That others may live -オルクセン王国外典- 作:yuto milgrum
飛行隊長からの呼び出しを受けてから数週間後、新設部隊へと志願したアルベルトは、選抜試験への出頭を命ぜられた。出頭した陸軍山岳師団の基地では、一通りの体力試験、知能試験。そして彼だけに実施された、推薦どおりの能力を確認するための特別試験が行われる。すべてにつつがなくパスしたオレオ兵長は、山岳地に作られた訓練基地への出頭命令を受け取った。他の志願者も三々五々オルクセン各地から集合し、訓練は初夏に始まった。
「諸君らはこれより厳しい訓練に臨んでもらうことになる。その目的は、極めて困難な状況にある戦友を救うことだ。時に、その戦友は傷ついているだろう。時に自力では動けぬほどに衰弱しているだろう。もしかすると、敵に追われているやもしれない。君たちはその戦友とともに極めて厳しい環境に直面するだろう。あらゆる状況から戦友を救い、豊穣なる大地に帰還すること―それこそがこの部隊の任務となる。君たちの研鑽に期待する。」
編成担当官として、訓練開始式に現れたネイト・オレオ大佐は、上記の端的な訓示を下した。
基礎段階、として徹底的に演練が行われたのは山岳行動。まず体力錬成を兼ねた基本的な登山行動、そして岩壁登攀。合間に読図、天候予測、ビバーク資材や登攀・下降機材の使用法といった技術の習得が加わる。初秋に始まった訓練は冬になると、平均的なオーク族を想定した人形の担送といった応用訓練、そしてスキーによる運搬や氷壁登攀といった冬季山岳行動の習得に徐々に変化していった。
オレオ兵長にとってはいずれも家業で体得した技術である。いつしか、同じ訓練生であるはずのコボルト、オークたちへ技術を教え、その結果を陸軍山岳師団から出向した教官たちに報告し、進捗に合わせた訓練内容の協議すら行うようになっていた。
これはオレオ兵長に限った話ではなかった。同じく山岳種で山地行動に慣れたコボルトたちや、山岳猟兵師団上がりのオーク、ドワーフたちのうち何頭かが、訓練生でありながら、教育の一部を担任している。
空軍は、空軍にない技術体系である山岳行動を取り込むべく、意図的に人材を選定した風情があった。
一方でオレオにとって目新しい教育もあった。軍病院から招聘された軍医による、前線医療の教育である。救急処置にとどまらず、詳細な全身状態の評価から気道確保、肺気胸への穿刺、血管結紮止血、盲管銃創を想定した簡易的な摘出術まで、部族ではとりあえず気付けと消毒を兼ねた酒、外傷にはエリクシエル、位の考えで、ブートキャンプで教わった救急処置が精一杯のオレオ兵長には新鮮極まりなかった。自らの体毛で膨れた消毒樹脂手袋越しの細かな手技は彼にとって大きな課題であり、長毛種であることを同じ境遇の同僚たちと愚痴ったこともある。
やがて年が明け、本格的な厳冬期に入ると、山岳行動訓練の荷物にアキオ…ボートのような形で、雪上を滑って移動できる、布カバー付き担架が加わる。この時期の訓練は、それを運び、時に担いで、所定の地点まで運ぶのが訓練計画の多くを占めるようになった。
所定の地点、それは例えば尾根の上であったり、あるいは切り立った岩壁からせりだしたテラスであったりした。
ある日、オレオは訓練計画担当ルイス・ヴァルトシュタイン曹長に直に疑問をぶつけた。
「我々の任務は単純な山岳救助ではありませんね?」
「なぜそう思ったんです?」
瞼の上、茶色の眉毛が特徴的なシェットランド牧羊種のルイス曹長は問い返した。このころ、オレオ兵長は訓練協力の功績と年次で兵曹に昇進している。
彼はいくつかの論拠を上げた。山岳行動がアルパイン法、単独に近い少人数での行動を想定していること。訓練における目的地がしばしば山麓ではなく、山中の盆地や稜線に設定されること。そして何より。
「我々が要救助者を回収した後、後送までには一定の時間を要する想定になっている。我々は要救助者とともに山中で生存自活することがある意味所与のものして想定されている。でなければ摘出術等の医療知識は必要ないはずです。」
しばらくルイス曹長は黙ってオレオの顔を見つめた。そしてうなずいた。
「なるほど…いい機会だ。貴官はそろそろ、大佐と話してくるべきでしょう。」
そういったルイス曹長はオレオに、ある出張を申し付けた。目的地は、空軍本部が間借りしている国軍本部。ネイト・オレオ大佐への伝令だった。
――――――
ネイト・オレオという名はオレオ一族の中では必ずしも歓迎されるものではない。
部族にあった頃の彼は伝説的な捜索者であった。生存者を救出した回数は最も多い年で32。これは、その年に彼の部族地において生じた遭難者の過半を、彼が生きたまま救出したことを意味する。そしてそれは、彼が捜索依頼を待つことなく、ほぼ山の中に暮らすようにして捜索救助を行い続けたがゆえの成果である。
また、彼は一族で初めて軍に志願した牡である。
それはすなわち、バーニーズ山岳種オレオ一族が墨守してきた伝統-不殺-を破壊した者でもある。
アルベルトがまだ10代、コボルトの基準では幼少といえるころにネイトは部族を出奔し、軍に志願。しきたりに則り、ネイトの名は部族から抹消された。
しかし軍における活躍がその立場を微妙なものに変えた。
彼はデュートネ戦争に、ある兵站中隊長として従軍した。戦争前半のある遭遇戦において壊乱した部隊の最先任として敗走兵、輸卒、負傷兵等を糾合し、デュートネ軍先鋒騎兵大隊の足止めに成功すると、彼の名は軍の中で大いに高まった。
デュートネ戦争における特に士官クラスの多大な被害も加わり、戦時昇任を繰り返したネイトは、戦争終結時には猟兵師団の兵站統括参謀へと成り上がっていた。戦後には成立まもない参謀学校に送り込まれ、卒業後はやはり、オルクセン軍としては短い間に師団首席参謀、へと成り上がったのち軍本部へと栄転。
そして自らの能力と得た階級、コネクションを縦横無尽に活用し、彼の出身部族のように習俗・伝統等の理由で直接の戦闘参加が難しい者たちが優先的に後方任務……輜重兵卒や通信兵、野戦病院勤務など……につけるよう運動をおこなった。
国内融和という政治的な理由と、魔族特有の極端な少子傾向ゆえに国内の労働資源を一切の無駄なく活用しなければならないという現実の事情もネイトの運動を後押しした。あらゆるコネを十二分に活用した彼の運動の結果、べレリアンド戦争における動員の折、彼の出身部族から出征したものはすべて歩砲騎、いわゆる戦闘軍種としての勤務を免れ、伝統の維持と国家への義務の双方を十全に果たすことができたのである。
その功をもってネイト・オレオは一族への帰参を許された。
アルベルトの志願、そして航空軍団整備兵としての配属もまた、ネイトが空けた風穴がなければ実現できるものではなかっただろう。しかし、部族の古老たちが折に触れて語る伝統の教え、生まれてこの方教え込まれてきた常識に等しい価値観との相克は、簡単に超えられるものではなかった。
アルベルト・オレオは軍への入隊後、そしてネイトの出奔後、はじめてこの伝統の破壊者と直接言葉を交わす機会を得たのだ。