乙女ゲーのモブ執事に転生してしまったので、今日も俺はわがまま悪役令嬢の無理難題を華麗に攻略してご機嫌取りをする 作:EAT
事件直後、俺は無事にグラウザー嬢を救出し、彼女は直ぐに王都にある別邸へと送り届けた。
最初こそ、突然の男爵令嬢の帰還に、屋敷にいた家人らは騒然。すぐに男爵家当主やら家人らに囲まれて大変だった。それこそ、急に彼女を送り届けた俺が疑われる始末。……まぁ、状況と彼らの心内からすれば致し方のないことではあった。
何とか身の潔白を証明する頃には夜が明ける頃で、お嬢様の元へ戻るのも遅くなってしまった。
件の、テルペトル・グラウザー嬢の容態としては目立った外傷は無しで、軽度の低体温症の症状が見られたくらいだった。この事実にグラウザー男爵家の人々は安堵し、大事な一人娘が傷もなく帰ってきたことを喜んだ。
けれど、問題は彼女が目を覚ましてからだった。
「お待ちしておりました、アリサ様──そして、セスナ
馬車に揺られて一時間弱、無事にグラウザー男爵家の
「お久しぶりです、カンネさん」
「ご無沙汰しております、アリサ様。当主様がお待ちです、ご案内いたします」
挨拶もほどほどに、彼女は俺たちを中へと招き入れ、先導して歩き始める。
その後ろ姿には何処か違和感があって──その実、彼女のあの青みがかった綺麗な長髪は首元あたりでバッサリと切り落とされていた。曰く、それは今回あった情けない失態のけじめであると言っていた。
グラウザー嬢が行方不明となった当時、従者であるスティフルさんもその行方が不明となっていた。そして、グラウザー嬢を屋敷に送り届ける少し前に彼女は自力で屋敷への帰還を果たしていた。
なんでも話を聞くに、スティフルさんは王都郊外の排水路と川の合流地点まで、気を失いながら流されていたのだとか。主を命を懸けて守ることができなかったことを彼女は酷く悔いていた。
更に聞いた話によると、今回の失態の責任を負って従者の任を降りようともしていたとか……。正義感と責任感が人一倍強い彼女の事である。その発言と行動は容易に想像することができた。
しかし、今彼女が目の前にいると言うことは。そうはならなかったと言うことであり、その背景には彼女の主が泣きじゃくって引き留めた背景があるらしい。
──スティフルさんも無事で本当に良かった。
すっかりスッキリとした彼女の後ろを付いて行けば、一つの部屋で立ち止まる。そこがこの別邸の応接であり、俺は以前にも来たことがあった。
「旦那様──アリサ・アロガンシア様をお連れいたしました」
スティフルさんによって扉が開かれ、中から出迎えてくれたのはこの屋敷の主──ステイル・グラウザー男爵であった。
「ありがとう、スティフル。数日ぶりですね、アリサ・アロガンシア公爵令嬢」
「お久しぶりでございます、グラウザー男爵。本日は突然の訪問を許可してくださり、感謝いたします」
出迎えてくれた男爵家当主に対して、お嬢様は華麗にカーテシーをして見せる。既にお嬢様もグラウザー男爵も先日の事件で事実確認やお礼参りなどで何度か顔を合わせていた。
「娘の命の恩人であるアリサ様の訪問であればいつでも歓迎でございます。勿論、セスナ殿も」
「……光栄でございます」
急に話を振られて驚くが、無難にお辞儀をして誤魔化す。
その後も、グラウザー男爵とお嬢様は軽く世辞を交換して──
「今度は是非、アリサ様のお父君にも直接感謝を──おっと、せっかく娘に会いに来ているのに私で時間を潰してしまうのは勿体ないですな。カンネ、お二人をペトルの元まで案内してくれ」
「畏まりました、旦那様」
挨拶も程々に、今回の目的であるグラウザー嬢の部屋へと案内される。
部屋の前で立ち止まったスティフルさんは深呼吸をして、軽く部屋の扉を叩く。数秒も経たずに扉の奥から返事が返ってきた。
「──どうぞ」
「お嬢様、カンネです。アリサ様とセスナ様をお連れしました」
「入ってください」
入室の許可が出て、扉が開かれる。そこにいたのはベッドに横たわる一人の少女──テルペトル・グラウザーだ。
「本来ならば私の方からお迎えに上がるべきでしたのに……こんな見っともない姿でごめんなさい。来てくれてありがとうございます、アリサ様、セスナ様」
スティフルさんに支えられて上半身を起こした彼女は申し訳なさそうに微笑む。
久方ぶりの友人との再会。休息日になるまでお嬢様は今日のお見舞いを本当に楽しみにされていた。
「久しぶりね、ペトル。身体の具合はどうかしら?」
だから、もう少しはしゃいでグラウザー嬢との再会を喜ぶと思ったのだが、意外と我が主は落ち着いていた。
「はい、おかげさまでだいぶ良くなりました……!」
お嬢様の質問に対して、グラウザー嬢は精一杯微笑んで見せた。その姿はまだ病み上がりで無理をしているように見える。
──元気、か……。
実際、今のこの力ない表情には今挙げた理由もあるのだろうが、それよりも気になることがある。
一見、元気に回復しているように見えるが、よく見るとグラウザー嬢の身体は酷くやせ細り、常に何かに怯えるようにして震えてもいた。確かに、テルペトル・グラウザーは何ら外傷無く、無事に帰って来てくれたのだろう。けれど、その代償として心には簡単に癒えることのない深い傷が刻まれていた。
──前世で言うところの、
まだ成人もしてない一人の少女にとって、あの地下水道での過酷な経験はたった一週間足らずで忘れられるものではない。
そして、この心に刻まれた傷はいつ癒えるかすらも分からない。グラウザー嬢も今回の件で何を信じればいいか分からなくなってしまったのだ。
「今日はね、ペトルの為にセナが焼き菓子を焼いてくれたの──食べられるかしら?」
「本当ですか? 嬉しいです……! カンネ、紅茶の用意をお願いできるかしら?」
「直ぐにお持ちいたします」
椅子に座り、楽し気に話すお嬢様とグラウザー嬢。つい先日までよく見られた光景が今ではとても懐かしく、久しぶりに感じられる。それほど、時間は経っていないはずなのに……。
──確か、グラウザー男爵家も今回の一件でセレネア教から離教したと言っていたな。
いつもグラウザー嬢が肌身離さず持っていた
──当たり前だな。
一人の大事な娘を信じていた教会の司祭に傷つけられたとなれば、グラウザー男爵の心内は混迷を極め、苦しいほどの怒りに苛まれたことだろう。
それに、今もこうして大事な愛娘が寝たきりとなり、学園に通えていないのだ。グラウザー男爵家は今回の一件で教会に対して異議申し立てを大々的に行っているようだが──その進捗はあまり芳しくないと聞いた。
いくら、公に反省しているアピールをしていようとも、その実情は権力と金で黙殺される。どれだけ被害者が訴えようとも、取り合ってもらえないのだ。それが貴族でも、男爵家と位が低ければ簡単におざなりにされてしまう。
──ほんと、腐ってやがるな……。
思わず、心の内側にドス黒い感情が巻き起こるが、すぐにそれを霧散させることに努める。
「いいこと、今は焦らずゆっくりと身体の回復に努めるのよ? 一人で寂しくて、退屈だと思ったらすぐに呼んで頂戴ね。セナと一緒に飛んでくるから」
「ふふ……ありがとうございます、アリサ様」
「そして元気になったらまた中庭で一緒にお昼を食べましょう──約束よ?」
「ッ──はい……必ず……!!」
今、この穏やかで何よりも安寧が求められる場所で殺気立つなんてのは間違っている。
俺はそれを自覚して、精神を落ち着けて静かに二人の少女のやり取りを見守る。不意に、紅茶の給仕を終えたスティフルさんが隣に並ぶ。そうして、彼女は何度目かになる言葉を紡ごうとするが──
「本当に、今回のことは感謝しても──」
「もう十分なほどに感謝の気持ちは貰いました。それに困ったときはお互い様です──違いますか?」
俺はそれを優しく遮る。スティフルさんはハッとしたように顔を上げて、こちらをまじまじと見た。
「……そう、ですね」
「そうですよ。まだまだ考えることや、やることは山積みですけど──今はお嬢様方の楽しそうな笑顔が一瞬でも戻ったことに喜びましょう。考えるのは、それからでもきっと遅くはないですから」
「──はい、そうですね」
漸く、先ほどからずっとどんよりとした暗い表情を作っていたスティフルさんから以前の柔らかさが戻り始める。
それを確認して、俺は再びお嬢様方へと視線を戻した。今日だけで、また新たなお嬢様の成長を感じられた。そのことも従者としては嬉しい限りであった。