墓詛悪市の噺   作:キツネ@キツネ

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5節「神社による説明と感情を失った娘」

「それでは、私は失礼しますね」

 

運転手の方が背を向けようとしたため、夫が慌てて財布を取り出します。

 

「待って下さい。料金をお支払いします」

 

料金メーターを確認するために石段へと向かおうとすると、運転手は指を1本立てて見せました。

 

「千円頂戴いたします。若干端数を切り上げることになりますが、この先、宮司の方との積もる話があると思いますので」

 

……それは運転手の方の優しさだったのでしょう。自宅から児宮神社までの距離を思えばその二倍以上の料金が発生したはずですが、当時の私たちは疑問に思うこともなく千円丁度を支払いました。

 

「ありがとうございました!最初から最後まで、本当にお世話になりました!」

「あなたは娘の命の恩人です!本当にありがとうございます!」

「気にしないで下さい。私は自分の責務を全うしただけですよ」

 

頭を下げる私たちを運転手はやんわりと制止します。

 

「私などが申し上げるのも恐縮ですが、娘さんの一日も早いご回復を心よりお祈りしております」

 

そして、軽く会釈すると石段の下へと消えて行きました。

 

様子のおかしな私たちを不審に思うこともなく送り届け、長い石段を娘を抱えて登って下ださった運転手の方には感謝の気持ちしかありません。

 

 

 

「……行きましょう。今娘さんの中で起こっている事について説明しなくてはなりません」

 

運転手を見送った私たちは、宮司の方に社務所へと案内されました。あれほど大勢いた宮司は、その人を除いてすべて本殿の中へ入ってしまったようでした。

また、私たちを事務所のような部屋に通すと、その方も足早にその場を去っていきました。

 

「申し訳ありません。バタバタしてしまって」

 

そして、事務所で私たちを待っていた若い宮司の口から発せられたのは、通話越しに耳にしたあの落ち着いた声でした。

 

「娘さんを蝕んでいるものは尋常ではありません。なるべく人手が必要なのです」

「尋常じゃない……!?娘には一体何が起こっているんですか!」

 

物騒な言葉に私たちの胸は焦燥感で締めつけられました。しかし彼は穏やかな口調でそれを宥め、静かに着席を促します。

 

「全てを説明しますが、まずは座って下さい。この晩は長くなります」

 

私たちが席に着くと、彼はゆっくりと対面に腰を下ろしました。

そしてとうとう、今、娘の中で起きている事が明かされたのです。

 

 

「娘さんを蝕んでいるのはこの地に古くから根を張っている化け物です。昔は神様に近い存在として信仰されていましたが、今では畏れられるだけの化け物と成り果ててしまいました」

 

神に近い何か。

この単語が何を表しているのかは分かりませんが、その響きは物々しい響きを孕んでいました。

 

「その化け物の行動原理は、"目をつけた魂に強い恐怖を与え、抵抗する気力を削ぎ落として眷属にすること"です。

眷属は街のあちこちに配置され、化け物の"目"として働くことになります。また、化け物は魂を食べる性質があるため用済みの眷属を食べることでその存在を維持しています」

 

目をつけた魂に恐怖を与える。

眷属となった魂は街に配置され、化け物の目として働く。

……それを聞いた時、心霊に疎い私でも娘の置かれている状況が何となく分かって来ました。

 

「その性質上、この街のお墓……もっと言えば花町霊園に屯していることが多い傾向にあります。動きは遅いのですが、眷属の目を通して対象の居場所を把握し、どこまでも追いかけて来ます。

そして、捕まれば先ほど述べた通り強い恐怖で屈服させようとして来ます」

 

宮司は淡々と化け物の性質を述べていたのですが、ここで夫が口を開きました。

 

「待って下さい。花町霊園は墓詛悪市の観光スポットみたいな場所でしょう?そんな化け物がいたらもっと大きな被害が出るような気がするのですが」

 

夫の疑問に対して、宮司はバツが悪そうに首を横に振りました。

 

「この化け物には死者と生者の判断がつかないのです。生者は眷属化ができないため生者の魂を狙う必要はないのですが、ごく稀に生者に目を付けてしまうのです。娘さんは不運だったとしか言いようがありません」

「不運って……!そんな化け物がいると知りながら、なぜ今の今まで野放しにしているんです!」

 

夫は声を荒げ、私も焦りを覚えていました。それは、「神社に辿り着いたからもう大丈夫だろう」と言う私たちの安心が壊されつつあったからです。

 

「申し訳ありません。前に述べた通りこの化け物は神様に近い存在なのです。此処で祀っている神とも同格の存在であり、滅することは出来ません」

 

神様と言えば、宗教に全く触れたことのない私でも絶対的な存在だと認識していました。そして、この神社が祀っているのはこの街の守り神だと近所の方から聞いていました。

 

……そして、それと同格のものが娘を蝕んでいると。

 

「年間の被害は1件ほどです。娘さんが狙われたことは本当に不運だったとしか言いようがありません」

 

宮司の声が冷ややかに頭の中で反響し、私も夫も声を出すことが出来ませんでした。

そんな様子を見て疑問は解消できたと考えたのか、宮司は娘の状態について説明を始めました。

 

「化け物は花町霊園で娘さんに目をつけたのでしょう。けれど、移動が早かったのかその場では手出しができなかった。そのため、幼稚園に留まっている間にゆっくりと距離を詰め、お昼寝の時間にようやく接触したのだと思います。

まずは恐怖を見せ、抵抗する気力を削ごうとしました。これは世界が恐ろしく見える呪いのようなもので、怖がらせる以外には何の効力も持ちません。特に生者は理性で恐怖を耐えられるため、ただ怖いだけです。

そして、魂を食べる間も無く娘さんはタクシーで遠ざかってしまった。そのため、化け物は眷属の目を通して追跡を始めたのです」

 

宮司の語る化け物とは、娘が度々口にしていた「追って来るもの」でしょう。

 

それが幼稚園で娘を見ているだけだったのは、怖がらせること自体が目的だったから。

そして、病院やタクシーで娘が怖がっていたのは、街の至る箇所で化け物の眷属が自分を見ていたから。

 

「眷属の数にも限りがあります。おそらく、大通りや負傷者が運び込まれる病院……そういった場所を優先して配置しているのでしょう。その為、娘さんの部屋をすぐに突き止めることはできなかった。

しかし、ある程度の住所は絞られていたのでしょう。化け物は一帯をしらみ潰しに探し、娘さんに辿り着いてしまったのだと思います。

辿り着いた後は娘さんの恐怖を増幅させて支配を試みますが、それが長時間叶わなかったため、眷属にするのを諦めて魂を食べ始めたのだと思います。それが今の娘さんの状況です」

 

宮司の説明は以上でした。しかし、私がその全てを理解なんてできませんでしたし、最も聞きたかったことを聞けていませんでした。

 

「それで……」

 

分かったのは、「娘は神に近い存在に狙われていて危険な状態」ということです。

そして聞きたいのは、「娘は助かる」と言う一言でした。

 

「それで、娘は助かるんですよね……?」

 

私が尋ねると、宮司の方はサッと表情を険しくしました。

 

 

……その瞬間。次の言葉を聞くよりも早く、全身から血の気が引くのを感じました。

私が望んでいたのは自信に溢れた表情です。娘が助かるという確信です。

 

それがない時点で。

 

万が一にでも娘が助からないという可能性が提示された瞬間に、私の目の前は真っ暗になりました。

 

 

「正直、五分五分としか言えません」

 

耳が遠くなり、血の流れを感じないのに動悸だけが激しく鳴ります。気がつけば、夫が私の肩を掴んで体を支えていました。

 

「五分五分と言うのは、助かるかどうか分からないと言うことですか?」

 

掠れた声で、私は分かりきったことを問いかけてしまいます。

 

「はい。今は宮司総出で化け物を抑え込む祝詞を唱え、此処の神様に化け物へと呼びかけてもらっています。化け物が諦めるか、あるいは魂が食い尽くされる前に剥がせればいいのですが……。再三申し上げたとおり相手は神に近い存在。助かるか否かは五分五分としか言いようがありません」

「そ、そこをなんとかならないんですか!?化け物は魂が欲しいのでしょう?私が身代わりにはなれないんですか!?」

「宮司の私がこんなことを言うべきではありませんが、神様とは身勝手な存在なんです。生者を襲う必要なんてないのに、自分が正しいと信じているから引くことがありません」

 

宮司はここで少し言葉を切ります。そして、天井にチラッと視線を向けてからバツが悪そうに再び話し始めました。

 

「……そして、身勝手なのは此処の神様も同じなのです。化け物と神様は同じ街を領域にする敵同士、本来は歪み合う仲です。乗り気ではないところを無理やりお願いしているのです。いつまで対話を続けてくれるか……」

 

……神様や化け物の理不尽で身勝手な仕打ちに怒りと苛立ちを覚えますが、当時の私にそんな余裕はありませんでした。

 

聞けば聞くほど、娘が置かれている状況の危うさを再確認させられるようでした。

しかし、だからと言って絶望している暇はありません。娘が必死に抵抗しているのに、私たちが何もせずに見ている訳にはいきません。

 

「何か、何か私たちに出来ることはないんですか!?娘のためなら何でもします。教えてください!」

 

私と夫が頭を下げると、宮司の方は引き出しから一枚の紙を取り出しました。

そこにはカタカナの長文が書かれており、私たちにそれを見せながら彼は言いました。

 

「この紙に書かれているのは、此処の神様へ捧げる嘆願の言葉です。

直接娘さんを救う力はありませんが、心を込めてこれを読み続けてください。そうすれば、神様はあなた方の必死な姿を認め、あなた方のために動こうとしてくださるでしょう。お願いできますか?」

 

断るわけがありません。すぐさま、私たちは紙に書かれている文章を唱え始めました。

意味を成さないカタカナの羅列ですが、長時間読み続けていたため覚えてしまいました。多少記憶違いがあるかもしれませんが、以下に全文を載せます。

 

「ホアユエンジーシェン ホアユエンジーシェン

ウォーメンジャンウォーメンダヌーアルシエンゲイ ニン

タージャンチェンウェイニンヂョンシーダ ヌージースー

ニンジャンチャンコンタダイージュイードンターダシェンミンジャンシューウーニン

チェーシーウォーメンダユエンワン

チンジーショウウォーメンダヌーアル」

 

私たちはこの言葉を唱え続けました。

 

「ホアユエンジーシェン ホアユエンジーシェン

ウォーメンジャンウォーメンダヌーアルシエンゲイ ニン

タージャンチェンウェイニンヂョンシーダ ヌージースー

ニンジャンチャンコンタダイージュイードンターダシェンミンジャンシューウーニン

チェーシーウォーメンダユエンワン

チンジーショウウォーメンダヌーアル」

 

どうか娘を助けてください。

 

「ホアユエンジーシェン ホアユエンジーシェン

ウォーメンジャンウォーメンダヌーアルシエンゲイ ニン

タージャンチェンウェイニンヂョンシーダ ヌージースー

ニンジャンチャンコンタダイージュイードンターダシェンミンジャンシューウーニン

チェーシーウォーメンダユエンワン

チンジーショウウォーメンダヌーアル」

 

どうか娘を守ってください。

 

「ホアユエンジーシェン ホアユエンジーシェン

ウォーメンジャンウォーメンダヌーアルシエンゲイ ニン

タージャンチェンウェイニンヂョンシーダ ヌージースー

ニンジャンチャンコンタダイージュイードンターダシェンミンジャンシューウーニン

チェーシーウォーメンダユエンワン

チンジーショウウォーメンダヌーアル」

 

それだけを祈ってこの言葉を唱え続けました。

 

「ホアユエンジーシェン ホアユエンジーシェン

ウォーメンジャンウォーメンダヌーアルシエンゲイ ニン

タージャンチェンウェイニンヂョンシーダ ヌージースー

ニンジャンチャンコンタダイージュイードンターダシェンミンジャンシューウーニン

チェーシーウォーメンダユエンワン

チンジーショウウォーメンダヌーアル」

 

時計など見てはいませんでしたが、夜が明けるまで、おそらく七時間以上は唱え続けていたのでしょう。

 

 

 

「……終わりましたよ」

 

いつの間にか部屋を出ていた宮司の方が、再び扉を開けて声を掛けてくださいました。窓から差し込む朝の日差しに気がつき、私たちはようやく朝が来たことを知りました。

 

「娘は……。娘は助かったんですよね!?」

 

祝福のように机を照らす柔らかい日差しと、夜が明けるまで祝詞を唱え続けたという実感。

私が期待を込めて宮司を見つめると、彼は黙って背を向け、本殿へと私たちを導き始めました。

 

 

……いえ、黙っていたと言うのはきっと勘違いです。きっと、私たちの問いに対して首を縦か横に振っていたのでしょう。

けれど、彼の不都合な仕草を認識出来なかった私たちは、無言を肯定と捉え、娘の快方を信じ込んで娘の元へと向かったのです。

 

 

社務所の木の通路を抜け、砂利を踏みしめて進むと、本殿の大扉が大きく開け放たれているのが見えました。その前には宮司たちがずらりと並び立ち……そして、その中央に娘が立っていたのです。

 

あれだけ苦痛と恐怖に喘いでいた娘が。

化け物に魂を蝕まれ、ぐったりとしていた娘が。

 

今は、自分の足で立ち、真っ直ぐこちらを見据えている。

 

「A……!」

「良かったなあ、A!」

 

私たちは駆け寄り、娘を抱きしめました。祈祷は成功したのだと信じ込み、口々に祝福の言葉を掛けながら。

 

……しかし。娘は何の反応も示しませんでした。

 

私たちの声など届いておらず。抱きしめられていることにすら気がつかないように。ただ、ぼんやりと、遠くの空を眺め続けているだけでした。

 

 

此処から先の記憶はとても曖昧で、何を話したのか、何をしていたのか、記憶が混濁しています。思い出せる限りで記述します。

 

 

「娘はどうしたんですか?睡眠不足でぼーっとしているのでしょうか」

 

いつまでも意識の戻らない娘を心配して夫が尋ねと、頭上からは恐縮した声が降り注ぎました。

 

「申し訳ありません。誠に残念ながら、娘さんは手遅れでした」

 

 

その言葉を飲み込むのには時間がかかりました。私は娘の虚ろな瞳を眺めるばかりで、何も言葉を返すことが出来ませんでした。

 

 

「……手遅れ?皆様方のご尽力も、私たちの願いも、届かなかったと言うことですか?」

「……いえ。化け物を剥がすことには成功しました。しかし、娘さんは魂の大半を食べ尽くされており、剥がした頃にはもはや手遅れだったのです」

「手遅れとは?娘は痛みも恐怖も訴えていないようですが。その、娘は、どうなっているんですか?」

 

混乱しながらも、何とか言葉を紡ぐ夫に宮司は答えました。

 

「娘さんは魂の大半を蝕まれ、心を失った状態になっています。生命の持つ最低限の生理的行動までは冒されていないようですが、思考能力を奪われ、感情や記憶も失っていると考えられます」

 

宮司の返答に一瞬時が止まり、夫は震える声でそれを復唱します。

 

「今の娘には、感情がないと?自分の意思で何かを考えることが出来ない?」

「はい」

「そして、何も覚えていないんですか?自分のことも、私たちのことも、歩んで来たこの5年間も、全て?」

「はい」

「笑うことも、怒ることも、泣くことも、もう、無いと?」

「はい。本当に……」

 

 

この後に「ご愁傷様でした」と続いたようですが、私が覚えているのはここまでです。

 

 

私は娘を抱きしめて泣きました。腕を背中に回して強く抱きしめても、娘が抱き返してくれることはありません。

名前を呼び、褒めて、感謝して、謝って、必死に声を掛けても、何の反応も返って来ません。

泣いてばかりだった娘が、少しずつ落ち着いて、初めて自分の足で立ち、たどたどしく言葉を話し、幼稚園に通いはじめた……。そんな短くも長い5年間の記憶は、その虚ろな瞳からは何一つ感じ取れませんでした。

 

確かに呼吸をしている。柔らかく、血の通った温かい体がそこにあるのに。けれど、その中にもう娘はいないのです。

 

この文章を書いている今でも、あの時のことを思い出すと。そして、いまだに心の戻らない娘を思うと、涙が止まりません。

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