大変長らくお待たせいたしました。
イップスというのは烏滸がましいかもしれませんが、自分の思い描く文章を書けるかというプレッシャーでなかなか書けませんでした。
実際こうして書いても、やはり完璧には程遠い……。
待ってくださっていた方には、本当に申し訳ないです。
本話からいよいよ原作の時刻へ突入します。
よろしくお願いいたします。
時刻は朝の六時頃。
夜が明けた空は深い紺色から薄い水色へと変わり、太陽の光が街並みをぼんやりと照らしている。
この時間帯になると、人通りが疎らながらも見え始める。中には装備に身を包んだ冒険者の姿もあった。俺たちと同じように、これからダンジョン探索へと赴くのだろう。
「そういえば、僕たちってオラリオに来てからもう一カ月が経つんだよね」
隣を歩くベルが懐かしむような声音でふと呟いた。
男にしては華奢なその体を包む銀色の軽装には、数え切れないほどの爪痕や打撃の痕が刻まれ、新品だった頃の輝きは見る影もない。
ダンジョンでの戦闘、そして地上での俺との稽古。この短期間で行われた闘いの日々を物語る装備の損傷は、なによりも饒舌に、ベルの“努力”を証明していた。
「そうだな。この一カ月は本当にあっという間だった」
俺はこの一カ月間の出来事を振り返る。
リューさんとの稽古から始まり、フィルヴィスとの邂逅と漆黒の巨人との死闘、ランクアップ、【デメテル・ファミリア】と【ミアハ・ファミリア】との交流、完全回復薬の作製、ナァーザの右腕の再生────。
こうして思い返してみると、本当に色々なことがあった。あまりにも濃密で、忙しなく、けれど楽しい時間でもあった。
一か月という短い期間でこれだけの
しかし原作で起こる出来事はもちろんだが、きっとそれだけではないはずだ。この一カ月の間で『原作乖離』を匂わせる
楽しむべき時に楽しむのはいいが、頭の片隅では警戒の意識を持っておくべきだろう。
──失ってからでは、遅いのだから。
「夜との探索もあまり一緒には行けてないしね」
ベルの非難めいた呟きを聞いて、回想を終える。
視線を向けると、ジト目でこちらを見上げていた。
「一緒に行くのは一週間に一回だからな」
「そうだけどさぁー。僕たちは同じファミリアの仲間なんだから、もう少し一緒に探索したいなーって」
そう言うと、ベルは拗ねるように下を向いた。
ベルとの探索は一週間に一回と取り決めていた。別々に行動するのは、探索する階層が違うからだ。
ベルの探索範囲は四階層。一方の俺は十三階層よりも下。互いに合わせるのは難しい状況だった。
しかしベルの言う通り、俺たちは仲間だ。それも団員は未だ俺とベルの二人しかいない。
冒険者という視線から見たら、別行動はそれぞれの力量に合わせた適切な判断だろう。だが仲間という視線で見れば、少し素っ気ないのかもしれない。
──もう少しだけ、俺はベルに寄り添ってあげるべきだろうか。
「……分かった。一緒に探索する機会を増やすよ」
「本当っ!?」
「ああ」
俺が頷くと、ベルは不満の色から一変し、喜びの色を表情に宿す。どうやら俺の返答がお気に召したらしい。
「絶対だからねっ?! 約束を破ったら許さないから!」
「へいへい。それよりも──」
恋人のようなことを宣うベルから視線を切り、俺は前方に目をやる。
雲を突き抜けるほどの高さを誇る白亜の摩天楼──バベルの塔。蓋の役割も担うそれの下には、『ダンジョン』と呼ばれる『モンスター』と『資源』と『未知』に満ち溢れた迷宮が地下深くまで続いている。俺たちの目的地だ。
俺はベルに振り向く。
「さぁ、行こうか」
「うんっ!」
やる気に満ちた表情を確認し、俺たちはダンジョンへと進入した。
*
ダンジョン五階層。
通路の奥から吹き抜ける湿気を含んだ風に髪を煽られながら、俺は目の前の戦闘を観察していた。
「──はあっ!」
威勢のいい掛け声とともに振り抜かれたベルの一閃が、蛙の姿をしたモンスター──『フロッグ・シューター』の大きな単眼を貫く。
「──アァァァ…………」
消え入る呻き声を残し、フロッグ・シューターは光の粒子となって消滅した。
ベルは周囲を見渡し、モンスターの気配がないことを確かめると、地面に落ちた魔石を回収し始める。
戦闘の終了を確認した俺は、背中に背負ったバッグからステンレス製の水筒を取り出し、ベルの下へ向かう。
「お疲れ、ベル」
「うん、ありがとう」
腰に下げた魔石袋に魔石を収納したベルは、俺から水筒を受け取ると水分を補給する。
「……ふぅ。この水筒、やっぱり飲みやすいね」
戦闘で乱れた息を整えながら、ベルが満足げに言う。
この『ステンレスボトル』は、言わずもがな【オムニ・ジェネシス】で創造した水筒だ。高い保温・保冷機能と耐久性を有した、まさにダンジョンに適した実用的アイテムといえる。
「ねぇ、夜。今の戦闘、どうだった?」
ベルは水筒をこちらに手渡しながら、いつものようにそう聞いてきた。
「そうだな……。以前は駆け引きに迷いが見られたが、今の戦闘では見受けられなかった。判断の遅さはしっかりと改善しているようだな」
「うん。前に夜に注意されたからね」
俺はリューさんとの稽古で学んだことを基に、ベルを指導している。それは夕食後の稽古の時もそうだし、今のように一緒に探索する際もそうだ。
リューさんの指導は無駄がなく、かつ正確だ。彼女の教えを取り入れることができれば、戦闘技術は確実に向上するだろう。教わったことを愚直にこなすベルなら尚更だ。
今のベルは、原作よりも早くに特訓を開始している。そのおかげで技術、基礎能力ともに原作よりも上回っているはずだ。
後は
ミノタウロスが来ない。
現在時刻は、十六時を過ぎた頃。
明確な時間までは分からないが、初恋相手のミノタウロス──間違えた、アイズ・ヴァレンシュタインとの“出会いイベント”が発生している頃合いのはずだ。だというのに、肝心の立役者であるミノタウロスさんがやって来ない。
どうした、ミノタウロスさん。待ち合わせ時刻はすでに過ぎているはずだ。いったいミノタウロスさんの身になにが……。
──まさか、遅刻かッ?!
おいおい、ミノタウロスさん。遅刻はいけない。よりにもよってこのタイミングで遅刻はいけないぞ。君が現れなければ物語は始まらないじゃないか。
ミノタウロスさんの遅刻疑惑にじわじわと焦りを募らせ始めた、その時。
──ゴゴゴゴゴッッ。
「い、今の震動は……」
ベルの口から動揺の声が漏れる。
震源地は下。足元の地面よりさらに下の階層。
本来であれば、別の階層からこれほどの揺れが伝播することはまずない。それこそ以前に遭遇した漆黒のゴライアスのような破壊的な力がなければ──。
──ジジッ。
突然、思考を巡らせていた俺の脳裏に『
以前にも体験したことのある『それ』は、俺に動揺する暇すら与えることなくただ状況だけを見せる。
それは、通常個体よりも膨れ上がった筋肉。
それは、血走った双眼。
それは、鮮烈な血に塗れた戦斧。
それは、逃げ惑う
それは、一人の少女の悲劇的な
脳裏に流れる映像はあまりにも鮮明で、現実的で、そして絶望的だった。
『それ』は、これから起こる危急の事態を俺に報せてきた──いや、報せてくれたのだ。
──行かなければ、今すぐに!
俺は逸る気持ちで今にもその場を駆けだそうとする。その時、俺の耳に叫ぶような大きな声が届いた。
「夜、どうかしたの?!」
ベルの声だ。
振り向くと、心配そうに眉を下げながら、こちらを窺っていた。その姿を見て、俺は逸る気持ちをなんとか落ち着かせる。
心臓がドクンッドクンッと早鐘を打つのを感じながら、俺は状況を簡潔に告げる。
「下の階層で女の子がモンスターに襲われているのを感知した」
「えっ」
「今すぐ向かわなければ間に合わない」
今は一分一秒が惜しい。
先ほどの震動の正体があの怪物なのだとしたら、早く行かなければ手遅れになる。もしそうなれば、待ち受ける未来は“あの悲劇的な死”なのだろう。
血に塗れた戦斧がか弱い少女の頭蓋を叩き割り、真っ二つに斬り裂く。そんな未来だ。
なんとしてでも阻止しなければならない。そしてそれが可能なのは──俺だけだ。
「だから、ベル──」
「行って」
ベルを説得しようと出かかった俺の言葉を、ベルの静かな声が遮った。
「今すぐ向かって」
深紅の瞳が真っ直ぐに俺を捉える。
「僕も後を追いかけるから」
そこにいつもの柔らかさはなく、けれどいつも以上に凛々しく力強い、安心させてくれるような声と眼差しだった。
その頼もしい姿を見た瞬間、俺の中でやるべきことが明確に定まった。
「分かった。先に行ってる」
そう言葉を残し、俺はその場を駆けだした。
*
ダンジョン七階層。
岩壁に囲まれた一本の通路にいくつもの乱れた足音が打ち響く。天井で淡い明かりを灯す燐光が、五つの人型の影を地面に伸ばしていた。
(どうして、どうして、どうして、どうしてっ──?!)
背丈ほどの大きさのある深緑色のバックパックを背負った小人族(パルゥム)の少女が悲愴めいた表情で背後を見やる。
『ヴォォオオオ──!!』
鮮烈な血がへばり付いた戦斧を引き摺りながら、筋骨隆々の肉体に牛頭をのせたモンスター──『ミノタウロス』が双眼を血走らせながら迫って来ている。
(どうして七階層にミノタウロスがっ?!)
ミノタウロスは中層の十五階層以降に出現するモンスター。本来であれば、このような上層で遭遇することなどありえない。
明らかな『
絶望的な死を感じさせる怪物が、地響きを鳴らしながらその距離を縮めてくる。
「おい、もっと速く走れ! 追いつかれるぞ!」
「分かってるよ!」
少女の正面から、緊迫とした声が上がる。
ヒューマンの男が三人、血相を変えながら必死に脚を走らせていた。その速度は少女よりも速く、彼らと少女の間には僅かながらに距離が開き始めていた。
「ま、待ってくださいっ!!」
少しずつ離されていく距離に焦燥感が強まる少女は、懸命に声を張り上げながら自身の
彼女の想いが届いたのか、三人の男は振り返る。
声が届いたことに安堵した少女は、その表情を少し和らげる。だが、それは一時の間でしかなかった。
少女は見た。こちらに振り返った彼らの表情を。
──彼らは口元を歪めながら、下卑た笑みを浮かべていた。
(──その顔は……っ)
少女は知っていた。その表情をした時の人間の行動原理を。
だからこそ、理解してしまった。
これから起こす彼らの選択を。
これから起こる自身の結末を。
少女らの前には、二つの通路がある。まるで生贄を差し出すトロッコのレールのように──。
その時。
──コトン。
命運を切り替えるレバーが、静かに傾く音がした。
「じゃあな。せいぜい俺たちの役に立てよ」
「────ぇ」
少女の華奢な体がバックパックとともに宙を舞う。突然のことで状況を理解できない少女は、まるでスローモーションのように時間の流れが遅く感じられる中でそれを視界に捉えた。
一人の男が伸ばした脚をこちらに向けている姿。
(蹴られたのか──っ?!)
ようやく状況を理解した。だが、あまりに遅すぎた。
「きゃっ……!」
後方へ蹴飛ばされた少女は抵抗する間もなく地面に打ち付けられる。幸い大きな荷物のおかげで転げることはなかった。
しかし、
ドスン、ドスン。重圧な足音がすぐ背後から聞こえる。少女はおそるおそると振り返り、
「ひっ」
口元から涎を垂れ流し、荒々しい鼻息を吹き鳴らすミノタウロスと目が合った。
ミノタウロスは死を告げるように、ゆっくりと戦斧を天高く持ち上げる。
(いや……いや……っ)
そして、こびり付いた血を滴らせる戦斧が無慈悲に振り下ろされる瞬間、
「いやぁあああああああああ!!!!!!」
喉が張り裂けるほどの悲鳴を上げながら、少女は懐から淡い光を放つ短剣を抜き放つと、切っ先をミノタウロスへと掲げた。
その刹那。短剣が紅く煌めくと、鮮血のように真っ赤な大火が火炎放射のようにミノタウロスへと一直線に放たれた。
空気を焦がすほどの熱を孕んだ炎の塊が、ミノタウロスに直撃。
『──ヴォォオオオッッ?!』
視界を焼かれたミノタウロスは、吹き荒れる大火から逃れんと戦斧を振り下ろす。
ズゴゴンンン──ッッッ。
大火に振り回されたことで戦斧の射線は逸れ、少女は直撃を免れた。
だが地面を抉るほどの重圧なる一撃は、その風圧だけで少女を軽々と弾き飛ばした。
吹き飛ばされた少女は、パーティメンバーだった男たちとは“別の通路”へと投げ出された。
「うぅ……っ」
幸い、背負っていたバックパックのおかげで衝撃は緩和された。だが肩ベルトは千切れてしまい、背中にかかっていた重みが消える。
「あっ」
少女はバックパックの下へ向かおうと、咄嗟に足を向ける。だが、
──ゾクッ。
背後から身を震わせるほどの濃密な殺気を感じ、反射的に振り向いた。
『ヴゥウウウウ…………』
通路の入り口。そこには
(魔剣を至近距離で食らったのに、ほとんど効いていない……?!)
恐ろしいほどの耐久値。
通常の個体であれば消し炭まではいかずとも、怯ませる程度の効果は見込めただろう。
だからこそ、
目の前の怪物は、少なくとも普通ではない。
空間が歪んで見えるほどの怒気を滲ませる目の前の存在の埒外さを再確認した少女は、片手に持つ魔剣だけを装備に踵を返して通路の先へと走り出す。
遠ざかってゆくその小さな背に向かって、まるでさらなる恐怖で追い込むように、紅蓮に染まったミノタウロスはゆったりと歩みを進め始めた。
ということで、いかがだったでしょうか。
もし面白いなと思っていただけたら、評価と感想を貰えると嬉しいです。
正直、自分の作品を楽しんでもらえているのか不安になったりしちゃいまして……。
誰かが読んでくれてる、楽しんでくれてる、見守ってくれてるってわかるとひどく安心するものです(笑)。
中には僕の作品をつまらないと思われる方もいるかもしれませんが、そういう方にも面白いと思ってもらえるように頑張りたいと思います。
これからもどうかよろしくお願いします。