優しい光が室内に漏れ出し始めるような朝。
鈴のような凜とした声で、俺は目覚める。
「おはようございます。ご主人様」
「ああ、おはよう。”ヴァイオレット”」
長めの裾が、静かに揺れる。
胸元は白のエプロンで整う。
ホワイトブリムが額を縁取る。
碧眼が静かにこちらを見る。
メイド姿の、”原作主人公”が立っていた。
「朝食の準備が整っております」
「うんむ」
俺はそんな彼女に生返事を返す。
ベッドから起き上がり、立ち上がる。
「お着替えはこちらです」
差し出された服に腕を通す。
すると、ヴァイオレットが俺の挙動に合わせて、服の着用の手伝いをしてきた。
テキパキと、流れるように。
「それでは、食堂に向かいましょう」
——廊下を二人で静かに歩く。
数歩、離れた位置で互いに足を進める。
ふと、彼女がこちらに話しかけてきた。
「こちらの標準服は、初めて着ましたが。これはメイドとして、戦闘にも対応したものなのですね」
ヴァイオレットは己のスカートをふわり浮かせると、太ももあたりを見せてくる。
そこには、短剣が数本忍ばされていた。
「ガーターベルトにこのような使い道があるとは、これはいつか役立ちそうです」
「うむ。襲われても不意打ちで抵抗できるからね。まさかメイドが自衛の手段を持っていて、返り討ちに会うとは、誰も思うまい……なんてね?」
「ええ、素晴らしい発想です」
俺と彼女はそんな誰得な会話をする。
(いやいや! 待て、冷静になれ俺。何を呑気に『なんてね?』だ。ヴァイオレットは確か元兵士だったよな? ……そうだ、元兵士。冗談が過ぎると返り討ちに会うのはこっちだ)
そんな俺の内心を知ってか知らずか、彼女は。
「ご安心ください。必要とあらば非殺傷で敵を止めることも可能です」
さらりと言ってのける。
「は、はは……それは頼もしい」
「ええ、ご主人様の身を守ってみせましょう」
そんな物騒なこと、起きないでほしいけどね!
——そして、食堂へと辿り着いた。
横に長ーい机の上には、朝食が置かれている。
そして俺は、その長い机の端の席に座った。
「珈琲を淹れますね」
ヴァイオレットが俺の横に立ち、熱湯をフィルターに注ぎ、すると濃い液体が一滴ずつ落ちていく。
それが集まった後、彼女はカップに注ぎ直した。
「どうぞ、できました」
「ああ、ありがとう。頂くよ」
そして出来上がった珈琲に俺は口を付け——。
「苦——っが⁉︎」
そのあまりにも濃厚な風味に、ついむせた。
「ご主人様? いかがなさいましたか」
ヴァイオレットが、こちらの顔を心配げに伺い、俺の口元を優しくそっと、拭いてくれる。
そうなんです。
実は俺、ブラック無理なんです。
「ヴァイオレット」
「はい」
「砂糖とミルクを、たんまり混ぜてほしい」
「承知しました」
彼女は言われた通りに、それぞれを溶かしていた。
俺はその間、パンにバターを塗り、一口かじっては、いわゆるお口直しをしていた。
ほんのりと塩気の効いた味が絶妙だ。
「ご主人様、完了しました」
ヴァイオレットが甘々に中和された、もはや乳白色の液体をこちらに差し出してくる。
「これだよ、これ」
「失礼いたしました」
「いや謝ることじゃない。誰しも失敗はあるものだ」
まっ、でももう一人のメイドが同じことやってきたら、怒っちゃうけどね!
パンを齧る、珈琲を啜る。
このワンパターンだ。
朝はこれくらいがいいってもんよ。
……それにしても。
「ヴァイオレット」
「はい。なんでしょう」
「君は……朝食を食べないのかね?」
そう、俺、今絶賛ボッチ飯の最中だ。
隣に、ヴァイオレットがいるのに。
彼女は俺の横に突っ立ったままだ。
「私は、慣れていますから。数日程度ならば、食料を補給せずとも任務は続行可能で——」
「いやいや! 一緒に食べようか⁉︎」
ヴァイオレットの断食宣言に、俺は間髪入れず、横の席に座ることを促した。
「いえ、ですが」
「いいから、いいから。ホラ座って」
「命令とあらば……了解しました」
ふう、危ねえ。
あやうくホッジンズに叱られるところだった。
うちの従業員を雑に扱ったよなあ⁉︎ って。
「して、ヴァイオレット」
「はい。ご主人様」
「君も一緒に朝食を食べよう。今は、我が家の一員なのだから」
彼女はこちらの瞳を伺うように覗く。
そして、ようやっと意味を理解したのか。
「——ええ。分かりました」
ともに、朝食を食べる仲となった。
うむ、実に結構。
---
朝食を済ませたあと。
俺は、ヴァイオレットを従えて街に出かけていた。
人々のざわめきや、道路から車の音が聞こえる。
「一体、何をするのでしょうか?」
彼女が不思議げに尋ねてくる。
「街の視察だよ。貴族の嗜みってやつだ」
「そう、ですか……」
ヴァイオレットは未だよくわかっていない顔だ。
そんな少女を引き連れてやってきた場所は——。
「いらっしゃいませ。当店にようこそ」
ライデン屈指の宝石店。
煌びやかで、でもどこか大人しい雰囲気のある。
本来は未成年の子供が入るような場所ではないが……俺は顔パスで何事もなく入れた。
「若きグラジオラス卿。本日はお日柄もよく」
「ええ、久しぶりに来ました」
「ごゆるりと、当店をどうかご贔屓に」
ここは、俺がよくパッパに連れてこられた顔馴染みの宝石店である。
店員・店長とも顔は見知った仲だ。
よく俺は、ここでジュエリーを買っていた。
「今日はいつもと違うお嬢さんですね。お名前は?」
店長が親しげに声をかける。
ヴァイオレットは、若干緊張した様子を見せつつも、すぐその場に順応すると。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」
それはもう見事なまでの挨拶をした。
「おお……! 美しい。さすが、グラジオラス卿のお抱えメイドさんですね」
まあ実際は、一週間限定の自動手記人形だけど。
否定するのも、説明するのも面倒なので、曖昧な笑みを浮かべてその場を流す。
「……ご主人様」
「どうした、ヴァイオレット」
「何用でこちらに入られたのでしょうか」
彼女が小声で疑問を投げかけてくる。
俺は、それに対しそっと静かに答えた。
「プレゼントだよ」
「プレゼント……?」
まだ良くわかっていないようだ。
畳み掛けるように言葉を続ける。
「君へのプレゼントだ」
「……私に、ですか?」
「そうだ。一週間仕えてくれるわけだ。それ相応のご褒美を出すというのが、貴族の礼儀なのだよ」
俺は、ヴァイオレットに手招きをして、宝石コーナーに近寄らせる。
「これは……ダイヤモンド、金、プラチナです」
「そうだ。他にもあるぞ」
エメラルド、ルビー、サファイア……etc。
この店では、無い宝石の方が少ない。
「好きなのを選ぶといい」
この言葉を聞いた彼女は、一瞬。
一瞬だけだが、年相応の少女の顔をした。
だが、ヴァイオレットは固辞しようとする。
「ですが、私には勿体ないと思われます」
そんな発言に対して、俺は問う。
「いやいや、そんなことない。なら、君の胸についた緑のブローチ。それは勿体ないかい?」
ヴァイオレットは深く思考する様子を見せた。
それは、彼女にとって”大切な人”から初めてもらった、思い出の品である。
「いえ、勿体なくありません……。これは、少佐から頂いた、かけがえのない宝物です」
どこか寂しげに、少女はそっと胸元を握った。
「君は女の子だ。それに美しい。宝石の一つや二つ、身につけて自分を輝くように強調するといい」
「ですが——」
この娘、なかなか折れない。
でも大丈夫、すでに買うものは決まっている。
彼女が納得するような、立派な一品を。
「ほら、ヴァイオレット。こっちにきてごらん」
「はい。承知しました」
俺は、ジュエリーが沢山並ぶガラスのショーケースの一つを指差した。
「……これは?」
「これはね、”ブルーダイヤモンド”だよ」
まるで湖面のような淡い水色の宝石。
それは例えるなら、彼女自身の碧眼そのもの。
「君には大切な人がいるんだろう? これは、その人に向けたプレゼントだと思えばいい」
「……」
ヴァイオレットはそれに見惚れていた。
いや、目を奪われていたとでも言おうか。
とにかく、お気に召したことは確かだった。
「店長ぉ! この宝石、今買うから、取り出してもらえますか?」
「ご、ご主人様……?」
彼女が驚くのも無理はない。
なんたって、急に購入の手続きへと進んだからだ。
「お買い上げありがとうございます、若きグラジオラス卿。お支払いは?」
「うーん、じゃあ小切手で」
「承知しました。では、今開きますね」
店長が直々に、鍵を取り出して、宝石を取り出す。
ブルーダイヤモンドの指輪が登場した。
「ヴァイオレット、それを好きな指につけると良い」
「本当に、いいのですか……?」
「気にするでない。こう見えて、お金持ちなんだ」
「そうですね。……では、有り難く頂戴します」
ヴァイオレットは指輪を右手の薬指にはめた。
ほんのりと、微笑みを浮かべている。
「では小切手を」
「ああ、今書きますね」
これは彼女に知られてはいけないことだが……この商品の価格は、実は二百万ライデンする。
値札は手で押さえて見えないようにしていた。
車の価格が百五十万ライデンであることを踏まえると——これ以上は、考えてはならない。
札束とは……使える時に使うものだから。
「これからもどうぞご贔屓に……」
店長が両手を握って挨拶をしてくる。
そうして、俺たち二人は退店するのであった。
---
買うものは買ったので、邸宅への帰路の途中。
ヴァイオレットは自分の指につけられた宝石をじっと眺めていた。
そして満足したのか、ふと、声をかけられる。
「ご主人様」
「ん? どうしたヴァイオレット」
どこか真剣な表情を浮かべる彼女。
「私に、何か一つでもお返しできることがあれば、何なりとお申し付けください」
俺はそんな少女の姿を見て、微笑ましく思った。
邸宅へとだんだん近づいていく。
俺たちはそこで雑談をする。
「ホッジンズ社長が言うには、配達用二輪自動車は一台二十万ライデンするそうです。あれが百台納入されてからは、我が社の配達効率は格段に上がりました」
はえー、ホッジンズさん。ちゃんと資金を有効に活用してるんだなあ。
何となしにそんなことを考えていると、ヴァイオレットが声をかけてきた。
「ところで質問なのですが、エレン様とご主人様はどのようなご関係なのですか?」
「……あいつは」
と、そこで俺は押し黙る。
ヴァイオレットは頭の上にハテナを浮かべてこちらを見てくる。
「『……あいつは?』の続きはなんでしょうか」
そこで、俺は天に向かって声をあげた。
「あいつは……敵だあああ‼︎」
「て、敵⁉︎ 敵はどこでしょうか! 身を屈めてください‼︎ 私が排除します!」
ヴァイオレットが俺の目の前に立ち、身を守るように迅速に行動する。
「いやそうじゃなくて」
「敵……敵はどこに?」
「いやそうじゃないんです」
俺はヴァイオレットの誤解を解いた。
何も、いきなり襲撃者が現れたわけではない。
「……どういうことでしょうか?」
つまるところだなあ。
俺はもう一人のメイドが”敵”である所以を話す。
「なるほど……。ご主人様がお酒を飲むと、毎度回収されてしまうから、”敵”とのことですね?」
「その通り!」
ですが……と、ヴァイオレットが続ける。
「それは、ご主人様自身に非があるのではないでしょうか?」
「うう”っ!」
正論パンチを喰らう。
思わずうめき声をあげてしまった。
ヴァイオレット、君は味方じゃないのか?
「私は、ご主人様が『清く正しく』生活をできるよう、エレン様から任を与えられていますので……」
「そんなあ!」
どこか気まずそに彼女は俺から目を背ける。
だが、ヴァイオレットは即座に気を切り替えると。
「ですがご主人様。エレン様に想いを、手紙を綴れば、少しは何とかなるかもしれません」
「手紙ぃ?」
「ええ、そうです」
そういえば……この娘は自動手記人形であった。
手紙で人に想いを上手に伝えるのに長けた人だ。
「うーん……そうだなあ」
俺は考える。
あの、昔は『ノア”君”』と呼んでくれていた彼女が、俺が頭を蔵で打った日以来、『ノア様』と呼ぶようになってしまった、あのエレンが、もしかすると俺からの手紙を読んだことで、改心してお酒も、呼び方も、全て許して直してくれるかもしれない。
「ナイス、アイデアだ」
「——では、宛名はエレン様で」
メイド姿のヴァイオレット成分を補給