_____ゆるい下り坂で乗ると良い。全く乗れないのなら危険だけど、君は少しは乗れるんだろう? じゃあ、ある程度速度の出しやすい下り坂の方がバランスがとりやすいんだ。
_____下り坂は危ないとばかり思ってたけど、そうなんだね。君、本当に自転車乗りの帝王だよ! それと、もう一つ聞きたいことがあるんだ。冷房と扇風機の……
「コーディ、どうしてこんな所で寝てるの?」
机に突っ伏して寝ていると、ハリーが肩を叩いてきた。昨晩は談話室でトムと話していて、変な姿勢で寝たせいか足腰が痛い。ハーマイオニーたちを起こさないようわざわざ談話室までやって来たけど、ベッドの中で書けば良かったな。
伸びをしようと肩を動かすと、いつの間にかかかっていたブランケットがぱさりと落ちた。きっと、誰か優しい人がかけてくれたんだろう。
「ちょっと調べ物をしててね。ハリーは?」
「ウッドが起こしに来たんだ」
伸びをしながら尋ねると、ハリーは恨めしげにそう答えた。髪の毛はいつも以上に寝癖だらけで、シャツのボタンは所々かけ間違えている。抱えているのは恐らく、クィディッチのユニフォームだろう。
ウッドのクィディッチ狂いはさらに進化していて、ここ最近は「伝説の時代を作るんだ!」が口癖となっている。連覇だけでなく三連覇、それどころか自分が卒業してもグリフィンドールが優勝杯を獲得し続ける未来を夢見ているのだ。
「……今何時?」
「五時半。いつもより三十分も早い」
「まだ五時半なの? じゃああと三時間近くも寝られ……」
今度こそ快適な睡眠を取るべく部屋に戻ろうとしたコーディだったが、ハリーが「この世で一番不幸なのは僕だ」とでも言いたげな悲愴な表情をしていたので「私も練習を見に行こうかな」と言い直した。
競技場まで向かう道には誰もいない。いつも騒がしいハリー・ポッター・ファンクラブも、さすがにまだ寝ているようだ。
「____そこで、キャプテン・アメリカが、グレイを殴り倒して空飛ぶCDをバキバキにへし折っちゃったんだ! ねえハリー、本当に見てないの? ニューヨークって、年に三回は宇宙人のせいでボロボロになるんだって……怖いよね」
「コーディ、ディーンの話はまともに聞いちゃダメだよ。キャプテン・アメリカは漫画の中にしか存在しないから」
コーディがすっかり打ちひしがれ、ハリーが呆れつつも慰めていると、華奢な人影が近づいてきた。「ハァイ、ハリー」
チョウ・チャンだ。髪の毛は烏の濡れ羽色、顔立ちは抜群に整っている上に東洋らしい個性もあり、その笑顔は羽を広げた蝶のように華やかだ。コーディは自分が無視されたことも忘れ、ぼーっと見惚れてしまっていた。
しかし、ハリーがゆでダコも真っ青なくらいに真っ赤な顔で「や、やあ……」と返事をしたので、すぐに冷静さを取り戻した。
「いつも朝早くにランニングしてるみたいで、よく挨拶されるんだ」コーディは何も言っていないのに、まるで言い訳するみたいにハリーがそう言った。
「へえ。美人だし性格も良さそう。私には気づかなかったみたいだけど、きっと耳と目がとびきり悪いんだろうな」
「きっと彼女、まだ誤解してるんだ。ごめん。僕、全然気づかなかった」
ハリーが申し訳なさそうにするので、コーディは自分がまるで御伽噺に出てくる意地悪なおばさんになった気分だった。
「ああハリー、そんな悲しそうな顔しないでよ。せっかく今日も素敵なんだから……ねえ、サインしてくれない? 口紅で、私の……」
「コーディ!」
コーディが場を和ませようとちょっとした冗談を言うと、ハリーはまたしても顔を真っ赤にして怒鳴った。ハリー・ポッター・ファンクラブに関する話題はハリーの前では禁句なのだ。
ここ最近、ロックハートからしょっちゅう“有名人の心得”を説かれ、ハリー・ポッター・ファンクラブからも付きまとわれ、ウッドからしごかれているせいで、ハリーは少し情緒が不安定だ。
「ごめんって。でもさ、私だって大変なんだ。あの子たちみんな、私が君をたぶらかしてるって思ってるんだよ。闇の魔術で君をメロメロにしてるとか、服従の呪いで無理やり恋人になったとか____」
「こ、恋人!?」
「思春期ってやつだね。まったく、これだからお子様は」
グラウンドに着くと、既に選手たちが揃っていたが、みんな眠たそうだ。チームメンバーの中では比較的ウッドと分かり合えそうなアンジェリーナですら、欠伸を噛み殺している。
フレッドはアリシアの肩で眠りこけていて、ジョージはコーディの方を見ながら口パクで「マーリンの髭」と言った。
目を血走らせて新しい戦略について語っていたウッドが、ハリーを見つけるなりものすごい速度で駆け寄ってきた。
「遅いぞハリー……神聖な競技場に恋人を連れ込むなんて、最近たるんでるんじゃないか? まあ良い、ロウル、君は端で見てろ。恋人がいることで、むしろやる気が____」
「ウッド!」
ハリーがまたしても顔を真っ赤にして怒鳴った。やれやれ、本当にすごく情緒不安定みたいだ。スネイプから鎮静水薬をもらった方がいい。もっとも、スネイプがハリーのために薬を煎じるなんて絶対に無いだろうけど。
「マーリンの髭! まだ終わってないの?」
「もっとマーリンの髭なことに、始まってすらないんだよ」
ロンとハーマイオニーがコーディの隣に腰を下ろした。ロンはあの後もいつも通りで、まるで何も無かったというような顔をしている。
「あなた、朝ごはんを食べてないでしょう。どうぞ」
ハーマイオニーがそう言ってマーマレード・トーストを渡してくれたので、コーディはそれにかぶりついた。ハリーが羨ましそうにこちらを見ている。
スタンドの最後列ではコリンが必死にハリーの写真を撮っていて、ウッドが「スリザリンのスパイだ!」と叫んだ。
しかし、スパイは必要無いだろう。ゴリラと見紛うようなゴツい男集団____スリザリンチームが競技場にやって来た。
「何なのかしら?」とハーマイオニーが言い、「どうせろくな事じゃない」とロンが返した。コーディもその言葉に頷いた。
グリフィンドールチームとスリザリンチームはすぐに何やら言い争いを始め____いつもの事だ____三人はその様子を見に行った。
「僕が、スリザリンの新しいシーカーなんだ」
そう言ってドラコが現れたので、コーディはやれやれとため息をついた。マルフォイ邸に泊まっている間中、ずっと箒遊びに付き合わされたのはこういうことだったのか。
「ドラコのお父様が、チーム全員にニンバス2001をくださったのさ」
キャプテンのマーカス・フリントが、自慢げな顔でピカピカの箒を見せびらかした。
「グリフィンドールチームも資金集めして新しい箒を買えばいい。クリーンスイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買いを入れるだろうよ」
ドラコがそう言い、スリザリンチームの選手たちはどっと笑った。ドラコはこの夏休みのうちに、随分と煽りの腕を上げたようだ。コーディが静観していると、珍しくハーマイオニーが言い返した。
「少なくとも、グリフィンドールの選手は、誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ」
「フン、誰もお前の意見なんて聞いてない。まあいい、お前が偉そうにしてられるのは今のうちだけさ____今年のホグワーツは素晴らしいぞ。特にお前たちみたいな、穢れた血にとっては」
ドラコがそう言った瞬間、フレッド(たぶん)が殴りかかろうとするのをウッドが慌てて止めた。「暴力沙汰なんて起こしたら、出場停止だ!」
「ドラコ、今のはマジで良くないよ。謝った方が良い。さすがに少し軽蔑した」
「だ、だって、事実だろう!」
「血はどれも一緒だよ。死喰い人も、純血も、マグルも、みんーな赤色の血が流れてる。それに、後半のはどういう_____」
コーディはそれ以上聞くことが出来なかった。ハリーがコーディのローブを引っ張ってドラコから遠ざけたからではない。ロンが杖を取りだし、「マルフォイ、思い知らせてやる!」と怒鳴ったのだ。しかし、杖はドラコではなくロンに向かって緑の閃光を放ち、ロンは勢いよく吹っ飛ばされた。
「マーリンの髭! 大丈夫?」返事の代わりに、ナメクジが一匹地面に落ちた。それから、また一匹。
ハリーとコーディは、急いでロンを助け起こした。ハーマイオニーは背中をさすってやっている。
「おわぁー、信じられない! ハリー、君なら治せるよね? ねえ、そこの……あなたってハリーの恋人なの? ハリーに愛の妙薬を飲ませたって本当? あっ、その病気の人を動かないように支えててくれない?」
「君、そんなんじゃハリーに嫌われちゃうよ。おチビさん」
「コリン、どいてくれ! それに、僕は薬なんて飲んでないぞ! 君はコーディの成績を知らないのか!」
ロンの写真を撮ろうとするコリンをハリーがぴしゃりと叱りつけ、四人はハグリッドの小屋に急いだ。
なんだか途中、ハリーが少し失礼な事を言ったのが聞こえたような気がしたけど、恐らく気のせいだろう。
「もうすぐよ、ロン、すぐ楽になるわ……すぐそこよ……」
コーディたちはようやく小屋まであと五メートルという所まで来たが、そこから出てきたのはハグリッドでは無かった。薄い藤色のローブをまとった
「隠れよう」とハリーが言い、みんなで茂みの中に入った。ハーマイオニーは納得行かないようだったが、コーディが「私、友達にシレンシオなんてしたくないよ」と言うと渋々黙った(シレンシオはまだあんまり上手く使えないけど)。
ロックハートが立ち去るのを確認してから、四人は小屋をノックした。ハグリッドは最初不機嫌な顔をしていたが、客が誰か分かった瞬間、パッと輝く笑顔を見せた。
ハリーが手短に事情を説明すると、ハグリッドはロンの前に大きな銅の洗面器を置いた。「みんな吐いっちまえ」
「そういえば、あいつは何の用だったの?」
「井戸の中から水魔を追っ払う方法を教えようとしに来たんだ____まるで俺が何にも知らんと思っちょるらしい。その上、泣き妖怪だかなんだかの話を散々ぶち上げとった。奴さんの言っとることが一つでもほんとだったら、俺はドラゴンをペットにしてみせるわい」
「ロックハートの話が全部嘘でも、君ならやりかねないと思うけど……。ああ、ハーマイオニー、全部嘘だと思ってるわけじゃないってば! もちろん、本当だとも思ってないけど」
ハーマイオニーはコーディたちとは違ってまだロックハートを信奉しているので、「ダンブルドア先生がお選びになったのよ!」と怒った。
「他にだーれもおらんからな。それで? ロンは誰に呪いをかけるつもりだったんかい?」
「ドラコがちょっと、やらかしちゃってね。まあ、いつもの事だよ____いつもよりかなり酷かったけど」
「ちょっと? あいつ、穢れた血って言ったんだ!」
ロンがしゃがれ声で言い、またすぐ次のナメクジを吐き出し始めた。ハグリッドはその岩のように大きな拳をぎゅっと握り、雷のような声で怒鳴った。
「そんなこと、本当に言うたのか!」
「ええ。分からないけど、とても失礼な言葉みたい」
「ドラコが思いつく限りの最悪の侮辱の言葉だよ、マグル生まれに対するね。純血主義者だってしょっちゅうは言わないほどの罵倒だけど……時々いるんだよ、マグル生まれは劣ってるって思い込んでる人たちが」
ハーマイオニーの顔が曇る。世の中には知らない方がいい事がたくさんある____コーディは慌ててつけ加えた。
「私なんか純血だけど、おできを治す薬じゃなくておできを
「それに、俺たちのハーマイオニーに使えねえ呪文は今までひとっつも無かったぞ」
「ハグリッドの言う通りだよ。ああ、ハーマイオニー! ただでさえ天才なのに髪の毛までサラサラになっちゃったら、マーリンだって裸足で逃げ出す無敵の存在だ! そんなに進化してどうするのさ。魔法省どころか、
ハーマイオニーは頬を赤く染めて微笑み、コーディに抱きついた。「あなたって本当に最高。魔法薬学の成績以外はね!」
ハリーはロンの背中をさすりながら、黙ってその様子を眺めていたが、ようやく口を開いた。
「僕、君がどうしてあいつと仲良くするのか分からないよ」
「そうね。私も……一時期は、そんなに悪い人じゃないかもしれないって、思ってた事もあったけど」
ハーマイオニーも申し訳なさそうな表情で言う。
ハリーたちと親しくしつつ、ドラコと親しくする____これは、コーディにとってなかなか厄介な問題だった。ドラコは渋々受け入れてくれているし、人目の多い場所では話さないようにもしている。スリザリン生だって、不満があってもドラコの意に反することは出来ない。しかし、ハリーたちは違う。
正義感があって、何にでもはっきりと意見を言えるのは彼らの美徳だけど……ちょっと困るな。
コーディは少し考えた後、いつも通りに呑気な笑顔を浮かべた。
「だって、この世はお金が全てなんだよ____ドラコを怒らせちゃったら、超ひどい場所に住むことになるかも。それこそ、ロンの家の庭とか……あっ、冗談だって、ナメクジをこっちに投げないで! マーリンの髭!」
ロンがナメクジを全て吐き出し終わり、玄関ホールに入ると、マクゴナガル先生が厳しい表情でハリーとロンに話しかけた。
「二人とも、処罰は今夜ですよ。ウィーズリー、あなたはフィルチさんと一緒にトロフィールームで銀磨きです。魔法はだめですよ、自分の力で磨くのです。ポッター、あなたはロックハート先生がファンレターに返事を書くのを手伝いなさい」
ハリーが絶望的な声で「トロフィールームの方にしてください」と懇願したが、マクゴナガル先生は無慈悲だった。ハーマイオニーが「ルールを破ってご褒美をもらったわね」と言ったので、ハリーはますます悲痛な声で「それじゃ、君が代わってくれよ」と言った。
その後、コーディは夕食も取らずに部屋に戻った。大広間でドラコと鉢合わせるのを避けたかったし、ハーマイオニーと二人で話す気分でも無かった。
トムとなら何も気にせずに話せる。彼はコーディが死喰い人の娘でも気にしないし、マグルの道具に詳しいマグル育ちの彼が怪しい闇の道具なんてことは無いだろう。
いや、違う。孤児で、コーディと同じく孤独だけど心優しい彼が闇の道具だなんて、そうであって欲しくない。
____それで、ハリーはロックハート先生のファンレターの返事の手伝い! 英雄仲間だって! 本当に面白い。
____君は本当に、ハリー・ポッターと仲が良いんだね。今日も楽しかったみたいで、僕まで笑っちゃうよ……まあ、今は顔も声も無いけど。
____でも、嫌なこともあったんだ。チョウ・チャンは絶対腹黒いし、ドラコもまあまあ酷かった。人間関係って難しい。誰からの好感度も下げずにいるなんて無理だよね。
____随分落ち込んでるみたいだね。チョウ・チャンっていうのは
____ああ、すれ違っただけの人。それより、自転車に乗りたすぎて暴れそう!
____僕が叶えてあげようか。
____どうやって?
その夜、幸せだけど少しおかしな夢を見た。
自転車に乗って空を飛んでいる。補助輪は付いていない、完全に自力だ。しかも後ろにはトムが座っていて、なんと、二人乗りだ!
「マーリンの髭! 私、自転車に乗れたよ!」
「そのままペダルを漕いで、後ろを見ちゃダメだ。二人乗りには繊細なバランス感覚が必要なんだ。二人乗りっていうのは一見、漕ぐ側だけが大変に思えるだろう?」
「違うの?」
「後ろに乗っている僕も、体重のかけ方を慎重に調整しなくちゃいけないんだ……ずっと同じところに座っているとおしりが痛いから、定期的に動かなきゃならないんだ。二人乗りっていうのはね、寧ろ、座っている側の方が大変なんだよ」
「さすがトム! 自転車乗りの帝王だね!」
「じゃあ、今から部屋を開きに行こうか」
「部屋って何?でもそれ、すごく楽しそうだね」
楽しく乗っていたのに、自転車がいきなり急降下していく。ジョニーが叫ぶ____「ダメだ! どうして……僕は警告したのに!」
文字数が一気に増えました。