夜くんのことをできる限り人間味を出して描きたいんだけど、果たして描けているのか。
俺はヘスティアから渡されたステイタス用紙に目を通す。そこには驚嘆すべき内容が記されていた。
まずはLv.1の最終ステイタスが書かれた用紙。そこに記された熟練度だ。すべてのアビリティがオールSSSの2000オーバー。耐久、敏捷、魔力に至っては3000を超えている。
道理で体の奥底から力が湧き上がる感覚がしたわけだ。ここまで飛躍的にアビリティが上昇していたのであれば頷ける。それにしても凄まじい上昇値だが。しかし獲得した
(……さて)
この飛躍的な成長を遂げるに至った根源である成長促進系スキル。その内容を拝むため、俺は二枚目のLv.2のステイタス用紙に目を移す。そして、魔法の欄を一旦通り過ぎてスキルの欄に視線を落とした。
【
・早熟する
・渇望の丈により効果向上
・渇望が続く限り効果持続
スキルが記された項目の一番下。そこに書かれていた内容は、原作でベルが発現したものと同系統の早熟スキルだった。
ベルが“懸想”であるのに対し、俺は“渇望”。
スキルとはその者の本質や望みが反映したものだ。今回の経験を経て、俺の内に在った願望が形を成した。そう考えるのが自然だろう。
次いで、俺は魔法の欄に目を向ける。
新たに発現した魔法の名は【アヴァロン】。詠唱式は超長文と最長である。
詠唱式の種類は短文、長文、超長文の三つが基本類型である。他に速攻魔法という種類が存在するが、この魔法に詠唱はない。ただ魔法名を唱えれば発動できる。
一般的に魔法とは詠唱が長いほど効果は高いといわれている。つまり、【アヴァロン】は相応の力を秘めているということになる。もっとも、実際に使ってみなければその全容はわからないが。
「夜くん、君の理想はなんだい?」
俺が自身のステイタスについて考察していると、不意にヘスティアから声がかかった。視線を向けると、ソファに腰掛けていた彼女と目が合う。
(……俺の理想か)
俺は一度視線を逸らし、彼女の問いになんと答えるか黙考する。
ヘスティアが言っているのは新たに発現した魔法のことだろう。
おそらく、【アヴァロン】は俺が求める理想に対する想いが形となった魔法だ。詠唱式からもそのことが読み取れる。ヘスティアもそれを見て、ある程度の察しはついているはずだ。
再び視線を彼女に戻し、俺は静かに口を開いた。
「みんなが笑って、楽しく暮らせる世界。それが俺の求める理想だ」
一見すれば平凡にみえる理想。だが実際は限りなく不可能に近い理想である。
この世界は地球ほど秩序に守られていない。
神々の道楽、悪党の享楽、怪物の跋扈。この世界は秩序に反した
そんな世界で掲げるには、俺の理想はあまりにも荒唐無稽だ。大言壮語も甚だしいだろう。公衆の面前で宣えば、笑いものに晒されること間違いなしだ。
けれど、それでも俺は追い求めたいのだ。
闇に覆い隠された空を明け、眩い未来へたどり着くために。
「みんなが、か。……その言い方だと、まるで君自身はその『みんな』の中に入っていないみたいに聞こえるよ」
ヘスティアが呆れ交じりに言う。彼女は困ったように眉を下げ、仕方のない子を見るような眼差しを俺に向ける。
「そんな風に聞こえたのか」
「うん、少なくともボクにはね。確認だけど……君もちゃんとその輪の中に入っているんだね?」
ヘスティアが真剣な声で問いかけてくる。神である彼女に嘘は通じない。元より偽るつもりもない。不安に揺れる彼女を安心させるため、俺もまた真剣な声色で告げた。
「ああ、当然だ。俺は自己を犠牲にするつもりなんて毛頭ない。死んでしまったら護りたいものも護れないからな」
ヘスティアは俺を見つめたまま押し黙る。
沈黙が訪れる。鳥のさえずりと朝の日差しが地下部屋に漏れ入る中、やがてヘスティアは口を開いた。
「そっか。それなら安心だ」
そう言ってヘスティアは表情を綻ばせる。どうやら不安は拭えたようだ。そう思った矢先、ヘスティアは俺を指さして声を上げた。
「ただし、無茶はしないこと!」
彼女の提示してきた要求に俺は言葉を詰まらせた。彼女の言葉はまるで鎖のような形となって俺に絡みつき、俺の自由を縛ってゆく。
返答に窮する俺を見て、ヘスティアは言葉を続けた。
「夜くん、君には力がある。とても強力で、特別で、あらゆる理不尽を跳ね除けてしまえる、大いなる力だ。新たに発現したスキルも合わされば、君は誰よりも速く、そして強くなることができるだろう」
ヘスティアの言葉が胸の奥底に沈んでゆく。内に在る数々の力が顔を覗かせ、俺をじっと見つめ返してくる。
「その力があれば、君の掲げる理想を叶えることができるかもしれない。それだけの力を君は得た。──いや、得てしまった」
ヘスティアは自嘲気味に笑った。
俺の持つ力は彼女が
……もしかしたら、ヘスティアは俺の背に恩恵を刻んだことを後悔しているのかもしれない。そう思うと、少しだけ胸に痛みが走った。
「だけど、いくら力があるからといっても限界はある。君が理想を叶えた時、君自身が力尽きてしまったら意味がない。理想を叶えたその先に君がいなければ、それは本当の意味で叶えたとは言えないだろう?」
ヘスティアの言うとおりだ。理想の果てに死んでしまえば、すべては空虚に終わることとなる。そこに意味はなく、意義もない。
俺は生きたい。他の誰よりも生きることを望んでいる。だからこそ──俺は俺を縛る彼女の
「だから──」
「ヘスティア」
俺はヘスティアの言葉を遮った。
不意を突かれた彼女は驚いたように目を見開き、そのまま固まる。再び口を開かれる前に、俺は言葉を紡いだ。
「俺はお前の言いたいことを理解しているつもりだ。……待つ側の身からすれば、心配にもなるのも当然だろう」
俺たちがダンジョンに潜っている間、ヘスティアはただ待つことしかできない。
神々は『
「今回の件もそうだ。深くは追及してこなかったが……本当は想像以上に心配をかけてしまっていたんじゃないか?」
俺はヘスティアに問いかけた。すると彼女は一拍置いて、弱々しく頷いた。
「……うん、とても心配したよ。だって昨日、君の背に刻んだ『
神々は自身の眷族の安否を知ることができる。それが『
俺はユミルとの戦闘で瀕死にまで追い込まれた。それをヘスティアは感知したのだろう。
「だから……だからボクは心配なんだ!」
ヘスティアの声が震える。
「君がまた同じように無茶をして、今度は本当に……っ」
彼女は拳を強く握り締め、溢れ出す感情を必死に押さえ込んでいる。俯いたままの姿は、今にも崩れ落ちそうだった。
「だから、約束してほしい。……もう無茶はしないって」
潤んだ瞳で懇願してくるヘスティアの姿に、俺の胸は強く締めつけられる。
彼女を苦しめているのは俺だ。彼女が涙を流す原因も俺だ。俺の弱さが、彼女の心に傷をつけている。その事実がもどかしく、己の不甲斐なさに苛立ちが募る。
利口な人間はここで頷くのだろう。これ以上ヘスティアを苦しめないために、彼女の願いを聞き届けるのだろう。
だが、俺は利口な人間ではない。どこまでいっても自分勝手な人間だ。だから──
「その約束は結べない」
俺は彼女の願いを叶えることはできない。
「そんな……どうして?!」
ヘスティアが声を荒げる。
「君は死にかけたんだろう?!」
「そうだな。瀕死の重傷にまで追い込まれてしまったよ」
「だったら、なんで……っ。また同じように無茶をしたら、今度は本当に死んでしまうかもしれないんだよ……っ?!」
彼女はソファから勢いよく立ち上がり、必死に訴えてくる。
彼女の言い分は正しい。今回は生き永らえたが、次回もなんて保証はない。
「君は、死ぬのが怖くないのかい?!」
その言葉を聞いた瞬間、思考が止まった。体を支配していた自責の念も消え去り、彼女の言葉が脳内で反芻する。
──死ぬのが怖くないか、だと……?
「……そんなもん」
喉の奥から抑えきれない感情が溢れ出す。
「怖いに決まってんだろ──ッッ!!」
自分でも驚くほどの大声だった。
だが、胸の奥底から湧き出る激情はもはや止めることなどできない。俺は感情の赴くままに思いを叫んだ。
「自分よりも圧倒的に強い奴を前にすれば、俺の身は恐怖で震える! 肉を抉られ、骨を砕かれ、腕を吹き飛ばされれば、俺の足は絶望で竦んでしまう! 目の前に突きつけられる敗北感に、俺の心は死に怯えてしまう!」
吐き出される思いは堰を切ったように止まらない。感情に心は揺さぶられ、過去の恐怖が鮮明に蘇り、俺の全身を苛んでゆく。
喉が焼けるように熱く、胸が痛いほどに締めつけられる。
「……でも、それでも俺が逃げるわけにはいかねえんだよ」
俺は必死に声を絞り出す。
「俺が逃げたら、俺の後ろにいる奴らが死んでしまう。それは……自分が死ぬよりもずっと怖いんだ」
目の前で大切な人が死んでゆく光景を、俺はもう見たくない。
手を伸ばせば届く距離で誰かが命を落とすのは耐えられない。
「だから俺が戦うんだ。大切なものを失わないために。もう二度と手放さないために。──俺が戦ってみんなを護るんだよ!」
だから俺は剣を執り、誰よりも前に立つ。
退くことも、臆すことも赦されない。そのわずかな迷いの隙に誰かが死ぬのであれば、俺は決して立ち止まることはできない。
「無茶なのはわかってるさ。無謀だってことも承知だ。だけどな……そこで諦めちまったら世界は変えられないだろ」
死を恐れるのは悪いことではない。それは己の弱さを認め、強くなるための原動力となる。
だが、ただ恐れるだけではなにも掴めない。
必要なのは覚悟だ。死を恐れる心を持ち、それでも死を乗り越えんとする覚悟だ。
──そうして自己を変革できたとき、人ははじめて世界にとどく。
「だから俺は──俺のすべてを懸けて世界に挑むんだよ」
俺は静かに息を吐く。
言いたいことはすべて吐き出した。あとはヘスティアからの反応を待つだけだ。
ヘスティアは呆然と立ち尽くしたまま、俺を見つめている。
勢いに任せすぎたかもしれない。こちらが一方的に話していたから会話にすらなっていなかった。
重苦しい沈黙が訪れる。時間が経過するたび、居た堪れない気持ちがじわじわと押し寄せてくる。ヘスティアはまだ喋らない。なにやら考えている様子だ。早くしてくれ。
待つこと数分。ようやくヘスティアは口を開いた。
「……そっか。それだけの覚悟を、君はたった一人で背負っていたんだね」
そう言って、彼女は深く頭を下げた。
「気づいてあげられなくてごめんよ」
「ちょ、待てって!」
俺は慌てて駆け寄る。
「お前が謝ることじゃないだろ。頭を上げてくれ」
促すと、彼女はゆっくり頭を上げた。その表情はどこか陰を落としていて暗い。
「ボクは……君たちの主神失格だよ」
「そんなことねえよ。ヘスティアはちゃんとやれてる」
「……本当かい?」
「ああ、もちろん。お前は頼りになる主神だ」
「夜くん……っ」
ヘスティアは堪えきれなくなったように、俺に抱き着いてきた。
「あー、はいはい。……よしよし」
俺は彼女の頭をそっと撫でる。指先を滑る黒髪は絹のように柔らかく、艶やかだ。
「夜くん……ごめんね。君にばっかり負担をかけてしまって」
「俺の方こそ、色々と迷惑をかけて悪かった」
しばらくの間、俺たちはお互いに言葉を交わし、反省と許しを繰り返す。
そうして、ようやく空気が落ち着いた頃──
「よしっ、もう大丈夫! ありがとう、夜くん!」
ヘスティアは晴れやかな笑顔を浮かべた。
目元はまだ赤みを帯びているが、先ほどまでの陰は消えている。
俺も小さく笑って、「どういたしまして」と頷いた。
俺はふと壁に掛けられた時計を見た。時刻はもうすぐ九時だ。
「なあ、ヘスティア。今日、バイトは?」
「……あ」
次の瞬間、ヘスティアの顔色はみるみる青ざめた。
「あー!! 忘れてた!!」
彼女は慌てて階段へ駆け出し、直前で振り返る。
「夜くん! 行ってくるよ!」
朗らか笑顔に、思わずこちらも笑みがこぼれる。
「行ってらっしゃい」
小さく手を振り返しながら、俺はその背中を見送った。