自称“凡人”の人生譚   作:飢堕天

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 新年あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。


24話 帰還と誠実

 

 東の空から太陽が覗き始める時間帯。

 紅と橙が溶け合う淡い色彩が空を彩り、街並みを薄く照らしていた。

 

 18階層にて休息を終えた俺とフィルヴィスは、一日の始まりとともに地上への帰還を果たしていた。

 

 「スゥー……はぁー……」

 

 吸い込んだ空気が鼻腔を抜け、胸いっぱいに満ちていく。

 湿り気と閉塞感に満ちたダンジョンの空気と違い、地上のそれは清らかで澄んでいた。

 

 

 ダンジョンに潜っていた期間はたったの一日。

 しかしその短い時間の中で経験した出来事はあまりにも濃密で、体感では数日にも及んだように思える。

 

 

 地上の空気を堪能していると、柔らかな風が頬を撫でた。朝特有のひんやりとした冷たさが心地よく、自然と頬が緩む。

 

 

 「……やっぱり地上の空気は違うな」

 「ああ、そうだな。ダンジョンと違って開放感がある」

 

 ぽつりと零した感想に、隣から穏やかな声が返ってくる。

 

フィルヴィスは爽やかな風に髪を靡かせ、静かに瞼を閉じていた。

 空から零れるほのかな光で彼女の綺麗な濡羽色の長髪が艶めき、柔らかく光を反射している。耳に髪をかける何気ない仕草さえ、どこか幻想的で──。

 

やがて彼女が瞼を開いた瞬間──まるで天から祝福を受けたかのように光と風が重なり合い、思わず息を呑んだ。

 

 (……綺麗だ)

 

 美しさの中にほのかな儚さを湛えたその姿を見て、心の中で呟く。

 

 

 「──夜」

 

 彼女の姿に目を奪われていると、不意に声がかかった。

 現実に意識を戻して彼女を見れば、何か言いたげな様子でこちらを見ていた。その瞳は不安によってか揺れている。

端正な眉を下げて言い淀む彼女は、やがて決心したように口を開く。

 

 「また……私と一緒にダンジョンに潜ってくれるか……?」

 

 俺は思わず目を見開いた。

 言葉の文面だけを見れば何てことはない台詞だ。だが、そのセリフを口にしたのがフィルヴィスであれば話が変わる。

 

 彼女は過去の経験から他者との交流を自ら拒んでいた。それはダンジョン探索においても同様だ。

 過去の惨事を象った『死妖精(バンシー)』という渾名を冒険者たちに付けられた彼女は自ら孤独を選んだ。いや、選ばざるを得なかった。

 他者から拒絶され、自らも拒絶する。そこに生まれた溝は決して埋めることができないほどに深く、その底なし沼がより一層彼女の心を蝕んだ。

 

 そんな彼女が今、時間を共にしようと言ったのだ。

 その台詞一つ吐き出すのに一体どれだけの勇気と覚悟を伴ったのか。俺は想像することしかできない。

 けれど、彼女から誘いを受けたということは、少しは俺に気を許してくれている。そう思っても自惚れにはならないだろう。おそらく、と枕詞が付くが。

 

 「いいよ。一緒に潜ろう」

 「ほ、本当か……?!」

 「ああ。むしろこっちからお願いしたいところだよ」

 

 彼女は先ほどまでの不安にまみれた表情とは一転して、朗らかな笑顔を浮かべる。それにつられて俺も自然と笑みを零した。

 

 ──やはり彼女は笑顔が似合う。そう思った。

 

 

 「それで、次の探索は何時にする? さすがに疲れも溜まってるだろうし……明後日からにするか?」

 

 と俺は彼女に提案する。

 

 18階層で休息を取ったとはいえ、蓄積された疲労は未だ完全に拭い切れてはいない。

 度重なる異常事態。そして死力を尽くした『階層主』との死闘。息つく暇もなく押し寄せた連戦の代償は重く、わずかな安息で購えるものではなかった。

少なくとも丸二日は腰を落ち着かせて、心身を休めるべきだと判断した。

 

 

 「……そうだな。疲れた体では万が一のこともある。夜の言うとおり、探索は明後日からにしよう」

 

 フィルヴィスは少し間を置いてから俺の提案に頷いた。

 その声色にはわずかな不満が含まれているような気がする。表情はやや暗く、先ほどよりも幾分か沈んでいるように見える。

 

 どうやら俺の意向に納得できない部分があったらしい。

 休息期間が丸二日というのは長すぎただろうか。いや、それはないだろう。彼女の表情からは疲労の色が読み取れる。心身の疲弊具合は見た目以上のはずだ。

 

 フィルヴィスはLv.3。第二級冒険者に区分される実力者の彼女は常人をはるかに上回る身体能力と持久力を兼ね備えている。それでも体力が無限にあるわけではない。

 よって丸二日という休息期間は妥当な日数だろう。

 

 であれば────。

 

 彼女を見つめると視線が交差した。

 何かを訴えるように、あるいは期待するように赤緋の瞳を揺らしながら、ただじっと見つめ返してくる。

 

 数秒の沈黙。言葉を介さない交錯の中で、俺は彼女が抱える想いを紐解いていった。

 

 (きっと、彼女は……────)

 

 俺は彼女の願いに応えるために、ズボンのポケットに左手を滑り込ませ、

 

 ──【クリエイト】

 

 心の中でぽつりと唱える。

 

 すると、俺の意思(イメージ)に呼応するように魔力が脈動を始める。頭の中で描き出した精緻な設計図に従い、掌の中に収束された魔力は一つの結晶へと形を変えていく。

やがて製作を完了した「それ」は、仄かな熱を帯びて掌越しに伝わった。

 

 魔法で創造された「証」の感触を確かめながら、俺はゆっくりとポケットから手を抜き出す。

 

 「フィルヴィス、手を出してくれ」

 「…………?」

 

 フィルヴィスは怪訝な面持ちで首を傾げる。脈絡のない俺の言葉に困惑の色を浮かべる彼女だったが、素直に手を差し出してくれた。

 

俺は差し出された彼女の掌の上に「それ」をそっと置く。

 

 「────」

 

 「それ」を見たフィルヴィスは目を見開き固まる。

 

──紅玉(ルビー)の宝石があしらわれた首飾り(ペンダント)

 

彼女の瞳の色と同系色のルビー。それは存在を主張するように、彼女の掌の上で朝焼けに照らされ爛々と輝きを放つ。

 

 「ペンダント……私に?」

 

──くれるのか?

視線でそう聞いてくる彼女に、俺は頷く。

 

 彼女はわずかに瞳を揺らした後、唇を一文字にきゅっと結ぶとペンダントへ視線を落とす。そして再び視線を上げて俺を見る。それを幾度か繰り返す彼女。

 

 戸惑いの色を浮かべる彼女に、当然の反応だなと内心で呟く。いきなり異性からペンダントを貰えば、誰であろうと同じような反応を示すだろう。こういう場面になれた女なら話は別だが。

 

 それはともかくとして、彼女にペンダントを渡したのにはしっかりとした理由がある。

 

 「そのペンダントにはちょっとした術式が付与されているんだ」

 「術式……?」

 「ああ。着用者が救援を求めるとその思念が俺の下に届く仕組みだ」

 

 術式の概要を聞いたフィルヴィスは目を見開いて驚きを露にする。

 

 「……ということは、このペンダントは魔道具(マジックアイテム)なのか?」

 「そうだな。その認識で間違いない」

 

 フィルヴィスは呆然とした様子で「……そうか」と生返事を返す。ペンダントに視線を固定したままの彼女に苦笑する。

 

 彼女に渡したペンダントには『着用者が救援を求めるとその思念が届く』なんて効果は付与されていない。

 実際に付与した効果は、『周囲の魔素を吸収して着用者の精神力(マインド)を回復する』というものだ。彼女の戦闘スタイルは【魔法剣士】であるため、このペンダントは十分な効力を発揮するだろう。

 

 俺はフィルヴィスの影に視線を落とす。そこには俺が忍び込ませた一体の影の兵士がひっそりと潜っていた。

 

 影の兵士は俺以外の影にも潜り込ませることができる。ベルやヘスティアといった重要人物にはすでに忍び込ませているため、彼らの身になにかあった際には『影の交換』を使ってすぐに駆けつけることが可能だ。

 

 (これでペンダントの効果は実質的に嘘にはならない)

 

 忍び込ませた影の兵士には『対象の護衛』と『異状の即報』、この二つを命じてある。

 しかしこれはあくまでも身辺警護であって監視ではない。彼らのプライベートに対する配慮は欠かさないように気をつけている。俺に覗きの趣味はないので安心してほしい。

 

 

 「どうして……これを私に?」

 

 気を取り戻したフィルヴィスがおずおずと尋ねてきた。弱々しい声色に反して、向けてくる眼差しには期待を込めるようにほのかな光が帯びている。

 その視線を受けた俺は一考した後、ゆっくりと口を開く。

 

 「これから先も、これまでのように幾度と困難に直面するかもしれない」

 

 それはあり得る未来。彼女の定められた過去が、災厄の坩堝へと誘う。それは決して切り離すことはできないし、逃れることもできない。

 

 訪れる未来を想像したのか、フィルヴィスは表情を沈めてしまう。瞳からは色が失せ、堕ちたまぶたが翳りを宿す。

 

 (───っ)

 

諦観を滲ませる彼女の姿を見て、心に痛みが走る。

 

 今すぐ別の──気の利いた言葉を投げかけるべきか。そんな思いが頭に浮かぶが、それを即座に一蹴する。

 俺は彼女の機嫌を取りたいわけではない。甘い言葉に彼女を酔わせ、虚飾にまみれた関係性になりたいわけでもない。

 

 きっと彼女の心は俺以上に傷ついているはずだ。そして、それは間違いなく俺がたった今与えてしまったもの。

 その事実に狂いそうになる感情を理性で抑え、俺は彼女をまっすぐに見据える。

 

 

 「フィルヴィス一人では決して乗り越えることのできない壁にぶつかることもあるだろう」

 

 フィルヴィスの表情がさらに沈む。翳りは深まり、綺麗に整えられた前髪が彼女の顔を隠してしまう。隙間から覗いた彼女の瞳は大きく揺れていた。

 

 俺は思わずこぶしを強く握り締め、心に走る痛みに耐える。胸の奥底から込み上げてくる感情の濁流を飲み込んだ俺は、次いではっきりとした声音で告げた。

 

 「だからもし、そんな状況に出くわしたら──迷わず俺に助けを求めてくれ」

 「────ぇ」

 「その時どこにいようと、俺が必ず駆けつける」

 

 ──だから、肌身離さず持っていてくれ。最後にそう添える。

 

 勢いよく顔を上げた彼女は瞠目する。俺の言葉を咀嚼しきれていないのか、呆気にとられた表情でぽかんと口を開けている。

 

 やがて、なにかを考えるように俯いた彼女は少しの間を置いた後、ゆっくりと顔を上げて口を開いた。

 

 「助けを求めたら……駆けつけて、くれるのか……?」

 

 彼女の声は震えていた。沸き立つ感情を抑えるように、唇を噛みしめている。

 縋るように上目遣いで見つめてくる彼女に、

 

「ああ」と力強く頷いて応える。

 

 すると、彼女は潤みを帯びた瞳で問うてきた。

 

 「っ、私を……助けてくれるのか……っ?」

 

 それは、フィルヴィスが初めて見せた懇願だった。

これまでの彼女は人と関わることを拒み、他者に助けを求めることをしてこなかった。過去の呪縛が他者とのつながりを断ち、彼女を孤独へと追いやった。

 

──そのくびきがたった今、そっと解ける音がした。

 

 彼女は本音を口にしてくれた。心の奥底で積もっていた想いを吐き出してくれた。

 

 なればこそ、俺も彼女の想いに応えたい。

 

 「ああ、必ず助ける。どんな状況だろうと、誰が相手だろうと何度だって」

 

 それが俺の本心であり、これから俺が為すべきことだ。

 

 進む道は険しいだろう。きっと何度も痛みと苦しみを味わうことになる。けれど、失う悲しみを知っているから。届かない悔しさを知っているから。

 

 

 だから、俺は戦う。

その果てに、俺の求める理想があると信じて──。

 

 

 嗚咽交じりの声が耳朶を打つ。視線を向けると、双眸から決壊したように涙を溢すフィルヴィスの姿。

 

 ──【クリエイト】

 

 俺は魔法でハンカチを創造し、そっと彼女の涙を拭う。

 

 「──っ、ありがとう」

 

 彼女は小さな声で呟く。恥ずかしそうに頬を朱に染めて視線を逸らす彼女は、しかし抵抗することなくされるがまま受け入れている。

 

その姿に穏やかな気持ちを抱きながら、涙を拭い終わった俺は彼女を見る。

 

 俺の視線に気づいた彼女もまた、こちらに向き直る。

 

 視線が交差する中、

 

 「フィルヴィス、これだけは覚えておいて」

 

 そう前置きしてから、最後に言いたいことを告げる。

 

 「貴女は一人じゃない」

 

 彼女は瞠目する。

 

 これまでの彼女は一人だった。いや、主神のディオニュソスは彼女に寄り添っていただろうし、厳密には一人ではなかったか。

 いずれにせよ、彼女が孤独に苛まれていたのは紛れもない事実だ。だが、それも過去の話。

 

 この世界は、原作のルートとはすでに分岐している。そう──

 

 「少なくとも俺がいる。それだけは忘れないでくれ」

 

 俺がいる限り、彼女を孤独にはさせない。

 運命も宿命も捻じ伏せて、彼女が誰かと笑い合える未来へと導く。それが俺の役割だ。

 

 その理想を叶えるためならば──俺は神すら殺してみせる。

 

 

 「っ……まったくお前は……っ、そうやって毎回私が困る言葉ばかり並べて……っ!」

 

 怒った口調で彼女は言う。しかしその表情は晴れやかで、憑き物が取れたようにすっきりとしていた。

 

 「本当に……お前はおかしな奴だ」

 

 涙で目元を赤く染めながら微笑む彼女に、俺もまた笑みを返した。

 

 

 

 

 「これ……夜が付けてくれないか?」

 

 そう言って、フィルヴィスは両手を差し出してきた。掌の上にはペンダントが大事そうにのせられている。

 自分が贈ったものが大事に扱われているというのは、やはり嬉しいものだ。

 

 「いいよ」

 

 俺は快く受け入れる。

 

 「ありがとう」

 

彼女は微笑みながら礼を言う。幾分か明るくなった彼女の笑顔は、向日葵のような温かさを感じさせる。

普段の凛とした表情とのギャップに心を打たれる。

 

 フィルヴィスは後ろを向いて背を見せる。そして艶やかな長髪をふわりと持ち上げる。

 

 そうしてあらわになったのは、きめ細かな白いうなじ。細い首筋は女性特有の柔らかな曲線を描き、どこか扇情的で艶めかしい。

 

 思わず見入ってしまった俺は細く息を吐き、乱れた心を律する。

 

 (フィルヴィスは俺を信じて頼ってくれたんだ。ここで邪な気持ちを抱いてはいけない)

 

 自分よりも年上の女性が見せる色香に惑わされそうになる心を理性で抑える。ここで屈せば、彼女からの信頼を失いかねない。

 俺は鋼のような強い意志で誘惑を断ち切った。

 

 ペンダントの留め具(ヒキワ)を摘み、彼女の前へと回す。身長は俺の方が高いため、そこまで腕を持ち上げる必要もない。

 ペンダントを首元に回すと、彼女はわかりやすく肩を跳ねる。よくよく見ると、尖った耳の先端が朱に染まっていた。

 

 (自分から頼んでおいて……初心(うぶ)な奴だな)

 

 彼女の可愛らしい姿に頬が緩む。

 

 金属が擦れた小さな音とともに、引き輪をしっかりと留める。

 

 「──よし、できたぞ」

 

 俺の言葉を合図に、彼女は持ち上げていた髪を下ろした。その際、優しい香りが鼻腔をくすぐった。

 

 (……使っていた石鹸は同じはずだが)

 

 18階層にて休息した際、俺は魔法を駆使して簡易的な風呂を作った。疲れた体を癒すには川に出向いて水洗いするよりも、温かいお湯に浸かった方がいいと思ったのだ。

 

 当然、フィルヴィスからは訝しげな視線を向けられたので、俺は適当な言い訳をこじつけてなんとか誤魔化した。いや、おそらく誤魔化せてはいないだろう。ただ、秘密にしてくれたら使わせてあげると言ったら物凄い勢いで頷いてくれたので大丈夫なはずだ。

 

 そして、全身を洗うために用意した石鹼。風呂上がりの香りからして使ったのは間違いないと思うが、やはり女と男は根本的に違うということか。

 

 性差に垣間見た神秘に悟っていると、

 

 「ありがとう」

 

 フィルヴィスから告げられたお礼の言葉によって、意識を現実へと戻した。

 

 こちらに向き直った彼女と視線が重なった。首に下がったペンダントを大事そうに両手で握りしめながら、彼女は目尻を下げて頬を桜色に染め上げる。

 

 彼女の仕草にどきりと胸を弾ませる。きっと自覚はないだろう。けれど、今の彼女を見ると誰もが同じ感想を抱くはずだ。それほどまでに、彼女は俺の心を溶かした。

 

 俺の心境など知る由もない彼女は再び言葉を紡いだ。

 

 「本当に……ありがとう」

 

 朝焼けに照らされる彼女の表情は穏やかで、とてもきれいだと感じた。

 

 「どういたしまして」

 

 俺もまた、ふっと笑みを零した。

 

 

 

 

 現在、俺は西のメインストリートを闊歩している。時刻は朝というにはまだ早いため、人通りは少ない。

 オラリオが賑わいを見せる前の静謐とした空気が俺は好きだった。聴覚を刺激する音はなく、視覚を刺激する光もない。外部からの圧迫感を排した開放感が心地いいと感じるのだ。

 

 俺は穏やかな朝の空気を堪能しながら、目的地である『豊穣の女主人』へと歩みを進めた。

 

 

 

 「人の気配は……あるな」

 

 『豊穣の女主人』の面前までたどり着いた俺は、店内に人の気配があることを確認する。酒場は朝の仕込みなど準備することが多いため、朝早くからせっせと支度に励んでいる。

 

 彼女たちにとって朝の時間は貴重なのだ。そんな時間帯に俺が来た理由は一つ。

 

 「おはようございます」

 

 入り口扉を開いて中に入る。

 

 「申し訳ございません。当店はまだ準備中でして……──ツクヨミさん?」

 

 応対してくれた店員は、目的の人物であるリューさん。

 

 「どうも」

 

 俺は会釈する。

 

 「……今日はいらっしゃらなかったので、お休みかと思いましたが」

 「ああ、それに関して詫びに来たんだ」

 「詫び……ですか?」

 

 俺がここに来た理由は、リューさんに謝罪するためだ。

 

 リューさんには二週間ほど前から稽古をつけてもらっている。日中は彼女が仕事で忙しいため、夜明け前の時間帯を使って実施している。その時間はちょうど一人で鍛錬に励んでいるので都合がいいとのことだった。

 

 稽古は強制ではないため、休むこと自体に問題はない。最初の取り決めの際、休む場合の連絡は不要だとも言われていた。

 事前にわかっていればその時点で一報を入れることができるのだが、今回のような突発的な場合は難しい。けれど、だからといって無断欠席は人としてよろしくない。

 いくら事前に取り決めていたとしても、こういうところはきちんとしたい。それゆえの謝罪だ。

 

 諸々の事情をリューさんに説明した。彼女は最後まで口を挟むことなく聞いてくれた。

 できた人だ。俺の中でリューさんに対する好感度がまた上がった。

 

 「なるほど、道理で」

 

 リューさんは納得がいったと頷くと、いつもの凛とした表情をほんの少しやわらげた。

 

 「貴方が無事でよかった」

 

 心配してくれたのだろうか。やはり彼女は──

 

 「貴方になにかあればシルが悲しみますから」

 

 そっちかい。てっきりリューさんが心配してくれたのかと思った。いや、彼女の性格からして心配はしてくれているはずだ。しかし彼女の中ではシルに軍配が上がったということか。

 友達想いのリューさん。いい人だ。

 

 それに対して──おのれ、シルめ。毎度の如く俺の邪魔ばかりしおって。

 

 「もちろん、私も心配しておりましたが」

 

 ──貴女は落として上げる天才か?

 まさか彼女がそのような高等技術を持っていたとは。危うく惚れるところだった。どうやらリューさんは魔性の女らしい。これは情報修正が必要だな。

 

 俺は頭の中で彼女に関する情報を更新した。

 

 「……見たところ、大した怪我はないようですね」

 

 俺の全身を一通り見た彼女が言った。

 

 「ああ、治癒魔法で治したからな」

 

 本当は腕一本消し飛ぶほどの重傷を負ったが、わざわざ言うまい。格好がつかないからな。

 俺は格好のいい男でありたいのだ。

 

 「そういえば、治癒魔法が得意と言っていましたね」

 「ダンジョンを探索する上で必須の能力だからな」

 「確かに、パーティに治療師(ヒーラー)がいるかどうかで探索難易度は大きく異なってくる」

 

 俺とリューさんの会話はつづく。

 やはり彼女といると落ち着く。妙な安心感を覚えるというか、とにかく居心地がいい。

 彼女の強さがそういった印象を与えるのかもしれない。

 

 ──もしも助けを求めざるを得なくなった時、俺は間違いなくリューさんを頼るだろうな。

 

 

 このまま談笑を楽しみたいところだが、それは彼女に迷惑がかかるため断念する。

 伝えたいことも伝えたのでそろそろお暇しようとした、その時。

 

 

 「あら。夜、来ていたのね!」

 

 ジーザス。どうやら一足遅かったようだ。野生の腹黒女狐が現れた。

 

 振り向くと、シルが満面の笑みでこちらにとてとてと走ってくる。

 

 「おはよう、夜っ!」

 「……ああ、おはよう」

 

 俺たちは朝の挨拶を交わした。リューさんとの稽古を開始したあの日から始まった、いつも通りの挨拶だ。だが、彼女の様子が明らかにいつもとは違っていた。

 

 まず声色が違う。いつにも増して甘ったるい。艶っぽさを孕んだ大人の色香が吐息に混じって小ぶりな唇から漏れている。ぶっちゃけ、えろい。

 

 そして表情も違う。頬を桜色に染め上げ、瞳を潤ませながら恍惚とした表情で見上げてくる。そこに、さらに艶めかしい微笑みを浮かべている。ぶっちゃけ、えろい。

 

 (……こいつ、自分の正体を隠す気あるのか?)

 

 シルの正体を知っているが故に、思わず頬が引き攣る。

 

 「今日はリューとの稽古に来ていなかったみたいだけど、なにかあったの?」

 

 シルは上目遣いで聞いてくる。俺の胸に両手を添えながら。

 

 (──いや、ちけーよ!)

 

 いくらなんでも近すぎるだろ。距離感バグってんのか、この女は。

 

 (……さてはこいつ、漆黒のゴライアス──ユミルとの戦いを見てやがったな……?!)

 

 絶対そうだ。でないとたった一日でこうも態度が激変するわけがない。

 

 (他人の死闘を見て興奮を覚えるとか……どれだけ高度な変態なんだ)

 

 ──まったく、頭が上がらない女だぜ。

 いや、むしろ上げたくない。というか見たくない。

 

 (頼むリューさん! 貴女だけが頼りだ!)

 

 俺はリューさんに縋るような視線を向ける。彼女なら必ず助けてくれる。そんな淡い気持ちは──

 

 「…………」

 

 リューさんは顔を朱に染めながらそっぽを向いていたため、そもそも気づかれませんでした。

 

 俺の唯一の頼みの綱は、シルが醸し出す妖艶さに耐えきれなかったようだ。

 

 万策尽きた……か。諦めよう。

 

 

 「ちょっとダンジョンで色々あってな」

 

 俺は普通に会話をすることにした。

 

 「えぇっ!? 大丈夫なの?!」

 

 シルは驚きの声を上げる。すると、俺の体をぺたぺたと触りはじめた。

 

 これは身体検査──と見せかけて実は触りたいだけと見た。ので──

 

 「やめろ、変態」

 

 シルの頭に手刀を放つ。

 

 シルは「ぷぎゅっ?!」と可愛らしい鳴き声を上げて沈んだ。

 

 「っ~~痛い……っ!」

 

 そう言って、シルは頭を押さえて睨み上げてくる。

 

 涙目で抗議してくる彼女の姿を見て、不覚にも可愛いと思ってしまった。俺も末期なのかもしれない。

 

 自分の終わりを悟った、その時。

 

 「──ていっニャァ!!」

 

 後ろから気配を感じて咄嗟に避ける。

 

 見ると、黒髪の猫人(キャットピープル)が手を伸ばしていた。その位置は、先ほどまで俺のお尻があった場所だ。

 

 「ふっ、甘いんだよ」

 「ニャーっ! あともう少しだったのにどうして避けるニャぁ!」

 「……普通は避けるだろ」

 

 何言ってんだこいつ、と俺は彼女──クロエに視線を向ける。

 

 クロエ・ロロ。『豊穣の女主人』で働く、猫人の女性店員。

 彼女は元殺し屋であり、その実力はLv.4とリューさんと同水準の強さを誇る。

 

 しかし、悲しきかな。

 

 「ニャー! いいから少年のぷりぷりのお尻を触らせるニャぁ!」

 

 彼女は重度のショタコン──紛うことなき変態であった。

 

 「はぁ、ルノア」

 

 俺はクロエの奇行を食い止めるため、助っ人の名を呼ぶ。

 

 「──はいよ」

 

 その声に応じたのは、茅色の髪をしたヒューマン。

 

 ルノア・ファウスト。クロエと同じく『豊穣の女主人』で働く、ヒューマンの女性店員。

 彼女は元賞金稼ぎであり、その実力はクロエと同等のLv.4。ちなみに、彼女は比較的常識人である。

 

 

 「ほら、観念しな」

 「ニャー! ルノア、邪魔するんじゃないニャ!」

 「あんたこそ、冒険者君の邪魔するんじゃないよ」

 

 捕縛されたクロエは抗議の声を上げるが、ルノアはそれを一蹴する。

 

 (やはり持つべきものは常識人の知り合いだな)

 

 クロエとルノアのやり取りを見ながらしみじみと思った。

 

 「黒髪頭も大変だニャー」

 

 すると、茶色の毛並みをした猫人が親しげに肩を組んできた。

 

 (……一難去ってまた一難、か)

 

 第二の襲来にため息をつく。

 

 アーニャ・フローメル。彼女も皆と同じく『豊穣の女主人』で働く、猫人の女性店員。

 彼女はかつて都市最大派閥の一角である【フレイヤ・ファミリア】に所属していた冒険者であり、その実力は皆と同等のLv.4。ちなみに、彼女はおバカな子である。

 

 

 「まあ、美人に囲まれるのは男として役得だよ」

 

 適当に相槌を打つ。

 

 「ニャニャ~? おミャーはわかってるニャ! そうニャ、ミャーは美人な女なんだニャ!」

 

 アーニャが背中をバシバシと叩いてくる。地味に痛いからやめてほしい。

 

 まあ、確かに彼女は美人の類だ。端正な顔立ちに、愛嬌もある。頭がちょっと、いや相当アレだが、そこもまた彼女の魅力の一つなのだろう。

 

 「それより、仕事の方は大丈夫なのか?」

 

 現在、彼女たちは仕事中だ。各々持ち場を離れて集まってきたみたいだが、そろそろ戻らなければ女将の怒りが火を噴きかねない。

 

 途端に空気が鎮まる。見ると、皆が一瞬にして顔色を変えていた。先までの楽しげな雰囲気とは一転して、緊迫とした空気が張りつめた。その時だった。

 

 「アンタたち、いつまで喋ってるんだい! さっさと仕事に戻りな!」

 

 この店の女将──ミアさんの怒声が厨房の奥から飛んできた。その声に彼女たちは一斉に肩を跳ねさせると、

 

 「「「ひ、ひっー! ごめんなさい!」」」

 

 クロエ、ルノア、アーニャの三人は情けない声とともに持ち場へと駆け戻っていった。

 

 「私もそろそろ戻るとします」とリューさん。

 

 「ああ、長々と引き止めて悪かった」

 「いえ、それでは」

 

 彼女も同様に持ち場に戻っていった。クロエたちとは違って、焦ることなく颯爽と。

 

 (かっこいい)

 

 いつでもクールビューティー。それが彼女の魅力の一つだ。

 

 「……お前は持ち場に戻らないのか」

 

 俺のそばには女狐が一匹。同僚の背を眺めながら離れる気配がない。

 

 「あ、ふふっ。ちょっと待ってて!」

 

 すると、そう言い残して店の奥へと消えていく。

 

 「お待たせ!」

 

 すぐに戻ってきた。その手にはランチバッグを提げていた。

 

 「はい、これ! いつもの!」

 「ありがとう」

 「ふふっ、今日は腕によりをかけて作ったから味わって食べてねっ!」

 

 つまり毒の濃度が上がっているということか。

 

 笑顔で脅迫宣言をするシルに震えが止まらない。いくら状態異常を無効化させるスキルがあるといっても味覚までは錯覚させることはできない。

 

 またもや万事休す。助けを呼ぶことは難しい──。

 

 (……まあ、こうして作ってくれること自体は素直に嬉しくはある。それに……)

 

 シルを見る。薄鈍色の瞳と合う。彼女の中に邪念はなく、あるのは純粋な厚意のみ。

 

 (彼女の思いを無下にする気は毛頭ない)

 

 彼女もまた、俺が助けたいヒトの一人なのだから。

 

 「それじゃ、俺はそろそろ行くよ」

 「うんっ、またね!」

 「ああ、またな」

 

 そう言って、俺は『豊穣の女主人』を後にした。

 

 

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