヘルハウンドが代名詞である火炎放射を俺に向かって咆哮する。それに対して俺は特段慌てることなく、手を翳して同属性の火属性系統魔法【火球】を発動する。瞬間、俺が放った【火球】がヘルハウンドの火炎放射を吞み込んでそのままヘルハウンドを焼失させた。
その様子を見た俺は思わず「……まじか」と言葉が零れる。
今俺が使用した【火球】、火力はあくまでも火炎放射を相殺する程度に調整して放ったはずだ。しかし、実際は相殺なんて生易しい火力ではなかった。これは間違いなく【起源魔導】の効果だろう。まさかここまで効果が増幅するとは……通常の数倍は上昇している。まさに破格の性能だ。
俺が一人、『スキル』の規格外さに興奮で胸を打ち震わせていると、音を聞きつけたのか別の通路から次々とモンスターが姿を見せる。流石は中層だ。出現するモンスターの数が上層とは桁違いに多い。
しかし、それでも慌てることなく冷静に敵を見据える。
(これだけの数……魔法の実験にちょうどいいな)
冷静な思考とは裏腹に、気持ちが昂っているのを自覚する。表情は嬉々として笑みが浮かび、高揚感が全身に迸る。
俺はそのまま気持ちを落ち着かせることなく魔法を発動する。
「【アカシックレコード】」
もはや魔法を発動するのに詠唱は不要。ただ一言、魔法名を唱えるだけで魔法が発動する。本来であれば魔法名すら唱える必要はないのだが、これは単なる気分だ。流石に何も言わないのは如何なものかと思った次第だ。
そして、肝心の召喚する魔法は、
「【ウィン・フィンブルヴェトル】」
エルフの王族、『ロキ・ファミリア』副団長リヴェリア・リヨス・アールヴの攻撃魔法。
その刹那、迷宮内が氷の世界と化した。
今発動した魔法は氷結魔法。極寒の三条の吹雪を引き起こし、敵を凍りつかせる魔法だ。本来であれば、敵を凍てつかせるだけで済んだかもしれない。しかし、【起源魔導】によって増幅された俺の魔法は容易く迷宮にまでその影響を及ぼした。
「はぁ」吐き出された息は白く染まり、迷宮内の温度が一気に低下したことを報せてくる。
ここまで威力が増幅するのであれば今後はもう少し火力を調整した方がいいかもしれない。人が密集している場所でこんな高威力の魔法を発動してしまえばその場にいる全員が氷像と化してしまうだろう。
それに一番恐ろしいのはこの威力の魔法を詠唱無しに発動できるということだ。あまりにも規格外。もはや規制が入ってもおかしくないレベルだ。この世界は現実であるため規制が入るようなことはないだろうが、もしもここがゲームの世界であれば確実に運営によって制限を掛けられるだろう。それほどまでに反則級だ。
間違いなく人前では詠唱をするべきだな。そうでないとどんな目に遭うか。想像すらしたくない。
一度かぶりを振って、嫌な想像を外へと追いやる。
「さてと……」
敵の殲滅は滞りなく完了した。周囲にモンスターは確認できない。ならばやる事は一つ——俺だけに許された即席戦力増強。
「起きろ」
辺り一面に広がる灰と化したヘルハウンドの亡骸が影の亡者として蘇る。その数は数十体に及ぶ。しかし、今の俺が保管できる数は全部で二十体。そのうち、フェルとベルの護衛のコボルト四体を除けば、十五体までしか連れていけない。保管できない分は無の世界に返すしかない。もったいない気がするが今は仕方ない。もっと強くなれば保管可能な数の上限も増えるはずだ。今は地道に頑張るしかない。
連れていけない影の兵士は無の世界に返す。そうして残った十五体を俺の影に吸収する。これでまた、俺だけの戦力が増加した。その事実に喜びを噛み締める。けれど、すぐに気持ちを落ち着かせ、迷宮の奥へ視線を向ける。
「次の獲物だ」
これは俺にとってはまだ序章に過ぎない。これから先、俺自身の強化に加えて、更に戦力も増強させていく必要がある。
強くなる。ただそれだけを胸に秘めて前へと進み続ける。
——そうして迷宮探索を続け、地上へ戻ったのは夜の帳がすでに降りきった時間帯だった。