自称“凡人”の人生譚   作:飢堕天

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27話 豊穣と約束

 

 オラリオが賑わい始める時刻。

 ヘスティアを見送った後、俺は他派閥の本拠(ホーム)まで足を運んでいた。

 

 目の前には大きく開け放たれた鉄格子の正門。その両脇を陣取るように槍を携えた壮年の男が二人、門番として佇んでいる。一応の武装は整えているようだが、明らかに戦闘には疎そうに見える。それもそのはずだ。彼らは『戦闘員』ではないのだから。

 

 「よお。坊主じゃねえか」

 

 すると、俺に気づいた門番の一人が気さくに声をかけてきた。

 

 「おはよう、おじさん。今日も盛況か?」

 

 俺も気軽に返答する。

 俺が初めてここを訪れたのは、二週間ほど前。オラリオに来て間もない頃だ。その時の門番の一人が彼だった。以前に聞いたところによると、門番は彼が担う仕事の一つだそうだ。

 

 「あたりめえよ。うちは年中大盛況さ」

 

 そう言って彼は笑い声を上げる。そこに謙虚さはなく、あるのは自分たちの仕事に対する自信。そんな彼の態度を俺は好ましく思う。変に謙遜されるよりもこちらの方がいい。

 

 「それで、今日は朝からどうした。買い物ってわけじゃなさそうだが」

 

 手ぶらな俺を見て、彼は訊いてきた。

 ここに訪れる際、俺は買い物かごを持参している。俺には『影の倉庫』があるので本来は不要なのだが、人の目がつく場所で使うわけにもいかない。なかなか不便である。

 

 「ああ。今日はおじさんたちの主神に用があってな」

 

 俺は詳細を省き、簡潔に答える。すると、彼は気前よく居場所を教えてくれた。

 

 「うちの女神様か。それなら東の畑に行ってみるといい。今の時間ならそこにいらっしゃるはずだ」

 「東の畑ね、わかった。教えてくれてありがとう」

 「なに、気にするな。坊主のことは客人として扱うよう仰せつかっているからな」

 

 そうして、麦と女神の側面像を象った紋章(エンブレム)が刻まれた門をくぐった俺は──【デメテル・ファミリア】の本拠へと足を踏み入れた。

 

 

 *

 

 

 規則正しく敷き詰められた石畳の上を歩きながら、俺は周囲へと視線を巡らせる。

 

 【デメテル・ファミリア】の本拠は、一言で表すなら『農場』だ。

 視界の端まで続く豊かな緑の園。自然の恩恵と人の手による営みが調和した、広大な農耕風景が広がっている。

 

 ここでは、穀物や野菜、果物といった農産物の多くが育てられている。オラリオに出回る農産物のほとんどは【デメテル・ファミリア】で生産されたものだ。俺たちの食卓に並ぶ料理の食材もその例外ではない。

 

 

 整然と区画された田畑では、麦わら帽子をかぶった農夫たちが農作業に勤しんでいる。土で作業着を汚す彼らは、しかしその表情は明るく活気に満ちていた。

 

 【デメテル・ファミリア】に所属する眷族の中に、いわゆる『戦闘員』と呼ばれる者はいない。彼らの中には【神の恩恵(ファルナ)】を授かっていない者も多く、都市外の大農場で農業を営んでいる者たちもいる。それらを含めた場合、派閥の規模は都市最大といえるかもしれない。

 

 

 

 周囲の景色を堪能しながらしばらく歩いていると、目的の女神を見つけた。

 彼女は眷族と同じように作業着に身を包み、土に手を汚しながら農作業に勤しんでいる。腰のあたりまで伸びた蜂蜜色の長髪が朝の光を受けて、柔らかな黄金色に輝いて見えた。

 

 「おはよう、デメテル」

 

 俺が背中に声をかけると、彼女は手を止め、ゆっくりとこちらへ振り向く。

 髪と同じ色の瞳が俺の姿を捉え、彼女は一瞬だけ目を瞬かせた後、

 

「あら」

 

 と小さく声を漏らし、そのまま腰を伸ばして立ち上がる。

 動きに合わせて作業着を張りつかせながら露になったのは、布越しでもはっきりとわかる豊満な体つきだった。ヘスティア以上、そう評しても差し支えないだろう。

 

 「おはよう、夜。今日もいい天気ね」

 

 そう言って、彼女は屈託のない笑顔を浮かべた。

 

 「食材の調達……というわけではなさそうね。なにかあったの?」

 

 彼女は俺の様子を見て、なにかを察したのだろう。

 探りを入れるというよりも、寄り添うような穏やかな声音だった。

 

 神々は観察眼に優れており、俺たち人間の些細な機微にも目ざとく気づく。だが、見てわかるほど俺はいつもと違っていたのだろうか。あまり自覚はない。

 

 「そうだな……。まあ、ちょっとだけ」

 

 俺は言葉を濁して答えた。

 心当たりがあるだけに、それを素直に口にすることができなかった。

 

 そんな俺を見て、彼女は「ふふっ」と小さく笑った。まるで子どもの不器用さを見守るような、柔らかな微笑みで。

 

 「よかったら、貴方も一緒にどうかしら? 少しは気持ちも晴れるかもしれないわよ」

 

 そう言って、彼女は手にしていた農具を軽く示す。

 その提案に、俺は素直に頷いた。

 

 

 

 

 デメテルから借りた農具で土をいじっていると、

 

 「それで、今日はどうしたの?」

 

 隣で同じように作業をしながら、デメテルが問いかけてきた。

 

 「今日はダンジョン探索が休みになってな。だから、手伝いに来たんだ」

 「あら、そうだったのね。それじゃあ、さっきの提案は余計だったかしら」

 「いや、そんなことはない。むしろ、そっちから言ってくれて助かった」

 「そう? それならよかったわ」

 

 そう言って、彼女はこちらへ振り向くと、柔らかく微笑んだ。

 

 ──本当に、彼女は笑顔が似合う女性だ。

 貼り付けたような作り物の笑みではない。彼女は今この刹那の時間を慈しみ、そしてなによりも楽しんでいるのだ。

 その表情を見るたび、この穏やかな空間を護りたいと思わずにはいられない。それと同時に、彼女たちの幸せを脅かそうとする存在に対して、言いようのない憤りが胸の奥で静かに沸き立つ。 

 

 

 「ヘスティアとは、うまくいってるの?」

 

 不意に投げかけられた問い。

 作業を続ける彼女の横顔からは、それが狙ってのものか、それとも単なる世間話なのかは判然としない。だが、確信を突かれたことだけは確かだった。

 

 正直に話すか否か、少しだけ考えた後、俺は口を開いた。

 

 「……実は、今朝ちょっとした口喧嘩になってな」

 

 そう告げると、彼女は作業の手を止めて、こちらに振り向く。そして、「貴方たちが?」とわずかに目を見開いた。

 

 「もしかして、少し元気がないように見えたのは、それが理由かしら?」

 

 その言葉に、内心で小さく苦笑する。

 どうやら、俺は自分が思っていた以上に気にしていたようだ。

 

 「そうだな。今しがた自覚したよ」

 「そう……。なにがあったのか、聞いてもいいかしら?」

 

 その声音は相変わらず穏やかだった。

 急かすことも、踏み込むこともない。ただ、焦燥に駆られていた心をそっと撫でるような、不思議な安心感があった。

 

 俺は一拍置き、今朝の出来事を思い返しながら、ゆっくりと語り始めた。

 

 

 

 

 ひとしきり語り終えたところで、俺は小さく息をついた。

 思いのほか緊張していたのか、喉が渇きを訴えてくる。だが、こうして話したことで自分の中でもある程度の整理はつけることができた。

 

 「……そんなことがあったのね」

 

 デメテルは静かにそう呟いた。その表情は至って真面目であり、真摯に話を聞いてくれていたことが窺える。

 

 俺が話したのは、今朝のヘスティアとの口喧嘩についてだ。ただ、詳細は省かせてもらった。ステイタスのことやら、俺の理想のことやらを話すわけにもいかないからだ。

 

 しばし沈黙が落ちる。

 やがて、デメテルはこちらへ振り向くと、唐突に訊いてきた。

 

 「ねえ、夜。貴方、年はいくつなの?」

 

 あまりに脈絡のない問いに、一瞬だけ面食らう。

 

 「……十四だけど」

 

 そう答えると、彼女は小さく息をつき、ふっと表情を和らげた。

 次の瞬間、温かな感触が頭に触れる。

 

 「そう……。ずいぶん大人びていると思っていたけど、まだ十四なのね」

 

 そう言って、彼女はゆっくりと俺の頭を撫で始めた。

 まるで壊れ物に触れるかのように、丁寧で、慈しみに満ちた手つきだった。

 

 「その年頃なら、仕方のないことよ。自分の中にある想いが、まだうまく形にならない時期だもの」

 

 確かに。彼女の言うとおり、俺くらいの年頃はちょうど思春期真っ盛りで、多感な時期だ。感情を上手くコントロールできずに、人との衝突を避けて通れない者もいる。

 

 「だけど、それは他人に当たっていい理由にならないだろう。言っていいことと悪いことの分別くらいはつけなければならない」

 

 そう反論する俺に、彼女はなおも変わらぬ手つきで撫で続ける。

 

 「そうね。貴方の言っていることは正しいわ。けれど、本心を打ち明けることは悪いことなのかしら?」

 「それは……」

 「もちろん、暴力や暴言を以って当たることはいけないわ。でもね、本心というのは信頼している者にしか吐き出せないものよ」

 

 黙り込む俺に、彼女は続ける。

 

 「言葉というのは難しいものね。時に人の心を癒す薬にもなれば、あるいは傷つける刃にもなる」

 

 そのとおりだ。言葉の扱いを誤れば、それは容易く凶器となりうる。

 

 「けれど、それでも人は言葉を介して自分の想いを口に出すの」

 

 口に出して言わなければ、自分の想いは伝わらない。そういうことだろう。

 

 「だけど、言ったとしても伝わらないことだってあるはずだ」

 

 すべての人間が理解し合えるわけではない。もしもそれができていれば、もう少し世界は平和な方向に進んでいるはずだ。

 

 「そうね。価値観が違えば、すれ違うこともある。解釈が違えば、誤認して届くこともある」

 

 彼女は言葉を重ねる。

 

 「あるいは理解できるからこそ、相手を守るために立ちはだかることだってある」

 

 貴方たちみたいにね、と彼女は言う。

 

 「だけど、それはぶつかり合ってはじめてわかること。貴方たちもそうでしょ?」

 

 彼女の言葉に、俺は重々しく頷いた。

 

 ヘスティアがどれだけ心配してくれていたのか。俺は今日に至るまで知らなかった。いや、知ろうとすらしなかったのだ。

 なんとも情けない話だと自分にあきれ返る。

 皆を護ると啖呵を切っておいてこのざまだ。俺は自分のことばかりで、皆のことを見ていなかった。

 

 「本心を語るというのは、とても勇気がいることだわ。そして同時に、相手を傷つける覚悟も伴ってしまう」

 

 ヒトは、相手に拒絶されないために言葉を取り繕う。だからこそ、本心を晒すというのは相応の勇気が必要となる。

 そして、その本心が相手を傷つけてしまうかもしれない。その恐怖と事実を受け入れる覚悟もまた必要なのだ。

 

 「だからね」

 

 そう呟くと彼女は俺の頭に両手を添え、そっと引き寄せた。額と額が触れ合う。

 

 「もう少しだけ、貴方は貴方自身に優しくしてあげて」

 

 彼女の言葉は水面に滴る雫のように、俺の心を打つ。広がる波紋は熱となって、全身へ浸透してゆく。

 

 「自分が耐えればいいなんて思わないで、しっかりと想いを口にしなさい。本心をぶつけてもいいと思った相手には、とことんぶつけなさい。そのたびに衝突して、喧嘩して、苦悩して。そして、最後にはちゃんと仲直りするの」

 

 人間関係というのは複雑で、奇怪で、絡みついた糸を解くように繊細だ。

 ベルたちと出会うまで、俺は誰にも心を開かずに生きてきた。それが自己を防衛するための手段だったから。そしてこれからも俺は人を信じることに苦悩するかもしれない。けれど、

 

 「失敗を恐れないで、貴方は貴方自身を信じて進みなさい」

 

 

 ──きっと、それでも俺は歩みつづけるのだろう。

 

 

 

 

 「さて、しめっぽい話はこれでおしまいよ!」

 

 デメテルが軽く手を鳴らし、俺たちの間に漂っていた辛気臭い空気を取り払う。

 

 「仕事を再開しましょうか」

 「そうだな」

 

 俺たちは止まっていた手を再び動かし始めた。

 

 

 

 

 農具を片手に作業を続けながら、俺は横目でデメテルを見やる。

 

 今回ここを訪れた理由は畑仕事の手伝いだけではない。真の目的は別にある。

 

 【デメテル・ファミリア】といえば、原作において悲惨な目に遭う派閥の一つだ。その最たる原因は、主神であるデメテルの行動。

 黒幕を突き止めようとした彼女は、深入りし過ぎたがゆえに相手に感づかれてしまう。その結果、取り返しのつかない事態を招いた。

 

 俺はこの二週間ほど影の兵士を潜伏させて、彼女たちを監視、もとい注意していた。

 

 その結果、現時点で彼女に不審な動きは見られなかった。まだ黒幕に行き着いていないのか、あるいは──。

 いずれにせよ、最悪の事態を想定していただけに、俺は胸を撫で下ろした。

 

 そんなわけで、今日は悲劇を未然に防ぐための“種まき”に来たのだ。

 

 とはいえ、馬鹿正直に原作知識を披露したりはしない。むしろ、それは最もやってはいけない行為だと思っている。

 理由は単純。この世界は、原作に基づいた世界線ではない。その片鱗は昨日のフィルヴィスとの探索劇で垣間見た。

 

 理由は解明できていない。だが、完全に一致していない以上、原作知識を絶対視するのは愚策だ。

 原作知識はあくまで武器の一つに過ぎない。そう認識しておくべきだろう。

 

 

 

 「夜、どうしたの?」

 

 不意にかけられた声に、意識が現実へと引き戻される。

 視線を向けると、デメテルは作業の手を止め、こちらを心配そうに見ていた。

 

 「まだ、なにか悩みごとでもあるの?」

 

 またも言い当てられてしまった。どうやら彼女の前では隠しごとはできないらしい。

 

 しかし、どうしたものか。

 今回は不確定な未来の話なので、全容を語ることはまずできない。

 仮に話したとしても、信じる者はほとんどいないだろう。真偽を見破ることのできる神であってもそれは同じだ。俺が真実だと思い込んでいるか、あるいは何者かに洗脳でもされていると疑われておしまいだ。

 

 デメテルならば、あるいは信じてくれるかもしれない。

 だが、問題の本質はそこではない。

 信じるか否かではなく、俺の言葉の真偽こそが真に問題なのだ。

 

 もし俺の言葉が誤りであった場合、彼女は黒幕ではなく俺、ひいては【ヘスティア・ファミリア】に疑惑を抱くのは必定。いや、彼女はそれでも信じようとしてくれるかもしれない。だが、俺が嘘をついたという情報が出回った場合、他派閥の矛 先は必ず俺たちに向く。そして、黒幕がそれに乗ることは間違いない。

 そうなれば、断頭台に立たされるのは俺一人ではない。ヘスティアやベル、そして新たに加わるかもしれない仲間たちにまで被害が及んでしまう。その未来だけは絶対に避けなければならない。

 

 一歩間違えるだけですべてが詰むかもしれない。俺は今まさに、そんな生死の狭間に立ち続けている。

 その事実を再確認した瞬間、背中にじっとりとした汗が滲んだ。嫌に喉が渇き、視界がわずかに揺れる。

 

 ──落ち着け。大丈夫、俺ならやれる。

 

 俺は細く息をつき、重たい口を開く。

 

 「……実は、水面下で怪しい動きをしている神がいるらしい」

 

 これは真実だ。

 『らしい』と言ったのは、原作知識の真偽が不明瞭であるから。よって嘘ではない。

 

 デメテルは少しだけ黙考した後、「名前はわかるの?」と訊いてきた。

 

 その質問をするということは、現時点の彼女に思い当たる神はいないということ。──この情報は大きい。

 

 「ああ。だけど、今は言えない」

 「それは……どうしてかしら」

 「今その神の名を言ってしまえば、デメテルはその神に対して先入観を持って接してしまうだろう。真実かどうかもわからないのに、それはよくないだろ?」

 

 善良な神である彼女は、先入観を持って他者を見ることに抵抗を覚えるはずだ。

 情に訴えるのは心苦しいが、ここは仕方がない。

 

 案の定、彼女は「確かに、そうね」と頷いた。

 

 「貴方の悩みというのは、その神の対応についてかしら」

 「そうだな。正直、探りを入れるのは危険だと思ってる。もし相手に感づかれた場合、俺だけでなくヘスティアたちにまで被害が及ぶ可能性が高いからな」

 

 こう言っておけば、彼女が迂闊に探りを入れることもないはずだ。

 

 「そうね……。迂闊な行動は控えた方がいいかもしれないわね」

 

 よし。これで一先ず認識の植え付けは完了した。あとは、

 

 「ああ。だからデメテルの方でなにか情報を掴んだとしても、一人で行動せずにまずは俺に教えてほしい」

 

 これで、彼女が俺に疑惑を抱くこともないはずだ。

 黒幕の正体は口にしておらず、怪しい動きをしている神の情報についても俺は断言していない。

 仮に黒幕が存在しなかったら、その時は実在している闇派閥に肩代わりさせればいい。問題はない。

 

 「わかったわ。その時は、真っ先に貴方に相談するわ。だから、貴方の方でもなにかわかった場合、私に教えてちょうだいね」

 「ああ。()()()()()が入り次第、まずはデメテルに教えるよ」

 

 俺とデメテル以外の人影がない畑の片隅で──誰にも知られることのない、密やかな約束が交わされた。

 

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