自称“凡人”の人生譚   作:飢堕天

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 お待たせしました。


23話 真意と宣言

 

 「ところで、君は【紅の正花(スカーレット・ハーネル)】と【暴喰】の二人とは知り合いなのかい?」

 

 交わした握手をどちらからともなく解いた後、フィンは穏やかな声色でそう尋ねてきた。

 

 一見すれば、何の変哲もない問い。

 だがこと今回に至っては、その言葉に含まれる意味合いは明白だった。

 

 (……どうやら、逃してくれる気はないみたいだな)

 

 正面に立つフィンだけではない。彼の背後に控える者たちの視線もまた、夜を射抜くように注がれている。

追及を取り下げる気配はなく、彼らの納得がいく答えを提示しない限り、この居心地の悪さから解放されることはないだろう。

 

そう判断した夜は、思案を巡らせる──。

 

 

 フィンの問いの本質は、「二人の知り合いか否か」ではない。

彼が確かめたいのは、「二人の魔法を夜が知っているか否か」だ。

 

 他者の魔法を行使するには、絶対条件がある。

 それは──その魔法の理論を把握していること。

 

 魔法の属性、系統、効果等々。他者の魔法を扱うためには、大前提としてその魔法に関して知っていなければならない。

 

 そして、“知る”ためには“見る”必要がある。

 それも魔法理論を理解するための、徹底した“視察”が不可欠だ。

 

 だからこその、フィンの質問だ。

 

 本来であれば「他者の魔法を行使することができるのか」と直接問う方が簡略的で望ましい。だが、【ステイタス】の詮索は原則ご法度であるため難しい。

加えて言えば、夜が“他者の魔法を行使できる”ことは、先の戦いを目にした者たちの間では半ば確信に近い認識となっている。

 

 つまりこの問答は、“確信”を“確証”へと昇華するための確認作業に他ならなかった。

 

 

 ──であれば、変に取り繕う意味もない。

 思考を一巡させた末に出た結論は、あまりにも捻りのない答えだった。

 

 

 「いや、一方的に知っているだけだ」

 

 ──彼らは有名人だったからな。最後にそう付け足す。

 

 確かに捻りはない。だが、疑う余地のない回答でもある。

 

 【紅の正花(スカーレット・ハーネル)】──アリーゼ・ローヴェル。

 【暴喰】──ザルド。

 

 両者共に今は亡き人物だが、その名を知らぬ者はいない。

 故に、夜の回答に不自然な点はない。

 

 強いて挙げるとすれば、“彼らが存命していた時代に夜は居なかった”ということだろう。

 だが、月詠夜の正体を知らないフィンたちではその点に気付くことは不可能に近いため、然したる問題ではない。

 

 

 夜の無難な答えを聞いたフィンは、「そうか」と小さく呟くと顎に手を添え、僅かに思案する仕草を見せる。

やがて顔を上げた彼の表情からは、先程まで滲んでいた疑念と探りが消え去り、代わりに真剣な色が宿っていた。

 

 

 「……君は、七年前の『暗黒期』を知っているかい?」

 

 

 その問いに、夜は一瞬だけ目を見開き、すぐに神妙な面持ちで頷いた。

 

 『暗黒期』──。

それは十五年前、最後の三大冒険者依頼である黒竜の討伐に失敗し、ファミリアの主力を失った【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】がオラリオから追放されて以降の時代を指す言葉だ。

 

 神時代最強と謳われた二大派閥の失墜。

その隙を突くように台頭したのが、「邪神」を名乗る主神が率いる過激派ファミリア──『闇派閥(イヴィルス)』。

 

 混沌が蔓延り、秩序が崩壊した時代。

 その最盛期が七年前。

オラリオ全土を巻き込んで勃発した闇派閥との『大抗争』。

 

この凄惨な戦いは『死の七日間』と呼ばれ、数え切れぬ犠牲と、消えぬ爪痕を残した、史上最悪の惨禍だった。

 

 

 夜が脳裏の記憶を辿る間にも、フィンの語りが粛々と続く。

 

 「あの大抗争では、本当に多くの命が散っていった。冒険者、市民……そして神々までね」

 「…………」

 「そして、その主犯格の一人が──」

 「【暴喰】のザルド」

 

 フィンの言葉を引き取るように、夜はその名を口にした。

 

 僅かに目を見開いたフィンは、静かに頷き、再び語り始める。

 

 

 「かつて【ゼウス・ファミリア】の幹部を務めていた彼は、英雄として讃えられていた時代もあった。だが……七年前、闇派閥に加担してオラリオを襲撃したことでその名声は地に堕ち、今では人類の大罪人として人々から忌み嫌われる存在となってしまった……」

 

 

 夜は、黙ってそれを聞いていた。フィンの言葉に相槌を打つこともなく、淡々と耳を傾ける。

周囲の者たちもまた、同様にフィンの話を聞いている。【ロキ・ファミリア】の面々も、ダフネとカサンドラも、フィルヴィスも。

 

 

 ただ、夜と彼らの間で違いがあるとすれば、それはおそらくフィンの語った話に対する印象だろう。

 

 フィンの口から語られた過去は、夜の記憶と相違ないものだった。

 

悪役(ヒール)としてその命を散らして逝ったザルドたち。

彼らの死に対して抱く思いは人ぞれぞれだろう。ある者は嘆くかもしれないし、また別のある者は喜ぶかもしれない。

どちらもあり得ることだが、大多数は後者だと断言できる。そしてその者達は皆、ザルドたちの死を以って秩序は戻り、平和が訪れたと思っている。

 大衆たちは、彼らの死にそれ以上の意味を見出すことはない。

 

 だからと言って、その事をとやかく言うつもりはない。

 

 

 ただ、一つ言えることがあるとすれば。

 

 ──英雄(ザルドたち)の死を無駄にしたくはない。

 

 そんな想いが、夜の胸の奥からふつふつと湧き上がっていた。

 

 

 

 心に灯る確かな熱を感じていると、ふいにフィンから声が掛かる。

 

 「だから、夜──」

 

 視線を向ければ、フィンの碧色の瞳が真っ直ぐに夜を見ていた。

 

 「【暴喰】の魔法は、人前では使わない方がいい。君に向けられる目が、変わってしまうかもしれないからね」

 

 

 その言葉には、忠告以上の──確かな配慮と、気遣いが込められていた。

 

 夜は思わず目を見開き、フィンを見返す。

 交差した視線から、彼の言葉に打算や虚飾がないことを悟った。

 

 (……もう少し冷たい男だと思っていたが)

 

 夜の知識にあるフィン・ディムナと、今目の前に居るフィン・ディムナ。

その人物像には、確かな差異があった。

 

 それが元来のものなのか。

或いは、夜の出会ったことで生じた“異常変化(バグ)”なのか。

 

 何れにせよ、彼の配慮は紛うことなき真実だ。

 

 

 だが────。

 

 

 「……わかった。心に留めておくよ」

 

 夜は、穏やかな声音でそう答えた。

 その表情には笑みを湛え、人当たりの良さそうな雰囲気を醸し出している。

 

 

 その様子に満足したフィンは、

 

 「少し、お節介が過ぎたかもね。けど、君はこの先必ず民衆の注目を集める。そうなれば、必然的に周囲の目を気にしなければならなくなる。まあ……君は世間体を気にするような子ではないだろうけどね……」

 

 と言って苦笑を浮かべた。

 

 すると、フィンの言葉を皮切りにその場は和んだ空気が流れる。

 

出会って間もない彼らでは、夜について理解している部分はまだ少ない。だが、夜が世間体を気にするような慎ましい子供ではないことは、この短い時間で十分に理解していた。

 

 

 夜が顕現させた劫火によって焼き焦げた広間が修復を進める中、皆の笑いが木霊する。

 迷宮には似つかわしくない、穏やかな光景。

 

 

──だからこそ、誰も気付かなかった。

 

 夜の表情から先程まで湛えていた笑みが鳴りを潜め、ほんのわずかに翳ったことに。

 フィンから受け取った配慮ある言葉が夜の胸に鈍い痛みを与え、眉尻がほんのわずかに悲しげに下がったことに。

 

 それらの変化はあまりにも一瞬であったため、夜の機微を悟る者はいない。

 

 

 ────ただひとりを除いて。

 

 

 夜の隣に立つフィルヴィスは、その横顔から目を離さず、静かに見つめていた──。

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】一行が去って、しばらく。

18階層へと続く連絡路を見つめていた夜は、胸の奥に溜まった気持を吐き出すように、「ふう」と深く息を吐いた。

 

 (……ようやく、一息つけるな)

 

 張り詰めていた緊張が、ゆっくりと解けていくのを感じる。

 

 

 

 

あの後、【ロキ・ファミリア】の面々は幾つかの約束事を残し、18階層へと向かって行った。

 

 去り際、溌溂とした声で「ヨル君、またねー!!」と大きく手を振っていたティオナの姿が脳裏に浮かぶ。

 

 (……良い連中だったな)

 

 彼らが去ったことで、広間はほんの少し広く感じられた。

熱の抜けた空気の中に、言葉にならない寂寥感が静かに漂っている。

 

 (これが、まったく知らない連中だったなら……ここまで心を揺さぶられることもなかったんだろうが)

 

 何せ、相手はあの【ロキ・ファミリア】だ。

 

 

 改めて言うが、この世界は夜の好きな『ダンまち』の世界である。

 

 故に、夜にとって彼らは同業者である以前に“推し”という印象が前面に出てくる。

 特に、アイズやリヴェリア、ティオナたちには心を強く揺さぶられた。

 

 きめ細かな肌、艶のある髪、引き締まった肉体。

彼女たちの美しい容姿には、思わず見惚れてしまいそうになる。

 

 (……というか、リューさんやフィルヴィスもそうだが、この世界には綺麗な女性が多すぎる)

 

──流石は『創作世界』、ということか。

 心の中で思わず漏れた、メタ的な独白。

夜は、この世界そのものが持つ“創作ゆえの黄金比”に触れた気がした。

 

 

 ──それはさておき。

 

 

 『【暴喰】の魔法は、人前では使わない方がいい。君に向けられる目が、変わってしまうかもしれないからね』

 

 先程、フィンが告げた言葉が、ふと脳裏に蘇る。

 

 

 フィンの言葉は正しい。

 如何なる理由があろうとも、民を殺し、街を壊し、秩序を踏み躙ったザルドたちは非難される対象であって、そこに擁護の余地はない。

 

──彼らは、紛うことなき“悪”だ。

 

 正義の名の下に討たれた敗北者(ザルドたち)たちに、是非を語る資格はない。

 それがこの世界に於ける摂理であり、常識であり、定められた運命だ。抗いようなどない、不条理な道理だ。

 一個人の声では決して覆しようのない、“絶対正義”と言える。

 

 だからこそ、フィンは、彼らは、世間は正しいのだろう。

 疑う余地などない、絶対的に正しい。

 

 何故か。

 

彼らは当事者であり、現地の声がザルドたちを “悪”と断じているからだ。

 

 

 彼らは『役者』で、夜は『観客』。

立場が違えば、見える景色も、価値観も、善悪の定義すら異なる。

 夜と彼らの間には、どうしても埋めようのない隔たりが存在していた。

 

 整えることも、補うことも、消し去ることもできない、決定的な差異。

 

 

所詮、夜は『観客』に過ぎない。

『役者』が立つ舞台に上がる資格を与えられてはいない。

 

 それが夜に課せられた宿命であり、触れることのできない現実だ。

 

 

 その事実が、どうしようもなく────

 

 

 (……もどかしいな)

 

 己の無力さを痛感して、その度に嫌になる。

 

 

垂れた前髪で目元を隠し、夜は悔しげに唇を噛み締めた。

握り締める拳には、知らず力が籠っていく。

 

 

 その時。

 

 「──夜、大丈夫か……?」

 

 肩に、そっと触れる温もり。

 顔を上げると、覗き込むようにこちらを見つめるフィルヴィスと視線が重なった。

 

柳眉を下げ、赤緋の瞳が心配そうに揺れている。

 

 

 「……ああ。すまん、大丈夫だ」

 

 彼女の温もりに触れ、張り詰めていた心がわずかに緩む。

 心配を掛けたことへの申し訳なさを込めて、夜は微笑んだ。

 

 しかし、フィルヴィスはそのまま視線を逸らさず、静かに口を開く。

 

 「……本当は、何かあるんじゃないのか?」

 「──────」

 「【勇者(ブレイバー)】と話していた時、一瞬だが……お前の表情に翳りが見えた。誰も気付いた様子はなかったが、私の見間違いではない筈だ」

 

 断定的な口調。

 真っ直ぐに向けられるその双眸には、一切の邪念がなく、真摯な想いだけが宿っていた。

 

 (……参ったな)

 

 まさか気付かれていたとは思わず、夜は内心で苦笑する。

 表には出ないように気を付けていた筈が、どうやら夜自身が思っていた以上にフィンの言葉は心に深く刺さっていたらしい。

 

 

「【勇者(ブレイバー)】の言葉に、思うところがあったんじゃないか?」

 

 フィルヴィスは一歩踏み込み、夜の内心を見透かすように詰め寄る。

 

 逃れるように視線を逸らすと、ダフネとカサンドラもまた、興味深げにこちらを見ていた。

 

 ──逃げ場はない。

 

そう悟った夜は小さく息を吐き、観念したように口を開いた。

 

 

 「……少し、考えさせられただけだよ」

 

 そう前置きして、夜は視線を伏せたまま言葉を探す。

 

 「求める理想は同じ筈だったのに、選択した道が確かな分岐点となって……最期まで交わることはなかった。その選択が間違っていたとは思わないし、あるいは正しいかったのかもしれない。だが……もっといい方法はあった筈だ。矛を向け合うことなく、手を取り合って理想を掴み取る。そんな道が、あった筈だ……っ」

 

 握る拳に力が入り、爪が食い込んだ掌からは血が滴り落ちていく。

 

 「そうすれば……ザルドたちは今も生きて、みんなが幸せに暮らせていたかもしれない」

 

 吐き出される想いは確かな熱を持って、夜の口から零れ落ちる。

 

 過去を悔やむことに意味はないのかもしれない。

仮定の話に意味はないのかもしれない。

 

 ──それでも。

 

 夜は知っている。

この世界で唯一、あり得たかもしれない“別の未来を”。

 

 ザルドたちの笑顔を、希望を、意志を。

 ただ一人、夜だけが知っている。

 

 

 だが、過去に干渉する術はない。

 この世界線において、ザルドたちは“悪”であり、彼らの真意が正しく理解される日は、もう訪れない。

 

 

 静まり返る広間。

 

 三人は神妙な面持ちで、視線を落としていた。

 

 

やがて、面を上げたフィルヴィスが静かな声音で口を開く。

 

 「……夜の言う通り、そんな未来も、もしかしたらあったのかもしれない」

 

 彼女の言葉に、夜はゆっくりと顔を上げる。

 

 「だが、彼らが起こした惨劇によって奪われた命がある。家族を、友を、恋人を失った者たちがいる。それが現実だ。決して、目を逸らしてはならない事実だ」

 「……ああ。全くもって、その通りだ」

 「夜の想いを否定する気はない。皆が幸せに暮らせる未来……それは、誰もが望む理想だ」

 「………………」

 「だが──世界は残酷だ。夢物語を現実にできるほど、甘くはない」

 「ああ……そうだな。それは、よく知っている」

 

 

 理想を語ることは、誰にでもできる。

 だが、それを叶えるためには相応の力が必要だ。

 

 ──皆が笑って生きられる世界。

 そんな大それた理想を叶えるなど、限りなく不可能に近いかもしれない。

 

 それでも──諦めることだけはしたくなかった。

一度すべてを投げ捨てた身だからこそ、今度は諦めない。そう、己の魂に誓ったんだ。

 

 

 

 「──でも」

 

 凛とした声が、夜の耳朶を打つ。

 

 視線を向ければ、強い意志を宿した赤緋の瞳が、真っ直ぐに夜を見据えていた。

 

 「それでもなお、夜が願うのであれば……私は力になりたい」

 「──────」

 「助けてもらった恩を返すためではない。私が、夜の力になりたいんだ」

 

 そう言って、フィルヴィスは夜の両手をぎゅっと包み込む。

 彼女の両手から伝わる熱が、夜の乱れた心を落ち着かせていく。

 

 

 「夜が望む理想を……私は、隣で見届けたい」

 

 

 それは、ある種の契りを結ぶための言の葉のように告げられた。

 

 

 「……な……っ!……っ?!」

 「……は、はわわ……わわわ……」

 

 傍らで見守っていたダフネとカサンドラは、顔を真っ赤にして口許を押さえている。

 

 一方、夜は唖然としたまま固まっていた。

 彼女の言葉が、脳裏で何度も反芻される。

 

 

 やがて──

 

 自分が何を言ったのか気付いたフィルヴィスは、首から上を真っ赤に染め上げた。

 エルフ特有の尖った耳の先まで朱に染まり、慌てて手を離す。

 

 「ち、違うっ……! あ、いや、違わなくはないのだが……っ! そ、そうではなくて……っ」

 

 視線を右往左往に泳がしながら、必死に弁明するフィルヴィス。

 先程までの凛々しさを完全に失ったその姿は、可憐で可愛らしい。

 

 「そ、その……さっきの言葉は本心なんだが……だけど、その……っ!」

 

 そんな彼女を見て──

 

 「……ふ、ふふ」

 

 夜は、思わず笑みが零れた。

 

 

 「なっ、何がおかしい……!!」

 

 眦をキッと吊り上げながら、フィルヴィスは怒りを露にする。

 だが、目尻に涙を浮かべて頬を膨らませる彼女の姿は、宛ら幼子のようで微笑ましい。

 

 「いや……何も。ただ、少し驚いただけだ」

 

 そう言って、晴れやかな笑みを浮かべる夜に、フィルヴィスは拗ねたように顔を背ける。

 

「ふ、ふんっ……お前のことなど、もう知らん……っ!」

 

 不貞腐れた様子のフィルヴィスを見て微笑みを浮かべた夜は、

 

 「──フィルヴィス」

 

 小さくも、芯のある声で彼女の名を呼ぶ。

 

 「…………」

 

 ピクリッ、と肩を震わせるフィルヴィス。

 怒り心頭に発する彼女は、横目でチラリと夜を窺う。

 

 「ありがとう」

 「────」

 

 夜のその一言に、フィルヴィスは目を見開いた。

 先程までの怒りも霧散した様子の彼女は、緩慢な動作で振り返る。

 

 二人の視線が交差する。

 

 僅かな沈黙の後、やがて夜が口を開いた。

 

 「自分が何をすべきか……今、ハッキリわかった」

 

 ──フィルヴィスのおかげだ。だから、ありがとう。

 

 そう言って、笑顔を浮かべた夜の表情は、年相応で活気に満ちていた。

 

 そんな夜を見て、瞠目するフィルヴィス。

 

 やがて、表情を綻ばせた彼女は、

 

 「……どういたしまして」

 

 そう言って、花が咲いたような綺麗な笑顔をそっと添えた──。

 

 

 

 

 さてと。

 

 今、この場にいるのは俺一人だ。

 

 ダフネとカサンドラは逸れた仲間と合流するため、18階層へと降りて行った。

 広間を見渡す限り、人間の死体らしきモノは見当たらない。全員が無傷とはいかずとも、彼女たちの仲間は無事に18階層へ避難できたと見ていいだろう。

 

 仮に重傷者がいたとしても、受け入れてもらうしかない。

 

 ここはダンジョンで、彼らは冒険者だ。

危険と常に隣り合わせであることを承知の上で、この迷宮に潜っている。

 

 冷たい言い方にはなるが──『自己責任』ということだ。

 

 

 「……そういえば、カサンドラに夢のことを聞き忘れていたな」

 

 彼女が持つ“予知能力”。

 夢を介して、いったい何を視たのか。

 

彼女の言動からして、その夢に俺が登場していたのはほぼ確実だ。だが、肝心の内容まではわからない。

 

 それに──今回の一件。

 

 漆黒のゴライアスの出現は、おそらく俺の影響だ。

 

 次産間隔(インターバル)を無視した出現。

通常個体(ノーマル)から異常個体(アベラント)への突然変異。

 

どちらも明らかな異常事態(イレギュラー)だ。

前者はともかく、後者に関しては聞いたことがない。突然変異を引き起こす要因があったのなら話は別だが、あの場において思い当たる節は──俺しかいなかった。

 

 あの急激な変化は、“覚醒”と言って差し支えない変貌ぶりだった。

 果たして、漆黒のゴライアスが偶発的な産物とは思えない。何より、時機(タイミング)があまりにも出来過ぎていた。

 

 

 ……それに、あの漆黒のゴライアスの意識は、明確に俺へと向けられていた。

あいつの眼の奥には、単なる本能以上の“何か”が見え隠れしていたように思える。

 

 

 「……とはいえ、情報不足の現状では、これ以上考えても答えは出ないか」

 

 判然としない事柄に思考を費やすのは時間の無駄だ。

そう判断し、俺は思考を打ち切った。

 

 

 「ともかく……また会う機会があれば、その時に聞くとしよう」

 

 原作の流れに沿って行けば、再開の機会はいずれ訪れる。

 

 未来の自分にその役目を託し、俺は18階層へと続く連絡路から視線を逸らす。

そして、濃密な魔力を漂わせている存在へと目を向けた。

 

 歩みを進めて、近づいていく。

 距離が縮まるごとに、そいつが放つ威圧感(オーラ)に肌が粟立つ。

 

 

 やがて目の前に辿り着いた俺は、目的のモノ──漆黒のゴライアスの亡骸を眺める。

 

 「……死してなお、これほどの威圧感を発するか」

 

 これまでに抽出してきたどの影とも違う。

まさしく次元の異なる存在。

生前を考えれば当然と言えるが、それでも舌を巻かされる存在感だ。

 

 

 さて。

 

 「フィルヴィスを待たせるのも悪いし、さっさと済ませるか」

 

 そう呟き、漆黒のゴライアスの亡骸──堆積する灰と巨大な魔石に手を翳す。

 

 

 これから行うことを見られるわけにはいかないため、フィルヴィスには一足先に18階層へ向かってもらった。

 

最初は胡乱げな視線を向けてきた彼女だったが、最終的にはこちらの意向を汲んでくれた。

 

 『入り口で待っているからな』

 

 別れ際に言われた言葉を思い出し、自然と口元が緩む。

 

 

 少しの間を置いた後。

 

 気を引き締め直した俺は、小さく息を吐き、命令を下した。

 

 「【起きろ】」

 

 

 ──次の瞬間。

 

 視界が漆黒の闇に覆われた。

 

 漆黒のゴライアスの亡骸から漂っていた影のような魔力が一気に溢れ出し、辺りを満たす。

 濃密な魔力が吹き荒れ、砂塵を巻き上げる。

 

 

 (く……っ)

 

 踏ん張らなければ、今の俺では吹き飛ばされそうだ。

 

 ヒシヒシと伝わる圧倒感。

 ビリビリと肌を刺す威圧感。

 

 とんでもない存在を呼び起こそうとしている──そんな緊張感が全身を震わせる。

 

 だが。

 

 「……ははっ」

 

 その凄まじい存在感に、俺は思わず口角を上げていた。

 

 

 暴れ狂っていた魔力は、やがて一つの形となって収束した。

 

 そこに佇んでいたのは、身長が2Mほどしかない漆黒のゴライアスの影。

 生前は10Mを超える巨体だった。通常個体よりも大きく、その迫力も桁違いだった。

 

 だが今は、身長の高い人間のような形姿。

 

 一見すれば弱体化したように見える。

しかし、その身に内包された魔力は生前と遜色ない。

 

 

 (……体を縮小させることができるのか)

 

 漆黒のゴライアスが持つ固有能力なのか。

あるいは、影の兵士となったことで得た特殊能力なのか。だとしたら、他の影の兵士も身に着けることができるのか。

 

 新たな疑問が浮かぶが、今は脇に置いておく。

 

 

 目の前で佇んでいた漆黒のゴライアスは、一切の無駄のない動きで恭しく跪いた。

 

 「……これで、強力な戦力が手に入った」

 

 潜在能力(ポテンシャル)はLv.5相当。

 抽出した影の兵士の中では、間違いなく最強。

 

 

 胸の奥底から高揚感が湧き上がる。

 確かな達成感に、俺は小さく息を吐いた。

 

 

 「だが……この程度で満足する気は毛頭ない」

 

 これは、まだ序盤に過ぎない。

 

 これから先、こいつ以上の強敵と幾度も相対することになる。

今回は接戦の末に何とか勝つことができたが、次もまた同じようにいくとは限らない。

 

 

 

 俺たちは冒険者だ。

 モンスターを狩ることを生業とし、その度に強くなっていく。

 

 だが──狩るということは、同時に狩られる危険もある。

 

 それ故に、油断は禁物だ。

 

 しかし、それでも俺のやることは変わらない。

 

 相手がどれだけ強かろうと。

相手がどれだけ多かろうと。

 

 獲物が何十匹、何百匹いようと──ただ狩り続ける。

 

 

 

 「お前の名は……『ユミル』だ」

 

 頭を垂れて跪く漆黒のゴライアス──ユミルの頭に手を添えて、そう告げる。

 

 ユミル。

それは北欧神話に登場する、原初の巨人の名。

 

 大仰だが、こいつの強さを呈するには相応しいだろう。

 

 

 名付けを終え、俺は天を仰いだ。

 そこに蒼穹はなく、あるのは燐光に照らされた岩盤の天井だけ。

 

 その虚空を見上げながら、独り言のように呟く。

 

 「……ザルド、アルフィア。俺では、二人が求めた英雄にはなれないだろう」

 

 俺は彼らのような立派な人間ではないし、ベルのような気高い志もない。

英雄なんて肩書きは、俺には重すぎる。

 

 そんな男では、皆の希望となる英雄にはなれない。

 

 

 ──けれど。

 

この世界には、護りたい人たちがいる。

 

そして何より、俺はこの世界が好きだから。

 

 

 世界を救う理由なんて、それで十分だろう。

 

 

 だから。

 

 

「──黒竜は俺が倒すよ。過去の英雄では果たせなかった悲願は……俺が終わらせる」

 

 英雄にはなれなくとも、世界は救える筈だ。

 

 俺が生きたいと思えたこの世界を、誰にも壊させはしない。

 

 

 

 静寂に包まれた迷宮の広間で、そう宣言した──その時。

 

 

 ──ジジジッ。

 

 瞳の奥で、電流が迸る感覚が弾けた。

 

 瞬間。

 

 どこからか声が降ってきた。

 

 『──なら、見せてみろ。異界より迷い込みし異端者よ。お前が何を成すのか、或いは成さぬのか……俺はここから高みの見物と洒落込むとしよう』

 

 

 深淵を覗くような底知れぬ存在感。

 

 神託のように響く声。

 どこか既視感を覚えるその声色は、しかし挑発的に聴こえた。

 

 

 幾つもの疑問が脳裏に浮かび上がる。

 やがて、それらの疑問が記憶の一部と結合し、一つの解を導き出した。

 

 

 そして、俺が思ったことは一つ。

 

 (……()()()()()()()()()()()、必ず一発はぶん殴ってやる)

 

 

 飄々とした態度でこちらを見下すように軽薄な笑みを浮かべる男神の姿を頭の中で思い浮かべた俺は、ふつふつと沸き立つ情動のままに眦を決した。

 

 

 

 

 「……まあいい」

 

 一つ息を吐き、思考を切り替える。

 

 

 今、ここに誓いは果たされた。

 

 古代より続く人類の悲願。届かざる下界の希望。

 

 精霊では至れず、英雄では及ばない。

 

 掲げる理想は、定められた運命の下、散り去る宿命。

 

 過去より巡るは人類の意志。

 

 終焉より来るは風前の灯火。

 

 

 ──ならばこそ、俺が往こう。

 

 

 

フィルヴィスが待つ18階層へと続く連絡路に向けて歩みを進める。

 

 

 

 

 ──さあ、始めよう。

 

 「ここから先は、俺が主役だ」

 

 異界より迷いし俺が救う、世界の物語を──。





 夜とフィルヴィス、二人の邂逅は両者にとって間違いなく分岐点となりましたね。


 少しずつ成長していく夜。
 
 果たして、今後どうなっていくのか──。
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