Black Archive 作:アストラ連合学園中央生徒会
空調が効き、快適なはずの司令室に、いつもとは違う張りつめた空気が満ちていた。
その空気を作り出している張本人。藤崎ローザは、デスクに肘をつきながら手にした報告書と、モニターのデータを交互に見ていた。
彼女は静かな動作で報告書をめくり、モニターに映る複数のデータを順に確認している。指先が紙をめくる音だけが、部屋に小さく響いていた。
報告の内容自体は単純だったが、頭を悩ませるには十分だった。
要は、最近活発なヘルメット団がアビドス廃校対策委員会所属の生徒━━黒見セリカを襲撃して拉致し、アビドス郊外へと移動中であるということ。
その移動先が、アストラ連合学園が定期的に訓練で使用する区域から、そう遠くない場所であること。
ローザは報告書をデスクの上に置き、背もたれに体を深く預けた。
椅子がわずかに軋む音が、静かな室内に響く中、部下の一人が遠慮がちに声をかけてくる。
「司令……どうしますか。対策委員会の生徒が拉致されたというのは、放っておけない話ですが……」
ローザは背もたれからゆっくりと上体を起こし、軽く肩をすくめてみせた。
「確かに、放っては置けない話だ。だがそれは対策委員会の問題だ、我々が首を突っ込めば大きな外交問題にも繋がる、分かるな?」
「……もちろんです。今のアビドス高校に他校との問題を捌くほどの余裕はありません」
部下の言葉に、ローザは小さく頷いた。
アビドス高等学校の総生徒数は僅か5人、対してアストラ連合学園はキヴォトス三大学園に勝るとも劣らないほど。
総生徒数だけで言えばレッドウィンター連邦学園が抜きん出て多いが、アストラ連合学園の生徒数もかなり多い。
そんな中、5人しかいない学園が、大きな学園からの干渉を受け流す事など出来るはずもなかった。
彼女は視線をモニターに戻しながら、静かに話題を変えた。
「所で、我々の訓練場近くにヘルメット団がたむろしていたな?」
「え、ええ……はい」
突然の話題の変更に戸惑う部下を置いて、彼女は話を続けた。
「報告によれば、Flak41改を搭載した重戦車まで使用しているという、これらの脅威は明らかに我々の問題だ。
奴らの事は、以前から報告が上がっていた。我々を妨害する連中とは派閥が違うため放置していたが……悠長に構え過ぎたな。この脅威は早急に叩く必要がある」
部下はローザの言葉の本音を理解して、僅かに頬を緩める。しかしすぐに表情を整え、力強く頷く。
「そうですね。私としてもヘルメット団を、これ以上放置するのは得策ではないと思います。
すぐにでも部隊を編成し、訓練場近くの脅威の排除をするべきであると、進言します」
ローザは、深く頷いた。
「一個機械化歩兵中隊を主力として火力支援に一個戦車小隊を組ませる。指揮車も出せ、私も行く。目標は訓練場周辺に存在する敵主力部隊の排除だ」
「了解。一個機械化歩兵中隊を主力とした増強機械化歩兵中隊を出撃させます」
部下が敬礼をして去った後、彼女はゆっくりと立ち上がる。
一度モニターに視線を戻し、報告書をデスクの引き出しに入れ、司令室を出るために足を動かした。
扉を開けて地下通路に出ると、壁に埋め込まれた照明が一定の間隔で白い光を落としている。足音が壁に反響し、ひんやりとした空気が肌に触れた。
アビドス方面統括局にいる全ての隊員たちも、対策委員会の現状を憂いている。廃校の危機に必死に抗う彼女たち、その努力を妨害する奴らを放っておきたいと思う者などいない。
だが実際問題、手を貸せば、それは大きな貸しになる。対策委員会は、それを返す手立てを持っていない。
大きな学園がより大きな力をつけるために、小さな学園を吸収合併するのはよくある事だ。そこに吸収される学園の意思は関係ない。
アストラ連合学園には、アビドスの生徒たちを分校として受け入れることができるが、アビドス廃校対策委員会はアビドス高等学校の廃校を食い止めようとしているのであって、アビドス分校として存続したい訳ではないのだ。
だからこそ、“訓練場近くの脅威を排除する”という建前が必要になってくる。
たとえそれが、結果としてアビドス生徒の救出の援護になるというなら━━それは、ただの偶然だ。
通路を進むローザに対し、すれ違う隊員たちが軽く目礼し素早く動き出す。彼女も軽く頷き、歩みを進めた。
目的地である出撃準備室の扉を開けると、室内はすでに動きに満ちており、実働部隊の隊員たちがアーマーやヘルメット、その他個人装具を身につけている途中だった。
「ギドラートルには水をたっぷり入れておけよ!」
「レギドロンは多めに持っていけ!」
砂漠での作戦行動の多い者が声を張り上げる中、司令官であるローザもそこに混ざり、装備品を身につける。
個人ロッカー内にあるボディアーマーを着込み、腹部のPALSウェビングに取り付けられたマガジン用ポーチに、フル装填されたポリマーマガジンを差し込む。
ポリマーマガジンが防弾プレートに当たり僅かな音を立てたが、部屋のざわめきにかき消される。
アビドスの苛烈な砂嵐に備え、標準装備となっている砂塵防護用ハーフマスクを口元に密着させるように装着する。
あくまで防塵用であるため。通常のガスマスクほどの防毒性能はなく、キャニスターの密度が高くない。おかげで呼吸を阻害しにくい作りになっている。
次にヘルメットを被り、ストラップを締め上げ、通信用の咽頭マイクを首に固定する。
アストラ連合学園の各方面統括局でも、全部隊共通で咽頭マイクを使うのはアビドス方面統括局のみだ。理由としては単純にヘッドセット型だと耳元が非常に蒸れるため、通気性の良い咽頭マイクが使われている。
最後にローザが愛用する銃、L.R.N.式205Cを手に取る。
彼女好みにチューンされたアサルトカービンは、フォアグリップと伸縮機能と折り畳み機能を兼ね備えたハイブリッドストックが特徴だった。
指揮車などの車両に乗ることが多いローザにとって、軽量でコンパクト、それでいてL.R.N.式74小銃と同じ弾丸を使用するため十分な制圧力を備えていた。
また弾丸だけでなくマガジンも共通規格により流用可能であり、部隊の補給を阻害しない点も非常に気に入っていた。
スリングを肩に掛け、銃を左手に持ち、右手でボルトを軽く引いてチャンバーの作動確認を行う。動作に不備がないことを確認しセーフティがかけられた。
周囲の隊員たちも彼女の姿を見て、動きを少し速めていく。ローザは周囲を見回し、静かに言った。
「準備ができ次第、出発する。各自、装備の最終点検を怠るな」
「了解」
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ローザが部下と話し、命令が下された直後。
アビドス方面統括局の地下車庫では、怒涛のような動きが始まろうとしていた。
「出撃?」
『はい、機械化歩兵中隊の火力支援として参加してもらいます。詳細はデバイスに送信しますが、出撃準備を急いでください」
「了解した、20……いや、15分くれ」
『分かりました、よろしくお願いします』
固定用無線機から耳を離した第6戦車大隊第3中隊第2小隊の戦車小隊隊長は、すぐさま声を張り上げた。
「総員、出撃準備!」
「了解!」
整備士はメンテナンス箇所を素早く仕上げ元に戻し、戦車小隊の操縦手たちはそれぞれの車両に走り込み、開いたハッチに身を滑り込ませた。
操縦席に乗り込んだ操縦手は、左手付近にある燃料分配コックをタンクオンの位置に回した。すると計器盤が、数秒かけてゆっくりと息を吹き返した。
「燃料系、圧送完了」
計器を見ながら燃料ラインにしっかりと燃料が充填された事を確認。メインバッテリーのスイッチを入れ、右手で変速セレクターを確実にニュートラルに入れる。
次の操作の前に操縦手は警告信号のスイッチを押した。車体前部から甲高く唸るような警告音が響き、近くにいた隊員や整備士たちが素早く身を引く。
「МЗН、起動」
小さなボタンを押し続けると、車体奥から低い駆動音が響いた。エンジン始動前にエンジン内部に潤滑油を強制的に循環させる音だ。
数秒後、油圧計の針がゆっくりと上がり始める。操縦手はタイミングを見計らい、ボタンを離した。
「スターター、始動!」
親指の腹でスターターボタンを押す。低いモーター音が響き、車体が微かに震えた。
2秒。3秒と経ち、操縦手は右足のアクセルペダルを軽く三分の一ほど踏み込んだ。
次の瞬間━━重く、力強い爆発音が車内を満たした。
ディーゼルエンジンが、眠りから叩き起こされるように唸りを上げる。排気管から黒い煙が勢いよく吐き出され、車体全体が低周波の振動に包まれる。
操縦手はすぐにアクセルを緩め、アイドリングを800回転前後に落ち着かせた。
「エンジン、始動。油圧正常、充電も問題なし」
無線を通じて短く報告すると、車長の声が返ってきた。
『よし、暖機は最小限でいい。お前も装備を整えろ!』
「了解!」
アイドリングでも重い鼓動を刻み、ディーゼル特有の濃い排気臭が、わずかに運転席に染み込んでくる。
間を置かずして重低音を響かせてエンジンを起動する二両の戦車。
アストラ連合学園保安局の主力戦車、T-72B3改。
他学園より近代的な戦車。その製造はL.R.N.社が行っていたが、ミレニアムサイエンススクールの技術協力により、大幅な改修が行われている。
従来型のT-72B3が採用していたカルーセル式自動装填装置は、車体バスケット内に円形ラックを配置し、砲弾を平置きで搭載した後、回転および後方ラムにより砲尾へ装填する構造であった。
この方式は機構の簡素さを優先したものであったが、砲尾直後に長いラム機構を必要としたため、砲尾の後退・下降時の可動域が制限され、主砲の俯角は-5°、仰角は13°に抑えられていた。
だが本改修型では、自動装填装置および動力系の全面的な再設計が行われている。
自動装填装置は高密度多層配置および斜め積み構造への変更に加え、従来の油圧アクチュエータを電動アクチュエータへ置き換えることで配管系を排除し、機構のコンパクト化を実現した。
さらに、リコイルダンパーおよびリコイルシリンダーを砲尾側面へ移設する最適化により、砲尾後方の垂直スペースを拡大している。
これらの改修により、従来比で砲尾の後退・下降時の干渉が大幅に緩和され、主砲の俯角は-8°、仰角は18°まで拡大された。
主砲の射角が拡大したことで、起伏の激しいアビドス砂漠の砂丘でハルダウンを取りやすくなり、車体損傷率の低下にもつながっている。
加えて、エンジンも高効率ディーゼルへの全面換装が行われている。
従来型のV-12ディーゼルに代わり、燃焼効率を大幅に向上させた新型高出力ディーゼルエンジンが搭載された。
これによりエンジン本体の小型化と出力向上を両立させつつ、燃料消費を低減。結果としてエンジンコンパートメントの容積を削減するとともに、航続距離の延伸にも寄与している。
またエンジンの出力向上に合わせ変速機構にも手が加えられており、従来型の後退速度が4km/hであったのに対し28km/hにまで劇的に変更された。
後退速度の向上により、ハルダウン射撃から後退してリバーススロープへの移行が素早くなり、より高機動戦術が使用できるようになった。
同時に変速機構の変更に伴い、従来型では不可能だった超信地旋回までもが可能になっている。
この大規模な改修によりT-72B3改は、ここ数年に渡ってアストラ連合学園保安局を支える強力な主力戦車となっていた。
「632戦車小隊、各車出撃準備完了!」
小隊長が左手首に巻いた時計を見ると、号令を出して12分が経過したところだった。彼女は満足気に履帯を踏み台にしてエンジンデッキに登り、砲塔上部右側にあるハッチに身を滑り込ませた。
素早く車長席に身を納めると無線機を手に取り、スイッチを押した。
「こちらグストフ632、出撃準備完了。そちらは?」
『グストフ632、こちらリトヴィノフ63。今、全部隊が乗車した。待たせたか?』
「いや、ぴったりだ。
命令書を読んだが、今回は“強襲作戦”で良いんだな?」
グストフ632の小隊長が第6機械化歩兵大隊第3中隊、リトヴィノフ63へ作戦に齟齬がないかを問いかける。
『その認識で間違いない、我々は“訓練場周辺に存在する脅威を排除”するのが目的だ。
場合によってはデリケートな問題に直面することもあるが……今回は司令も指揮車で参加する。我々は戦闘に集中しろ、との事だ』
「了解。隊列は移動しながら組むぞ、作戦区域までは縦隊で移動する。以上」
『了解、以上』
小隊長は無線機のスイッチを操作し、
「前進!」
『前進、了解!』
操縦手は駐車ブレーキを力強く踏んで解除し、左足でクラッチを踏み込み、変速レバーを操作し1速にシフトチェンジ。クラッチを戻しながらアクセルを軽く踏み込む。
エンジンの回転が上がる音とともに、履帯が揺れ、ゆっくりと前進を始める。三両のT-72B3改は地上へ出るために、地下車庫の緩やかな傾斜を力強く登っていった。
出口付近に近づくとブザーと共に黄色の回転灯が点灯し、シャッターが開かれていく。同時に太陽で焼けるように熱せられた外気が、熱風となって通路内に容赦なく吹き込み、キュポーラから半身を出す小隊長の額に、汗が一筋伝った。