自称“凡人”の人生譚   作:飢堕天

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8話 慟哭と惜別

瞼越しに差し込む朝日を受け、俺は目を覚ました。

 意識がぼんやりとして微睡む中、俺の目覚めに呼応して呼び起こされた記憶が過去の出来事を映像として再生させる。

 

 記憶が流れる。

 巨狼との死闘。己の全てを賭して繰り広げた激戦が脳内で再生される。同時に、脳信号が肉体へと電信する。途端に肉体が反応を示したことで、俺は上体を起こした。瞬間、蘇るように痛みが全身を奔る。あまりの痛さに顔を顰めるも、意識は未だに記憶と結び付いて解けない。

 

 記憶が流れる。

 

 「ぁ——」

 

 花のように可憐な笑みを湛えた彼女。

 

 「ぁあ......」

 

 熱を孕んだ彼女の声。

 

 「あぁ、ぁぁ......」

 

 脳内で残響する彼女の言葉。

 

 「あ、ぁぁあ......あぁ......っ」

 

 灯を失った——彼女の命。

 

 「あぁぁぁああああああ............ッッ!!!」

 

 記憶が流れる。記憶が流れる。記憶が流れる——。

 

 彼女の潤んだ瞳が、赤みを帯びた頬が、弛んだ唇が、耳心地の良い声が、焦がれた言葉が............舞い散る鮮血が、鼓動が消えた身体が、崩れ逝く肉体が覚醒した五感によって鮮明に思い起こされる。

 

 涙が零れ落ちる。

 記憶に刻まれていた幾つもの彼女の姿が脳内で止めどなく再生される。

 想起した記憶に呼応して感情の奔流が胸中で渦巻く。

 

 ——苦しい。

 思わず胸元を握り締める。

 胸がぎゅぅっと締め付けられるように苦しい。

 果てしない喪失感。行き場のない憤り。鳴り止まない悲しみ。それらが渦巻いて胸中を蝕む。そして、膨れ上がった激情が迫り上がって涙が溢れ出る。

 

 溢れ出る涙が止まらない。止まってくれない。

 必死に堪えるけれど、俺の涙は鳴り止まない。

 

 みっともなく嗚咽を漏らしながら泣き叫ぶ——。

 

 「......る......よ......る......夜......っ!」

 

 すると、そんな俺に横合いから一つの声が掛かる。

 聞き慣れた声だ。普段よりも張り上げたその声色には、心配の色が灯っているように感じる。

 未だ鳴り止まぬ涙で顔を濡らしながら、俺はゆっくりと声の主へと顔を向ける。

 

 「............ベル」

 

 案の定、そこに居たのはベルだった。眉根を寄せ、不安げにこちらを見つめている。

 発狂する精神状態の中、何とか状況を把握した俺は、ベルに心配を掛けさせまいと涙を拭う。

 

「すごい叫び声を上げていたけど、大丈夫っ?」

 「......あぁ、悪い。少し取り乱した......」

 「......すごい汗だよ。それに......本当に大丈夫?」

 「......問題ない」

 

 ベルは心底心配した様子でこちらに声を掛けてくる。視線が俺の目元を彷徨っているのを見て、泣いている理由を聞きたかったのだろうと察する。しかし、俺が泣いている理由に言及することなく、再度心配の声を掛けてくれるベルに、優しい奴だなと改めて思った。

 

 本当に優しい。だからこそ——セレンの死を伝えることはできない。ベルを見据えた俺は、

 ベルの性格を慮ってそう結論付ける。

 

 誰よりも優しく純粋なベルは、セレンの死を知れば、必ず自分のせいにする。自分がセレンを行かせたから、止められなかったから、止めていればセレンが死ぬことはなかった、と全ての責任を自身に被せる。その姿が容易に想像できる。

 でも、それはだめだ。ベルはきっとその責任の重圧に耐えられない。心が摩耗して、前を向くことができなくなるかもしれない。

 

 けれど、それは普通のことなんだ。ベルはまだ精神が成熟していない十四歳の子供だから。かく言う俺もベルと同い年だけど、俺の方が早生まれだし、精神だって他の子供よりも早熟している。

 

元よりセレンが死んだのは俺のせいなんだ。俺の至らなさが原因だ。だから俺が全て悪い。だから......この業は俺だけが背負わなければならない。

 

けれど、大丈夫。俺なら耐えられる。昔から耐えるのは得意だから。いつだって、俺は一人で何とか出来てきたから。

だから————大丈夫。

 

 ピキリッ、俺の中で何かがひび割れる音がした。昔から何度か聞いたことのあるその音は、何かに耐え忍ぶ度に鳴り刻む。

 その残響を感じた俺は、少しだけ表情が歪む。しかし、それは一瞬の変化であったため、ベルには気付かれていない。

 

俺は静かに深い息を吐く。同時に、俺の精神は闇へと沈み込む。底の見えない深淵が俺を引きずり込んでいく。

そして、少しずつ精神が落ち着きを取り戻していく。それは決して正常ではない回帰。本来であれば光の下に引っ張り出されることで回帰する正常は、闇へと沈むごとに正常と化していく。

闇のヴェールに覆われる俺の精神は、崩れ逝く何かを無理やり補強させるためのモノでしかない。そのことを本能的に感じ取った俺は瞬きを一つすることで思考を切り替える。

 

 瞬間、世界は暗転する。先ほどまで感じていた哀しみは静寂へと溶けていき、そこには無情な己自身だけが静かに存在している。

 

 「......ベル」

 「ん?——っ」

 

 俺は俯いていた顔を上げてベルへと声を掛ける。俺の呼び声に反応したベルは、顔を覗き込むようにして此方へと視線を向けてくるが、その瞬間、息を呑む音がベルから発せられる。

 

 「......どうした?」

 「え? あ、ううん! なんでもないよ! そ、それよりもどうしたの?」

 「ちょっと、外の空気を吸って来ようと思ってな」

 「......外に?」

 

 ベルの問い掛けに「あぁ」とだけ返答した俺は、おもむろにベッドから立ち上がる。途端に全身に痛みが襲い掛かってきて、思わず顔を顰める。

 

 「ちょ、ちょっと待って!」

 「......なんだ?」

 

 痛みに悶えながらも何とか堪えた俺は玄関へ向かうために足を進めようとする。しかし、そこにストップがかかる。

 俺は進行を阻むベルへと視線を向けると、再度心配した様子で言葉を投げかけてきた。

 

 「夜はもう少し安静にしてなきゃだめだよ!」

 「はぁ......? なんで?」

 「なんでって、どう見ても動ける身体じゃないでしょ?!」

 「......問題ない」

 「今の間......やっぱりどこか痛むんだっ。ほら! ベッドに横になって安静にしてて!」

 「......いいって、今はそういう気分じゃないから」

 「気分の問題じゃないよ!......それに、セレンさんがまだ帰って来てないんだ......」

 「——っ」

 

 押し問答を繰り広げる俺とベル。

 なかなか食い下がらないベルに少しずつ苛立ちが募っていくが、その思いはベルの口から発せられた言葉によって一瞬で鳴りを潜めた。

 

 「......実は少し前にセレンさんが家を飛び出して行って......。ごめん、セレンさんのことは夜に任されていたのに」

 

 ベルは申し訳なさそうにして顔を俯かせる。

 

 「多分セレンさんは夜を助けに向かったんだと思うんだけど、夜は会ってない?」

 

 俯かせた顔を上げたベルは不安気に尋ねてくる。

 焦燥感を漂わせたベルを見て、一瞬逡巡する。

 ベルに真実は話さない。先程俺が決めたことだが、本当にそれでいいのかと自問自答する。間違っているのではないか、真実を伝えるべきだと訴えてくる俺が居る。しかし、深淵より覗く俺がそれを許さない。

 俺は一度瞬きをすると、虚偽の大罪へとこの身を堕とす。

 

 「......会ったぞ」

 「本当に?!......あれ? でも、それならセレンさんは今どこにいるの? 夜が倒れているところを見つけた時、傍にセレンさんは居なかったけど......」

 

 俺がベッドで寝ていたのは、ベルが運んでくれたかららしい。俺はまたしてもベルに助けられたようだ。本当なら感謝を伝えたいのだが、今は置いておく。

 それよりも先程の発言からして、ベルはセレンの魔石と灰は見ていないようだ。それなら何とか騙せる——。

 

 「......実は巨狼との戦闘中にセレンの同胞が助太刀してくれてな」

 「セレンさんの同胞......!?」

 「あぁ、前に話したことを覚えてるか? ほら、異端児は金持ちに売り飛ばされてるって話」

 「......うん、覚えてるよ」

 「助太刀してくれたのがまさにそいつ等でな、同胞であるセレンが戦っているのを見て手を貸してくれたらしい」

 「そうだったんだ。なら、そのヒトたちに感謝しなきゃだね」

 「......そうだな。で、セレンだが......」

 「! もしかして......」

 「あぁ......セレンはその同胞らと共に行った」

 「っ、それって......」

 「別れの挨拶はしておいた。悪いな、お前に何も言わずに勝手にやって」

 「......確かに何も言えずにお別れは寂しいけど......僕なんかよりも夜はよかったの?」

 「......あぁ、元々セレンは同胞の元へ帰すつもりだったからな。無事に帰せてよかったよ」

 

 ズキッ、と胸が抉られる感覚が訪れる。

 自分が口にした「無事に」という言葉が脳内で反芻する。

 脳裏に過る彼女の最期の姿がその言葉と大きくかけ離れている。いや、かけ離れているなんてものではない。全くの真逆だ。そして......その結末を齎したのは俺だ。

 その事実に心が悲痛の叫びを上げるが、何とか理性で抑え込む。

 

 「違う! そうじゃないよ! 夜はそれでいいの?!」

 

 内心乱れる俺にベルの言葉が突き刺さる。

 セレンへの想いを再発させる言葉が記憶を掘り起こす。

 思わず握り締めた拳は力んだあまりに爪が食い込み、血が滴り落ちる。

 

 無情の仮面に亀裂が入る。

 大丈夫だと自分に言い聞かせ、騙していた心が揺れる。

 

 やめてくれ——。これ以上、俺の心を搔き乱さないでくれ......。もう、限界なんだ——。

 

 俺は泣き叫びたい思いをぐっと堪えて、平静を装う。もはや、そうすることでしか平常心を保つことができず、自分の心を守ることすらできない。

 

 「......ベル、物事は自分の都合のいい方向に進むわけではない......」

 「っ......それは......」

 「手放したくないと思うものほど、簡単に掌から零れ落ちる......」

 

 思うだけでは無意味だ。そこに相応の力が伴わなければ、簡単に奪われる。そして、還って来ることはない。

 

 「...だから、俺は——」

 

 様々な感情が綯い交ぜとなって胸中に渦巻く。

 迫り上がってくる激情を堪えるため、顔を仰いで唇を噛みしめる。

 もはや自分自身を騙すことさえ儘ならない。

 

 視界が滲む。

 堪えても堪えても溢れる想いが止まらない。

 

「......悪い、少し風に当たってくる......」

 

 このままでは取り繕った仮面が崩れると感じた俺は、逃げるようにしてその場を去る。

 後ろから「待って......ッ!」と声が掛かるが、反発するようにして俺は玄関扉を勢いよく押し開いて外へと飛び出た。

 

 

 冷たい風が頬を撫でる。

 普段なら心地良いと感じる田舎特有の澄み渡った空気は、今は寂しさを彷彿とさせる。

 辺り一帯に広がる緑色が孤独感を際立たせる。

 

 欠けたように穴が空いた心に悲痛さを感じながら、俺は森の中へと突き進んだ。

 

 

 森の中は静寂が支配していた。

 木々の隙間を吹き抜ける風が奏でる葉擦れの音だけが耳朶を刺激する。

 普段は感じる生物特有の気配すら、今の森の中では感じ取れない。

 

 森の奥へと突き進むごとに気温は下がり、冷気が肌を刺激する。

 辺り一帯に漂う魔力が自身のものであると感じ取った俺は冷気の正体に行き着くが、今はどうでもいいとかぶりを振って足早に突き進む。

 

 

 森の中を進むこと数十分、ようやく目的地へと辿り着いた。

 

 「............セレン」

 

 眼下には彼女の魔石と灰だけが儚げに存在している。

 当時の状態から一つも欠けていなかったことに安堵すると同時に、哀しみが胸の奥から這い上がってくる。

 

 綯い交ぜになった気持ちをぐっと堪えると、手を胸前へと持ち上げて掌から魔力を放出する。

 放出された魔力は土属性へと性質を変化させ、十数秒後には骨壺へと形を変えていた。

 

 俺は骨壺を片手に持つと、もう片方の手を彼女の亡骸へと向ける。次第に風が起きると、彼女の亡骸を優しく包みながら舞い立つ。そのまま、吸い込まれるようにして俺が持つ骨壺へと納まった。

 

 彼女の亡骸が全て骨壺へ納まったことを確認した俺は、蓋を閉じると壺身と壺蓋を一体化させて中のものが出ないようにする。

 

 「......それじゃ、行こっか」

 

 骨壺を一瞥してそう呟くと、俺は空へと翔け出た。

 

 

 「やっぱりいつ見ても綺麗だな......」

 

 数分の飛翔後、目的地に着いた夜は眼下に広がる幻想的な景色を見て言葉を零す。

 

 少し高さのある崖から降り注ぐ水が奏でる耳心地の良い音色、水底が透けて見えるほどに澄んでいる湖、その湖の真ん中にぽつんと存在する浮島、そこに聳え立つ大樹。

 全てが美しく幻想的で、しかしどこか寂しさを感じさせるこの場所が、セレンのお気に入りだった。

 

 少しの間見入っていた夜は、意識を戻すとゆっくりと浮島へと下降する。

 

 「............ここなら、セレンも穏やかに眠れる」

 

 陸地へと足を着けた夜は、浮島で一際存在感を放つ一本の大樹へと向かう。根元へ辿り着くと、魔法で根本付近の土を掘り起こして穴をつくる。そこへセレンの亡骸を納めた骨壺を入れて、上から土を被せる——。

 

 動かない。土を被せるために翳した手が震える。

 同時にセレンとの思い出が夜の脳裏を駆け巡る。次第に様々な感情が胸の中で渦巻いて這い上がってくる。

 目の奥がじんわりと熱を浴びていく。次第に瞳は潤み、滴が目尻から零れ落ちる。それは静かに頬を伝い、地面を濡らす。

 

 「っ、ごめん......っ」

 

 土を被せてしまったら何もかも終わってしまう。そう思った時にはもう、夜は堪えることはできなかった。

 

 「ごめんっ、ごめん......っ、守れなくて......ごめんなさい......っ」

 

 涙が溢れる。堰を切った感情が喉を這い出て言葉となる。

 

 彼女を守れなかった後悔と、彼女を救えなかった責任が夜の身体に圧し掛かる。

 ベルよりも大きなその身体は、今は酷く小さく感じる。

 たった一人で背負うにはあまりにも大きすぎる重圧が夜の心を蝕んでいく。

 

 目の前で彼女を喰い殺された。

 その時に見た凄惨な光景が夜の目蓋から剝がれない。

 

 守ると、救うと誓った彼女が死んだ。

 誓いを違え、死なせてしまって責任は十四歳の子供が背負うにはあまりにも重すぎる。

 

 そう、夜はまだ十四歳の子供なのだ。

 地球では中学二年生の、親の庇護下にいるはずの小さな子供。

 そんな夜が誰の力も借りずにたった一人で、セレンとベルの二人を守るために恐怖に足を竦めながらも命懸けで戦った。

 けれど、守ると誓った彼女に守られ——目の前で恋した女性が死んだ。

 

 もう限界だった。

 ベルの前では何とか耐えた。自分の心を騙して、平静を装っていた。

 けれど、彼女との終わりを目前にして、とうとう限界が崩壊した。

 

 涙が止まらない。

 哀しみと寂しさと、後悔と憤りと、幾つもの感情が渦巻いて声となって零れる。

 

 しばらくの間、夜の泣き叫ぶ声は静寂な森の中を木霊していた。

 

 

 

 「......ごめん、セレン。恥ずかしい姿を見せたな......」

 

 落ち着きを取り戻した夜は、骨壺へと視線を向けながら言葉を零す。

 

 「それじゃ............お別れだ」

 

 表情を歪ませながら泣き出しそうになるのを懸命に堪える夜。

絞るように紡がれた言葉は、簡単に風に飛ばされてしまいそうなほどに儚げだった。

 

 「じゃあな......」

 

 土を被せる。少しずつ、少しずつ、別れを惜しむようにゆっくりと——。

 

 「——はぁ......」

 

 骨壺を土で完全に覆い隠した夜は、おもむろに立ち上がって重い息を吐き出す。

 そして天を仰いだ夜の瞳は——どこまでも暗く澱んでいた。

 

 

 「......ただいま」

 

 帰宅した俺は、玄関扉を開いて帰宅の挨拶を口にする。

 

 「夜! おかえり......っ!」

 

 慌ただしく部屋の奥から出てきたベルは、俺の姿を見て安堵しながら返答する。

 

 「......大丈夫?」

 

 正面までやってきたベルは、俺の顔色を伺いながら聞いてくる。

 

 ——本当に、こいつは......

 

 底抜けの優しさを向けてくるベルを見て、俺の心に温かさが灯る。

 

 せめてベルだけは、絶対に——

 

 俺は一つ、自分に言い聞かせる。

 

 「......あぁ、もう大丈夫だ」

 「本当に? 無理してない?」

 「大丈夫だって」

 

 ベルが少しずつ詰め寄ってくる。

 何度も確認を取ってくるベルに苦笑しながら言葉を返す。

 

 「......本当に?」

 「っ......あ、あぁ」

 

 光を失った瞳が俺を射抜く。ドロリっと澱みを見せるその瞳は全てを見透かしているようで、どこかセレンを彷彿とさせる。

 

 「そ、それよりも大事な話があるんだ」

 

 居た堪れなくなった俺は、半ば無理やり話を逸らす。

 実際、話したいこともあったし嘘ではない。

 

 「......ふーん、まぁいいや。それで?」

 

 納得は言っていないようだが、話は聞いてもらえるらしい。というか何か雰囲気が変わっていないか?

 どこか弱弱しさが鳴りを潜め、悠然とした態度に違和感を抱きつつ、俺は本題を切り出す。

 

 「——オラリオに行こうと思う」

 

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