自称“凡人”の人生譚   作:飢堕天

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28話 薬草と浄化

 

 時刻は昼を過ぎた頃。

 館内の食堂で昼食をご馳走になった後、俺はデメテルと共に農場の離れへと向かっていた。

 ちなみに、その昼食はデメテルの手料理であった。初めてここに訪れた際もご馳走になったのだが、採れたての食材を活かした彼女の料理は非常に絶品だ。味とレシピは覚えたので、今度再現してみよう。

 

 

 デメテルと肩を並べて、田畑に囲まれた農道を歩いていく。時折すれ違う団員たちと挨拶を交わし、緑の香りを包んだそよ風に髪を靡かせる。

 雑談を交えながら進むこと少し、目先に白い建物が姿を現した。

 

 開けた平地に白い施設が二つ、併設して建ち並んでいる。

左側には白塗りの壁とガラス張りの巨大なオランジェリー風の温室施設。太陽の光がガラスに反射して煌めいている。

 そして渡り廊下を挟んで、右側には同じく白塗りの壁と小窓の付いた直方体の製造施設。一階建ての施設で温室施設よりは小さいが、それでも普通の一軒家よりも立派で大きい。

 

 

 この土地はデメテルと契約を交わして借りている場所だ。譲り受けたわけではないので月毎に地代を支払う必要はあるが、今の俺ならそこまで負担にはならない。

 

目の前に佇む施設は【オムニ・ジェネシス】を駆使して俺が建設した建物だ。ここまでの大きさとなると相応の魔力を消費したが、なんとか創り上げた。本来は早くとも数週間はかかるだろうが、【オムニ・ジェネシス】によって数時間で完成させることができた。まったく『創造魔法』様様だな、としみじみ思う。いや、本当に……。

 

 

 両開きの扉を開いて、俺たちは温室施設に入る。

 中は一面が同じ植物で生え揃えられている。畝が規則正しく並び、そこに膝くらいまで背丈のある、茎の先端に白い一輪の花が咲いた植物が整然と生え並んでいる。葉は青みがかっており、少し光沢がある。なによりの特徴は、その植物が魔力を帯びていること。

 

 「やっぱり画期的よね」

 

 不意にデメテルが呟く。

 

 「回復薬はいくつかの素材を組み合わせて作るのが基本(セオリー)とされているわ。けれど、この植物はそれ単体で回復薬(ポーション)を作ることができる」

 

 そう言って、彼女は感心しながら施設内を眺める。

 

 そう。この植物はいわゆる『薬草』に分類される草だ。名称は『癒し(サナーレ)草』。回復薬の原料となる草で、由来どおりの名前である。ちなみに名付け親は俺だ。シンプルな方がいいかなと思ってそう名付けた。

 

 「この植物って、貴方の故郷で見つけたものなんでしょう?」

 「正確には友達(ベル)の、だけどな」

 

 

 今から九カ月ほど前。

 ちょうどセレンと飛行訓練をしていた時だった。

 上空を飛翔しながら地上の景色を眺めていると、それはふと目に入った。

 

 ──巨大なモンスターの死骸に群生した植物。

 

 深さ10M(メドル)はあろう壺型の窪地。その中央にぽつんと存在する死骸と植物。

 気になった俺はセレンを連れてそばに降り立った。

 モンスターの死骸は4Mほどの巨躯で、その正体は竜種だった。そいつはすでに死んでいるにもかかわらず異様な威圧感があった。窪地の内部は濃密な魔素が滞留しており、空気が一段と重く感じられた。

 死骸は苔で覆われており、死後から相当の年月が経過していることが窺えた。そして、苔と共に一種類の植物が群生していた。それがサナーレ草だ。

 

 サナーレ草は一見すればどこにでも生えているような雑草の見た目をしている。だが、一点だけ決定的に違う部分があった。サナーレ草は魔力を帯びていたのだ。

 それを見た瞬間、俺はある可能性を見出した。

 

 ──この草から回復薬を作れるのではないか、と。

 

 これはごく自然な閃きだった。ゲームや小説でも回復薬の材料として薬草が使用されることは多い。

とはいえ、サナーレ草が薬草かどうかはわからなかった。ベルの家にある植物図鑑にも載っていなかったので、おそらくは希少植物なのだろう。当時の俺はそう判断した。

 

 思い立ったが吉日。

 俺はサンプルとして数株を持ち帰り、余っている土地を活用して研究開発に乗り出した。

 ベルとセレンも快く協力してくれて、三人で進めることとなった。

 

 まずはサナーレ草の生態の解明に着手した。薬草であるか否か、それを確かめるためにサナーレ草をすり潰して傷に塗り付ける。効果は抜群だった。たったの一日で、切り傷は見事に塞がったのだ。

 俺は確信を得た。サナーレ草は間違いなく薬草であると。

 

 次は育成環境の分析に取り組んだ。

 野菜を育てる時と同じように土壌を整え、サナーレ草の茎の一部を切り取り、それを土に挿す──『挿し木』による育成を開始した。

 それから一カ月が経過した頃、成長したそれを見て俺は思わず瞠目した。

 

 ──育成したそれは魔力を帯びていなかった。

 

 俺は動揺するまま、採取したサナーレ草と同様にすり潰して傷に塗り付けた。だが、サナーレ草の時とは違い一日経てども薬効は発揮されておらず、傷口は開いたままだった。

 

 一カ月を要して育成したそれは、薬効成分を有したサナーレ草ではなく単なる野草だったということだ。

 

 それに気づいた瞬間、俺の頭の中で線と線が繋がった。

 

 挿し木で増えた個体は、基本的に親株と全く同じ遺伝子を持つ『クローン』になる。だが、育つ環境が違えば“環境変異”によって遺伝的に変化はなくとも個体としての特徴に差が生じてしまう。

 

 俺が採取したサナーレ草は魔力を帯びていた。だが、俺が育成したそれは魔力を帯びていなかった。そして、薬効成分についても同じであった。

 

 つまり、薬効成分が含まれているか否かは“魔力の有無”で決まる。

 そして、サナーレ草とは“魔素の濃度の高さにより突然変異した植物”である。

 

 サナーレ草が群生していた窪地は濃密な魔素で満たされていた。だが、俺が用意した育成環境には自然の魔素しか存在しておらず、その濃度は明らかに違っていた。

 だから俺が育成したそれは単なる野草にしか成り得なかったのだ。

 

 サナーレ草の正体を理解した俺は、正式なサナーレ草に行き着くための方程式を頭の中で組み上げた。

 

 

 そこからは怒涛の日々だった。

 

 まず育成環境の整備に努めた。窪地はすでに環境が完成しているのだからそこで栽培すればいいと思われるかもしれない。だがそれでは意味がない。なぜなら、そこには『再現性』がないからだ。

 

 俺の最終目的は、サナーレ草を安定活用した“回復薬の事業化”だ。その実現に不可欠なのが『再現性』だった。

 数カ月後には冒険者となるためにオラリオへ向かう。当然、栽培拠点もベルの故郷からオラリオへと移転せざるを得ない。

 現在の窪地特有の環境に依存してしまうと、移転先で生産不能に陥るリスクがある。ゆえに、場所を選ばず栽培を成功させるための『成立条件』を、今のうちに厳密に特定しておく必要があった。

 

 俺は窪地に向かい、魔力濃度が高い要因を調査した。その結果、要因は二つあることが判明した。

 一つは、地に伏した竜の死骸だ。死してなお、その身には溢れんばかりの魔力が脈動していた。サナーレ草はこの絶大な魔力を直接取り込むことで、本来の種を超えた突然変異を遂げたのだろう。竜種という存在の底知れなさを見せつけられた思いだ。

 もう一つは、この窪地特有の構造にある。入り口が狭く底が広い『壺型』の地形は、地上から流入した魔素を逃さず、内部に滞留させる天然の檻となっていた。長い年月を経て、濃密な魔素は外部に漏れることなく循環し続けている。

 竜の遺骸が持つ『点』の魔力と、閉鎖環境が形作る『面』の魔素。この二つが交差する特異点において、ただの草は薬効成分を含むサナーレ草へと昇華したのだ。

 

 窪地での分析を終えた俺は、貴重な検体であるサナーレ草と竜の死骸を余さず回収した。

 竜の遺骸は細かく粉砕して土に混ぜる──いわゆる『有機肥料』だ。そこに俺自身の魔力を直接注ぎ込み、擬似的にあの窪地の環境を再現する試みを始めた。

 

日光、水、空気、肥料、温度、そして魔素。植物育成の定石に魔術的なアプローチを加える試行錯誤は、困難を極めた。設備も道具も満足にない劣悪な環境下で、何度枯らし、何度土を入れ替えたかわからない。

 

 だが、九カ月に及ぶ執念の研究は、ついに結実した。

 サナーレ草の最適育成条件の確立。挿し木による量産体制の構築。さらには有効成分の抽出工程の基礎理論。

 これらすべての成果を携え、俺はオラリオの門を叩いた。

 

 デメテルとの交渉では、この研究成果を手札に事業の目的を正直に話した。とはいえ彼女の慈愛深い性格を考えれば、よほどの理由でない限り交渉に応じてくれただろう。

 ともかく俺は農園の一角を確保し、ついにサナーレ草の本格的な栽培へと乗り出した。

 

 そして、今に至る。

 

 

 「私は地上に降りてからずいぶん長いけれど、こんな植物は今まで見たことも聞いたこともないわ」

 

 不意に告げられたデメテルの言葉で、俺は回想を終える。

 

 「そういえば、前にも同じことを言っていたな」

 「ええ、本当に不思議な植物だもの。だから気になって調べてみたの。けれど、結局めぼしい結果は得られなかったわ」

 

 神の知識とネットワークを以ってしても、サナーレ草のルーツにはたどり着けなかったみたいだ。しかしそれもそのはずだ。サナーレ草の生態はあの特異な環境が生んだ突然変異による産物なのだから。

 

 「サナーレ草の生育条件は、魔素濃度の高さに依存する。……そうだったわね?」

 「ああ、その認識で間違いない」

 

 逆に言えば、魔素の濃度が高いところではサナーレ草が自生していてもおかしくはない。それをデメテルは指摘する。

 

 「……それなら、どうして今まで一度もサナーレ草の痕跡すら見つからなかったのかしら。同じ生育条件が成立している場所は、世界のどこかに必ずあるはずでしょう?」

 

 デメテルは施設内を見渡しながら不思議そうに見解を述べた。

 

 現在、この栽培施設は【オムニ・ジェネシス】によって構築された魔導装置群で制御されている。

 天井に展開された数個の魔法円(マジック・サークル)で構築された『魔素誘導装置(マナ・インダクター)』が淡い光を放ちながら、外界の大気中に拡散している魔素を施設内に効率よく集積する。そして畝に点在する円柱状の『魔素循環装置(マナ・サーキュレーター)』がそれを土壌へと静かに、かつ均一に浸透させているのだ。

 

 「俺も最初はデメテルと同じように考えていた。だが、条件のハードルが想像以上に高かったんだ」

 「ハードル?」

 「ああ。あの窪地が特異だったのは、地形で魔素を“閉じ込めた”ことにある。ただ魔素が濃い場所なら他にもあるだろうが、あそこは長い年月を経て魔素が滞留し、純度を保ったまま濃度だけが上がり続けていたんだ」

 

 俺の言葉に、デメテルは施設内の空気の密度を確かめるように目を細めた。

 

 「なるほど……純粋な蓄積による高密度化、というわけね」

 「そう。通常の地上では魔素は常に流動している。どれほど高密度の領域であっても、閉鎖環境でもない限りサナーレ草が求める『異常値』にまで達するのは現実的に難しい」

 

 あの窪地の空気は不純物など一切ないにもかかわらず、その密度の高さゆえに肌を圧し、常人なら呼吸にすら意識を割かねばならないほどに重かった。

 

 「その異常なまでの高密度を、これらの装置で人工的に再現しているというわけね」

 「ああ。ただ、あそこまで濃度を上げると今度は人間が立ち入れない。だからこの施設では、サナーレ草の成長を阻害しない限界のラインを見極めて、魔素の供給量を精密に制御しているんだ」

 

 ここでは複数の魔導装置によって魔素を人工的に循環させている。施設内の魔素濃度が一定値以上にならないように制御されているため、魔素の滞留による密度の異常が起こる心配もない。

 

 「それに、この施設にはあいつらがいるからな」

 

 視線の先には、施設内の澄んだ空気の中を暢気に浮遊している連中がいる。

 拳ほどの大きさの淡く光る球体。尾を引くように発光しながら漂うその生命体は──『微精霊』だ。

 

 「……そうね。まさか微精霊がこれほど居付くなんて思いもしなかったわ」

 「ここは魔素が豊富な上に純度は高く、かつ淀んでいない。微精霊にしてみたら居心地がいいのかもしれない」

 

 施設完成の翌日、様子を見るために訪れてみれば、無数の光が空中を漂っていた。あの時は肝を冷やしたものだ。霊魂の類かと思ったが、彼らはただこの環境を気に入って集まってきたみたいだ。

 

 「ええ、きっとそうだと思うわ。あの子たちは澄み渡った空気と純度の高い魔素を好むもの。けれど普通は深い森の聖域にいるもので、畑に居付くなんて聞いたことがないけれど」

 

 デメテルは困ったように、けれど愛おしそうに目を細めて苦笑する。

 

 精霊が農園に居座るなど、よほど神聖な作物でもない限りあり得ない。

しかし、彼らは存在そのものが魔力の凝縮体だ。微精霊が滞留することで、施設内の魔素供給はより安定し、サナーレ草の生育に好影響を与えていた。

 

 微精霊たちを遠目から眺めていると、

 

 「──あらあら、ふふっ。貴方は相変わらず精霊に好かれているわね」

 

 自由気ままに浮遊していた彼らが、俺の周囲に集まってくる。まるで飼い犬が主人にじゃれつくように、彼らは俺の頬や肩にすり寄ってきた。

 

 彼らは、初めて出会った時からこうして俺に懐いている。言葉を介することはできないが、彼らの発する魔力からは純粋な好意が伝わってくる。その木漏れ日のような温かさに、俺は妙な懐かしさを感じていた。

 

 俺が微精霊たちと戯れていると、

 

 「もしかしたら、精霊の住処には自生しているかもしれないわね」

 

 楽しげに舞っている彼らを見つめながら、デメテルがふと呟いた。

 

 「あり得なくはないだろう。だが、精霊の住処は人跡未踏の地がほとんどだ。そもそも彼らは自身が認めた者以外には友好的ではない。仮にそこに自生していたとしても、人目に触れる機会はまずないだろうな」

 「そうよねぇ……。だったら、精霊と共存しているエルフの里はどうかしら?」

 

 デメテルの問いに、俺は少し考えてから首を横に振った。

 

 「いや、おそらくエルフの里にはないだろう」

 「どうして?」

 「彼らは潔癖で排他的な種族だ。自分たちの領域に他種族を招き入れることはまずない」

 「そうね。全員がそうとは限らないけれど、強い傾向としてあるのは事実ね」

 

 彼女の言葉に頷いて、話を続ける。

 

 「もし仮に彼らの領域でサナーレ草が見つかれば、それは里の者だけで共有されるはずだ。排他的な彼らがわざわざ外界に公言する理由がない。だが、情報を持った者が里を出たらどうだ」

 

 オラリオには多くのエルフが暮らしている。他の国もそうかもしれない。いずれにせよ、里を出て外界に足を踏み入れているエルフは多い。

 

 「仮に厳しい情報規制が敷かれていたとして、果たして一切の情報が漏洩しないと断定できるだろうか」

 「それは……難しいでしょうね。この世に絶対はない以上、どこかで必ず情報は漏れてしまう」

 

 俺は頷く。

 

 「俺も同意見だ。しかし、これまでの歴史ではその痕跡すら見当たらない」

 「……つまり、彼らの生活圏にはそもそも存在していないと考えるのが妥当、というわけね」

 「ああ。サナーレ草という植物は、あの窪地のようないくつもの偶然が重なった特異点でしか産まれ得ない──まさに『奇跡の薬草』というわけだ」

 

 

 そんな仮説を交わしながら、俺たちはこの不思議な植物についての話を深めていった。

 

 

 

 栽培施設での経過観察を終えた俺は、デメテルを伴って隣接する製造施設へと足を向けた。

 緑豊かな農園から、石造りの渡り廊下を進む。突き当たりにある頑丈な両開きの扉を手前に引いて開くと、かすかに清涼感のある薬草の香りが漂ってきた。

 

 製造施設は、中央を走る十字の廊下によって四つの領域(セクター)に区分されている。

 『精製部屋』、『魔素融合部屋』、そして俺やスタッフのための『休憩部屋』と、来客に対応するための『応接部屋』。

 

 「いつ見ても、ここは農業の延長とは思えないほど整然としているわね」

 「品質を一定に保つには、環境の徹底した管理が不可欠だからな」

 

 感心したように周囲を見渡すデメテルを連れ、俺はその中の一つ、『精製部屋』のドアを開けた。

 

 

 

 「邪魔するぞ」

 「お邪魔するわね」

 

 中に入ると、一人の女性が顔を上げた。

 

 「あれ、デメテル様。……それに、夜?」

 

 肩辺りまで伸ばした茶色の髪に、犬人(シアンスロープ)特有の耳と尻尾。眠たげな眼差しをこちらに向ける彼女は、ナァーザ・エリスイス。

 【ミアハ・ファミリア】の団長であり、このサナーレ草事業における、俺の抜け目ない協同事業者(ビジネスパートナー)だ。

 

 「夜がここに来るなんて珍しいね。てっきり私のことなんて忘れたのかと思った」

 「……お前は俺をなんだと思ってるんだ」

 

 彼女の言い草に俺が思わず突っ込むと、彼女は「ふふ、冗談だよ」とまったく悪びれもせずに、くすりと口角を上げた。

 

 俺は呆れ交じりに肩をすくめ、隣ではデメテルがその様子を微笑ましそうに見守っている。

 

 「今日は迷宮探索が休みだから、様子を見に来たんだよ」

 「なるほどね。つまり、休みじゃなかったら来なかったわけだ」

 

 ナァーザはこちらを煽るように一言余計なことを言ってくる。

 

 「……お前はいちいち上げ足を取らないと気が済まないのか」

 「夜と話すのは久しぶりだから……舞い上がっちゃったのかも」

 

 そう言う彼女の態度はいつものように気だるげで、およそ舞い上がっているようには見えない。

 

 「その言葉で喜ぶのは純粋な馬鹿か、あるいは下卑た阿保だけだ」

 「……なんだ、残念。面白い反応が見られると思ったのに」

 

 そう言いつつも、ちっとも残念そうに見えない。彼女は普段からこの調子だ。果たして本心か、あるいは演技か。……まあ、間違いなく後者だろう。

 ナァーザ・エリスイスという人間は、いつもこうして掴みどころがない。

 

 「それで、本当に見に来ただけ?」

 「いや。実は少し試してみたいことがあってな」

 

 その言葉に、彼女の眠たげな目がわずかに光った。

 

 「試してみたいこと……? それは、利益につながるの?」

 

 彼女が所属する【ミアハ・ファミリア】は、俺たち【ヘスティア・ファミリア】と同じ零細派閥だ。かつては中堅ファミリアとして順風満帆だったが、とある『事件』をきっかけに団員は彼女一人となり、さらには多額の借金まで背負うことになった。

 ある事情によりダンジョンに潜れなくなった彼女は道具店を営み、必死に生計を立ててきたのだ。

 ──だが、それも“以前”までの話。

 

 「ああ。成功すれば、確実に莫大な利益を生み出せるはずだ」

 

 そう断言した瞬間、ナァーザの表情が一変した。

 先ほどまでの気だるげな雰囲気は鳴りを潜める。果たしてそこにいたのは──新たな獲物を見定めんとする一人の獣人娘だった。

 

 「へえ、いいね……。なら、見せてもらおうかな。いったいどんな『秘策』を持って来たのか」

 

 そう言って、彼女は妖しい笑みを浮かべた。

 

 

 

 好奇の目を向けるデメテルに見送られながら、俺は作業台へと歩み寄った。

 

 ──ああ、見せてやるよ。未だかつて、誰も辿り着いたことのない新たな領域(ステージ)を。

 

 俺は静かに、常識を覆すための『精製』を開始した。

 

 

 *

 

 

 「【──癒しの雫、光の園、永久の聖域】」

 

 俺は新たに発現した魔法の詠唱を紡ぎ始める。

 

 「魔法の詠唱……? なにをするつもりなの」

 

 ナァーザの驚愕の声を背に、俺の集中は深く澄み渡っていく。

 

 右手に掲げた試験管の中には、サナーレ草から抽出したばかりのエメラルドのような濃い緑色の液体が揺れている。

 

 「【律界(くびき)より来たりし我が身は、天の法典を喰らう。古より定められた約定、神より賜わりし恩恵。なおも届かぬというのなら、自ら照臨を導こう】」

 

 【デメテル・ファミリア】の本拠を訪れる前、俺は廃教会付近の広場でこの魔法を試した。その結果、【アヴァロン】は『浄化』の特性を示した。

 しかし、今から挑むのは単なる洗浄ではない。薬効成分という『理』を残し、不要な『澱み』だけを消し去る精密な演算だ。

 

 「【血の海に浮かびし、灰の世界。剣は眠り、杖は鎮まる。止まらぬ涙、散る慟哭。誓いは既に告げられた】」

 

 二人の前であれだけの啖呵を切ったのだ。男に二言はない。

 不確定な未来から垂れ下がる無数の糸から、唯一無二の“成功の糸”だけを掴み上げる。

 

 

 ──果たしてできるのか?

 

 いや、できるかどうかじゃない。やるんだよ。

 

 「【常世(とこよ)へ誘いし故郷(かこ)を生贄に、果てなき願望(ねがい)現世(うつしよ)にて唄おう】」

 

 これより始めるは、人類が遥か昔より渇望し続けた癒しの調べ。

 天上より賜わることの叶わなかった、真なる奇跡の雫。

 

 「【訪れし終焉(おわり)より、未来(はじまり)は俺が護る】」

 

 世界の根底を覆しかねない、新時代の幕開け。

 それを今、俺の手で抉じ開ける。

 

 ──さあ、人類の可能性を見せるときだ。

 

 「【さぁ、旅に出よう】」

 

 体内で脈動する魔力の奔流を左手へ集束させる。

 

 「【今は遠き理想郷──】」

 

 俺はそっと試験管に左手を翳して──魔法名を唱えた。

 

 「【アヴァロン】」

 

 その瞬間、解き放たれた魔力の奔流が、幻想的な黄金の煌めきを灯す。

 

 「──この気配は……っ!?」

 

 デメテルが喉を鳴らし、驚愕に満ちた声を上げる。

 

 それは大平原で風に波打つ黄金の稲穂のように荘厳で、慈愛に満ちた『結界』だった。光に包まれた濃い緑色の液体から、わずかな澱みが霧となって消散していく。

 やがて、液体はターコイズのような明るい青緑色へと姿を変えた。

 

 光が収まり、室内に静寂が戻る。

 

 透き通った液体を『天眼』を以って解析すれば、その純度は以前よりも研ぎ澄まされている。

 

 「……成功だ」

 

 不純物のみを排した、サナーレ草の抽出液。

 

 内心で勝利の拳を握っていると、ナァーザから疑問の声が飛んできた。

 

 「──今の魔法はなに? いったい、なにをしたの……」

 

 彼女はわずかに戸惑いの色を浮かべながらも、その視線は変色した液体が入った試験管へと釘付けになっている。

 

 【アヴァロン】は言わずもがな、破格の希少魔法だ。隠しておきたいのが本音だが、この魔法の特性上、それは不可能だろう。

 それどころか、これから始める“回復薬の事業化”において、この魔法は欠かせない工程そのものになる。

 

 俺は一つ息をついた後、ゆっくりと口を開いた。

 

 「俺がしたことは単純だ。抽出された液体に混じっていた不純物を、魔法によって浄化した」

 

 そう言って、俺は青緑色の液体が入った試験管を見せる。

 

 「不純物を、浄化……?」

 「わかりやすく言えば、解毒や解呪と似たような原理だな」

 

 まだ、【アヴァロン】のすべてを解明できてはいない。だが、俺の思惑を成し遂げる上で、この魔法は必ず鍵となる。

 

 「……つまり、その魔法は回復魔法の一種ということ?」

 「いや、正確には『()()()()』という分類だな」

 「──神聖魔法?」

 

 俺の言葉に、それまで静観していたデメテルが鋭く反応した。

 瞬間──彼女の纏う空気が一変する。普段の豊穣を思わせる穏やかさは霧散し、場を圧するような張り詰めた緊張感が部屋を満たした。

 

 「夜、これは念のための確認だけれど」

 

 そう前置きした彼女の瞳は、これまでに見たことがないほど真剣で──どこか恐れを孕んでいた。

 

 「貴方──私たちと同じ『超越存在(デウスデア)』ではないわよね?」

 「…………は?」

 

 予想だにしない問いに、一瞬思考が止まる。

 

 ──俺が、デメテルたちと同じ神……?

 

 デメテルは一体なにを言っているんだ──って、まさか!

 

 「……神聖魔法から『神威』でも感じ取ったのか?」

 「え……ちょっと待って、どういうこと? 夜は人間じゃないの?」

 

 ナァーザが困惑して声を上げるが、俺は真っ直ぐにデメテルを見返した。

 

 「……いや、俺は間違いなく人間のはずだ」

 

 デメテルはしばらく俺を凝視していたが、やがてふっと肩の力を抜いた。

 

 「……ごめんなさい。混乱させちゃったわね」

 

 彼女は申し訳なさそうに頭を下げる。だが、その瞳の奥にある動揺の残滓までは消えていない。

 

 「デメテル、一体なにに気づいたんだ。俺の魔法になにを見た?」

 

 少なくとも、俺は【アヴァロン】から神威を感じなかった。

 

 「……まず、夜は人間で間違いないわ。貴方からは『神威』を感じないもの。そして、先ほどの魔法──【アヴァロン】からも、同じく『神威』は感じ取れなかった」

 

 なら、なぜ彼女はあそこまで戦慄していたのだ。

 

 「ただ、【アヴァロン】の力の根源(ソース)……。それは、あまりにも私たちに近いものだったわ」

 「……つまり、どういうこと?」

 

 ナァーザが食い入るように訊ねる。

 デメテルは慎重に言葉を選び、そして爆弾を投げ落とした。

 

 「簡単に言えば……【アヴァロン】は『人間版の【神の力(アルカナム)】』とでも呼ぶべき代物よ」

 「人間版の、【神の力(アルカナム)】……っ!?」

 

 ナァーザが息を呑み、唖然と固まる。

 無理もない。それは本来、地上に降りた神々ですら“使用を禁じている”絶対的な力の模造品、あるいは再現だと言われたに等しいのだから。

 

 「一つ、確認させてくれ。【アヴァロン】をダンジョンで使用した場合、ダンジョンは反応すると思うか?」

 

 もし【神の力(アルカナム)】と誤認されれば、迷宮の怒りを買い、『漆黒の怪物(迷宮の刺客)』が誕生してしまう。

 

 「いいえ。おそらくその心配はないわ。その魔法はあくまで地上の産物──人間(あなた)が自力で辿り着いた叡智。【神の力(アルカナム)】とは似て非なるものだから」

 

 デメテルの回答に、俺は一つ安堵の息をついた。

 要するに、神々の特権を『人間のルール』で再構築した魔法、ということだろう。とんでもない新情報が出てきたものだ。

 

 

 「ごめんなさい。私のせいで話が逸れてしまったわね」

 

 そう言って、彼女はいつもの穏やかな雰囲気へと戻る。だが、その視線は鋭く、俺が手にする試験管の“本質”を見極めようとしていた。

 

 「その試験管の中身……不純物を浄化したということは、つまり薬効成分のみが極限まで濃縮されたということかしら?」

 「そうだな。ただ、完全な無垢ではない。すべての不純物を取り除くのは、物理的に不可能だからな」

 「確かに、そうね。有効成分を純度一〇〇%で抽出することは、私たち神々ですら難しいわ」

 

 デメテルが漏らした一言に、俺とナァーザは顔を見合わせた。

神々ですら不可能に近い。それがこの世界の『(ことわり)』というわけか。

 

 「それで……神聖魔法で浄化したそれは、いったいどの程度の純度に達したのかしら」

 「そうだな……。これまでの工程でナァーザが精製してくれたポーションは、およそ九五%。これでも最高峰の『高等回復薬(ハイ・ポーション)』だ。だが、今この魔法で“調律”した液体の濃縮率は──九九%に達している」

 

 刹那、凍りつくような静寂がこの場を支配した。

 沈黙を破ったのは、震えるようなデメテルの声だった。

 

 「それは……本当なの? 誤差ではなく、純然たる九九%……?」

 「ああ。俺の解析に狂いがなければ、九九・〇%。限りなく一〇〇に近い最高数値だ」

 

 デメテルは信じられないものを見るように試験管を見つめている。

 すると、ようやく意識を繋ぎ止めたナァーザが、祈るような、あるいはなにかに縋るような目で訊いてきた。

 

 「……ねえ、夜。九九%ってことはさ、ついに私たちは『万能回復薬(エリクサー)』に到達したってこと?」

 

 期待と不安で瞳を揺らすナァーザに、俺は不敵な笑みを返した。

 

 「いや──そのさらに上だ」

 「え……? それって……」

 

目を見開いて固まる彼女に、俺は静かに頷いた。

 

 「これは万能回復薬(エリクサー)を超えた、史上初の『完全回復薬(フルポーション)』だ」

 「完全回復薬(フルポーション)……」

 

 彼女は魂を抜かれた人形のように、その言葉を何度も繰り返した。

 

 「もっとも、ここからは不純物を取り除いて減った分を再調合し直して、さらに魔素を融合する工程が残ってはいるが。……しかし理論上の最高到達点は、今ここで証明された」

 

 今この瞬間、俺たちの手によって前代未聞の革命を起こしたのだ。

 

 「万能回復薬を超えたということは、つまり……」

 「ああ。この完全回復薬(フルポーション)は、これまで不可能とされていた『欠損した肉体の修復』を可能とする」

 

 未だかつてない未知への到達。神々の恩恵(ギフト)こそあるものの、それでも俺たち人間が自力で辿り着いた“奇跡”だった。

 

 「それがあれば……【ディアンケト・ファミリア】を超えられる」

 

 ナァーザは己の義腕を抱えるようにして呟く。

 

 【ディアンケト・ファミリア】は医療系ファミリアの中で、現オラリオにおいてトップの地位に君臨する大手派閥である。

 彼女はそんな【ディアンケト・ファミリア】をとある理由から目の敵にしている。それは過去の出来事が起因していた。

 

 「……そうだな。これがあれば、彼らを超えることができるかもしれない」

 

 しかし、一筋縄ではいかないのが現実だ。俺たちと彼らとの間では、致命的な差異が生じている。

 彼らに有って、俺たちには無いもの。──それは“信頼”だ。

 

 【ディアンケト・ファミリア】は何十年という年月をかけ、人々に救いをもたらし続けたことでその地位を盤石なものにした。

 それに対して【ミアハ・ファミリア】は一度没落し、信頼は地に落ちてしまっている。その盤上を覆すのは、劇薬を一つ投じた程度では容易ではない。

 

 それに彼らの技術も決して侮っていいものではない。単純な技術の格差で言えば、相手の方が遥か上に君臨しているだろう。俺たちは、あくまで近未来的な設備で理論値を強引に底上げ(ドーピング)しているに過ぎない。

 

 ──だからこそ、惜しいと思ってしまう。彼女たちが手を組めば、医学は今以上に発展するはずだ。

 

 「ただ、さっきも言ったようにこれはまだ完成していない。あくまで濃縮率を最大限に引き上げただけだ」

 

 俺がしたのは精製段階における最高位への昇華だ。厳密に言えば、まだ完全回復薬(フルポーション)という『製品』には至っていない。

 

 「わかってる。ここから先の細かな調合は私の仕事。──任せて、必ずやり遂げてみせる」

 

 ナァーザは気合十分といった様子で力強く言った。

 

 

 「だけど……完全回復薬(フルポーション)を作製するには、さっき夜が使っていた神聖魔法が不可欠なんでしょ?」

 

 デメテルの問いに、俺は頷く。

 

 「ああ。現状、俺の魔法による浄化がなければ、九九%の純度は成立しない」

 

 これが最大の問題だ。俺の職業はあくまで冒険者。この施設に四六時中居座り、抽出液に魔法をかけ続けるわけにはいかない。

 

 「夜の本分は迷宮探索だし、ここに付き切りになるわけにはいかないものね」

 「私は別にずっといてくれてもいいけどね。なんならこのまま薬剤師に転職しない? 今なら私の助手という立場(ポジション)を進呈するよ」

 「全力でお断りする」

 

 ナァーザの助手になどなったら、朝から晩まで文字通り馬車馬の如く働かされる未来しか想像できない。

 彼女も本気ではなかったのか、特に気にした様子もなく話を戻した。

 

 「それで、どうするの? 夜がいなければ量産は難しい──というか無理だよね」

 

 目下の課題は、量産のための『設備』を創り上げること。

 俺がいなくても魔法を再現できる、専用の『魔導装置』を組み上げる必要がある。

 

 「そうだな……。必要な機材はこっちで用意する。一週間もあれば組み上がるはずだ。それまで待っていてくれ」

 

 フィルヴィスとの約束もあるため、すべての時間を製作に充てることはできない。だが、一週間もあれば創り上げることはできる。いや、創り上げてみせる。

 

 「……ごめん。夜に任せてばかりだね」

 

 ふと、ナァーザが申し訳なさそうに眉を下げた。

 

 「そんなこと気にしなくていい。設備の構築は俺にしかできないことだからな。その代わり、しっかりと有効活用してくれよ」

 

 この施設内にある装置や道具のほとんどは『魔道具(マジックアイテム)』に分類される代物だ。その構造は複雑な上に、既存のそれとは作製工程自体が異なっている。言わば、俺にしか創ることのできないオーバーテクノロジーの産物だ。

 

彼女の職業は魔道具作製者(アイテムメーカー)ではなく、薬剤師だ。自身の得意分野で活躍してくれたらそれで十分だろう。

 

 俺の思いが伝わったのか、やがて彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

 

 「わかった。それじゃあ、馬車馬のように使わせてもらうね」

 「せめて大切に扱ってくれよ……」

 

 俺が半目で返すと、彼女は「ふふっ、冗談だよ」と明るい声を漏らした。

 

 元気が戻ったのなら何よりだ。

 ナァーザがいつもの調子を取り戻したことに肩をすくめると、

 

 「……ちょっといいかしら」

 

 とデメテルから神妙な声が上がった。

 

 俺たちが振り向くと、彼女は真剣な面持ちで話を切り出した。

 

 「必要な設備が整えば、完全回復薬(フルポーション)の作製は可能になるのよね?」

 「そうだな。さっきも言ったように細かな調整は必要だが、実現可能だと言って差し支えない」

 

 ナァーザに目を向ければ、彼女もまた覚悟を決めたように力強く頷いた。

 

 「そう……それなら一つ私見を言わせてもらうわね」

 

 そう前置きしたデメテルが提示した懸念は、俺もまた内心で危惧していたことだった。

 

 「完全回復薬(フルポーション)を世に出すのは、今はまだ止めておいた方がいいと思うわ」

 

 彼女の意見は正しい。完全回復薬(フルポーション)が脚光を浴びるには、現状ではあまりに時期尚早だ。その最たる理由は、俺たちの脆弱な立ち位置にある。

 

 「完全回復薬(フルポーション)が持つ特性上、瞬く間にその知名度を上げることになる。全世界の人も神も、すべての者が注目することは間違いない。それ自体は商売においてとても有利に働くわ。……けれど、今回に限って言えばそうとも言い切れないの」

 「知名度に対して、俺たちの地位が圧倒的に足りていない」

 

 俺が言葉を継ぐと、彼女は深く頷いた。

 

 「ええ。知名度と地位の致命的な乖離(ギャップ)。それが今回の事業において問題となってしまう」

 

 その言葉を、ナァーザは吟味するように考え込む。かつて【ミアハ・ファミリア】が没落した際、周囲の目がどう変わったかを彼女は知っている。

 

 「……力ある者に搾取される可能性が高い」

 

 弱肉強食。それはどの世界においても適用される不変の真理だ。

 そして、現状の俺たちは圧倒的に弱者の立ち位置に存在している。

 

 「少し前に、莫大な利益を生み出せると言ったのを覚えているか?」

 

 俺が問いかけると、ナァーザは慎重に頷いた。

 

 「完全回復薬(フルポーション)の単価は、少なく見積もっても一〇〇万ヴァリスは下らない。だが、その法外な価格に見合った──あるいはそれ以上の『恩恵』がこの一つの試験管には詰まっている」

 

 “肉体の欠損を修復する”。その一文が世界にもたらす激震は計り知れない。

 

「俺たち供給者は富を得るが、需要者の懐には決して優しくない。あまりに切実な『効果』と、あまりに法外な『高価』の天秤に晒された時、人はどう思考を切り替えると思う?」

 

 金に目がくらんだ守銭奴、常に死と隣り合わせの冒険者、未知に対して飽くなき探究心を持つ研究者、富と名声を欲する権力者、そして娯楽に飢えた神々。

 

 

 完全回復薬(フルポーション)が持つ『効果』と『高価』──その二面性が与える欲望の渦に放り込まれた人々の思考は、最短距離で一つの結論に辿り着く。

 

 「……完全回復薬(フルポーション)を『買う』のではなく、製造元そのものを『支配』しようと動く可能性が高い。……そういうことだよね?」

 

 ナァーザの言葉に俺は頷く。

 

 自分たちの支配下に置けば、支出ゼロで完全回復薬を独占できる。さらには、自分たちがその利権を振りかざして莫大な利益を得る立場になれるのだ。

 

 「そうなれば、完全回復薬(フルポーション)の利権を巡る『争奪戦』の幕開けね」

 「ああ。それもオラリオ内の派閥抗争に留まらず、国家間の戦争にすら発展しかねない火種だ」

 

 実際、原作では失われた魔剣製造の技術を持っているヴェルフを狙って、ラキア王国がオラリオに侵略戦争を仕掛けていた。ラキア王国の場合は主神のアレスが短慮だったとはいえ、あれは『技術の独占』が招く最悪の結末の一つだった。

 

 「製造元が相応の地位と権威を備えた組織であれば、外敵も安易には手を出せない。だが──」

 

 俺は今の自分たちの状況を、冷徹に突きつけた。

 

 「今の脆弱な俺たちでは、簡単に喰われるだろう。まるで、飢えた狼の群れの中に放り込まれた極上の肉のように」

 

 弱者は強者に恭順し、吸収されるのがこの世界の摂理。

このまま市場に出せば、待っているのは『商売』ではなく、血みどろの『略奪』だ。

 

 すると、ナァーザが縋るような、それでいて躊躇いがちな視線を俺に向けた。

 

 「……夜なら、そういう相手もなんとかできないの?」

 

 俺の力の一端を目の当たりにした彼女は、そこに光明を見出したのだろう。

 

 「もしもお前たちが侵略されそうになったら、その時は相手が誰であろうと俺が全力で護ってやる。……だが中途半端な暴力による解決は、相手の執着を助長させる燃料にしかならない」

 「そうね。神々の退屈を刺激し、武力の競い合いに発展させてしまうと、事態はさらに泥沼化するわ」

 

 デメテルの言うとおり、力の誇示はさらなる力の介入を招く。そして──。

 

 「もし戦争にまで発展してしまえば、一番厄介な存在が表舞台に出てきてしまう」

 「一番厄介な存在……?」

 「──ギルドよ」

 

 デメテルが俺の意図を汲み、言葉を継ぐ。

 本来、ギルドは派閥間の諍い(トラブル)に深い介入はしない。だが、今回ばかりは例外だ。

 

 「上位派閥の激突、国家間の紛争、そして市場を根底から揺るがす技術の独占。これほど『秩序』を乱す要因が揃えば、ギルドは必ず介入という名の『管理』を始める。……そうなれば、完全回復薬(フルポーション)はギルドの管理下に強制的に置かれ、俺たちが手にするはずの実利は半分も残らないだろうな」

 

 今は、完全回復薬(フルポーション)という『核』を市場に晒すべき時ではない。

 他者の介入を許さぬほど、自分たちの足場を固める前準備が必要なのだ。

 

 「当面は、完全回復薬(フルポーション)を希釈した『高等回復薬(ハイ・ポーション)』と『下等回復薬(ロー・ポーション)』の販売に留める。まずは【ミアハ・ファミリア】の借金を完済し、組織としての地力を養う。……目立たぬ程度の『適度な実績』を積み上げるのが、現状の最適解だ」

 

 その『適度な実績』を確実に、かつ安全に実現するために必要なのが──。

 

 「デメテル。貴女の力を借りたい」

 

 俺が真っ直ぐに見据えると、彼女はすべてを察して優雅に微笑んだ。

 

 「私たちのネットワークを活用するのね。いいわ、私たちのファミリアの流通網で、【ミアハ・ファミリア】の回復薬を公認商品として宣伝しましょう」

 

 【デメテル・ファミリア】が持つ広大な『ネットワーク』と絶対的な『信頼(ブランド)』が加われば、ナァーザお手製の回復薬は瞬く間に広まるはずだ。完全回復薬(フルポーション)の成分を含んだそれは、既存の安価な回復薬を圧倒する性能を誇るのだから。

 

 

 すると、ナァーザが声を上げる。

 

 「夜の意見は理解できたし、正しいとも思う。けどさ、それだと一体いつになったら完全回復薬(フルポーション)の販売に乗り出せるの?」

 

 彼女の疑問はもっともだ。喉元に突きつけられた借金を返済できる目処が立ったとはいえ、目の前には一獲千金の種。そこに生じた焦燥が彼女に問いを急がせる。

 

 「そうだな……。だいたい半年もあれば、完全回復薬(フルポーション)の販売に踏み切れるはずだ」

 

 俺が提示した期間に、ナァーザは呆れたように肩を落とした。

 

 「それは……流石に無理。たったの半年で一介の弱小派閥が不可侵の地位を確立するなんて、できっこないよ」

 「私もナァーザに同意だわ。今の【ミアハ・ファミリア】の団員は彼女一人なのよ? 組織としての厚みを半年で補うのは、いくらなんでも現実的ではないわ」

 

 ……ふむ。どうやら彼女らは勘違いをしているらしい。

 

 「それはそうだろう。地位と名声は別物だ。【デメテル・ファミリア】の力を借りて確立できるのは、あくまで名声に過ぎない。そんな砂の城で地位が盤石になるはずもない」

 

 ナァーザはさらに怪訝そうな顔で首を傾げる。

 

 「なら、どうするの? 地位がなければ、いつまでも略奪の影に怯えることになる」

 「それに地位があったとしても、それを裏付ける『権威』がなければ、狡猾な者たちは隙を突いてくるわよ」

 

 懸念を重ねる彼女たちを、俺は真っ直ぐに見据えた。

 

 「さっきも言ったはずだ。お前たちは俺が護るってな。他者の介入を物理的に排除する『地位』も、手出しを躊躇わせる『権威』も、すべて俺が半年で確立する。俺自身が【ミアハ・ファミリア】の絶対的な後ろ盾になれば済む話だ」

 

 デメテルが、不安を隠しきれない様子で声を漏らす。

 

 「……いくら貴方でも、半年でオラリオの勢力図を塗り替えるほどの影響力を手にするのは、流石に難しいんじゃないかしら」

 

 デメテルの懸念は至極真っ当だ。だが、俺は静かに首を振る。

 

 「いや、俺ならそれが可能なんだ。なにより、この事業を【ミアハ・ファミリア】に提供したのは俺だ。彼女たちが正しく運営できる土壌を整えるのは、提供者である俺の役目だろう」

 

 すると、ナァーザが弾かれたように声を上げた。

 

 「──ちょっと待って。流石にそれは、夜に申し訳ないよ。これだけお膳立てしてもらっておいて、その後の始末まで押し付けるなんて、私はできない……」

 「いや、これは俺の意思だ。ナァーザが負い目を感じる必要はないだろ」

 「感じるよ……感じないわけないじゃん」

 

 ナァーザは溜め込んでいた感情を爆発させるように言葉を捲し立てる。

 

 「これまで私たちは、夜から一方的に恩恵を受けてるだけなんだよ? この事業も、ここの地代だって七割も夜が肩代わりしてくれてる。私たちは無償で用意された座席に座って、金を稼いでいるだけ。なのに、そこで得た利益は一ヴァリスも夜には入らないんだよ!?」

 

 彼女の言い分は正論だった。回復薬の事業の権利は俺から【ミアハ・ファミリア】へ完全移譲されており、俺の手元に金銭的リターンはない。

 

 「だが、回復薬を無償で提供してくれる契約を交わしただろ」

 「それだけでしょ……? 私たちが支払う対価は、『回復薬の提供』と『【ヘスティア・ファミリア】の危急時の応援』の二つだけ」

 

 彼女は拳を握りしめ、悔しそうに俯く。

 

 冒険者にとって、回復薬の無償確保は生命線だ。だが、天文学的な利益を生む完全回復薬の権利に比べれば、釣り合いが取れていないと彼女は感じているのだろう。

 

 そしてもう一つの対価──『危急時の応援』。これもまた、重要な要素(ファクター)の一つだ。実際、原作でも似たような約束が交わされていた。

 

 しかし、ナァーザはその契約内容に思うところがあるらしく、不満の声を上げる。

 

 「どう見ても釣り合ってないでしょ。回復薬の無償提供は当然の対価だとしても……危急時の応援なんて、私たち程度の力は夜には必要ないでしょ?」

 

 どうやら、ナァーザは対価の本質を誤解しているようだ。

 

 「力といっても、武力がすべてじゃない。俺がお前たちに求めているのは、政治的な『決定権の後押し』だ」

 「決定権の、後押し……?」

 「そうだ。例えば、ヘスティアが声を上げた時、彼女一人の主張と、ミアハを加えた連名の主張では重みが劇的に変わる。発言権が皆無に等しい俺たち零細派閥にとって、『数』は何よりも貴重な戦力となる」

 

 契約で縛られた、裏切ることのない味方。口約束の信頼など、オラリオの魔窟では紙屑にも等しい。だが、契約によって利害を一致させた神であれば、これほど強固な盾はない。

 

 「要するに、俺は対等な味方が欲しかった。この契約内容は、俺にとって十分に価値あるものだ。だから、お前がその点で嘆く必要はない」

 

 そこでようやくナァーザの瞳から尖った警戒の色が消えた。

 

 「……そういうこと。どうして大手派閥じゃなく、私たちみたいな零細を選んだのか疑問だったけど。夜は、上下のない関係性を築ける相手が欲しかったんだね」

 「【ディアンケト・ファミリア】のような大手にこの権利を渡せば、必ず足元を見られ、俺はただの『技術供給源』として搾取される。……それに、あの神はあまり信用ならない」

 

 神ディアンケト。その腕は確かだが、金に汚い節がある。それに比べれば、ミアハは幾分か信を置くに足る。

交渉の際、俺の破格の申し出を一度跳ね除けた、あの時の拒絶が決め手となった。

 

 ──我々では、この事業に見合った対価を支払うことができない。

 

 困窮の極みにありながら、欲に溺れず道理を通した理性。あれこそが、彼が誠実な神である証左だった。

 

 「俺が求める条件に、【ミアハ・ファミリア】は最適だった。ただ、それだけのことだ」

 「ディアンケトは少し、商売に対して狡い部分があるものね」

 

 デメテルが苦笑を交えて口を挟む。

 

 「もし彼に権利を譲渡していれば、市場は崩壊していたでしょうね。……というより、彼のファミリアを契約相手に選んだ場合、夜は『神聖魔法』を見せなかったはずよ。そうでしょう?」

 

 確信を突く彼女の問いに、俺は否定することなく肩をすくめてみせた。

 

 「そういうわけで、俺が地位と権威を確立し、【ミアハ・ファミリア】の後ろ盾になる。──異論はあるか?」

 

 俺が改めて問うと、ナァーザは見定めるような眼差しで問い返した。

 

 「……本当に、たったの半年でできるの?」

 

 不安と期待。揺れ動く彼女の心に、俺は不敵な笑みを浮かべて断言した。

 

 「ああ、できるさ。俺に任せておけ」

 

 その迷いのない言葉に、彼女はわずかに目を見開いた後、なにかに堪えるように視線を落とした。

 

 静寂が部屋を包み込む。

 

 やがて、ナァーザが顔を上げた時、その瞳からは淀みが消えていた。

 

 彼女は迷いを断ち切るように、一歩、真っ直ぐに俺の前へ踏み出すと、左手を差し出した。

 

 「──わかった。これからもよろしく、夜」

 

 彼女の表情がふっと、氷が解けるように緩んだ。

いつもの気だるげな印象を残しながらも、その笑みは今まで見た中で一番穏やかで、そして眩しかった。

 

 「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」

 

 握り締めた彼女の手は、俺よりも少し小さい。だが、そこからは薬剤師として戦い続けてきた確かな熱と、頼もしさが伝わってきた。

 

 この瞬間、俺たちは本当の意味で手を取り合えた気がした。

 

 





 いつも読んでいただきありがとうございます。

 いくつかご報告を。

 まず、タグをいくつか追加しました。今更ですけど(笑)
 他にも追加した方がいいタグがあれば教えてください。

 それと、原作前の話はおそらく次回で最後になると思います。断言はできませんが、おそらく、多分!

 ということで、次回以降も引き続きよろしくお願いします!
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